表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
はなやぎ館の箱庭  作者: 日三十 皐月
第1章 「箱庭の日常」
5/39

幕間 「洋館のオーナーの話」







「潮、購買のおばちゃんが呼んでたよ」




ーー賑やかな教室の中。

呼ばれた潮が振り向くと、教室の入り口には芹が立っていた。


一つ上級生の芹の登場は、いつも男女問わず僅かに黄色い声を溢させる。



「おばちゃん、何かめちゃくちゃ嬉しそうだったけど。仲良いの?」


「いや…まぁ…私を…いや、好きな作家が一緒で…その人の作品で読もうか迷ってる本があるのよねーとか言ってた本をこの前貸してあげたから、読み終わったんじゃないかな」


「めっちゃ仲良いじゃん」


「前本屋でばったり出くわした時にさ。何か話すようになった」



ふぅん、と小首を傾げる仕草に見惚れていると、芹は「何かついてる?」と言って笑った。

潮は首を振り、誤魔化すようにして話を変える。



「…頼人は?」


「頼人?屋上で寝てる」


「この後芹も行くの?」


「うん。コーヒー牛乳買えたし。潮も来る?」


「いや、大丈夫」


「購買行ってないってことは、お昼まだ食べてないんでしょ」


「食べてないけど、ささっと食べたらすぐ部室に用があるから」


「そっか…了解。じゃぁね」



手を振って、離れていく背中を見つめる。


廊下の角を曲がるまで見つめてから、潮は少し遅めの昼食を取りに購買へと向かった。





「潮ちゃん、貸してくれた本良かったわ!!昨日早速本屋に寄って買って帰ったの。読まずにずっといるところだったわ、本当にありがとう!」



購買へ着くと、早速といったようにおばちゃんが声をかけてきた。

照れ臭そうに頬を掻く潮の手を、両手で包み込むようにして握られる。



「それは良かった…他の作品より短いからあんまり話題にならなかったけど、私は…好きな作品だったから」


「おばちゃんにとっても好きな作品になっちゃった。今度からは迷わずに全部買うことにする!」


「うん」



暖かくて柔らかい、厚みを感じる手。

気恥ずかしい思いになりながらやんわりとその手を離すと、おばちゃんは思い出したように言った。



「ねぇ、今からご飯なんじゃないの?もうあんまり残ってないけど…」


「大丈夫。そこのあんぱん食べるから」


「ええっ!それだけでいいの?あれは?海老カツサンドとかも残ってるし、あとはツナコッペとか……あら。もしかして好きなものがないの?」


「うん…でも、あんぱんで全然足りるよ」


「だめよ心配だわ。私の息子が食べる量の5分の1もないじゃない。きちんと食べないと」


「お菓子持ってきてるから」


「お昼にお菓子でお腹を膨らませるなんてダメ!カツサンドは好き?おばちゃんもご飯まだだから、もし好きだったら食べて」


「えっ…おばちゃんのご飯がなくなっちゃうよ」


「おばちゃんは好き嫌いないから何でも食べられるの。ここらの売れ残ったものを食べるから大丈夫。カツサンドは食べられるのね、持ってくるから待ってて」


「いやでも…あ…」



有無を言わさず購買の奥へ走って行き、そしてすごい勢いで戻ってきたおばちゃんの手には、カツサンドとたまごパンが握られていた。



「アレルギーはない?」


「な、ないけど…おばちゃん、私そんなに食べられないよ」


「じゃぁおばちゃんと半分こしましょ!ね?先にあがっちゃうわって伝えてきたから!」



押し切られるままに、購買の外にある出入り口から中庭へ出て、花壇のレンガに腰掛ける。



「芹ちゃんとは学年が一つ違うのよね?」


「まぁ…」


「とっても仲が良いみたいだったから、最近まで知らなかったわ」


「芹は…中学の時に部活が一緒で。何かよく分かんないけど、それから高校一緒になっても仲良くしてくれてて」


「そうだったのねぇ。彼氏ができちゃって、少し寂しいんじゃない?前ほど一緒にいるところを見ないからちょっとだけ心配だったの」


「まぁ、でもそれは。仕方ないんで、高校生だし。みんな彼氏彼女って忙しそうだから」


「あら。潮ちゃんはいい人いるの?」


「私は興味ないんで。芹が構ってくれるならもう、それだけで充分」


「なんだか私には健気に見えちゃう。違うかしら」


「健気って…」


「あらやだごめんなさいね!老婆心でつい。でも、あなたと芹ちゃんはどこか特別なんだわって、見ていたら思うの」


「…特別に見ているのは私の方だけで。芹はただの後輩くらいにしか…高校を出たらもう一緒にいることはなくなると思うから」



何でもないことのように言った潮の顔を、おばちゃんは感動するドラマを見るかのようなテンションで見つめる。



「潮ちゃん、そんなこと言わないで。あなたたちは綺麗な綺麗な糸で結ばれてる。おばちゃんには分かる!」


「やめてよおばちゃん…芹が聞いたら気色悪がるよ」


「あ、でも…もしそうだとしたら、潮ちゃんには辛い…ことになっちゃうのかしら…」



気遣うように聞かれ、潮は首を振ってみせた。



「この先芹が結婚して疎遠になっても、そうでなくても別にいい。芹が幸せで笑っててくれるなら。もしその場に何度も居合わせることができたなら、私にとってもそれは幸せなことだけどね」


「………」


「って、感じ。それだけだよ」


「おばちゃん…泣いちゃいそう…これが純愛なのね…あまりに綺麗で…なんか胸がぎゅって締め付けられちゃった…」


「お大事にね…」


「やだもう」



ハンカチで目元を拭うおばちゃんに、潮は微笑む。




遅い昼食を食べ終え、おばちゃんと別れた後。

残りの休憩時間を部室での作業に当てていた潮は、がらがらと扉の開く音を聞いて肩を揺らした。


この時間に誰か入ってくるなんて珍しいな、と思い振り向くと、そこには見知った男が一人。

露骨に眉を顰めた潮を見て、男は笑う。



「そんな顔すんなよなー潮」


「……何しに来たの。頼人」


「え?芹から此処に潮がいるって聞いたから、ちょっかい出しに来ただけ」


「普通に邪魔だから出て行ってほしい」


「あーあー、いい作業部屋だよなー。俺もプラモデルとか作ってていい?」


「帰れ」



軽口を叩く男ーー頼人は、ノートパソコンと向き合う潮の手元をにやにやと覗き込む。

気を削がれた潮はばたんと画面を閉じると、無言で頼人を睨みつけた。



「こわ…いくら恋敵だからって…先輩だぞ…」


「芹のところに戻れば」


「芹ちゃんは先生のところに用があるから今職員室なんですぅー暇なんですぅー」


「暇潰しにしないでくれる?」


「潮は作業中だから邪魔しちゃだめだよって釘刺されてたんだけど…来ちゃった」


「うざすぎるから職員室に逃げられただけなんじゃないの」


「えー?離れるの名残惜しそうだったけどなー?」


「私はもう既にこの部屋から出たいけどね」


「潮、分かってる分かってる。同じ女に惚れた者同士、俺たちは上辺だけは仲悪い感じに見せなきゃいけないなんて…辛いよな」


「あぁ、ごめん…1ミリも辛くないってことは上部だけじゃないってことみたい…なんかごめんね」


「いいって、謝るなよ。俺たちの仲だろ?」


「話聞いてた?」



どこまでもポジティブな頼人に、潮の眉間の皺が濃くなる。


しかし部室を出てもついてきそうなので、芹が戻ってくるまでの間と諦めて、潮は頼人との会話を続けることにした。



「…でも本当、何で頼人がいいのか全然分かんないわ」


「潮ちゃぁん、ごめぇーん、それでも芹ちゃんは俺のことがだぁいしゅきなんだってぇー!」


「………」


「…何か本当にごめんな」


「あれかな?一周回って面白いのかもね。ほら、うざすぎて笑っちゃうみたいな」


「いや、俺の全部が好きって言ってたぞ。俺も芹の全部が好き」


「聞いてないけど」



「なーなー、やっぱ潮にとって俺って邪魔?」



会話がひと段落するかと思った時、頼人は会話を途切れさせまいとしたのか、間髪入れずに脈絡もなくそんなことを聞いてきた。

潮は小さく考えた後、頷いてみせる。



「まぁ…作業させてくんないって意味では現状かなり邪魔かな今すぐ出て行ってほしい」


「いや、違うって。ほら、やっぱ潮は俺と同じように芹のこと好きなわけじゃん。俺はさ、女の子同士とかってよく分かんないから…こう…いや勿論理解はあるよ。でもさ、彼氏の存在ってどんくらいうざいもんなのかなって」


「目の上のたんこぶ」


「あーうっぜーなぁそれは…」


「ーー私は女の子だから芹が好きなわけじゃないんだし、そのへんで彼氏好き彼女好きって騒いでる子と何も変わらないよ」


「……そりゃそうだよな。理解あるとか意味分かんないこと言ってごめん」


「芹以外に恋愛感情を抱かないって意味では、頼人の想像する感じとはまた少し違うと思うから。好みをひとくくりにして理解示そうとするのは少しナンセンスかもねボケ」


「まじで浅はかな自分が恥ずかしいからオーバーキルはやめてよぉ…悪かったよぉ潮…」


「……。勿論理解を求めてる人もいるよ。理解しようとする姿勢に心から救われる人もいる。私が絶対的にそうではなかったってだけ。拒否しない姿勢は誰にでもできるわけじゃないから、頼人のスタンスはすごいと思う」


「お、お前が俺を褒めただと…?!」



頼人の正直な反応に思いの外話が進み、潮の口も流暢に回る。



「私は目の前で理解されなくて苦しいって泣いてる人がいても肩すら叩けないよ。でも頼人はきちんと耳を傾けて頷くでしょ」


「そりゃぁ、話が聞こえるなら聞いて、理解したいなと思ったなら頷くよ俺は」


「ま、そのくらいの馬鹿正直さは世界に必要だよね」


「いや、てか普通に何で無視できんのかが分からん。聞こえたら振り向いて泣いてたら何で泣いてんのって聞いちゃうもん」


「馬鹿正直っていうか馬鹿で正直って感じだわ」


「ひどい!!潮ちゃんドライ!!」


「何とでも。私は理解される為に動こうとは思えない人間だから、理解されたいと藻がいてそれを勝ち取っていく人たちが眩しく見えるし、理解しようと思考を巡らせる人たちが尊く見えるよ」


「ドライってかどっか俯瞰して見てんだなーきっと。つーか馬鹿って言ったくせに尊いって…」


「いや、馬鹿なのはお前だけだから。でも、歳を重ねても自分の損得を図らずに人の為に動けるってすごいことじゃないかな」



思ったことをつらつらと重ねていく。

芹が早く戻ってくることを祈りながら口を閉じると、すかさず頼人によってまた脈絡のない話題が提供された。



「なーなー、なんか俺ってさぁ、何か…じじいになるどころか、おっさんにもなれないんじゃないかって思ってんだよね。分かる?」


「…さっきから話題が唐突すぎ。陽キャこわ」


「いやさぁ、確証とかはないんだけど何となくさ。そういうのってない?」


「…私はないかな。100歳まで生きようと思ってるから」


「そっかぁ、俺だけかぁ」


「そんな馬鹿なこと言って芹の気引いてたりしないよね」


「いやぁ言えねぇよ、こんなこと。でもほんとさ、芹ともそんなに長くいられんのかなとは思ってる」


「あほくさ」


「でもさ、それでも芹といたいって思っちゃうんだよなぁ。芹が悲しむことになっても、その後がめっちゃ大変になってもさ。お前はさっき俺を優しいみたいな言い方してたけど、これって優しさの欠片もなくない?」


「………」


「どうせ死ぬなら、その時まで…最後まで一緒にいたいわ。その後の芹のことは何も考えてねぇんだから、全然優しくねぇよな」


「ポエム?何の理解を求めてるのか知らないけど、くだらない未来予想図立ててる暇があったら生きれば」


「ま、漠然とそんな気がするってだけなんだけど。なんかあったらさぁ、芹のこと頼むよ潮」


「はぁ…芹がその時私と一緒にいたいかどうかは分からないでしょ。高校卒業しても関わってくれるかどうか」


「あー?なんだよ自信持てよ。俺の代わりは潮しかいないって」


「いや何でお前の代わり?御免だわ」


「でもどうしよー!潮ー!俺になんかあったあとにさー!芹に新しい男ができたらさーー!!俺絶対無理だーー!!!化けてでるわーー!!潮頼む!!芹につく変な虫は全部はたき落としてくれ頼む!!」


「変な虫はお前だろ。でかい声出さないでよはたき落とされたいわけ?」



丸めた広告ポスターで軽く叩かれて、情けなく泣き真似をする頼人。

そこへ、こんこんと部室の扉がノックされた。


入ってきたのは芹で、泣き真似をする頼人を見て苦笑いする。



「やっぱり……潮のところなんじゃないかと思って来てみたら」


「あ゛!!芹ー!潮が俺を虫扱いする!!叩かれたー!!」


「本当、嫌がられるって分かってて潮に構うんだから。やめてあげなよ」


「あっ 芹、もしかして嫉妬してんの?」


「いや、これに関しては本当に潮が可哀想だから言ってる」



真顔で返されてへこむ頼人に対して、味方されて少し嬉しそうな潮。

芹は少し微笑んだ後、申し訳なさそうに眉を下げた。



「潮、まともに書けなかったよね。居場所ばらして本当ごめん。浅はかだったわ」


「芹に謝らせてる頼人にめちゃくちゃ腹立ってくるから謝らないで。まぁ、そんなに急ぎじゃないから。帰ってゆっくり書くよ」



ぐいぐいと芹に背中を押されて退室を促される頼人が、片手を挙げて言う。



「じゃぁな、潮。暇つぶしどうもー」


「……っ無視しようと思ったけど…それはうざすぎ……!二度と部室来んな次は鍵かけるから」


「おーそんなことしたらお前が出てくるまでガチャガチャし続けるぞ」


「まじでうざすぎる!!」


「頼人、何で潮をキレさせるのそんなに上手いわけ?才能じゃない?」



ばたん、と扉が閉まり、部室に静けさが戻る。


二人が遠ざかっていく足音を聞きながら一つため息をつくと、時計の針が休憩時間の終わりを告げているのが視界に入った。


諦めて、開いた画面を再びぱたんと閉じる。



「……」



ーー何か…じじいになるどころか、おっさんにもなれないんじゃないかって思ってんだよね。分かる?



悪態つこうと思った矢先、ふと頭に浮かんだのは頼人の言葉。





馬鹿馬鹿しいと首を振ったその日の後も、日常はただ進んでいった。

相変わらず仲良く過ごす芹と頼人、時折その間に挟まれる潮。

バランスの良い日々。


やがて二人が卒業すると、芹からの連絡は少し減った。

潮も忙しくなり、自身が卒業する頃には見立て通り以前ほどの交流は無くなっていた。

それでも、芹は用事を見つけては何かと潮に構い、同時に居合わせる頼人もまた意味の分からない茶化しをしたりなど、潮が連絡を取らずともこれまでの関係が断たれることはなく。



そうして、二人は結婚。

その後程なくして子宝に恵まれ、芹は頼人との子供、萌を出産した。


芹の大事な瞬間の多くに関われていることが、潮にとってこれ以上ない幸せだった。

子供が産まれてからは子育てに追われる芹を少しでもリフレッシュさせようと、潮の方から頻繁に連絡を取った。



「んー久々に化粧とかしたわー 変じゃない?」


「うん。可愛い」


「うわっ何それ。潮ってそんなこと言うやつだったっけ?」


「ごめん、我慢できずに心の声漏れたわ…」



平日仕事に出ている頼人に代わって、萌を連れて3人で出かけることも増えた。

美味しいものを食べたり、買い物に行ったり、旧友に会ったり。とにかく作業の合間を縫って、芹の笑顔を見たいためだけに全力を注いだ。



「潮、執筆はどうなの?」


「ん?うん…編集さんにはもう少し早く書き上がらないかって怒られてるけど別に。いつものことだし」


「頻繁に会ってくれて私は嬉しいし、正直すごく息抜きになってて助かるんだけど…もし負担になってるなら…」


「毎回私から誘ってるのに?芹、勘違いしてるかもしれないけど芹に会ってるのは私の息抜きでもあるんだからね」


「そっか…それに越したことはないよ。潮、本当にありがとう」


「産後の女性のことめちゃくちゃ調べたからこれでも。休日は頼人がうざすぎるほどやってるだろうし、頼人ができないところくらいやらせてよ」


「ふふ…二人が張り合うようにして色々やってくれるの本当、すっごいありがたいし、ごめんけどちょっと面白いよ」


「芹が面白いって思ってくれるなら本望だわー」



そんな日々が、ずっと続くのだろうと思っていた。


ーーしかし、その日は突然やってきた。






セリー

〔潮。頼人と、もう二度と会えなくなりました〕



ーー突然の報告で訳が分からず、しかし返答はせずしばらく芹からの返事を待った。

どういうことかと聞くのも憚られるほど、芹が深く深く文面を考えているのが分かったからだ。



セリー

〔突然のことで、私もまだ実感がなくてあまりよく分かってません。まだ、帰って来るんじゃないかと思っているくらい〕


〔お別れは頼人のご家族のご意向で、あちらの実家の方で、家族だけで行います。お墓も遠いので手を合わせてもらうことは難しいということを伝えておこうと思って〕



抜け殻のようになっている芹が頭に思い浮かんで、トーク画面に目を通す潮の手が知らず震えた。



セリー

〔萌も私もしばらくあちらの実家で過ごすことになると思うので、会えなくなります〕


〔今後どうなるかは分からないけれど、今はまだ何も考えられそうにありません。嫌いになる間もなく離れ離れになってしまって、頭がいっぱいです〕

〔落ち着いたら、また必ず連絡します〕

〔取り急ぎ、報告まで〕



〔辛い中、連絡をくれてありがとう。会えるようになったらいつでも教えてほしい。いつでも、連絡待ってます〕



何と言おうか迷ったが、本人が現実を受け止められていない中で頼人のことに触れたような返信をすることは避けた。



セリー

〔潮、ありがとう〕



ーー芹ともそんなに長くいられんのかなとは思ってる

ーーでもさ、それでも芹といたいって思っちゃうんだよなぁ。芹が悲しむことになっても、その後がめっちゃ大変になってもさ



何だよ、それ。

何だよそれ。


芹の幸せを近くで見られるだけで幸せだった。

芹さえ笑ってくれるなら、潮の世界は幸せだった。



「何でだよ、頼人…!」



頼人のくだらない話は、何て要らない未来予想図だっただろうか。

本能で予見していた?馬鹿馬鹿しい、そんなことある訳ない。

だってそうじゃなかったら、そうじゃなかったら…



その時、目の前のパソコン画面に映る、書きかけの小説が目に入った。

潮の頭の中で、過去も現在も未来も同時に存在する、世界。



「……運命、なんて…」



いくつもの世界を頭の中で描き、星の数ほどの生命の、その全ての行く末を知る潮にはーーー

果てもなく、ただただ、どうしようもなく。







*   *   *   *   *







「じいちゃん」



芹からの連絡が途絶え、しばらく経ったある日。

潮は、祖父の元を訪ねていた。

趣味で買ったグランドピアノの調律をしていた祖父は、可愛い孫の登場に頬を綻ばせる。



「潮か。来るなら何か用意したものを…すぐに菓子を出そう」


「ううん、大丈夫。ちょっと話したいことがあっただけだから」



長居するつもりがないことを告げると、潮の神妙な面持ちを見た祖父の眉が何かに気が付いたかのように上がった。

それから意味ありげに頷くと、潮をソファに座らせる。



「…あのさ。この前、洋館に住むなら住めるようにしてやるぞって言ってたじゃん。あれ、今すぐお願いできないかな」


「だろうと思った。ついにこの日が来たか」



白い髭をもしゃもしゃと撫で、優しい瞳で潮を見つめた祖父。

その視線に気恥ずかしい思いをしながらも、潮は続けた。



「大事な人のために…あの場所が必要なんだ。私だけが住むんじゃなくて、多くて六人くらい…みんなで住めるところにしたいんだけど」


「おお。必要なものがあるなら先に言えよ、手配する」


「うん…まだ聞いてる最中だけど、防音室は一つ欲しい。あと、ネットの環境は整ってないと辛いかも」


「住みたいと言うならそろそろだろうと思って、水回りはもう新品に換えてある。後は住む人間が決まりゃ何が欲しいかその都度聞いとけ」


「…あのさ。六人くらいで住めるように、って急に言って住めるような感じなの?最悪敷地内に建物建てちゃおうくらいに思ってたんだけど」


「そりゃそうだ。俺が人泊める為に作った洋館なんだからな。もう一人くらいなら、狭くて良けりゃ住まわせられるぞ」


「……じいちゃんって本当、たまにちょっと怖いよ」



考えていたよりずっとあっさり通ってしまった提案に、引き攣った笑顔を浮かべる潮。

祖父は気にした様子もなく豪快に笑うと、話は終わったとでもいうように立ち上がって再びピアノの方へと向かった。



「潮、お前にゃまだよく分からんと思うが……」



調律の続きを始めながら、祖父はこぼすように言う。



「お前とその大事な子は、次は一緒になれる」


「………」


「心配するな」



そんな祖父へ潮は、



ーー何言ってんだ、このジジイ…


という顔を隠しもせず、



「きしょ」



という言葉も飲み込むことなく、はっきりと吐き捨てた。



「潮!文芸を齧ろうというもんが、そんな言葉遣いをするなんぞ嘆かわしい!!」


「小説書く奴が普段から畏まった喋り方しなきゃいけないなんて誰が決めたのさ」



普段から意味の分からないことを話す祖父だったが、今日は一段と意味不明だった。

祖父は憤慨した様子だったものの調律を続ける手を止めることはなく。



「…じゃ、なんか詳細に決まったらすぐに連絡するから」


「おう、可愛い孫の頼みなら仕方あるまい。逐一報告しろよ、そうすればするだけ完成が近づく」


「頑張る。じいちゃん、ほんとにありがとう」


「お前が勝ち取った未来だ。胸を張れよ」






ーーそれから、着々と洋館の改装は進み、住むメンバーも定まった頃。

芹からは、日を空けながらもぽつぽつと連絡が来るようになっていた。


芹がまだ若いということを配慮され、苗字を戻し萌と一緒に芹の実家へ帰ってきていること。


芹がずっと作り続けているハンドメイドの作品が無心で作る内にたくさんの人に買ってもらえるようになり、安定した収入を得られるようになったこと。


文面でさえ、辛さを一切見せない芹。


最後の会話から1ヶ月ほど経ち、潮はついに芹へ話をすることにした。




〔芹、元気?〕



セリー

〔何とかやってるよ。どした?〕


〔あのさ、アトリエ欲しくない?〕


セリー

〔はい?〕

〔あー…あれね。文脈無視のやつね。単刀直入のやつね。はいかいいえのやつね〕

〔まぁ、一応はいって答えとくか〕

〔▶︎はい

 ▷いいえ〕


〔割とすぐ住めるけど来る?

 ▶︎はい

 ▷はい

 ▷はい〕


セリー

〔待って、アトリエじゃなかったの?選択肢抜けてからの展開が急すぎて草あと選択肢バグってるよ修正しといて〕

〔セリーは こんらん した ‼︎ 〕


〔じいちゃんの洋館が六人くらい住めるんだけど、その中の一つ使ってくんないかな〕

〔あとこのバグは仕様なんよなぁ〕


セリー

〔いや…え…〕

〔とりあえず真面目に答えるよ。嬉しい提案だけど、他に住む人がいるなら萌を連れて一緒にっていうのはキツいかな。まだ小さいし、多分予想以上に騒々しくなると思うから〕


〔誰も気にしないよ、って言いたいところだけど、芹が気にするなら言っても無駄か〕


セリー

〔うん。でも誘ってくれてありがとね〕


〔でもいいえって選択肢ないんよなぁ〕


セリー

〔アプデしといて〕


〔使ってよ芹、いつ泊まりに来てもいいから。いつでも部屋は空けとくからさ。好きに使ってよ。みんなでワイワイしよう。もちろん気分じゃない時はいいから〕


セリー

〔潮…〕


〔どうするべきなのかは分からない。この提案が芹にとって喜ばしいことなのかも、正しいことなのかどうかも分からない。でも、芹の笑顔が見たいよ〕


〔芹を少しでも幸せにすることができるなら、それ以上の幸せはない〕

〔私はいつも、いつだって待ってる。待ってた場所に、芹がいつでも来れる場所ができたってだけだよ〕


〔もし良かったら、〕



本心を打ち明けたことに耐え切れず、書き途中のまま発言を送信してしまう。

それに動揺して、返信を見れずにトーク画面を閉じてしまった。


心臓がばくばくして五月蝿い。何と言われるだろうか。気持ちを出しすぎたかもしれない。気味悪がられてしまったかもしれない。



どきどきしたまま、トーク画面を見ることができず、そのまま朝を迎えた。


アラームの音で目を覚まし、恐る恐るトーク画面を開く。

そこには、



セリー

〔▶︎はい〕

〔潮。いつも待っていてくれてありがとう〕



と、ただ一言。



それだけのことが、潮にとってーーーどれだけの幸せを生んだのか。

枕に顔を沈めて、歓喜に呻く。



6人で住む洋館のオーナーが生まれた日のお話。








* * * epilogue








(ねぇねぇ、せっかくだから洋館の名前決めようよ!)


(クリエイティブハウス)


(だっっっっっっっっっっっっっっっさ)


(何かいい感じの名前がいいよね〜、カタカナにする?ひらがなにする?漢字にする?)


(カタカナは何かちょっとなぁ。かといって漢字もなぁ。ひらがなが良くない?柔らかい感じがして)


(洋館にひらがなー?まぁ案出してみ?)


(偉そうで草)


(おじんのでっけぇべっそう とかどう?)


(人のじいちゃんをそんな呼び方するのやめて?)


(うしおのようかん とかどう?)


(逆にそれでいいのか聞きたいわ)


(でも「かん」がつくのいいね!洋館だし、なになに館とかがいいかも)


(奇跡的に採用された)


(たった2文字の採用でドヤ顔やめてもろて)



(ねーねー!!はなやぎ館ってどう!?)



(声でか)


(ごめん、考えてたらめちゃくちゃいいの思いついちゃってつい…でっかい声が…)


(いいね。いやいいけど、どこから来たのその4文字は)


(んぇ?いや、庭見てたらさ、セリーの育ててる花壇の花と、草もしゃもしゃ食ってるセリーの山羊が目についたから)


(えぇ…女6人で華やいでるからじゃなくて、花と山羊の洋館ってこと?)


(かのあっぽいなぁ)


(でもいいね、はなやぎ館!セリーの花と山羊が由来っていうのもさ、ほら。元々潮がセリーの為に用意した洋館な訳だから全然違和感な、)


(ゴホッエホォッ!!何か唾が気管に入って咽せたわ、何か言った?)


(ごめん!何でもなかったよ〜)


(じゃぁ、はなやぎ館で決定だね!!なんか名付け親になった気分でサイコー!!)


(気分じゃなくて事実そうだから安心して)


(てか結構しっくり来てていいわ、はなやぎ館)


(じゃぁ、はなやぎ館のこれからを祝して早速… かんぱ〜い!!)



(かんぱ〜い!!)







番外編 「洋館のオーナーの話」 了








評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ