72.里での生活
里での生活
グレイ達が、『えにし』の里に着いてから、三日が過ぎようとしていた。
サムたちの五人は、源太の家から、更に山奥に入った場所に建てられた、十畳ほどの広さの山小屋で暮らす事になった。
と、言っても新しく用意されたものではなく、トーマス達五人が、以前使っていた建物だ。
ブライトン号の水夫室に比べれば、十分に広く、サム達は、不自由を感じる事も無かったが。
それよりも、大変だったのは、「師匠」とグレイにより始められた修行だ。
「師匠」と呼ばれる人物は、五十を過ぎている老人だった。
初日に見学した、グレイとの三本勝負の試合で、グレイが一本しか取れなかったのだ。
五人が全員で挑んでも、まるで相手にならなかったグレイを相手にだ。
「グレイ、また腕を上げたか。よく鍛錬を積んでおる。」
「いいえ、まだまだです。」
「ここに居る間に、わしから二本ぐらい取れるようになるのではないか。」
「精進します。」
「では、小僧たちの腕を見てみようか?どれ、一人ずつかかって来なさい。」
サムが、意気込んで最初に挑んだが、全く相手にもされなかった。
その後、残りの四人が続けて挑む。が、師匠には、息一つ乱させる事も出来ず、簡単に倒された。
「うーむ、これは時間が、かかりそうじゃの。先ずは基本からか。」
その日から、五人は一日のほとんどの時間を修練に費やす事になった。
基本の足運びの繰り返しと、拳打、蹴り、筋力トレーニング、木刀の素振り、そして座禅。
早朝から同じメニューの繰り返しだ。その間、ずっと師匠とグレイの監視が付く。
少しでも気を抜くと、二人が手にした硬い木の杖で叩かれるので一瞬も気が抜けない。
夜には、日本語の習得の時間がやってくる。
五人の唯一の楽しみは、食事の時間だけだった。
暑い夏が終わり、秋が過ぎ、気づけば雪が、積もる時期が始まっていた。
マルジン達開発部の六人と顔を合わせる機会はほとんど無かったが、たまに見かける彼らの顔は、寝不足で、やつれていた。
『えにし』の製造法の習得にかなり苦戦しているらしい。
「明日から四日間は、全員休みだ。」
グレイが、ある日突然、全員を集めて宣言した。
「なぜですか?」
マシューが、驚いて聞くと、
「気が付いていなかったのか?明日は、一年が終わる日だぞ。その次からの三日間はこの地の風習で正月の休みになる。」
「やった。四日も休めるのか。」
ルーク達の顔に喜色が浮かぶ。
「ここから一時間ほど歩いた所にある、『湯治場』でゆっくりと休んでくれ。」
「あのー、『湯治場』とは何ですか?」
「天然の温泉が湧いている所だ。日本では、その温泉につかり、身体を休める事を『湯治』と呼ぶんだ。」
「温泉につかるのですか?北欧などでそのような習慣があるとは聞いた事が有りますが…。」
開発部のジェームズが呟く。
「温泉か、楽しみじゃ。酒も十分に用意しておいてくれ。」
マルジンが表情を緩めて言った。
「ああ、たくさん用意させておくよ。ゆっくりと英気を養ってくれ。」
翌朝は、朝食が終わると、グレイ達全員と、源太達、里の職人も加わり湯治場へと向かう。
湯治場には、檜で造られた湯船の置かれた建物と、その隣には大きな岩で囲われた露天風呂があった。
サムたちは、源太に風呂に入る際の作法を教わり、思い思いに温泉につかる。
露天風呂では、マルジンが、熱燗の日本酒の入れられた徳利を桶の中に入れて持ち込み、桶を湯船に浮かべると、温泉につかりながら、早速一杯飲み始めていた。
湯治場の広い座敷には、御馳走が用意され、山海の幸が楽しめる。
「あー。温泉ってのは、いいもんだな。疲れが全部、溶けて無くなるようだ。」
エドモンドが、感慨深げに感想を述べる。
「ああ、全くだ。温泉はいいな。」
ルークが、同意する。
「ちょっと、熱くないか?」
「マシュー、露天の方は少しぬるいぞ。今度はそっちに入って見ろよ。」
イースが、マシューにアドバイスする。
「うん、試してみるよ。」
「俺は、熱い温泉の方が、気持ちいいよ。」
とは、サムの感想。
「余り、はしゃぎすぎるなよ。『湯あたり』と言って、長く温泉につかりすぎると、のぼせてしまうからな。」
グレイが、忠告する。
「グレイは、のぼせた事があるの?」
「いや、俺は無いが、以前いたジャンが、一度のぼせて、半日動けなくなっていたよ。」
「気を付けます。」
そう返事をするのは、どこまでも生真面目なマシューだった。
今日で正月休みというのは、最後の日になってしまった。
名残惜しいような、それでいて、修練に戻るのが楽しみなような、複雑な気持ちでサムは、朝から檜の湯船に入りに行った。
「おお、サムも朝風呂か。どうじゃった湯治場は?」
そう、声を掛けてきたのは師匠だった。
「はい。とても楽しかったのですが、今は疲れも抜けて、早く修練に戻りたい気もしています。」
一緒に湯船に入りながら、サムは、素直に自分の気持ちを打ち明けた。
「そうか。サムは、皆の中でも特に修練に励んで居るからの。もう、年明けからは、次の段階に進んでも良さそうじゃな。
しかし、サムよ。お主はこの修練でどうなりたい?」
「グレイに勝てるようになりたいです。」
「ほう、グレイに勝ちたいか。厳しい目標じゃな。」
「きっと、なって見せます。」
「お主が強くなりたいのはなぜじゃ?」
「強くなりたい理由ですか?」
「ああ、強くなってどうする?」
「余り、考えた事がありませんでした。」
「一度、じっくりと考えてみよ。」
「考えたら判りますか?」
「ああ、強くなりたい理由が判れば、自ずと、お主がたどり着ける強さの領域が決まるでの。」
「はい。一度じっくりと考えてみます。」




