月下に踊る妖精猫
ケット・シーに魅了された人たちは、我先にと太陽を背にして陸を目指す。
日が落ちる前に陸に帰れば、ケット・シー達が もふもふさせてくれると言うのだ。
船の漕ぎ方を知らない疑惑のある華奢な女の子まで必死だった。
魅了され正常な思考ができなくなる現象、私が想像していたのとは全く違うけど、これなら健全だしいいか……。
ふと思いだし、私達が乗る船を操縦してくれるお爺さんに聞く。
「お孫さん、あの中に居ました?」
「ああ……うちの孫なら、真っ先に船を漕いで帰っていったよ……」
「それは……何というか、ごめんなさい……」
せっかく迎えに来たのに。自力で帰る元気があったなら大丈夫だと思いたい。
私達は、元凶退治が目的であろうルジェロさんたちを探さないと。ケット・シーたちも納得しないだろうし。
辺りの海域には、もう船は見当たらない。
ヴェルが私の隣で心配そうに聞く。
「……覚悟、できてる?」
「大丈夫」
そうだ。獲物としてここまで誘導されてきた女の子達は、そろそろ陸に着き始める。
元凶をおびき出すための餌は、私しか残っていない。
お爺さんに頼んで、船を動かしてもらう。月が出るまで同じ場所に停泊し続けるのは危険だ。
私達の乗った船が移動を始めると、日は完全に落ちた。
月光が辺りを照らす。
それに負けじと、テトラの炎が船の上に掲げられる。威嚇のような熱量だ。
凪いで静かな海面に、こぽこぽと気泡が立ち始めたのが見えた。
あの真下に巨大生物がいるのだろう。
私達はそれぞれ武器や道具を構え、ケット・シー達がフーッと鳴く。
海中からこちらに向かって何かが伸びる。
獲物狙いのそれはヴェルの剣によって切断され、私の風の術で跳ね返る。
水しぶきの中に消えるそれは、軟体生物の肢によく似ていた。
どう考えても、花は咲きそうにない。
……まさかと思うけど、月下に咲く花というのは、獲物にされた人の血しぶきを花と表現したホラーらしい比喩だった……?
そういうのは求めていないので止めて欲しい。
お爺さんが慌てて船の速度を上げてくれる。でも、まだ陸には帰れない。退治できるかどうかの見極めだけはしておきたかった。
ケット・シー達が跳ね回り、魔術発動の光が舞う。
さっきの一撃はこの子たちの魔術のおかげで軌道が逸れた。
今は船を守ってくれているようで、船底を打つような不気味な音が聴こえるけど異常はない。
「うー! アイツ、今度こそやっつけてやる!」
「二度は逃がさないぞ!」
「……前にもあれと遭遇したことがあるの?」
「ある! 前は仲間が海に連れていかれた! 許さない!」
「仇討ちだ!」
ケット・シーがあれに惑わされることはなさそうなのに。
「ルジェロの姉がさらわれかけた!」
「だから、みんなで助けた!」
そんなことがあったのか。ルジェロさんがケット・シーたちを置いていったのは、そのときのことが原因なのかもしれない。
あのゲーム世界の住人が海に出る異形に悩まされる話は聞いていたけど、被害は直接的にはないのだと思っていた。でも、甘かったようだ。
ゲーム冒頭で、キャラデが用意されたNPCのテトラを死なせるようなゲームだ。モブの命なんてどれだけ消えているのか分かったものじゃない。
話すうちに、波が荒くなる。異形が海面まで上がってきたのだ。
灯りの下で、白く大きな影が徐々に透けて見えた。
細長い肢がいくつも生えた軟体生物に、渦巻いた赤い殻のようなもの。
……アンモナイト?
その姿を見て拍子抜けしたけど、人を惑わせて連れ去る凶悪な生物には変わりない。
この船より一回り大きいから、体当たりされようものなら転覆してしまう。
異形は獲物を見失ったかのように、せわしなく目が動いている。ケット・シー達の術が届き、感覚を狂わされているようだ。
今なら先手を打てる。
そう思ったところで、海面が小刻みに振動する。
白い光が海中を走り、円を描いていく。それは先ほどまで女の子たちが集っていた場所を中心にして、異形の行く手を阻むように閉じた。
魔術結界だ。
「ルジェロ!」
「やっと会えた!」
ケット・シーたちが見つめる方角に、こちらと同規模の船があった。
どうやら、あちらは異形を囲い込むために気配を消していたらしい。
ルジェロさんがケット・シー達に嘆く。
「あれほど来ないようにと言ったのに……」
「そんなの聞くもんか!」
「人間だけで無茶したら駄目なんだぞ!」
二つの船が異形を中心にして旋回する。
「逃がさないように結界を張ったなら、向こうにはこれを退治するための手段があるのかな?」
ヴェルの問いかけに、ケット・シーたちはうなずく。
「海の上で殴ればいい!」
「海から出ればアイツは何もできない!」
最終手段・物理。
そういうことであれば、こちらの攻撃も通る。海底に戻らないうちに叩いてしまおう。
異形は目的を果たそうとこちらの船を追ってくる。
途中で何度も肢を伸ばしてきたけど、それは全て切り落とされた。
痛覚はないのだろうけど、目的が果たせないことに苛立ったらしい異形は、やっと海上に頭を出す。
低いうなり声のような音が広域に響く。
最近になってこの地域の人を不安がらせていた犯人も、こいつのようだ。
異形からの圧を防ぐように、ケット・シー達が跳ねる。
「みい!」
「みぅ!」
音と空気の振動で打ち合い、船が今まで以上に揺れる。
全員で船体にしがみつき、衝撃が収まるのを見計らう。
せっかく頭を出したのだから、逃がすわけには行かない。
分解して持ってきた爆薬を、急いで錬成する。
それを投げて風で飛ばし、距離を見計らいテトラが引火。
海上で爆発が起きる。
異形の動きが止まり、私達の船に追いつけなくなる。それを確認したルジェロさんたちの船から、銛のようなものがいくつも飛んだ。
殻を突き破った銛に耐えかね、異形は身体と殻を分離しようともがく。
そこにこちらの船から追い討ちで矢を射った。魔術で強度改造した矢は、軟体を抉りながら貫通。頭部を破壊する。
更に追い討ちの爆弾を受け、異形は震えながら海面に浮いた。
ケット・シー達が口々に叫ぶ。
「やったぞ!」
「仇取った!」
その言葉に反応するように、巨大アンモナイトは泡のように溶け始める。
そして、儚く光る球体がいくつも溢れ出た。
「……あれは?」
「魂だ」
「今までアイツに捕まっていた魂達」
その言葉に、全員無言でそれを見つめる。
歌うように鳴きながら、ケット・シー達は魔術を使う。
過去の被害者達の魂は、その光を浴びて空へと舞い上がる。
葬送の儀式。
あの魂が次の生を迎えられるのであれば。
理不尽な最期は避けられますように。
そう祈りながら見送った。
港に戻ると、街の人達が二隻の船の帰りを待っていた。
女の子達はみんな無事で、船を降りた頃には魅了の術も解けていたらしい。
街の人達から感謝され、そのまま広場で全員の無事を祝う宴が始まった。
でも、私達三人はお酒が飲めないしすぐに眠くなってきたから、宿に帰ることにする。
後のことは魔術結社の人に任せてしまおう。
こっそり抜け出そうとしたのに、ルジェロさんとケット・シー達に見つかった。
ルジェロさんは、酔ったケット・シー達をあやしながら言う。
「今回のことは、本当に感謝しています。貴方達も無事で本当に安心しました」
「こちらこそ、その子達には助けてもらいました。ありがとうございます」
「あの魔物がこの海域まで流れてきたのは、我が国の不始末です。こちらの国の人々を危険な目に合わせてしまったことはお詫びしなくてはなりません」
「そんな、気にしないでください」
それはルジェロさんの責任ではないから。
あの国とアストロジア王国の情報共有がまだ足りないのは確かだろうけど。
酔ったケット・シー達はルジェロさんの服を引きながら言う。
「大丈夫だ、ルジェロ」
「俺たちが全部解決するからな」
「……スシュルタもイージウムも、今回はありがとう」
ルジェロさんはケット・シー達の頭を撫でると、申し訳なさそうな笑顔で言う。
「では、今晩はこれで失礼します。後日また改めてお話をしましょう」
「はい、おやすみなさい」
三人で裏路地を歩く。月明かりと魔術による炎で、足元の心配はいらない。
潮風でベタベタするのだけが気になる。寝る前にお風呂へ入ろう。
そう考えていると、隣でヴェルが言う。
「ゲルダリア、具合はどう?」
今日はずっと心配されている。私には何もなかったのに。
「平気。怪我もないし」
狙われたと言っても操られてはいないし、海上でもヴェルがどうにかしてくれたから。
ケット・シー達のおかげか船の揺れもそう気にならず、酔うこともなかった。
「ヴェルの方こそ、散々動き回っていたけど大丈夫?」
「山道で複数の魔獣狩りをすることを思えば、大したことはないよ」
見上げるヴェルの表情は落ち着いている。今回は無理せずに済んだのだろう。
「テトラはどう?」
私の前を歩くテトラに声をかけると、眠そうな返事が返ってくる。
「お腹空いた」
宴の間に散々食べていたような。まだ足りないんだろうか。
「全員無傷なら、心配せずに眠れそうね。明日はゆっくり過ごしたいわ」
「そうだね」
……なんて思っていたのに。
次の日からしばらくは、事件について王国へ報告するための雑務作業になってしまった。
魔術結社の人に後始末を丸投げするのはやはり無理があったらしい。
三人で報告書類を作りながら、嫌な懐かしさを感じていた。
とはいえ、本来貴族として生活するのであれば、この時期は挨拶回りや社交場の主催として忙しく動き回る時期だから、私はまだ楽な過ごし方ができているのかも。
作業の合間にふと考える。
……タリスはどうしているだろう。
私が側から離れることが、あの子にとって一番良い結果になる。そう思って学院では最低限の関わりだけにしてきたけど。タリスもあの家の人達も、どんな休暇を送っているのか気になった。
魔術結社の受け付けで報告書類の提出待ちをしていると、結社の魔術師達の会話が聞こえる。
「導きの王の戴冠が遅れて六年。その間に、始祖王の加護も弱りつつある。加護の力が完全に無に還る前に代替わりが必要だというのに」
「全く、今のアストロジア家は何を考えているんだ?」
何だか苛立っている人が多いようだ。
……とても居心地が悪い。
早く秘めの庭へ帰りたかった。
その前にノイアちゃんの故郷に寄り道したいけど、時間は足りるだろうか。
今回の事件解決の功労者として、ケット・シー達は街の人気者になった。
ルジェロさんは最初、ケット・シー達を連れてこの国に来たことは隠しておきたかったらしい。でも、このケット・シー達はルジェロさんのことを気に入っているため、彼にとって必要なことだと判断すれば勝手に行動してしまうのだとか。
「本来、妖精猫は迂闊に人前に出るものではありません。この子達は人馴れし過ぎているので、この国の人達には気軽に会える妖精だと誤解させてしまったようですね。北の大陸に行く人が失望されないといいのですが……」
ケット・シー達はルジェロさんの悩みに構わず、私に言う。
「オマエもなかなかやるな!」
「もしオマエが北の大陸に来たら案内してもいいぞ」
相変わらず無邪気だ。
「ありがとう。その時はよろしくお願いします」
「ふふーん」
「任せろ」
可愛い。
今回の件でケット・シーと行動できたことは嬉しかった。妙なところで念願が叶うものだ。
ルジェロさんやケット・シー達に挨拶を済ませ、お屋敷を出る。
私達がこの街を去る予定の日に、ルジェロさんたちも移動するらしい。
もし次に会う機会があるなら、ケット・シー達の喜びそうなお土産を用意しておこう。
私が貴族として社交に出るつもりはないけど、ルジェロさんたちとはまた偶然に会う可能性があるかもしれない。
ヴェルが気落ちしたように言う。
「……ゲルダリアとテトラは、妖精猫に気に入られていたね」
何故だか、ケット・シー達はヴェルに対してだけ当たりがきつかった。
テトラが気まずそうに言う。
「いやほら……妖精って言っても猫だし……餌付けの問題じゃないかな……」
何か原因に心当たりでもあるかのような歯切れの悪さだ。
「そういうものかな……」
「……多分」
白いケット・シーの名前がスシュルタで、灰色の子がイージウムです。どうでもいい情報。




