65.隠れ里への航海
隠れ里への航海
翌朝、ブライトン号とブラックスワン号は並んで広州港を出港して行った。
しかし、港を出るとすぐに、ブライトン号は、船尾の国籍旗をオランダの物に取り換え、他の二隻のオランダ船と共に長崎の出島へと進路を取った。
ブラックスワン号は、進路を北寄りに変更すると、他の船団から、見る見る離れて行く。
「なあ、俺たちだけ別行動かよ。」
サムが、離れて行くオランダ船を眺めながらマシューに問いかけた。
「サム。昨日の夕食の時にグレイ船長が言ってたのを聞いてなかったのかよ。」
「そんな事言ってたか?俺、飯に夢中で覚えてねえや。」
いきなり、サムの頭上に拳骨が降った。
「い、いてぇ。何すんだ…。」
サムが振り向くと、そこには、恐怖を感じさせるグレイ船長の冷たい笑顔があった。
「サム。重要な話はきちんと聞いておかんか!罰として、この場で腕立て伏せ百回だ。マシュー数えてやれ。」
「分かりました。船長。」
サムは、その場で腕立て伏せを始めた。まだ、南洋の熱気が十分に強い炎天下だ。
マシューは、手近な日陰に影に入るとカウントを始めた。
「一、二、三、…。」
「くそ、グレイの奴。いつか、ギャフンと言わせてやる。」
サムは、誰にも聞こえないように口の中で呟いた。
「船長!サムの腕立て伏せが終わりました。」
「そうか。ご苦労、マシュー。サムには、自分の汗で汚れた甲板を清掃後、自室でシャワーを浴びて、新しい制服に着替えるように伝えてくれ。」
「分かりました。船長。」
マシューは、グレイの伝言をサムに伝えると、甲板の清掃を少し手伝ってやった。
「酷い目にあったぜ。マシューありがとな。」
サムは、マシューと共に自室に戻り、シャワーを浴びた。
ブラックスワン号には、各自の部屋に、いつでも使う事が出来るシャワールームが備え付けられていた。
この事を初めて知ったイースの反応をマシューは思い出しながら微笑んでいた。
「何だよ、この水夫室は。お貴族様扱いだな。」
「イース。使い方は分かる?こちらのレバーを動かすと、ほら、このジョウロみたいなところからお湯が出るんだ。お湯が熱 かったら、その隣のレバーで温度を下げられるよ。
十分に身体がお湯で濡れたら、この石鹸を頭から、体中に塗って泡立てて。十分泡立ったら、シャワーのお湯でよく流すんだよ。」
初めてイースが、シャワールームを使う時には、孤児院で使い慣れていたマシューが丁寧に教えてやる。
「あ、イース。身体が濡れたままで、シャワールームを出ないで!後の掃除が面倒だろ。シャワールームの上の棚に乾いた大きなタオルがあるから、それで、丁寧に拭いてから出て来てよ!」
イースにとって、冷凍室以来の衝撃の出来事だった。
「航海中の船で、こんなに沢山の水をつかえるだなんて…。本当にブラックスワン号は、魔法の船だ。」
また、しばらくの間、イースの放心状態は続くのだった。
ブラックスワン号が、ブライトン号と、いや、他のどの船とも違う点は他にも多い。
まず、水夫がハンモックではなく、ベッドで寝る点。
さらに、商船にも関わらず、船員の全てが『制服』を支給されている事だ。
水夫の仕事と言えば、甲板磨きに、帆の上げ下げ、貨物の運搬等が、ブライトン号では命じられていた。もちろん、ブラックスワン号でもその仕事自体は変わりはない。
だが、甲板は滑り止めが施された『えにし』鋼製で、水で濡らして、デッキブラシで簡単に汚れが落ちた。
帆の構造も新しく、帆の操作は、いちいちマストに登らなくても甲板上のロープとレバーの操作で済んでいた。
荷物の運搬も船尾の『蒸気タービン』とか言う機械が、上げ下げを全てやってくれる。(ただし、他の船に見られない位置と時間に限らたが)
お陰で、水夫が暇になったかと言うと、全く違った。
新しく、自分たちの制服の洗濯と、ベッドにかけられているシーツの洗濯。新しいシーツを掛けなおすベッドメーキング等、これまでより、忙しくなったように思われた。
ブラックスワン号の広めの一部屋は、『洗濯・乾燥室』と呼ばれていて、その部屋で、石鹸を用いて洗濯物の汚れを落とし、紐に吊るしておけば、雨の日でも半日もしないうちに全てが乾いていた。
それを『えにし』が熱を出す『アイロン』というものでしわを伸ばし、きちんと畳むという、なんともサムには向かない仕事が増えていた。
「あーあ、ブライトン号の生活が懐かしいよ。全く、面倒臭いったら無いな、この仕事は。」
「サム、船長も言われていただろう。『君たちには、ジェントルマンになってもらう』って。」
そう、隣で作業をしていたエドモンドが、たしなめる。
「何がジェントルマンだよ。俺はそんなもんにはならねーぜ。」
その時、サムの頭に拳骨が落ちてきた。
「痛て。」
後ろに、いつの間にか立っていたのは、ハンスだった。
「サム。お前にとって必ず必要な事だから船長はお命じになったんだ。文句は許さん。」
「へい、へい。やりますよ。」
その後、ハンスのサムへの説教は暗くなるまで続いた。




