初受講
ご覧頂きありがとうございます。長くてごめんなさい。
「おっ、おはようございますっ!第一回の授業を始めますっ」
そう言ってルチルは大きくお辞儀をした。ルチルは少しでも先生らしくしようとしているのか、タイトスカートとワイシャツを着ているのだが、胸が大きいのかワイシャツが小さいのか、胸元が非常に苦しそうでボタンが左右に引っ張られていた。おまけに第一と第二ボタンが入らなかったようで開いたままになっていた。そのせいでお辞儀したときに胸の谷間が思いっきり見え、このまま別の授業が始まるのではと楽しみに…危惧してしまった。
「こちらこそよろしくお願いします」
俺も合わせてお辞儀を…してるのだが、背中は曲げても顔は前を向いたままだった。理由は…少しでも前を向いていたいからだった。
「よかったぁ、ソーイチローさんが来てくれて。おかげで資料が無駄にならずにすみました」
そう言ってルチルは会った時には掛けていなかったメガネを押し上げながら、ふわりと笑った。ちなみに講義を受けているのは俺以外居ない。使っている教室も最大10名程度しか入らないため、教室というより会議室と言ったほうが良い場所だった。
小さな窓は付いているのだが、北向きのためろくに光が入らない教室はとても薄暗かった。 ルチルが自前のランプを持ってきてくれたため、明るさには苦労することはないが、陰鬱な雰囲気を消しきれているとは思えなかった。
ルチルは教室に備え付けられた大きめな砂時計をクルリと動かし、砂が落ち始めたのを確認すると、手に持っていた資料を俺に渡してくれた。
「今日の資料です、差し上げますからそのまま持ち帰ってもいいですよ」
渡してくれた手書きの資料を見ると10枚ほどの紙に、様々な事が書かれていた。どうやら今日は素材の基礎知識を行うようだった。ところどころにルチル自身が書いたであろう挿絵まで書かれており、極めて丁寧に作製されていて、一体どれくらいの時間が掛かったのか聞くのが怖くなるくらいだった。ただ、字は綺麗だがすごい丸字のため、外で見るには少し憚れるのが残念だった。
「ありがとうございます。あんまり無理しないでくださいね?」
「あ、あはは…気をつけます。ではさっそく、始めちゃいましょう。最初のページを見てください、目次ですね」
見ると半年に渡る講義で何を教えてくれるのか色々と書いてあった。
「今日と次回は素材の基礎概要です。ここで言う素材というのは木材や鉄などの自然素材ではなく、魔獣系の素材を指します」
ルチル自身を二頭身にしたようなデフォルメキャラが、大きなアリを持ち上げ「こっち!」と吹き出しが付いていた。無駄に絵がうまい。
「そして素材を大別すると、鉄系と非鉄系に別けられています。素材に鉄が含まれているかどうかではなく、鉄の工具で加工できる素材を鉄系、できない素材を非鉄系と呼んでいます」
「工具中心で考えるのか。なんでそんなことになったんです?」
「鉄の工具は入手しやすいため、素人でもある程度は修繕が可能になるんですよ。ですので、市民には鉄系素材のほうが好まれます。もしソーイチローさんが道具を売り出すときには、顧客を誰にするかしっかり見極めるのが重要です。一般市民をターゲットにしているなら、少し安い非鉄系の道具より、少し高い鉄系のほうがよく売れる、なんてこともあったそうです」
「へぇ…」
さすがにそんなことまで考えていなかったな。
「一方、非鉄系の道具は一般的に製品価格、性能、加工難易度が高くなる傾向にあります。ここで注意してほしいのは、製品価格が高いからといって素材価格が高いとは限らないことですね。よく冒険者の方が勘違いされて揉め事を起こした、なんて聞いたことがあります」
世の中には、原価が安いのにこんな値段で売ってぼったくりだ!なんて言う人もいるが、それの反対版なのだろう。固定費や人件費を乗っけたらそれほど利益は大きくないのに、そこの数字が目に入らない人種が一定数いるのは、異世界も変わらないようだ。
「また非鉄系は貴族の方などには好まれることが多いです。理由は単純に一般市民が使っていないから、という見栄と面子があるというのが一つ。何故か非鉄系の道具のほうが色彩鮮やかであることが多く、見た目に優れていることが多いというのもあります。あとは単純に性能が優れていることもあるからですね」
なるほど、顧客に応じて素材は色々考えなくちゃいけなそうだな。
「先生、質問です。この講義を通しでどこまでやりますか?」
「各素材のおおよその特性と加工方法ですね。ただ種類は膨大ですので、鉄系は有名所を幾つか実践、非鉄系は主に文章で説明していくつもりです」
と、さらに授業は続いていった。最初会った時には随分と自信なさ気な人だと思ったが、授業はしっかりとわかりやすく説明してくれ、先生としてかなり優秀な人だと思えた。それにしても、なんでこんな優秀な先生なのに生徒が俺しか居ないのか…例のヌマッキのせいなのか、それとも需要が無い授業なのか、まだ俺には判断が付かなかった。
それから授業が終わり、お疲れ様でしたと挨拶をした後、俺は廊下に出た。長い廊下を歩いていると、正面から腰の曲がった老婆がゆっくりと歩いてきたのだが、何故か俺の正面に止まり、見上げながら話しかけてきた。
「お主がソーイチローかい?」
「そうですが、どちらさまでしょうか?」
そう問いかけたが、老婆は俺の問い掛けに答える気は無さそうだった。しかし、老婆は無言でジーっと俺を見通すかのように、ただひたすら見続けていた。そしてそれが終わると、突然気味の悪い笑い声を上げ始めた。
「フェ…フェッフェッフェッフェッフェ!そうかいそうかい、ここにきてこれかい。フェッフェッフェッフェ…ゴホッゴホッ」
「あの、大丈夫です?おばあさん」
「せいぜい頑張んな」
それだけ言い残し、くるりと背を向けた老婆は廊下の影に消えていった。
「なんだったんだ、あれ…」
しばらく呆然としていると、教室の扉がガラリと開けられ、片付けを終えたルチルがひょっこりと出てきた。
「あら、ソーイチローさん、まだ帰ってなかったんですね」
「いやまあ、変なばあさんがいて…」
「おばあさんですか?ここの教室棟にくるご老人は珍しいですね。あ、人がいるのが珍しいんでした…」
自分で疑問を持って勝手に落ち込むこの先生、まともに生きていけるのか?と、不思議生物を眺める気持ちでルチルを見ていると、そのまま「さよーならー」と気の抜ける挨拶をして、とぼとぼと歩いて行った。
「ばあさんも変だったけど、ルチル先生も同レベルだな」
◇
─ 同日 夜 ─
「ほどほどにしておけよ、俺は帰るぜ」
「ああ、早いとこ残業終えて一杯引っ掛けにいくよ。灯りを俺以外のところは消していってくれ」
そう言われた男は、灯りの魔法具を消していき、教務棟本館に残っている灯りは残業をしている男の周りだけになっていた。
「やれやれ、やっと帰ったか。さてと、本当の残業をしますかねー」
残業をしていた男は、周囲に人が居ないかを注意深く確認した後、部長の席の後ろに並んでいるキャビネットを物色し始めた。
「ソ、ソ、ソ、ソ…ほんと、なんでこんな教師がたくさんいるんだっつうの、探しにくいだろ。一思いに減らせって。ソーイチローソーイチロー…あったあった、やっと経歴書が出てきた。さてと、どんな人物だろうねー」
やっと男は目的の品が出てきたのか、それを取り出し部長の席にどかりと座って読み始めた。
「部長も良い椅子座ってるなぁ、屁でもくらっとけ」
ブボッと出しつつ、取り出した資料を頭に叩き込むべく、薄い光の中で目を凝らしていた。
「”身長175cm、黒髪黒目”身体的特徴はあってるな。なになに、本籍は”イカルス王国 フィール辺境伯領 フィールからほど近い森の中”…ってなんだそれ、森に住むって木こりかよ、こいつ。特技は…”描画魔法全般で、赤級の魔力”って、こいつ、カスみたいな魔法使いだな。よくこれで魔法の授業やろうと思ったな」
鼻をほじりながら読み続けていた。
「んで、特記事項はっと…”セフィリア氏の唯一の弟子であり、現在もその庇護下に置かれている”かぁ…なんだ、男娼でもしてんのか、いいねぇイケメン様は。んで…”近年あったフィールのゴブリン単種大暴走で街の防衛に最も貢献する。ゴブリンの数は推定2万とされるが、彼一人でほとんど殲滅し、フィール側の人的被害をゼロに抑えることができた”…はぁ?!嘘だろ!どうせセフィリアの功績を貰っただけだろ。っとと…」
少し大声を上げてしまった男は、慌てて周囲を見渡すが、特に人影は見られずほっと息を吐いていた。
「”冒険者ギルドに所属しており、討伐Cランク、他はEランクである。主に石礫を飛ばす魔法を使用し、他にも光や音で驚かせる魔法など、いくつか特徴のある魔法の使い方をする”…石礫って初級も初級の魔法じゃないか。ほんとなんでこんなのが教師できるんだか、学園も地に落ちたもんだ」
ほじっていた鼻を部長の机に擦り付け、経歴書の下のほうに目をやり始めた。
「んで…”家族構成は親類はおらず、師のセフィリアと共に従者3人(ミスト、ティアラ、コロネ)を雇い、生活を共にしている。うちティアラ、コロネは学生として本学園に在籍予定である”…うーん、こいつらが狙い目か?あれ、まだ続きがあるな」
男は裏にも何か書かれているのに気づき読み始めた。
「なになに…”さらにソーイチロー講師を嗅ぎまわるネズミが出る見込みであるため、本経歴書を餌として、ネズミのあぶりだしと…く、駆除を行う予定である”…やべっ!バレてる!逃げ」
「逃げられませんよ」
「ヒッ!!」
いつの間にか、学園長の秘書であるミスチルが、男の後ろに立っていた。薄明かりの中、手に黒いナイフを持ち、気配薄く佇むミスチルは、見る人が見れば幽鬼となんら変わらない存在だろう。
しかし男は秘書の顔を知っていたため、非常に危うい状況に自身が置かれている事に、今更ながらに気づき慌て始めていた。
「いや、こ、これはミスチルさん、誤解なんですよ、そう誤解。ちょっと掃除を…」
「言い訳無用。明日からあなたの席はありません。1分以内に立ち去りなさい。さもなくば朝日すら拝めなくなります。はいスタート、60、59…」
「ひっ、ひいいいいい?!」
ミスチルは男の返事を待たず、カウントダウンを開始すると、男は持つものも持たず脱兎の如く走りだし、あっという間に彼女の視界から消えていった。ミスチル以外に居なくなった部屋だが、彼女は誰に聞かせるともなく言葉を発していた。
「さて、これであの男はヌマッキ側に報告するでしょう。まずは軽い警告ですね。部長の机は…こいつ嫌いだからこのままでもいいですね」
鼻くそが付けられた部長の机をそのままにし、最後に残った灯りを消すと、ロビーは闇に包まれていった。
ミスチルから見逃された男は、その足でルイズ大魔法具商会のオウルフォレスト支店に向った。深夜に届きそうな時間、人通りは少なかったが、酔っ払った学生はところどころにいるため、男が恐怖に駆られ逃げる姿を目撃されていた。
男はそのまま支店の裏口に周り、勝手口を乱暴に叩くと、覗き窓がカシャリと開き、ルイズ大魔法具商会の小僧が声を掛けた。
「誰だ」
「ソーイチローの情報を持ってきたって言えば通じる!早く中に入れてくれ!!」
「待ってろ」
「くそっはやくしろ!」
男は先ほどの恐怖が抜けていないのか、何度も背後を確認し、追手が居ないか確認していた。しばらくすると勝手口の閂が外され、引き戸がわずかに開けられると、全部開くのを待っていられないとばかりに男は中に入り込んだ。すると中の土間には一人の老婆が立っており、男の事を出迎えてくれていた。
「小僧、ここはもういいよ、あっちにお行き。フェッフェッ、なんだい幽霊でも見たような顔をして」
小僧はそのまま室内に消えていき、老婆は男の醜態を見て気味の悪い笑い方をしていた。
「うるせぇ!いいから紙とペンを寄越せ、ソーイチローの情報を書くから!くそっ、こんなことで職員を首になるとは…」
「見つかっちまったのかい。それでよくここまで来れたね」
「首だけで済んだんだよ!その分この情報に金弾まないと渡さねえからな!」
「はっ、最初に契約した金額以上にゃ1zたりとも増やしゃしないね」
急いで書き起こしていたペンの動きを止め、男は老婆を睨みつけた。
「てめぇ…情報握ってるのが俺だってわかってんだろ?いいのか?もう学園から情報を持ってこれる奴はいないんだぜ。今頃学園側も警戒を強めてるんだからよ」
男が調べた時には、すでに警戒されていた事は黙っていた。
「馬鹿言っちゃいけないね、5万zでソーイチローの経歴書を書き写すと契約したのはあんただよ。その手段や結果にこっちが責任を取る理屈は無いね」
しわくちゃな顔をした老婆は、そう吐き捨てるように言い切った。一方男も自分が無茶を言ってる事を自覚しているため、中々強く言い切れなかった。また男も本職はあくまで学園の事務員であり、アルバイト感覚でこの調査を受けただけで、荒事を得意としている訳では無いため、力づくという手段も取れなかった。
それからは男は黙って経歴書を書き起こし、覚えている分を書き終えた用紙を押し付けるように渡した。老婆が懐からお金を取り出すと、男はそれをひったくるように受け取り、中身を確認すると急いで店から出て行った。
老婆は男が書いた経歴書をざっと眺め、しばらくの間目を瞑り考えをまとめていた。
「ふん、あの男程度が逃げられるわきゃぁない。わざと逃されたってことだね…こっちに対する警告ってことかい。フェッフェッフェッ…いい感じになってきたね」
そう言って老婆は経歴書を燃やし、自身の主であるヌマッキの元に向かった。
ヌマッキの部屋に向かうと、老婆は部屋の扉をノックした。
「ぼっちゃま、失礼しますね」
「クソババア!いいところで入ってくるんじゃねえよ!気が削がれるだろうがっ!」
豪華なベットの上で腰を振っていたヌマッキは一通り事を終えたのか、女を投げ捨て全裸のまま老婆の元にむかった。ベッドの女は背は低いが胸は大きい商売女で、老婆が用意した者だった。ヌマッキはその女を部屋から叩き出し、落ち着いた所で一服し始めた。
「ぼっちゃま、お拭きしましょうね」
「触るなババア!ったく、で、何のようだ」
ヌマッキは老婆が持っていたタオルを奪い、顔や体の汗などを拭きながら、老婆に話しを促していた。
「ええ、ええ、学園で奴の情報を探らせていた者が戻ってきました。どうやら下手打ったようで、ゴネておりました」
「そんな奴がどうなろうと知ったことではない。それで肝心のソーイチローの情報は?」
「手に入りましたとも。ソーイチローの師匠がセフィリアというのはどうやら本当のようですね」
「くそっ!さすがに背後にそんな女がいたんじゃ手が出せないか…」
「ぼっちゃま、そんなに弱気にならないでください。ソーイチロー本人は赤級程度の魔法使いで描画魔法ばかり使うようですな」
「はあ?!なんで赤級なんて最低ランクの魔法使いが、最強の魔法使いの弟子やってるんだよ!!」
「経歴書からはそこまでは。ただ…」
「ただ、なんだよ!はっきり言え!」
「セフィリアは女、ソーイチローは男。となれば…」
「まさかソーイチローがセフィリアを口説き落として弟子の座を手に入れたのか!!あの男、卑劣な…」
ニンマリと笑った老婆は、それだけではない、と言葉をつなげた。
「そんな口がよく回る男がルチルの側にいるのです。ひょっとしたら」
「まさか俺のルチルまで狙っているというのか!!許せん……」
「さすがぼっちゃま、これだけの情報からそこまで洞察されるとは。感服しきりです、はい」
「おいババア!すぐに人を集めろ!!ソーイチローをぶち殺しにいくぞ!」
「まあまあぼっちゃま、少し落ち着いてください。すぐにルチルがどうこうされることは無いでしょう。所詮赤級の魔法使い、力づくでルチルを襲うことなど出来るわけもありません。それよりもこれを利用することを考えましょう」
「…どういうことだ?」
「ぼっちゃま、ぼっちゃまの口説きになびかないルチルが、簡単にソーイチローになびくとお思いですか?」
「はっ!まさか!そうんなわけは無い!」
「ええ、ええ、そうですとも。ぼっちゃまはとても優れたお方。ぼっちゃまよりいい男なぞおりません。ですがそんなことにも気づかないソーイチローは、いずれしびれを切らしルチルに汚い手を伸ばすことでしょう。ですからその前にぼっちゃまがルチルを屋敷に匿うのです」
ほう、とヌマッキは頷いていた。
「この時にルチルは嫌がるかもしれませんが、なに、ソーイチローが言葉巧みにルチルを操り、心がおかしくなっているのです。少々ショックを与えれば元に戻るでしょう」
「なるほど…」
「強引ではありますが、ぼっちゃま、この時に叩きのめしたソーイチローの目の前で、ルチルを抱いてしまいましょう。まあぼっちゃまに抱かれて嫌がる女などおりませんから、最後は泣いて喜ぶこと間違いありません。彼の醜態をルチルに見せれば、その力に焦がれたルチルの心はぼっちゃまに向くことでしょう。そして、彼の醜態をセフィリアに伝えることで、セフィリアの曇った目を晴らすこともできましょう。その後セフィリアの心もぼっちゃまが奪えば…」
「いい、いいぞ、俺がセフィリアの弟子を名乗る、という訳だな」
「さすがぼっちゃま、ご明察でございます」
「ふっ、ではとっとと取り掛かれ!」
「少し仕込みに時間がかかりますれば、少々お時間を…」
「これ以上俺を待たすとはどういう了見だ!」
そう怒鳴ったヌマッキは老婆に容赦無い蹴りを加え、軽い老婆はうめき声すら上げられず壁際まで転がっていった。老婆は一筋の血を唇から流しながら、ふらふらと立ち上がり、曲がっている背中を更に曲げ頭を下げていた。
「もうしばらくの辛抱でございます。ここで急いてはソーイチローに遅れを取りますす。何卒、何卒…」
老婆のその姿で興が削がれたのか、何も言わず老婆を手で追い払い、ヌマッキの居室は彼本人が残るだけになった。廊下に追い出された老婆は、痛む体を引きずりながら誰もいない寝床に歩いて行った。
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→校正職人の方、いつもお世話になります。




