消えた可能性と訪れる危機
秘めの庭に帰っての生活は精神的な解放感が凄く、毎日よく眠れた。
港町で泊まった宿も良いところではあったけど、事件以後は後始末に追われて落ち着かなかったから。
安心して帰る場所があるのはとても幸せ。
秘めの庭にいる間はヴェルもテトラもストレスなく生活できたみたいで、研究もよく捗った。
これから先の備えとして、作りたい魔術道具は多かった。
三人で工房に籠もっての作業を繰り返すので、食事の時間に顔を合わすラーラさんに呆れられてしまう。
「せっかく帰ってきたと思ったら、またそんなことばっかりなんだから」
「他のことに興味が持てないから、僕らは魔術師なんだよ」
テトラがそう言いながら猫に噛まれている。
ヴェルやテトラが個人的なことに時間を使って休暇を過ごしても構わなかったのに、二人は私の作業を手伝ってくれた。
ラーラさんにはテトラが死ぬ可能性について言えずにいるから、私達がこうも研究を続けるのが病的に見えるのかもしれない。
ノイアちゃんからもらった果物は、この国の甘味として最上級の物だった。
今までこんな果物が存在したのを知らずにいたなんて。
どうにか庶民の生活にも行き届くようにならないだろうか。
あれこれ考えながら若木の面倒を見る。上手く育ってくれるといいのだけど。
甘い物は貴重だから大事にしなくては。
お砂糖を輸入に頼る現状は、まだ改善されそうにない。
国家滅亡の可能性がなかったなら、甘味料の普及について優先的に考えたのに。
昔と変わらず過ごすうちに、秘めの庭での休暇はあっさり終わった。
爆弾や武器の改良研究は進んだし、小道具の作成も上手く行った。
テトラの両親や教授との日常を惜しみながら、また学院へ向かう。
学院の宿舎については修理が間に合わず、私はまた倉庫で寝袋生活を送ることになる。
そのことで私よりもヴェルが不満そうだったけど、学院側の都合もあるなら仕方がない。
それはともかく。
予定されていた行事に変更が起きていた。
本来、秋に行われるはずの舞踏会が中止になるという。
王族貴族のための社交の機会が消えるなんて。この発表には生徒達も困惑するだろう。
私は裏方として、ノイアちゃんやタリスの様子を窺う予定でいたのに。
代わりに行われるのが、新月祭。
これはジャータカ王国の行事らしい。
今期からはナクシャ王子も留学の体で他の生徒に混ざって過ごすので、ナクシャ王子を歓迎する名目で行われる。
それ以上は説明されなかったので、自分で調べてみた。
月のない夜は妖魔が闊歩して危険なため、終夜 火を灯して身を守ったのが新月祭の由来だとか。
……隣国の文化を知るため、というのは建前かもしれない。
港町の魔術結社で聞いた話を思い出す。
この国に施された始祖王の加護は年々弱まるため、五十年毎に導きの王による戴冠の儀を行い修復する。けれど、今代の導きの王は予定より戴冠が遅れているので、始祖王の加護の力も限界まできている。
となると、新月祭を行うのも本来の目的通りなのかもしれない。念には念を入れての警備なのだろう。
私達が三人がかりで魔除けや部外者避けの結界を学院中に張っていたのに、トレマイドやナクシャ王子に侵入されてしまったし。
新学期が始まってからも、皆の行動は今まで通り。
昼休みにはアリーシャちゃんが遊びに来て、放課後はノイアちゃんとソラリスが来る。
ナクシャ王子は学院内であれば行動が自由になったのに、イライザさんがノイアちゃんに会いに来るため、結局ここに着いてくる。
ノイアちゃんとソラリスには、新調した魔術誘導具を渡しておいた。前より扱いやすい道具になったはず。
二人が道具の選定を行うのを、ナクシャ王子がイライザさんに不思議そうに問う。
「この道具には何の意味がある?」
「私には魔術が扱えないため詳しくありませんが、術者と道具との相性次第で魔術の威力が変わる補助具ですね」
「この国では権威誇示のために道具を使うのではないのだな」
「蛮族のような威嚇じみた行為なんて、無意味ですから」
「蛮族……」
ナクシャ王子はずっとイライザさんに着いて回っている。休暇の間に離れていたのもあって今まで以上にべったりしているけど、他の生徒の前ではどうしているんだろう。
イライザさんも既に感覚が麻痺してしまっているのか、ナクシャ王子の距離が近いのに止めようとしない。そして、説明にも遠慮がなくなってしまって時々きつい言葉が出る。
一体、彼女に何があったのか……。
そんなことを気にしていると、イデオンがやって来た。
魔術研究棟を管理する私達に一礼して言う。
「お取り込み中のところ失礼します。シャニア姫より言伝を受けて参りました。ゲルダ様、ノイア様、イライザ様に、これより占術の補佐をお願いしたいそうです」
「……シルヴァスタの占術を?」
「はい。急な頼みとは承知しておりますが。どうか、ご協力ください」
それは構わない。むしろ興味があるので積極的に手伝いたい。
守秘義務さえなければ、エルドル教授にも話をしたいくらいだ。
困惑したのはイライザさんだ。
「私は魔術がまるで扱えないのですけれど。お役に立てるのでしょうか?」
「シャニア姫のことですから、何か考えがおありでしょう」
「分かりました、お伺いします」
私達三人がここから離れることになり、ソラリスが居心地悪そうに言う。
「俺はどうすれば……」
ナクシャ王子をチラ見して、助けを求めるようにノイアちゃんを見る。それに答えたのはイライザさんだ。
「ソラリスさん、貴方が無理にナクシャ王子の相手をする必要はありませんから」
イライザさんの言葉に、ナクシャ王子がしゅんと項垂れた。
「イライザ。まだ私のことを怒っているのか」
「はい」
……本当に、何があったの。
ヴェルとテトラも、ナクシャ王子の身柄を預かるのは困るだろうけど、ナクシャ王子が一人で行動すると警備上面倒になるので諦めてもらった。
私達三人は、イデオンの案内でシャニア姫の元へ向かう。
その途中、ノイアちゃんがイライザさんに躊躇いつつ聞いた。
「イライザさん、休暇中にナクシャ王子と何かあったんですか?」
そう問われるのは想像できていたようで、彼女は疲れたように頷いた。
「ええ。彼はまだ、紳士的な振る舞いというものが理解できていないようです」
それだけ答え、黙ってしまった。二人の間に何があったのかは想像するしかない。
……何故この国といい東の国といい、正統派の王子キャラがいなかったのだろう。
外見だけであれば第一王子にその雰囲気があるけど、そこにノイアちゃんが割り込める状態でゲームは作られていない。
心根の良さで言うなら、目の前を歩くイデオンが該当するのだろうけど、ノイアちゃんは完全にイデオンとのフラグをへし折ってしまったようで、会話がないし。
そんなことを考えるうちに、隠された庭に着いた。
国花である八花弁の白い花が咲き乱れている。今は開花時期ではないけど、魔術を使って育てているのかもしれない。
花壇に囲まれた中央に白いテーブルと椅子があり、そこにシャニア姫がいた。
彼女は立ち上がると、ふんわりと礼をする。
「皆さん、急にお呼び立てしてごめんなさい。占術に向いた周期が本日であること、休暇前に告知できずにいたものですから」
「いえ、気にしないでください」
「占術には興味がありましたから。私に可能なことであれば何でもお申し付けください」
ノイアちゃんと私がそれぞれ答えるのに対し、イライザさんはシャニア姫に対して及び腰だ。
「……あの、私はシャニア姫とこうしてお会いするは初めてになりますし、魔術もまるで扱えないのですけれど。何故私のことまで把握されているのでしょう」
その疑問にも、彼女は柔らかく微笑む。
「グレアム家の皆様の功績は、我が家でも正しく評価しております。貴方にもこの国の行く末をよりよいものへと変える力がありますから。どうしてもここへお招きしたかったのです」
未来をよりよく変えると言えば、宝玉の姫たちの話だ。彼女たちはイライザさんとナクシャ王子によって助けられたと聞いた。その詳細は分からないけど、その件がこの国の王族にも伝わっているのであれば、シャニア姫がイライザさんについて知っていても何もおかしくない。
それからシャニア姫は、テーブルの上の青い球体に触れる。
占いの道具であろう球体には、いくつもの金属の輪が付属している。もしかして地球儀のようなものだろうか。この世界の地図は描かれていないけど。
「過去に幾度と繰り返した占いでも、この国の未来は暗雲に覆われたかのように見通すことができずにいました。けれど、状況が動き始めた今であれば、情報が得られる好機となりましょう。これより行う術は、同席される方が多ければ多いほど情報を受け取ることができます。人により視えるものが違いますから」
そう説明し、シャニア姫は私達に席に着くよう促した。
四人でテーブル上の球体を囲むように座る。
青い球体は、透けて水晶のように光を湛え始めた。
「占術と一言で表してはいますが、これから行うのは、可能性を覗き見る行為となります。
そのため、実現せずに消えた未来と、これから確実に起きるであろうことを順に捉えてゆきます。消え去ってしまった事柄に意識を奪われては、本命である未来視には届かなくなりますから、最初に目に映った光景には囚われないようにしてくださいな」
……想像した以上に手間がかかるようだ。
惑わされると本当に欲しい情報を掴み損なう。そう言われると、緊張してしまう。
ノイアちゃんとイライザさんも息を飲むようにしてシャニア姫の占術が始まるのを待った。
シャニア姫は目を伏せ、静かに球体をなぞる。
そして、球体からは青く暗い影があふれ、景色が一変した。
視界が闇に包まれている。まるで別の空間に移動してしまったかのよう。
宇宙空間がこんな感じかもしれない、と思ったところで、あちこちに菱形の光が見えた。
それは、映像を流すモニタやディスプレイのように見えた。
私の目の前で、二人の男女の姿が並んでいる。
……最初に見えるのは、消えた未来。もう起こらないこと。
その説明を思い出し、その二人の姿が消えるのを待つ。
ずっとその可能性は気になっていたけど、見たくなかった。実現されてほしくはなかった。わざと考えるのを避けていたこと。
だから、そんな光景よりも、確かな未来の情報が欲しい。
……苛立つような焦らされるような時間を過ごし、やっとその映像は消えていく。
思わずほっとして息をつく。
油断したところで、流星のように次の映像が流れ始めた。
平原を駆け抜けていく、沢山の狼達。違う。あれは、通常の生物より能力が強化された魔獣だ。
凶暴なそれが土埃を上げ集団で向かう先は、人の出入りを制限する巨大な壁と門。
東の国境だろうか。
魔獣達の突進に逃げ惑う人々と、破壊される門。境界を突破した魔獣達は、手当たり次第に人々へと襲いかかる。
目を覆いたくなる惨状。
でも、目を逸らしては情報を得られない。
……魔獣がやってきた先に、この状況を作った元凶がいるはず。
探したいのに、映像の視点が切り替えられない。
これがシルヴァスタの占術。
シャニア姫はずっと、見たくもない光景ばかりを視て、未来を改善するための情報が手に入らない悔しさを味わっていたのか。
一方的に流れる映像は、急に途切れる。そして、視界が切り替わった。
思わず眩しさに目を閉じた。
最初の白い庭に意識が戻ってきたのだと気付き、深く息を吸う。
「……皆さんに負担をかけてしまったようですね。申し訳ありません」
シャニア姫の震えた声。
どうやら私だけでなく、全員が辛い光景を視てしまったようだ。
青い顔色のイライザさんと、俯いてきつく唇を閉じたノイアちゃん。
そして。占術を実行したシャニア姫も、沈痛な面持ちで両手を握りしめている。
「……視えた未来は良くないものでしたけど、それを避けるためにシャニア姫が機会を下さったのですから、どうか気に病まれませんように」
私の言葉に、シャニア姫は静かに頷いた。
断片的な未来視であんなものを見せつけられるなら、ずっと繰り返し未来を視る役割を負わされたシルヴァスタの人達の心労は酷いものだろう。
この国が滅ぶと分かってしまったら尚更に。
それぞれが得た情報をまとめる。
国境沿いで起きる魔獣の襲撃。
魔術の撃ち合いで崩落するジャータカ王宮。
瓦礫になった王立学院。
私達が報告を終えた後、シャニア姫も弱々しく話す。
「……わたくしは、アーノルドが月を降らせるのが見えました。周りの状況までは把握しかねましたけれど」
何重にも悪いことが起きるようだ。
それから、シャニア姫は私達へお礼を述べる。
「皆さんの協力に感謝致します。これから先に備えるために、今日のことは全てフェンへと伝えておきましょう」
私達が占術に協力している間に、イデオンは居なくなっていた。
ノイアちゃんが帰り道を知っているので案内してくれるという。
椅子に座ったままこちらを見送るシャニア姫の容態が心配になった。けど、庭を出る隠し通路から私達と入れ違いにアーノルド王子がやってきたので、彼を信じて任せるしかない。
ノイアちゃんもイライザさんも無言だった。
これから不幸を回避するにはどうすればいいのか考えているのだろう。あるいは、視てしまった光景が、口頭で説明した以上に酷いもので衝撃が大きかったのか。
私が視た光景は、RPGではたまにあること。
鬱ゲーを作りたがる製作者にありがちな酷いテンプレだ。
だから、ある程度は覚悟できる。あれは先手を打って元凶を殴り倒してしまえば解決するのだ。
元凶を殴り損なっても対処法はある。今から道具や武器を量産すれば迎え打てる。
自分でも驚いたことに、嫌だと思ってしまったのは、魔獣襲撃の予知の方ではなかった。
……既に消えてなくなった未来の光景に、感情をかき乱されている。
あれはもう実現しない話なのに。
赤い髪に黄色い瞳の少女は、私が仲良くなったノイアちゃんではない。
今のこの世界とあの乙女ゲームの世界は完全に別のものに変わってしまっている。
だから、私があの光景に振り回されなくてもいいのに。
青い髪の魔術士は、赤い髪の少女に向かい合い自分の本当の名前を告げる。そして、髪と瞳も本来の色へ。
相手と想いが通じ合った魔術士は、幸福そうな笑顔で少女に触れた。
あんな満面の笑みを浮かべたヴェルは、今までに一度も見たことがない。
ノイアちゃんとイライザさんが宿舎に戻った後、私は一人になろうと校門前へ向かう。
今は誰とも上手く会話できそうになかった。
優先すべきは、生き残る手段を見つけること。
そう分かっているのに。
存在しない未来に嫉妬するなんて。
「どうしたんですか、姉さん」
急に声をかけられた。
振り返ると、案の定タリスがいる。
「誰かに酷いことでも言われましたか?」
そう問いかけながら近づくタリスは、何か違和感があった。
「……シャニア姫の占いを手伝って、情報量に混乱しているだけです」
その答えに納得できないのか、タリスは私の目を覗き込むようにかがんだ。
思わず後ずさる。考えを見透かされそうで怖かった。
「姉さんが泣くなんて、余程のことでしょう?」
「泣いてはいません」
「目に見える事柄の話ではありません。感情についてです」
「……勝手に決め付けないで」
「姉さんは素直じゃありませんね。強がらなくてもいいんですよ。僕はそれを否定しませんから」
今までのタリスは、身内であれ相手への配慮をしてきたのに。
こうも無遠慮に相手の心に踏み込むようなことを言うなんて。
「この前から気になっていたけど、タリスの方こそ、何かあったの?」
私の質問に、タリスは感情の消えたような顔で否定する。
「僕はいつもどおりですよ、姉さん」
自覚がないのか。
一番まずい状態だ。
誰の影響でこんなことに?
「……魔術結社の人に魔術の手解きを受けたと言っていたけど、その魔術師は学院に連れてきているの?」
「ええ。従者として契約しましたから」
「その人に、会わせて」




