海賊船との遭遇(前編)
海賊船との遭遇(前編)
航海に出てから、半年が過ぎた頃だった。
二隻の船は、ようやくベンガル湾を抜けようとしていた。
「カラン、カラン」
ブライトン号の見張り台に上っていた水夫が二度、鐘を鳴らした。何かを見つけた合図だ。
グレイは、船長室で書きかけていた航海日誌を閉じると甲板に出た。
「グレイ船長!左舷前方の島影から大きい帆船が出てきました。国籍を示す旗は上げられていません。」
グレイは、甲板にいたマイクから望遠鏡を受け取り、見張りの言った方角へ向ける。
確かに、島影を出てきている帆船のマストには国籍を明示する旗は上がっていない。
船首に書かれた船名は、フランス語で「ジャン・バール」と書かれていた。
「海賊船か。ボースン!船足を落としてブラックスワン号の横に付けてくれ。」
「分かりました。船長。」
マイクの指示で、帆が幾つか畳まれて行く。
ブラックスワン号も海賊船の出現に気付いた様で、ブライトン二世号と並走しながら距離を近づけて来ていた。
二隻の距離が声の届く所まで近づくと、グレイが呼び掛けた。
「ハワード!私と交代してくれ。ブライトン二世号は、お返しするよ。」
「了解しました。グレイ船長。」
出航してから、ブラックスワン号の船長を任せていたハワードは、元々ブライトン二世号の船長をする予定だった。
しかし、見習い水夫の教育の為に、グレイと船を取り換えていた。
二隻の間に渡り板が置かれると、ハワードが身軽に乗り移って来た。
「お帰りなさい。ハワード船長!」
マイクが駆け寄ってきてハワードに敬礼する。
「やあ、マイク。よろしく頼むよ。」
そう言うと、ハワードはマイクと握手を交わした。
「グレイ船長!海賊船がこちらに近づいてきます!」
見張り台の水夫が、少し慌てた様に報告してくる。
グレイは、望遠鏡を覗き、海賊船の様子を改めて観察した。
「は、古臭い海賊だな。わざわざ海賊旗を上げてやがる。“抵抗すれば、命の保証はしない“ってか。」
「迎え撃ちますか?」
「いや、こちらは、まともな武装をしていない。
まあ、少し、からかってやるがな。
ハワード船長、打ち合わせ通りに行こう。
ブライトン号は姿をくらませろ。
足止めは、ブラックスワンが引き受ける。
次の寄港地は広州だ。そこで待っていてくれ。」
そう言うと、グレイは渡し板を身軽に渡り、ブラックスワン号に移乗した。
「グレイ船長!俺も連れて行ってくれ!」
突然サムが、他の水夫たちを掻き分けて進み出てきた。
振り返ったグレイが、サムを鋭い視線で制する。
「まだ、お前じゃ足手まといだ。ブライトン号をしっかり守っておけ。」
渡し板に足をかけようとしたサムは、気圧されて動けない。
渡し板が外されると、ブライトン号は船首の向きを反転し、全速力で離れて行く。
悔し気にブラックスワン号の後姿を見つめるサムの頭に拳骨が落ちてきた。
「い、痛ぇ。」
「馬鹿者が!ぼーっとするな。お前は、お前の仕事をせんか!」
マイクの雷が降って来た。
「見習い水夫は、全員厨房に集合しろ。大至急だ!」
ルーク達は、マイクの命令で暗い階段を駆け下り、厨房へ向かう。
「なんだ?飯の準備でも手伝えってか?」
走りながらエドモンドが呟いた。
「そんなはずは、無いと思うよ。ジュニア。」
イースが、小声で否定した。
厨房の前に全員が辿り着くと、チャンが待ち構えていた。
「坊主たち、全員これを着るあるよろし。」
渡されたものは厚手の冬用コートだった。
「この暑い場所で、何のいじめだ?」
ルークが、コートを手に取ると文句を付けた。
「早くするあるよ。」
チャンにせかされて、全員がコートを羽織る。
「ちゃんと、ボタンも留めるあるよ。」
羽織っただけでも、暑さで汗が吹き出し始める。そんな事は気にも留めず、チャンは、全員にコートの前ボタンをしっかりと留めさた。
「次は、この手袋をするあるね。」
今度は、不思議な繊維で編まれた手袋を付けさせられる。
全員が手袋を付けた事を確認したチャンは、同様に分厚いコートを着込み、手袋をした。
「ついてくるね。」
チャンの先導で、全員が狭い厨房の奥にある扉の前に並ぶ。
チャンは、頑丈な閂を外し、扉を開いた。すると、扉の向こうから冷たい空気が流れ出て来る。
「急いで入るある。」
見習い水夫達の背中をチャンが押し、全員が部屋に入ると、大急ぎで扉を閉めた。
「な、何だよ?ここは?」
薄暗い明りの中に見えた異様な光景に、ルークが、悲鳴に近い声を上げていた。
そこには、首を落とされ、羽を完全に抜かれた鳥や、半身に切られた豚や牛が天井から吊るされていた。そして、その肉は全て真っ白に凍り付いている。
吊るされた肉を掻き分けて、チャンは奥へと進む。
一番奥に辿り着くと、少し小さな扉があり、その側には、金属製の蓋付きの箱が置かれていた。
チャンが、小さな扉を開けて手短に説明した。
「この箱の中に、扉の奥にある氷を一杯になるまで入れて、急いで外に出てくる。箱の蓋はきちんと閉める。早くしないと全員凍死するね。私は、外で待ているあるね。」
白い息を吐きながら、そう言うと、チャンは、そそくさと外に出て行った。
小さい扉の中には、直径三インチ、長さが十インチほどの棒が大量に積まれていた。
「おい、急ごうぜ。本当に凍え死んじまう。」
エドモンドがそう言うと、金属の箱を手に真っ白な棒を詰め込み始めた。
全員が、それぞれの箱に、棒を一杯になるまで詰め込み、扉の外に脱出するまでにかかった時間は、十分程度だったが、寒さでとても長く感じられた。
「やっと終わったあるね。遅いよ。すぐに箱を持って船尾に急ぐあるよ。」
扉の外で待ち構えていたチャンは、再び厳重に扉に閂を掛けながら命じた。
箱を担いで、五人は甲板に駆け上がると、船尾に急ぐ。あの地獄の様な暑さが、その時だけは天国の暖かさに感じられた。
「やっと来やがったな、遅せーぞ。」
そこには、マイクの他にも力自慢の水夫が数人、サム達がはめている手袋と同じものを手にして待ち構えていた。
見習い水夫達から、奪い取る様に箱を受け取った水夫が、それぞれの場所に陣取る。
「ハワード船長!準備が整いました。」
「よし、では、投擲開始!できるだけ遠くに投げ込め!」
船長の号令で、水夫たちが箱の蓋を開けると、箱からは白い煙が流れ出し、甲板上を流れて行く。
「休まず、どんどん投げろ!急ぐんだ!」
マイクが、白い棒を船尾から、遠くに投げながら激を飛ばす。
投げ込まれた白い棒は、一瞬、水中に沈むと海面を沸騰させながら浮かび上がってくる。
そして、沸騰を続けながら、もくもくと白い煙を吐き出し続けた。
何十本と立て続けに放り込まれた白い棒の為に、船尾方向の海面全体が沸騰を続け、発生した煙で、遠ざかりつつあるブラックスワン号の姿はかき消されて行った。
船尾方向から吹き付けてくる風の勢いが強まり、ブライトン二世号は、速度を上げ続けていた。
一連の出来事に、あっけに取られて見入っていたルーク達は、自分達が、まだ厚手のコートを着込み、おかしな手袋をしたままだった事に、額から落ちてきた汗で気付いた。
慌てて手袋を外すと、コートを脱ぎ捨てる。
「お前ら、コートはきちんと洗濯してチャンに返しておけよ。」
マイクが、見習い水夫に命じた。
「はい、分かりました。ボースン。」
マシューが、律義に返事をする。
「マイクさん。今のは、何だったんですか?」
イースが、マイクに尋ねた。
「ああ、商品開発部の連中の説明じゃ、さっき投げたのは、空気の中の何とかって言う成分が凍り付いたものらしいな。」
「空気が凍るんですか?」
「俺にも訳が分からんが、そうらしい。」
「でも、海が沸騰しましたよ?」
「だから、俺もよくは知らねえんだよ。そのうちマルジンにでも聞いてくれ。」
そう言うと、マイクは、ハワード船長の方に歩み去ろうとし、空っぽになった例の箱を見て言った。
「おい、坊主ども。そこの箱は今すぐチャンの所に返してこい。それが終わったら甲板の掃除にかかれ。」




