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徒然怪奇譚  作者: どくだみ
六夜:クリスマス・エンカウント
48/55

夕方、あるいは逢魔が時

「別世界に迷い混んだような気分です」


 両手を一杯に拡げて渚が言う。気分の高揚は手に取るように明らかだった。


「あれのおかげで余計そう感じるんだろうね」


 今しがた通り抜けてきた蔓薔薇のアーチを指差しながら、七瀬が応える。

『冬の花壇』エリアの入り口は、ここを含めて三つ。パンフレットを信じるならば、その全てがここと同じように粋な形状をしているらしい。

 その先に広がっていたのは、花の絨毯とも言うべき壮大な光景だった。

 黄、紫、白、エトセトラ。ビオラから葉牡丹まで、あまたの花々が見渡す限りを埋め尽くす。夏の艶やかさは無い。その代わり、寒風にも屈せず燦々と命を輝かす、凛とした美がそこにはあった。

 沈み行く太陽が横から光を投げかけ、花畑の上には陰と陽が入り乱れている。


「時を越えても変わらず美しいものってあるじゃない? 花もその一つだと思うんだ」


 七瀬が心から信じている、数少ない事柄の一つだ。花を描いた絵画に、その美麗さを讃えた詩、あるいは花言葉。根拠はいくらでも転がっている。

 短い間のみ見せる可憐さに。散り際に見せる儚さに。人々は古来より魅了されてきたのだろう。今の自分たちのように、一面の花畑を前にして感動に浸ることも、きっとあっただろう。


「見とれてしまいますよね。花鳥風月、なんて言葉もありますし」

「雪月花、とも言うね。月とならんで皆勤賞だ」


 のびをしながら深呼吸をすれば、胸の中まで花びらで満たされるような感じがする。

 その心地よさに気分を良くした七瀬が、いざ足を踏み出そうとした時だった。


「あ、あのっ……!」


 呼び止められて振り返ると、渚が何か言いたげな様子でこちらを見つめていた。


「どうかした? 渚ちゃん」

「い、いえ。大したことではないんですが、あの、一つ、提案がありまして」


 やけにしどろもどろな口調だ。

 七瀬が続きを待っていると、渚は数秒の間、挙動不審な動きを見せた。視線が上下左右を引っ切りなしに行き交う。突然彼女の右手が、ビシリ、と機械的な動きで差し出された。

 そして爆弾を放った。


「……手を、繋いでみるのはどうでしょうか」


 ――何てことだ。


 七瀬は内心で天を仰いだ。

 手なら。手なら一度、ダンスの時に繋いだことはある。けれどあれとこれとでは持っている意味が違いすぎる。

 幸せに溺れるあまりついに幻聴を聞いてしまったのでは、とすら疑ってしまう。不幸と幸福の採算が明らかに合っていなかった。


「ほ、ほら! 周りの人だってみんな繋いでいますし」

「う、うんそうだね」


 クリスマスということもあって、若い男女の姿はそこかしこに見える。そしてその全てが仲睦まじく手を繋いでいる。

 互いの指を交互に絡める、いわゆる恋人繋ぎ。


「郷に入っては郷に従えということわざだってありますから……!」

「そうだね、うん、確かにあるよね」

「ですので、あの、七瀬先輩さえよろしければ、その……」


 最後の方になればなるほど、消え入りそうなくらい弱々しい口調になる。

 このままではこちらの狼狽が否定の意味で受け取られそうだった。七瀬は慌てて首を横に振った。


「もちろん! もちろんいいに決まってるよ。むしろ何で断るのさ」


 その勢いのまま無意識に渚の手を取り、顔の前まで持ってくる。

 脳裏に思い浮かんだ言葉を、一切の検閲をかけずに口走る。


「いくらでも繋ごう。それこそ渚ちゃんの好きなだけ。今日が終わるまでずっと繋いでいたって僕は構わないよ」


 全てを告げ終わってから、自身の言動がいかに恥ずかしいものであるかに気付いた。

 しかも声が大きい。遮るものの無い中、七瀬の声は非常に明瞭な響きを持って周囲の人々の鼓膜に届いた。

 周りの人々の視線は、今や花から自分たちへと向けられている。我が子を見守るような優しく温かい視線。とてつもなく気まずい。照れくさい。ようやく余裕が生まれたと思えば、この様だ。

 渚の顔は真っ赤になっている。きっと自分も似たようなものだろう。


 耐えられなくなった七瀬は、渚の手を引いてそそくさとその場を離れた。

 それから暫くの間は、ずっと気恥ずかしさに言葉を奪われていた。顔の熱さを夕暮れの風で抑えながら、時々渚の方を見つつ、花畑の中に伸びる道を進む。途中、何組もの男女や家族連れが、どんどん二人の横を追い抜いていった。

 温かく、くすぐったく、それでいて少々気まずい時間。その終わりは唐突に訪れる。

 全体の半ばにさしかかった時、つま先が何かを蹴飛ばした。


「ん」


 足下に目を向けると、一体のフランス人形が視界に飛び込んでくる。


「――何これ」


 ひどい見た目だった。

 あちこちがほつれてボロボロになった服。傷みきった髪はかつての美貌を面影すらも残さず。泥にまみれて汚れきったその姿は、到底愛着の湧くものとは言えない。

 うつ伏せになっているせいで顔は窺えない。けれど見て楽しいものではないだろう。

 上手くは言えないが、何となく嫌な感じがした。

 何故こんなものがここにあるのだろうか。公園側の展示物でないのは明白だし、誰かの落し物……でもないと思う。人形とは抱き抱えて運ぶものだ。落とせば気付くだろう。


「渚ちゃん、どう思う?」


 険しい表情で人形を眺めていた渚は、その質問に首を横に振ることで応えた。


「……よく分からないです。ただ何かを感じます。あまり良くないものだと思います」

「なら、触るのはよした方が良さそうだね。"中身"が何なのかは気になるけど」

「人形に魂が宿るという話は聞いたことがあるんですが、それとはまた違うような」

「うーん……本当に何だろ」


 しゃがみこみ、人形に顔を近付け意識を集中させてみる。『考えるな、感じろ』とはよく言ったものだ。

 瞼を降ろし、手をかざした七瀬の中に、ぼんやりとしたイメージが流れ込んでくる。

 ひどく濁って、一切の定形を持たない漆黒の海。その中で何かが蠢く。ヘドロの一部が合わさって、そこから一つの"影"が生まれたように見えた。"見えた"と言ったのは、本当に生まれたのかどうにもはっきりしないからだった。そこだけ周りよりも一層昏いことで、ようやくその存在を捉えることが可能になるのだ。

 影は七瀬を見ていた。目なんて無いのに、それは間違いなく、己を探らんとする者の意思を認識し観察していた。


「いっ!?」


 全身を悪寒が駆け巡る。

 目に見えない無数の糸が、体中に巻き付いていくような感覚を覚える。

 反射的に手を引っ込めるとたちまちイメージはかき消えた。目を開ければ、広がっているのは元の平穏な光景。地面と花、そしてフランス人形。

 心臓がバクバクと鳴っていた。荒い息を整えるのにはしばしの時間を要した。


 ――何だったんだ、今のは。


 軽い気持ちで覗き込んだ淵が、実は深淵への入り口だったとでも言うのだろうか。

 幽霊ならいくらでも見たことがある。人のみならず動物の霊だってそれっぽいものに遭遇したことはあるし、人間ではないであろう少女と絆を育んだことだってある。

 けれど今目の前にあるものは、そのどれにも該当しない。推測の手掛かりすら掴めそうになかった。


「七瀬先輩」

「な、渚ちゃん。これは、えっと」


 説明しようにも舌が上手く回らない。

 黒羽色の瞳が、不安げにこちらを覗き込んできていた。


「無理におっしゃらなくても大丈夫です」


 そう言って渚は、繋いだ手を眼前に掲げてみせる。その力は先ほどより幾分か強い。


「私も、うっすらと見えましたから」


 彼女の声は微かに震えていて。押し隠しきれない動揺が、目の前の人形に潜む何ものかをより一層異質な存在にせしめる。

 あんなものを見るのは彼女も初めてなのだろう。……何度目であれ、慣れるとは到底思えないが。今なお鳥肌が収まっていないのだ。


「ごめん、僕が迂闊だったせいで」


 よろけながら立ち上がり、渚に謝る。

 橋の上から川を覗き見るような感覚で、人形の中身を探ろうとしたのは完全に間違いだった。


「大丈夫です。それより……早く離れましょう」


 怖いです。数秒の間を開けてから彼女はそう呟く。まったくの同感だ。

 乱れる息遣い、動悸、鳥肌。これらをまとめて表現するのに、"恐怖"よりも適切な言葉があるだろうか。お金を積まれても二度とあの感覚は味わいたくない。全ての脳細胞が、全会一致で速やかに立ち去るべしと叫んでいる。


「あの――、どうかされましたか?」


 背後からの声に振り向くと、自分と同年代の男女が心配そうな視線をこちらに向けてきていた。


「ああいえ、何でも無いです」


 その厚意に感謝しつつ、笑って誤魔化す。

 ありのままを語るのは簡単だが、そうしたところで誰も得をしない。


「そこに人形が落ちていて、それを見ていただけなので」


 相手の顔に疑問符が浮かんだ。


「人形? そんなものどこにあるんです」

「いや、ほら」


 ここにあるじゃないですか――そう応えかけた七瀬は言葉を失った。

 人形が消えていた。

 ほんの一瞬目を離していた隙に、忽然と消失していたのだ。


「うそ」


 呆然としている渚の横で、七瀬は人形があった場所に手を這わせた。

 何も無い。ざらざらした地面の感触が、収まり掛けた恐怖を再燃させる。


「だって、ついさっきまでここに」


 自分だけじゃない。隣の彼女だって同じものを見て、同じものを感じていたのだ。あの人形は間違いなくこの世に存在するものだった。


「ここにあったんです。あった筈なのに――」


 必死の訴えに対して、相手の反応は冷ややかなものだった。

 はいともいいえとも応えぬまま、疑いの込もった視線を沈黙に乗せて突き刺してくる。こちらの証言を少しも信じていないことが、残酷な程にはっきりと伝わって来た。


「見間違え、ですかね?」


 苦笑いを浮かべる男に、それは違うと異を唱えたくなる。

 けれど――ここは我慢するのが得策だ。人形がどこかにいってしまった以上、彼らの反応は至極当然のもの。自分だって同じような反応をするだろう。


「そう……かもしれません。すみません、お騒がせして」

「いえいえ、いいんですよ」


 それでは、と一礼して、男女は先へと進んでいく。


「これはどういうことなんでしょうか」

「……さっぱり。僕が訊きたいぐらいだよ」


 変なものを見たと思えば、直後にそれが消失している。

 白昼夢を見た気分だった。むしろ白昼夢だったら、どれだけ気が楽になれただろう。最悪なことにこれは夢ではない。夢なら、同じ内容を渚と共有したりしない。


「何なの、もう」


 頭に手を当て悪態を吐く。

 吹き付ける風が、やけに寒かった。

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