歩み寄りと事件の始まり
様子のおかしいタリスと、宿舎へ向かいながら確認する。
「わざわざ魔術結社の人を雇うなんて。学院での魔術の授業は受けていないの?」
精神操作を防ぐための護符作りは、ヴェルだって授業で実施したはずなのに。
今のタリスは、何かの魔術で感情を抑え込まれているように見える。私がこのままその術を解くことはできるだろうけど、解く前に、どうしてこんな状態にあるのかは確認しなくては。
タリスはぼんやりと答える。
「魔術の授業? ありましたっけ? そんなもの」
「……そう」
状況認識すらあやふやなことになっている。
最近のタリスは魔術の授業に出ていなかったのだろうか。
こんなことになるなら、ヴェルから普段のタリスについてもっと聞いておくべきだった。
宿舎からタリスが呼び出したのは、光り物の装飾品で着飾った人で、およそ魔術師らしくない。どちらかと言えば、他の国における占い師のイメージだ。
アッシュブロンドの長い髪を垂らした細身の相手は、斜めに体を捩って骨格を誤魔化しているけど、男のようだ。タリスよりも背が高いのだろうけど、姿勢を崩して一回り小柄に見せている。
他の人に話を聞かれないように、三人で宿舎の応接室を借りた。ぼんやりこちらを見つめるタリスを促して長椅子に座らせる。雇われ魔術師がタリスの向かいに座ったところで確認した。
「貴方が最近タリスに魔術を教えている人なの?」
私が名乗りもせず喧嘩腰で問うと、相手は灰色の瞳でこちらをじっと観察する。
「それが何か?」
意識的に高く発音された男声だった。
「タリスの様子がおかしいのは、貴方の仕業なの? それとも他に原因があるの?」
「そちらには関係ないことよ」
「関係あります。私はタリスの姉ですから」
睨み付けると、相手は溜め息をついた。
「ああ、貴方がそうなのね。だけど、ずっと放っておいて、今更それは都合の良い話じゃない?」
この人はどこまで私の話を聞かされているのだろう。
「それでも、タリスがこんな状態にあっては見過ごすわけにはいかないの」
長年家族を放置した不義理な姉であっても。
私の言葉に、相手は不愉快そうに息をつく。
「この子がこうなった原因は、貴方なのに」
「私? どうして?」
目の前の魔術師と私の会話にも、タリスは気にすることがない。まるで私達の話に自分が挙げられていると気付いていないかのよう。
「貴方が構ってあげないから、寂しくて情緒不安定になってしまった。元々苦労が多かったのでしょうけど。ずっと会いたかった姉は、男二人に囲まれて楽しそうにしているから」
「……何てことを言うの」
それは私だけじゃなく、あの二人に対しても侮辱に当たる。
「他人を性別だけ見て判断するのが無礼で愚かしいことだと、貴方が分からないはずないでしょうに。どうしてそんな決めつけ方をするの?」
ましてや魔術師にこんな言い掛かりをつけられるなんて思わなかった。
男と女が揃っているからという理由で何でもかんでも関係性を邪推するなんて、短絡にも程がある。
「言っとくけど、アタシの感想じゃないわよ。貴方がどう考えようと、世間はそんな綺麗事で思考してくれない。建前だけ弄して結局は見た目で判断するものだし、勝手に他人の関係性を決め付けたがるんだから」
実感のこもった物言いだ。確かに世間からこの人への偏見は酷いものだろうと想像がつく。
「……タリスがそう言ったの?」
「言葉はもう少し穏やかだったけど、そうね。自分が蔑ろにされていると感じていたようよ」
そう言われてもなお、タリスは反応しない。瞬きを繰り返し私を見下ろすだけ。
「タリスが情緒不安定になった原因が私だとして、どうしてここまで反応が鈍くなっているの?」
「こうしないと、精神が保てないからよ。感情の揺れに合わせて魔術が暴発してしまうようになって、自力で調節ができなくなってしまったの。アタシの手には負えないから、特定の物事や単語にだけ反応しないように認識能力に制限をかけたわ」
「……原因である私のことは認識できる、というより、変に執着しているように見えるのだけど」
「貴方の存在をこの子の記憶から消してしまえば、それこそ精神の拠り所を失くして自我が保てなくなるわ。だから、貴方への感情についてはそのまま……というより、うまく隠せなくなってしまった状態ね。それ以外の、心を苛む存在についてだけ忘却させているの」
「だから私達のこの会話にも反応しないのね? 本人にとって都合の悪いことだから」
「そういうこと」
……気持ちは分かる。逃避したくなることは、私だってある。
タリスの性格では貴族社会を乗り切ることが難しいと分かっていた。できれば支えてあげたかったけど、ゲームの中の私はきっとそれに失敗していた。
甘やかし過ぎて駄目にしてしまうのだ。
甘やかすことと相手を大事にすることは別のもの。
その加減を見誤って、タリスが一人では何もできない人間になってしまうのが怖かった。
共依存したくはない。
タリスのために。
でも、私のその考えは、一方的過ぎたようだ。
「……貴方のかけた術を解いた状態で、タリスと話がしたいのだけど。解いてくれないなら私が強制解除するわ。術者である貴方に魔術が跳ね返ってでも」
脅しのような私の言葉に、相手は顔を歪める。
「その子の魔術が暴発したら、貴方が責任持って止めるのでしょうね?」
「言われずともそのつもり」
魔術師は、催眠を掛けるようにタリスの術を解く。
タリスはそのまま静かに意識が途切れた。
さて、正気に戻ったタリスと、何から話をしよう。
考えたら、膝枕というのは誰にもしたことがなかった。
そんなことを思いつつ、私の膝の上で眠るタリスの頭を撫でる。
流石に、目覚めてすぐ本人の意思に反した魔術発動はないだろう。
タリスの心を苛むものについては説明してもらえなかった。本人は答えてくれるだろうか。
考えるうちに、タリスはゆっくりと目を開ける。
自分の見ているものが現実のことだと信じられずにいるのか、瞬きを繰り返す。
「……何故……?」
「久しぶりね、タリス。具合はどう?」
「姉さん……どうして、こんな状況に?」
恥ずかしいのか、それとも気まずいのか、タリスはあらぬ方向に視線をさまよわせた。
「今までちゃんと話をしてこなかったから、貴方に謝りたいの」
「急に、どうしたんですか」
タリスの記憶はいつからあやふやなのだろう。私の使い魔を撃ち落としたことも、覚えていないかもしれない。
「大事にするのは難しいと思って反省していたの。タリスのためには私が側から離れるべきだと考えてきたけど、それは極端過ぎたようだから」
せめて定期的に近況報告を行えば違ったんだろうか。
「……姉さんが僕をずっと庇ってくれていたこと、まだぼんやりと覚えています。親戚が犬をけしかけたせいで頭を打ち付けたことも。あれを思うと、姉さんが僕から離れても仕方がないと考えました。姉さんが、僕に愛想を尽かしたわけではないと言ってくれても」
それでずっと我慢させたのだろう。
もうちょっと段階を踏んでから離れた方がタリスのためだったのだろうけど、あの時期に私が秘めの庭に行かなくてはテトラと会えずにいた。
テトラと会わなかったら、この世界があの鬱ゲーと地続きなことやアストロジア王国が滅ぶ可能性には気付けなかっただろう。
その場合、私はどう過ごしていたのやら。秘めの庭に籠ったまま研究を続けていたか、学院での仕事を嫌がってまた別の場所へ向かったかもしれない。どこまでも自己都合で動いていたかも。
「今からでも、私がタリスのためにできることはある? あの親戚を潰すのにも協力できると思うけど」
私の言葉に、タリスが苦笑する。
「……姉さんに頼んでしまっては、大惨事になりそうですね」
「そんな、私だって何でもかんでも爆弾を使って物理的に解決するだけじゃないのに」
……ああでも、海でも結局は爆弾を投げていたっけ。
「あの親戚に関しては、心配要りません。前に不正を見つけたので、きつく問い詰めた後、ずっと監視していますから。もう本家である我が家に余計な口出しはさせませんよ」
「そう……」
タリスや家族が自力で解決したならもうそこには触れずにおこう。あの親戚がしでかした不正というのは気になるけれど。
「僕はただ、今まで会えずにいた分、姉さんと話をする時間が欲しいというだけです」
「それだけでいいの?」
魔術師である点以外は信用されていないのかもしれない。
そう思ったところで、タリスは低く呟く。
「……僕の願望を姉さんに押し付けたところで、向こうが黙っていないでしょうし」
「何のこと?」
「何でもありません」
「タリスが学院で生活する上で困ることがあれば協力するから、遠慮なく相談してちょうだい」
「それは……はい。何かあれば」
現状の悩みはまだ話してもらえないのか。やっぱり信用度が低い……。魔術師の社会的地位では、役立てることが限られるのだろうか。
「ところで、この状態は流石に恥ずかしいのですが……」
「こうでないと、いざという時に押さえ込めないでしょう?」
この体勢なら片手で相手の鳩尾が狙いやすい。なんなら首でも。
「……それは何を想定しての発言なんです?」
タリスは自分の魔術が暴発したことも覚えていないのだろうか。
そう思ったところで、応接室の扉がノックされる。
「申し訳ありませんが、本日の利用時間は終了となります」
外からのその言葉にハッとする。
タリスが顔を赤くしながら起き上がり、私から距離を置く。
部屋を見回して、あの魔術師の姿がないことに気付いた。
「……ねえタリス。貴方が雇ったあの魔術師は、どういった人なの?」
「魔術師……? いえ、そのような人間を雇ったことなどありませんが」
……どういうこと?
夏季休暇の間からずっと仕えさせていたようだったのに。
「さっきここに来る前に、タリスが呼んだ人間がいたのだけど。覚えていない?」
しばらく考え込んだタリスは、右手で額を押さえながら言う。
「……分かりません。僕がいつここに来たのかすら。もしかして、ここは学院の中ですか?」
どうやら数週間分の記憶が抜け落ちているようだ。
二人で応接室を出て周囲を確認するけど、誰も見当たらない。窓から見えるのは夕陽だけ。
タリスの部屋まで無理矢理ついていって、従者が誰かを確認する。
「……どこにもいませんね」
「貴方の身の回りの世話をしている人は、本来はここで待機しているの?」
「ええ。この学院に来る際は必ずあの人が付き添ってくれるのですが」
タリスが信用している老紳士の姿はない。自我を失っていて、連れて来られなかったのだろうか。
おそらくあの魔術師は、貴族子弟を捕まえ精神操作で従者の振りをして、学院に侵入した。従者として学院に迎えられるのであれば、結界も反応しないから。
だけど私が目の前に現れたから、これ以上従者の振りをするのは無理だと悟って行方をくらませたのだろう。
タリスに護符を渡して言う。
「お願いだから、これからは魔術の授業はちゃんと受けて」
「……姉さんがそう言うのであれば」
露骨に嫌そうな顔をされた。
タリスが魔術の授業を受けたがらない理由も気になるけど、それどころじゃない。
学院の警備に事情を説明して、生徒には分からないよう警戒態勢を敷いてもらう。
光り物で着飾っていたのは変装のためかもしれないから、あの姿を手掛かりにして探すのは難しいかもしれない。
何が目的でどこに行ったのか、突き止めないと。
ただでさえ未来予知の件で慌ただしくなっているのに。




