67.松江藩の大騒動と源太の決断
松江藩の大騒動と源太の決断
「村長。ご家老の朝日様より書状が届きました。」
源太が、いつもの様に、村の畑の見回りを終えて、白湯を一杯飲もうと、意囲炉裏の側にあぐらをかいて座った時だった。
五平が、慌てて家の土間に駆け込んできた。
「朝日様よりのお手紙だと?で、御使者の方はいずこに?」
「はい、裏の川辺で馬に水を飲ませておいでです。」
「では、先ずは手紙を見てみよう。」
そう言って、源太は五平から手紙を受け取った。
少々長い手紙だったが、内容の要点はただ一つ、今年の上納金を増やしてくれ、と言う事だった。
どうやら、公儀から比叡山延暦寺の改修を仰せつかったらしく、その資金が藩で賄える金額では無いとの事。
「おい、五平。御使者をこちらにご案内してくれぬか。」
「へい、只今。」
待つほども無く、袴に着いた土ぼこりを払いながら一人の武士が顔を出した。
「林様。お勤めご苦労様でございます。ささ、汚いところで申し訳ありませんが、上がられて、お休みください。」
「うむ。源太殿、かたじけない。」
「ささ、今、茶を用意させますので、こちらへどうぞ。」
源太は、林を座敷の上座へと座らせた。
「ご家老様よりの文は、拝見いたしました。延暦寺の改修とは、またご名誉なお仕事に就かれると…。」
「ああ、しかし、この所の飢饉やら大水で、我が藩の台所も苦しくてな。」
「して、今回は如何程の費用が掛かりそうなのですか?」
「うむ、それがな。出来るだけの節約をしたとしても、四千両では足りぬらしい。」
「よ、四千両…、で御座いますか?」
「うむ、この里より毎年千両を超す上納金を収めてもらって居るが、それでも、神君家康公の流れをくむ我が藩としての体面を保つのに精いっぱいじゃ。とても、松江藩にはそのような貯えがあろうはずも無い。」
「それは、私共とて、事情は変わりませぬ。エゲレスとの抜け荷の利益は、毎年、千百両ほど。村の者にひもじい思いをさせぬため、余分な貯えを残す事など出来ては居りません。」
「そこを押して、何とかならぬか?」
「はあ、一度、回船問屋の本間様や、金沢の銭屋様にもご相談はしてみますが、すぐにはお答えを致しかねます。」
「それは、そうじゃろう。本当に金が必要になり始めるのは、来年の秋の終わりと聞いておる。それまでに、何とか工面をお願いできぬか。ほれ、この通りじゃ。」
林は、座布団から降りると、いきなり畳に両手を付き土下座をしてきた。
「は、林様。お顔をお上げください。今しばらくは、ご猶予を頂けますように、何卒お願い申し上げます。」
「では、また日を改めて参ろう。そうだな、神無月に入るころにまた来させてもらう。」
「神無月ですか?今日が皐月の十日。余り、猶予は御座いませんね。」
「そこを、何とか頼む。上様よりも何としても受けて頂けるようにと、お言葉を賜っておる。」
「では、無い知恵を振り絞ってみたいと存じます。」
押し問答を終えると、林は、そそくさと席を立ち、馬を飛ばして戻って行った。
「おい、五平。村の長老方を全員、こちらにおいでいただけるよう声を掛けてきておくれ。それから、長老方に簡単良いから、夕餉と酒の準備も頼む。」
源太は、五平に指示を出して、長老を集める手配をすると、囲炉裏端に戻り頭を抱えていた。
「長老方、ご家老様の書状の内容は、御理解頂けましたでしょうか?」
「しかし、いきなり四千両を上納せよとは、無理難題を言われるものじゃ。」
「だが、これまで、この里の平穏を約定通りお守り頂いてきたご恩を忘れる事も出来ぬ。」
「どうしたものか…。」
「そこで、間もなくこちらにおいでになる、ブライトン商会のグレイ殿より、前回ご依頼のあった『えにし』の製法の秘伝を伝授する事も真剣にご検討願えませんか?」
「うーむ。やはりそれしか方策は無いか。」
「しかし、いきなり四千両も上乗せしての取引など、グレイ殿が何と申されるか。」
「抜け荷の間を取り持ってくださっている本間様と銭屋様のご意見もうかがわねばならぬぞ。」
「では、早速、本間様と銭屋様には書状をしたため、ご相談いたしましょう。」
「そちらは、源太。お主に任せよう。また、問題があれば合議するとしようぞ。」
「確かに承りました。皆様、本日は急なお呼びたての上、里の大事にご同意を頂き、誠に有難うございました。」
源太は、末席で座布団を降りると、深々と礼をした。
(ふう、やれやれ、これでグレイ殿がいつ来られても顔が見られそうだ。)
「村長。本間殿より使者の者が参りましたぞ。」
五平が、その知らせを持って来たのは、長老方を集めた合議の日の十日後だった。
「では、座敷にお通ししておくれ。」
五平に答えると、共に、
「お美代に、冷えた茶と茶菓子の用意をするように伝えてくれないか。」
「はい。」
五平は、厨に立ち寄り、お美代に茶の用意を頼むと、その足で使者の元に向かう。
源太は、すぐに座敷へと移動した。
「これは、遠い所までお運び頂き、ご苦労様です。八衛門殿。」
「ご無沙汰いたしております。源太様。」
八衛門は、汗を拭きながら答える。
「とうとう、参られたのですか?」
美代が用意した、冷えた麦茶を一気に飲み干し、八衛門が言った。
「はい。昨夜、無事に隠岐の島の岸壁に到着され、現在は船の隠蔽を進めております。」
「そうですか。で、グレイ殿はすぐにこちらへ?」
「いいえ。もう一隻の方は、明朝、出島を出航し、明後日、隠岐の島の沖合にて落ち合う手筈となります。」
「では、私も明日の早朝にこちらを出て、例の場所にてお会いできるように致しましょう。」
「承知いたしました。手前どもの主人にも伝えさせて頂きます。」
「本間様もおいでになられまるのですか?」
源太は、少しばかり驚いていた。店主の本間久四郎が会合に顔を出すなど、前例の無い事だった。
「はい。先日の源太殿よりの書状を見まして、主人もどうしても会合には出させて頂きたいと。」
「そうでしたか。では、当日例の場所にてお待ち申し上げております。」
「よろしくお願いいたします。では、私は、これにて失礼させて頂きます。」
「いや、間もなく夜も更けてまいります。粗末な小屋で申し訳ありませんが、どうか出立は明朝になされては?」
「それでは、会合の日までに主人に、源太殿のお言葉を伝えられません。」
「それは、大丈夫ですよ。以前から造作しておりました地下道が先日開通しましたので。」
「本当だったのですね。それは、おめでとうございます。地下道はどちらまで通じておりますでしょうか?」
「はい。出雲の近くに御座います。」
「何と出雲でございますか?して、距離はどれ程に?」
「四里ほどでございます。」
「何と、この地より四里で出雲に出られますか。」
「左様です。行きは下り坂で有りますれば、三刻もあれば着きましょう。」
「それは、助かります。山道を行けば、出雲まで五刻でも足りませんから。」
「では、本日は、ごゆるりとお休みくださいませ。」




