トスカーナ大公
ウィーンにて
ウィーンに到着したジョセフは、ブライトン商会の支店に入ると、ウィーン支店の幹部と話し合い、フランツ公と面会する方法を模索した。
フランツ公はオーストリアの公女であるマリア・テレジアの夫であり、次期、神聖ローマ帝国の皇帝候補でもある。
「フランツ公ねぇ。そんな雲の上の人に伝手なんて…。フランツってゆえば、私が出入りさせてもらっているサロンに、同じ名前の人がいるんですがね。あの方も、どこかの、お貴族様だったような。」
この支店で一番若いユリアンがつぶやいた。若いといっても二十六歳の妻子持ちだが。
「それは、どこの知り合いなのかな?」
ジョセフが尋ねる。
「あ、はい。ここウィーンにも、ロンドンと同じように、道楽で科学の実験や討論を楽しんでいる貴族のサロンがあるんです。何度かそのサロンでお会いした、「フランツ君」と皆に呼ばれている、私より少し年上の人がいるんです。」
「みんなから、どんな風に接されているのかな?」
「完全に気さくなお友達、という感じでしょうか。」
「お供の方達は?」
「いませんでしたよ。」
「では、別人か。トスカーナ大公国の主が、供も連れずにサロンで実験談義なんて、ないよな。」
しかし、ジョセフは思い出していた。
フランツ公は、若くしてロンドンの王立アカデミーのフェローに選ばれた方で、科学に強い関心を持たれていたはず。性格も気さくであまり飾らないと聞く。
「ユリアン君。そのサロンに私が、お邪魔させて頂く事は可能かな?」
「そうですね。一度、聞いてみましょう。」
「ブライトン商会の新商品のサンプルを見て頂きたいと伝えて下さい。」
「承知しました。」
翌日、皆が昼食を取っている所に、ユリアンが飛び込んできた。
「ジョセフ! 昨日言っていたサロンの主催者が、すぐに会いたいと言ってきた。フランツさんも来られるそうだ。」
「ありがとう。で、すぐにって、いつ行けばいいのかな?」
「サンプルがもうあるなら、今からでも良さそうだよ。」
「では、早速、準備をして向かいましょう。」
ジョセフは、この日の為に用意してあった、小型の蒸気機関を馬車に積み込むと、服装を整えてユリアンと共に出発した。
大きなお屋敷の門をくぐり、玄関先で要件を告げると、すぐに応接間に通された。
応接間のソファーには、三人の紳士が座り、側には執事が控えていた。
「この度はお招きを頂き、誠に有難うございます。
お初にお目にかかります、私、ジョセフ・ブライトンと申します。」
「君がブライトン君か。ブライトン商会の新商品が見られると聞いて、飛んできたよ。」
「フランツ君。相変わらず、こういう話になると、慌てん坊さんになるね。まずは自己紹介からだろ。
失礼した。私はこの屋敷の主のアルベルンと申します。」
「ああ、アルベルン子爵のお屋敷でございましたか。」
「そして、こちらがベクレル博士。」
「御高名は、存じ上げております。宜しくお願い致します。」
「で、こちらが、フランツ君。と呼ばないと怒るんだよね。正式にはフランツ大公殿下です。」
「えぇっ、トスカーナ大公殿下なのですか?」
「いや、この場だけは、フランツと名前で呼んでくれたまえ。堅苦しいのは嫌いなんだ。
所で、今日は何を見せてくれるのかな。」
「はい。フランツ様。まだ、試作品で、どのような製品に今後活かせるのかは検討中なのですが、こちらでございます。」
ジョセフは、ユリアンに手伝ってもらい、蒸気機関のサンプルを運び込んだ。
「このタンクの中には水が入っております。そして、『エニシ』の力でこのタンクを加熱すると、加熱された水蒸気がこちらの少し太いパイプ内部に入っております羽に当たり、この軸が回転します。その後、水蒸気はこちらの冷却用パイプを通り、水に戻りタンクに返されます。」
ジョセフが、パーツを組み立てながら説明をすると、
「なるほど、「アイオロスの球」を改良したものみたいだね。」
と、フランツが言った。
「さっそっく動かしてみてよ。」
「はい。では、始めます。」
ジョセフは、そう言うと機械を作動させた。
最初の内は、小さな「カンカン」という音が聞こえ、ジョセフが見つめるメーターの針が徐々に動いていく。
「そのメーターは、何なんだい?」
フランツが、尋ねた。
「これは、圧力計になっています。針が赤色の部分に動くまでは、始動準備中です。」
「なるほど、タンクの中の水を加熱して蒸気圧を高める訳だ。」
圧力計の針が、赤く塗られた目盛りを越し始めた。ジョセフが、手元にあるバルブを慎重に少しずつ開き始める。
すると、回転軸が、ゆっくりと回り始めた。そして、バルブが開かれるにつれて、徐々に回転速度を上げて行く。
フランツが、不意に回転する軸を、手袋をした手で握りしめた。
「ほう、かなりの力で回るものだな。」
「フランツ様、危ないです。いきなり回転体に触らないで下さい。怪我をされては大変です。」
ジョセフの忠告が飛ぶが、フランツは全く意に止めず、手を離さない。
「ジョセフよ。まだ、回転速度は上げられるか?」
「はい。バルブの開きはまだ半分程度ですから、まだまだ、早くできます。しかし、フランツ様が手を放して頂かない事には、危険がある為、これ以上スピードは上げられません。」
「そうか。」
そう言うと、フランツは名残惜しそうに手を離した。
「では、出来る限りスピードを上げてくれ。」
フランツが、完全に手を離したことを確認したジョセフは、再びバルブをひねり、回転軸は、その速度を上げていく。
「蒸気機関にはこれまで幾度か出会ってきたが、ジョセフよ、これにはどんな手品を使っているんだい?明らかに蒸気機関と言うには矛盾が多すぎるのだが…。」
「矛盾、ですか。」
「そう、水の沸点は常圧で、約百度、さらに圧力を上げた状態では二百度以上に温度は上がる。
しかし、この装置のどこからもそんな温度は感じ取れない。熱を出さない蒸気機関なんて、あり得ないだろう。と、言うことは、何かの手品の種があるはずだ。」
「さすが、フェローに叙されておられるフランツ様ですね。見抜かれておりましたか。」
「では、この面白い手品の種明かしをお願いしよう。」
「はい。では、先ずは、回転を止めてしまいますね。」
そう言うと、ジョセフは、電源を切りタンクへの過熱を止めた。
圧力計の針が十分に下がり切るまで、しばらく様子を見ていた。そして、おもむろに蒸気機関の解体を始めた。
慣れた手つきでジョセフがボルトを緩めるとパーツが順に外れてゆく。
最下部の水のタンク部分が、慎重に開かれた途端、室内に水蒸気が立ち込めた。
「現在の水温は九十度まで下がっていますが、火傷をなさらないようにお気を付けください。」
「なるほど、蒸気の力で動いていたように見える。」
「それは、間違いありません。」
「では、何故、熱が外部に全く漏れ出ていないのだ?」
「それは、私共が開発しました三種類の合金のなせる業です。」
「三種類?どのような合金なのだ?」
「はい、一つ目はこちらのエニシ鋼です。
これは、高い強度と、変形しにくい性質を持ち、なおかつ、二十三度以上の熱を完全に遮断します。」
「熱を遮断する鋼だと?あり得ん!」
「では、こちらをお試しください。」
ジョセフは、そう言うとアルコールランプと五徳を取り出し、五徳の上に銀色に輝く薄い板を乗せランプの炎で加熱し始めた。
五分ほど、その状態で加熱を続けたのち、板の上に手を当てて見せる。
「おい、火傷するぞ!」
周囲の皆が、驚愕の声を上げる中、ジョセフは、平然と手を当てたまま言った。
「この通り、このエニシ鋼は、熱をほとんど遮断します。どうぞ皆さんもお試しください。」
ジョセフは、周囲の人々にそう声をかけると、一歩下がり、場所を開けた。
フランツが一歩前に進み出て、アルコールランプと五徳の上の板をのぞき込み、先ず、アルコールランプの炎が本物であることを横から手を近づけて確かめた。
そして、今度は板の上に手のひらをかざし、恐る恐る手のひらを近づけていく。そして、ついには人差し指で板の中央に触れる。
「おお、熱くないぞ。」
「本当か?私にも試させてくれ。」
周囲に集まる人々が、次々に同じことを試してみている。
「蒸気発生用の加熱器と水はこの金属で出来たケースに収められています。ケースは内部の圧力がどれだけ高められても破損したことは有りません。」
「何気圧くらいまで試したんだい?」
「二百万パスカルぐらいまででしょうか。」
「二百万パスカルだと!あり得ない。」
アルコールランプの炎に蓋をして消したジョセフは、五徳の上の板を他に取ると周囲の人々に手渡した。
「何て薄くて軽いんだ。」
「この合金は、どんな成分なんだ?」
「基本は、ただの炭素鋼ですが、そこにマンガンが少し含まれています。」
「それでは、このようなことはあり得ないだろう。」
「もちろん、とても大切な部分がありますが、それは弊社の極秘情報となります。」
「そうだろう。で、二つ目の合金とは?」
「はい、そろそろ、お湯も冷め始めましたので、こちらをご覧ください。」
ジョセフは、再びお湯が満たされていたタンクに近づくと、ユリアンに合図をして水桶を持ってこさせ、ぬるくなり始めたお湯を水桶にあけた。
そうした後、タンクを持ち上げ横にすると、内側が皆に見えるようになった。
「内側に張り付けられておりますものが黒鉛を加工しました発熱素材です。
ここに、エニシから発生する電気を流すと高熱を発します。これで水を加熱し、タンク内の温度と圧力を高めます。この黒鉛素材も弊社の極秘技術になりますが、最高二千八百度まで加熱できます。」
「それでは、ほとんどの金属がドロドロに溶けてしまうぞ?」
「そうですね。先程は、軽い実験と言うことで、エニシからの電流を低めにしておりました。」
「この黒鉛素材は似たものを見た気がするが…。」
「その通りです。私どもが市販させていただいております湯沸かし器やコンロに使用されています。」
「で、三つめはどんな合金だい?」
「こちらでございます。」
ジョセフはそう言うと、先ほど分解した蒸気機関の先端からタンクの横に繋がっていた、少し細いパイプを手に取った。
「こちらが、凝縮器になります。高温の水蒸気の熱を回収し、水をタンクに返します。」
「ここに使われている金属が三番目となります。」
「で、これは、どう特別なんだい?」
「はい。もうすでに皆さんもご存じかと思いますが、エニシの中に溜められているエネルギーは、有限です。
使うにつれて、だんだんと減って行き、空っぽになれば、エネルギーを発生しなくなります。
ただ、不思議な事に、空になったエニシをある程度の時間放置しておくと、再びエネルギーが一杯に回復します。
この金属パイプは、電源となっているエニシに接続されている場合、回収した熱のエネルギーをエニシのエネルギーに変換して、エニシにエネルギーを返すことが出来るのです。」
「それで熱の放出が見られない訳か。」
「はい。エネルギー効率という点では、石炭を燃料とする蒸気機関をはるかに上回ります。
エニシ自体の初期の価格が高い現状でも使い続ければ石炭などを使う場合に比べて圧倒的に必要なコストは下がります。」
「で、この機関は今後どんな製品に組み込まれるのかな?」
「実は、今日こちらにお伺いさせて頂いたのは、その点で皆様のお知恵をお借りしたいと考えておりました。
この蒸気機関をどのような所で使えるか、発明家の皆さまのご意見をお聞きしたくて…。」
「そうだな。この回転の出力を生かす機械装置の開発は重要になる。」
「人間や牛・馬・風車・水車すべての代わりにすることが出来そうだ。」
サロンの面々から、次々と意見が飛び出してくる。中でも特に興奮気味に話をしているのが、トスカーナ大公フランツだった。
「フランツ様。このような所で誠に申し訳ありませんが、折り入ってご相談とご報告がございます。少々お時間を頂けますでしょうか?」
ジョセフが、少し落ち着いた所でフランツに声を掛けた。
「どんな話だい?」
「シュレージェンでの鉱山開発についてと、プロイセン皇太子に先日私共がお目にかかった件です。」
「それは、また面倒な話だな。アルベルン君、どこか彼らと話をできる部屋を貸してもらえないか?」
「いいですよ。私の書斎をお使いください。
おい、誰か案内を頼む。」
側に控えていた執事が、ジョセフとフランツを案内して応接間を出た。子爵の書斎は二階に在った。
執事は、部屋の明かりを灯し、暖炉の火を整えると、紅茶を準備し、部屋を出て行った。
「では、ゆっくり話を聞かせてもらおうか。」
ジョセフの向かいのソファーに座ったフランツが言った。
「では、最初にプロイセン皇太子殿下との会見のお話から。
今回のプロイセン訪問は、イギリス国王から私の父に依頼があっての事でした。
フリードリヒ二世殿下から戦争の為に資金を援助して欲しいと、イギリス国王の元に連絡があったそうで。
しかし、国王は議会の承認が得られそうにないという事で、その肩代わりを父に頼んだそうです。
そこで、私の父は、フリードリヒ殿下に直接お会いして真意を確かめると共に、戦争をやめるように進言しました。」
「プロイセンが、どこに攻め込もうというのだ。」
「シュレージェンです。」
「なに?我が国と戦争すると?」
「もちろん、私の父がフリードリヒ殿下とお話させて頂いた結果、戦争は起こさないとお約束頂きました。」
「それは有難い。しかし、良く思い止まってくれたな。」
「そこで、もう一つのお願いに繋がります。
私共の方でシュレージェンの鉱山を開発するご許可を頂きたく。」
「なぜそうなる?」
「はい。もともとプロイセンは国家の発展の為にシュレージェンの地下資源を求めて、今回の戦争を企てておりました。
そこに、私共ブライトン商会が別の国家発展計画を提示しました。フリードリヒ殿下がプロイセン王を説得し、この計画が成功すれば、プロイセンは、シュレージェン無しでも、一流の工業国へと発展し、栄えることが出来るでしょう。
その時は、鉄や石炭その他の地下資源を戦争という手段ではなく、オーストリアとの貿易によって調達する事を望んでいます。その為の鉱山開発となります。」
「それで、ブライトン商会が、また、大儲けが出来るという訳か。」
「それが、少し違います。父も私も鉱山の経営には加わらないつもりです。
開発した鉱山の経営はオーストリア国の直営として頂きたいと考えております。」
「それでは、お前たちに何も利益が入らないではないか?何を企んでおる?」
「本日ご覧いただきました蒸気機関を利用し、鉱山を開発し、その後の採掘も新しい蒸気機関を使って出来るだけ安く採掘を行えるようにします。
それらの機械類は、私共ブライトン商会が全て有料でお貸しします。お貸しする機械類の使用料を採掘で得られた利益の数パーセント頂けるだけで当方は損をしない計算です。」
「そうか。損はしないか…。しかし、商人である以上、利を求めるものではないのか?」
「仰る通りです。私の父もフリードリヒ殿下から同じ質問をされました。
その時の答えが、『エウロパの地が、平和に富み栄える事で、私も心置きなく商売に精が出せます。』と。
私も父の考えに賛成しております。人々が平和に暮らし、富み栄えてこそ、商人の利は増えていきます。」
「成程な。確かにそうかも知れない。甘い理想論ではあるが。いいでしょう。私がオーストリアの上層部を説得して回ります。多少時間はかかるかもしれませんが。」
「有難うございます。お手を煩わせることになり、大変申し訳ありませんが、宜しくお願い致します。」
「具体的な開発計画を書面にまとめて置いて下さい。」
「判りました。早急に提出させて頂きます。」
「書面は、そうだな、こちらのアルベルン子爵を通して提出して下さい。其方らが王宮に出入りすると、良からぬ噂が立つことになりそうですから。」
「承知しました。」
ジョセフは、応接間に戻り、蒸気機関の片付けが終わっている事を確認し、サロンを辞去した。
そして、支店に戻るとすぐに、ロンドンへ向けて旅立った。




