北の海より訪れしもの
国家間の情勢が怪しいので休暇中に呼び戻される心配もしていたけど、今のところは旅行を満喫できている。
海水を真水にする施設の見学に行って仕組みを聞いたり、海沿いの地域でしか取れない素材を探したり。
漁師さんの案内で海上の養殖場に行って、そこで食事をしたり。
観光で入れる場所は全部回った。
海水浴の文化がない国なので直接海に入って泳ぐことはないけど、食も好奇心も満たされて、とても楽しい。
今日は三人で地域の人達から情報を集めていた。
海というのはどこの世界でも好奇心と畏怖が混ざり合う場所だ。
伝承には事欠かないから、地元の人達から話を聞くのも楽しかった。
話を聞かせてもらうついでに、食材もオマケしてもらう。
その後、宿で昼食を作って食べながら、集めた情報を披露した。
「満月の晩に西の沖に出ると、海底から伸びて海上で咲く花があるって聞いたの。そういう花なら、魔術の素材に向いてそうじゃない?」
明日はちょうど満月だし、舟を借りられるなら探しに行きたい。
私の言葉に、ヴェルは 顔を顰める。
「僕は、海に慣れた漁師以外は沖に出るものじゃないって何度も説明されたけど、ゲルダリアは誰にそんなこと吹き込まれたの?」
「え……」
そんな、詐欺師に騙された人を哀れむ目で……。
黙ってしまった私に、ヴェルは本人が集めてきた情報をくれた。
「始祖王による加護が行き届くのは陸までだから、夜に遠洋へ出ると怪異に遭う。怪異は火に弱いから、夜に漁へ出るなら松明を用意した上で火の魔術が扱える人間が居ないと危ないって話だった」
「そうなの?」
確かに、前に見かけた夜釣りの船は松明を目立つよう掲げていた。あれは魚を集めるためじゃなかったのか……。
テトラは途中までツナマヨに似て非なる料理に夢中だったけど、私達のやりとりに口を挟む。
「僕も漁師さんたちから聞いたよ。海上封鎖を解いて北の国との行き来が再開されてから、夜に沖から妙な唸り声が聞こえるようになって、魔術結社に調査依頼を出したんだってさ」
RPGの舞台である国から来るモノなんて、魔獣や異形ばかりじゃないだろうか。不穏だ。
「私にその話をしてくれたのは、地元の人だけど……」
雑貨屋で店番をしている女の人で、私と歳が近い。
「その人が自分で確認した話とは限らないよ」
「そうならそうで、その話を聞かされた理由が気になるわ」
若い人の間で流行っている都市伝説なのか、あの人が誰かに騙されているのか、それとも私を騙そうとしたのか。
でも、旅行に来た余所者を騙して楽しむような不良には見えない、落ち着いた雰囲気の人だった。
「食事を済ませたら、ゲルダリアが話を聞いた店まで行ってみようか」
三人で雑貨屋へ向かうと、あの女の人は居なくなっていた。代わりにお婆さんが店番している。
「すみません、午前中にここで店番をしていた人にお話があるのですけど」
私の言葉に、お婆さんは首を傾げる。
「おや、お嬢さん、うちの孫と知り合いでした?」
「いえ、先ほどこの街のことを教えてもらっていたんです」
「そうでしたか。それがあの子、昼前に出かけてしまって戻ってこないんです。今まで黙って出かけるなんてしなかった子なのに」
「いなくなったんですか?」
「ええ。年頃だから、友達に呼ばれたならそういうこともあるかと思って。でも店番を投げ出すなんてことはしない子だから、少し心配で」
……何だか不安になってきた。
「もし会えたら、お婆さんが心配していたと伝えておきますね」
「お願いしますね」
雑貨屋の並ぶ通りだけでなく住宅街も見て回るけど、あの女の人の姿は見つからない。
一度宿に戻ろうかと思案したところで、テトラが言う。
「ゲルダリアの言ってた人だけじゃなくて、若い女の人、みんな居なくなってない?」
「……え?」
「僕らはゲルダリアに嘘教えた人の顔なんて分かんないからさ、ゲルダリアぐらいの歳の人を探すじゃん? でも、どこにもいないよ」
確かに、商店街からは若い女の人の姿が消えている。今は漁の時間だから男の人も若い世代が少ないけど、全くいないわけじゃない。
「どこかで集まっているとか?」
この街の若い女性だけの交流場があるのかも。
でも、聞いて回っても誰も知らないという。皆、女の子が勝手にいなくなってしまったので心配していた。
ここまでくると、流石に異常事態だ。
未確認なのは、海側と貴族の別荘がある区画。
「最近若い女の子の間で話題になっていたのは、街に北の国の貴族が来ているということらしいけど……」
まさか集団でルジェロさんのところに押しかけたのだろうか。
別荘のある方角へ向かってみるも、人通りは少ない。
立ち入り禁止区域の前で警備をしている人に尋ねても、今日は若い女の子は見ていないという。
昨日までは、ルジェロさんを一目見ようとやって来る子が多かったらしい。
それが今日は嘘のように静かなのだとか。
何があったんだろう。
あと確認していないのは、港と海岸。
そこへ向かおうとする前に、ヴェルが言う。
「朝から人が居なくなっているなら、時間から考えてゲルダリアが会った人が最後の失踪じゃないかな」
「……最後の?」
私に向かい合い、真剣な顔でヴェルは言う。
「この街で今、所在が確認できている女の子は君だけ。君が最後」
「どういうこと?」
「感染魔術の条件に、この街で数日過ごした君も入ってしまっていたんじゃないかな。それで君に話を伝えるまで、全員の失踪が終わらなかった」
……感染魔術。
風邪をうつすように、ある種類の魔術を他人に感染させる手段。
それは最近知ったばかり。
魔術交渉の席で、北の国から公開された情報だ。あの国で危険なものとして指定されているという。
私が雑貨屋の人から聞かされた話は、この街に居る特定の年齢層の女性を精神操作するための文言だった?
「君は精神に作用する術を防ぐことが可能だから、感染魔術も効果がなかった。それで何事もなくこうしてここにいる」
「でも、他の人達はどこかに誘導されてしまったのね……」
どこにいるのだろう。
あの話を信じているのであれば、沖に出るために港や海の辺りで夜を待っているかもしれない。
「日が暮れる前に見つけ出さないと。夜は、北の国から良くないものが来るかもしれないんでしょう?」
「その前に」
ヴェルは昨日から試作していたのであろう物を私に手渡す。
「君が無事であるように対策しないと」
この街で手に入る素材を使った、ブレスレット。魔術耐性を強化する仕組みになっている。昨日、杖を新調する合間に何か作業していると思ったら、これも作ってくれていたらしい。細い鋼に、貝殻の裏の虹色の膜が貼られ螺鈿細工のような加工がされていた。
それを見たおかげで、冷静になる。
「……ありがとう」
ヴェルの言うとおり。ミイラ取りがミイラになっては意味が無い。
道具を揃えて、港へ向かうことにした。
港に停泊している船の数が、昨日よりも減っている。
そして、探している女の人たちの姿もない。
もう船で沖まで出てしまっているのだろうか。
不安に思いながら人を探すと、漁師さんと猫の鳴き声が聞こえた。
いや、正確には、お爺さんとケット・シーが二匹。
船着き場で揉めているようだ。
「船出せー!」
「ルジェロを追いかけるんだ!」
そんなことを言いながらお爺さんにすがる、二足歩行の妖精猫。
漁師のお爺さんは、そんなケット・シーたちにおろおろしていた。
「ああー猫ちゃんら、すまんなあ。君たちは連れて行けないんだ……」
「何でだ! 船出せ!」
「けち!」
白い毛並みに金眼の子と、灰色の毛並みに青眼の子が、みいみいと鳴きながらお爺さんを困らせている。
「何があったんですか?」
見かねて声をかけると、お爺さんは私達が武器を持っていることに気づいて目を瞠った。
「そちらは、剣士と魔術師さんたちかな?」
「はい、そうです。今、行方不明になっている人たちを探しているんです」
私の言葉に、ケット・シーたちも振り返る。
「あー! オマエ! 今更だぞ!」
「ルジェロ、もう行っちゃったぞ!」
「……はい?」
何故かこの子達は私のことを知っているようだ。
お爺さんは私達に説明する。
「うちの孫も朝から居なくなって、魔術結社の人に探すよう頼んだんです。その魔術師さんによると、どうも全員船で沖まで向かったらしいと。その後、魔術師さんの協力者として北の国の貴族様とその護衛も船に乗って沖へ向かってくれたんですが……」
「俺たち置いてかれた!」
「ルジェロも危ないのに!」
どうやらケット・シーたちは、ルジェロさんのことが心配らしい。
「漁師さん、五人以上乗れる大きさの船の操縦はできませんか? 私達も沖まで様子を見に行きたいんです」
「俺たちも行くー!」
「ルジェロ助けに行くー!」
お爺さんは私の言葉とケット・シーたちにしばらく悩んでいたけど、やがてうなずいた。
「儂も、直接孫を迎えに行ってやりたいですからな」
お爺さんのおかげで、大きい漁船に乗れることになった。
これなら多少揺れても、船の上で立ったり歩いたりが可能だ。
流石に海上戦闘は難しいけど、遠隔攻撃の魔術はどうにか扱える。
船で移動中、ケット・シーたちから詳細を聞いた。
ケット・シー達は、この街で感染魔術が行われていることすぐに気づいたらしい。そして、ルジェロさんに報告し、一緒に状況を捜査していた。
その途中で人捜しをしていた魔術結社の魔術師と会い、ルジェロさん達は情報交換を行う。
合同で捜索に出て、漁師さん達に船を出してもらえたけど、ケット・シー達は乗船人数の都合で置いていかれてしまったらしい。
「酷いんだぞ!」
「人間だけじゃアイツの魔術は危ないのに!」
「……貴方たちは、感染魔術の犯人について何か知っているの?」
ケット・シー達は興奮したまま言う。
「アイツは体だけでっかくて、生意気なんだ!」
「海から出られないくせに陸の生物を食べようとする!」
「人間はアイツの使い魔にすぐ騙される!」
「魔術に弱すぎだぞ! 人間!」
……つまり、異形なのか。
でもこの子たちの説明では、それがどんな大きさの敵なのか分からない。
海に出る怪物として鉄板なのは、巨大なイカとかタコ辺りだろうか。
ぷんすこ怒ったままのケット・シー達に、テトラが言う。
「それより、喉渇いてない? 果実水あるよ」
筒に入った飲料を差し出され、ケット・シー達は途端にそれに夢中になった。
静かになったところで作戦会議だ。
私達が着く前に、ルジェロさんたちが事件を解決している可能性はある。でも、そうでなかった場合は、元凶に気づかれないよう接近したい。
居なくなった女の人たちがどんな船に乗っているかという問題もある。小型の船では、凪いだ海でも迂闊に漕ぐと転覆しかねない。
この船の定員は十人ほどなので五人ぐらいまでなら保護できるし、救助優先で行動することが決まった。
風の魔術で動く船は、時間をかけて陸から離れた。
そろそろ、先行した人たちの船が見えても良さそうな頃合いだ。
鳥の鳴き声もあまり聞こえない。
やがて、夕日が沈んでいく景色の中に、いくつもの影が見えた。
小型の船に乗った女の子たちが、西日の下に集まっている。船に乗ることに慣れていないであろう細身の子まで。自力で櫂を漕いできたのだろうか。
彼女たちは、静かに日没を眺めているようだった。
異様な光景だ。
ルジェロさんたちはどこにいるのだろう。私達もお爺さんに頼んで、船を停泊させてもらう。
ケット・シー達に質問した。
「ルジェロさんたちがどこにいるか、分かる?」
「うー……ルジェロ、いない」
「もっと遠くに行ってるかも」
女の子たちを陸に返すより先に、元凶を退治するつもりだろうか。
魔術的な洗脳を解くには、それが一番早くはある。
「感染魔術の犯人がこの近くにいるかどうかは分かる?」
「分からない」
「アイツ、いつもは海の深いところにいる。満月が見えるまで出てこない」
なら、ルジェロさんたちはどこへ……?
何にしても、元凶がまだ出てこないのが確実であれば、先にあの子達を陸に返してあげたい。
漁の合図に使う笛がお土産として売っていたので、それを用意してきた。その笛の音に乗せて、精神操作を解除する術を使う。その後に女の子達がパニックを起こすようであれば、ケット・シーたちの魅了でこちらに服従させる。
その段取りで、救助作戦を実行した。
高く遠く響く笛の音に、無表情で太陽を見つめていた人たちは次々と我に返る。
そして、ざわめき出す。
自分たちの居る場所が海上だと気づいて混乱が始まったので、ケット・シー達に踊ってもらった。
途端に歓声が上がる。
「キャー!」
「可愛い!」
「猫チャン!」
「こっち向いてええええ!」
まるでアイドルの集会かのような状態だ。
……作戦を間違えたかもしれない。思っていた魅了と違う。
ファンタジー世界の住人はSANチェックなんてしないので大丈夫、という次回。




