約束の庭5
「ハノーエは近年王権が力を失い、政情不安が続いております」
すべてが落ち着いた後、ようやくオリグさんは説明をしてくれた。
「神の代弁者としての立場を利用し、長年好き放題にしてきた王族に対して、民から強い不満が噴き上がっているのです。王族が持つとされる特別な神力も、じっさいはまやかしです。嘘と詭弁で塗り固めた張りぼてにすぎません。王族の横暴がひどくなるにつれ畏敬の念は失われ、民が真実に気づき始めました」
いくら不思議を信じる人々でも、あまりに胡散臭い話にはやはり疑いを持つということだ。ハノーエの王族は政治でも宗教でも権力を独占しすぎ、調子に乗ったせいで、神聖な存在というイメージを自ら壊してしまった。
「奇跡の力を見せつけて民を納得させようにも、もはやまやかしは通用しません。彼らの使う香が幻覚を見せ、夢を現実と思い込ませるものであることも知れ渡ってしまいました。『神のお告げ』を利用して、自分たちに敵対する者や都合の悪い存在を次々死に追いやっていたことで、いつ謀叛が起きてもおかしくないほど王族は民から憎まれております。焦った王は本物の奇跡を手に入れることで、力を取り戻そうとしました」
「それが、私ですか」
オリグさんはうなずいた。冷徹な瞳を持つ私の上司は、淡々と答える。
「龍に愛されし天より降りきたる姫。奇跡の力にて戦を終わらせ、この世に平安をもたらした――周辺国にはそのように噂されております。あなたは生き神のごとく思われておりますから、ハノーエの王にとってはまたとない切り札でした」
「その噂、オリグさんたちが流したものじゃないですか」
私は脱力感を感じずにはいられなかった。誰が生き神だよ。どこまで話を盛る気だ。私に奇跡の力なんてないよ。龍の加護だって、ほとんど他人には意味のないものだ。
「意味があるかないかは、あなたの行動次第ですが――あまり使う気はないようですから、今のところは無害ですな」
オリグさんは飄々としながらも、チクリと釘を刺すことは忘れない。もし私が龍の加護を悪用するようなことがあったら、きっとこの人が敵に回るのだろう。ハルト様たちが動くより先に、参謀室によって抹殺されそうだ。そんなおそろしい未来は招きたくない。
「実情はどうあれ、あなたに傾いた王権を立て直す力があると思われたわけです。使節団は始めからあなたを誘拐することが目的でした」
「オリグさんがそれに気付いたのは、どの段階だったんです?」
私はむくれて上司をにらむ。そよ風ほどにも感じないようすで、ゾンビは平然と答えた。
「いくつか予測した可能性のひとつではありましたな。あなたがどこで気付くか、楽しみにしておりました」
「事前に情報をひとつも与えてくれないのに、気付けるわけないじゃないですか」
「与えられるのを待つのではなく、自ら得るべく動くものです。参謀室には国内だけでなく、周辺国の情報も山ほどそろっております。ハノーエ関係のものは特に目につく場所に置いておりましたが」
あの一見ゴミの山から見つけ出せってか。たしかに自分で調べようとしなかったのは失敗だったけど、環境も悪すぎるだろう!
これが参謀室の教育方針なわけだ。室長は部下を叱ったりしないし、参謀官たちも自分の趣味で好き勝手しているように見えるけれど、内実はかなりスパルタである。教えてもらえるまでじっと待っているだけでは、取り残されるばかりだ。
――その流儀に従って、私は私のやり方で動くことにした。まずは何よりも、室内の整理整頓だ!
「不要なものは全部捨てましょう。資料だけじゃないでしょう、いらないものもかなり溜め込んでますよね。個人の持ち物は各自で責任をもって処分するなり持ち帰るなりしてください」
私は参謀官たちに身の回りの整理を厳命した。夢の中で必死に片付けた参謀室は、当然ながら現実ではカオスなままだ。分別用に用意した箱も放置されっぱなしである。わかっていたことだけれど、目の当たりにした時には果てしない疲労感と怒りを覚えたよ。
「三日以内に片付けなければ、私の独断で捨てますからね。処分されたくないものは、きちんと整理してください。そこのエロ本も!」
「三日はきついよー。せめてひと月」
「この本は俺の貴重な資料なんだ! 世間の関心を知ることも大事なんだよ! 個人的にも役に立つし!」
「心配しなくてもそんなあっさりしたイラスト本、日本のエロサイトや18禁漫画に比べれば可愛いもんですよ。整理さえしてくれれば文句は言いませんから、さっさと片付ける! 三日と言ったら三日です。本気でやれば終わります。オリグさんは新しい部屋の申請書を書いてください!」
知りたいことは自分で調べろと言うなら、使いやすい環境にするまでだ。ぶーぶー言う参謀官たちのお尻を叩いて、私は宣言どおり三日で大改造を終えたのだった。
逮捕された使節団は、その後多額の賠償金と引き換えに送り返された。ずっと後日談になるけれど、ハノーエはやはり政権が変わり、旧王族は処刑もしくは追放されるなど、政治の舞台からも宗教界からも姿を消すことになる。ルゥナがどうなったのかは知らない。巫女の役目から解放され自由に遊び暮らしたくて誘拐計画に加担した彼女に、同情はするが慈悲の心までは持てない。処刑されたのは国王一家と一部の高官だけだと聞いたから、多分どこかで生きてはいるだろう。案外自由を満喫しているかもしれない。ケナ=ディーはまやかしの香に身体を慣らすためずいぶん不健康な生活をしてきたそうで、ほっといても余命は短いだろうとのことだった。
新政権が樹立されたのちにロウシェンは正式な国交を持つようになる。こうした一連の流れの陰に、参謀室配下の密偵がいろいろ働いていたことは、公式記録には残されないトップシークレットである。
話は事件直後にさかのぼる。
イリスは身体のあちこちに火傷を負ったため、しばらく療養することを医者から言い渡された。私は仕事の合間に飛竜隊に通っている。
「髪、すっかり短くなっちゃったわね」
イリスのために果物の皮をむきながら、まだ見慣れない姿に目をやる。イリスの方はそんな私の手元が気になるようで、何度も目を離すなと注意してきた。
「何年ぶりに切ったかなあ。いやあ、頭が軽い。首元がすーすーする」
包帯が巻かれた手でうなじを撫でている。とっさに切った髪は不揃いになり、焦げてもいたので、その後おもいきって短く整えられた。今は襟にもかからないほどの短髪だ。男性としてはごく普通のスタイルなのに、ずっと長髪姿を見慣れていたから、まだ妙な気分だ。なんだか急に大人っぽくなったようにも思った。
今年二十七歳の男に向かって大人っぽいも何もないんだけど、なにせ妖怪級の童顔だからね。これでやっと少し実年齢に近付いたというところかな。
「あんまり気にしてなさそうね。あれだけ伸ばすには時間もかかったでしょうに、惜しくないの?」
あっけらかんとしているイリスに、私は少し不思議に思って尋ねる。イリスは笑いながらこちらを見た。
「惜しむようなものじゃないさ。不精しているうちに伸びて、こまめに手入れするより縛っておく方が楽かと思ってそのまま伸ばしてただけだから」
「それは前にも聞いたことあるけど、あれだけ伸びたら愛着もあったんじゃないかと思って」
すっかりトレードマークになっていたから、誰もが彼の短い髪を目にすると驚いていた。
「チトセは長い方がいいのか?」
意外そうにイリスが聞き返す。私は少し考えた。
「……特にこだわる気はないわ。イリスが短くしたかったのなら、それでいい」
「長い方がいいならまた伸ばすけど」
「ううん、元々男性の長髪はあまり好きじゃないの。でもイリスの髪はきれいだから、抵抗がなかっただけ。短い方が大人らしくてかっこいいし、そのままでいいと思う。残念そうにしていないのが、ちょっと意外だっただけ」
「今回のことがなくても、そろそろ切ろうと思ってたからな」
皮をむき終えた果物を切り分け、器に入れる。イリスに差し出したらわざと背後のクッションにもたれ、手を出さなかった。んもう。
フォークに刺して口元へ運んでやると、イリスはうれしそうに口を開いた。
「結婚式までにはさっぱりしとこうと思ってさ。これからは自分で手入れしなくても散髪してもらえるから、短くしてもいいかなって」
「……私に散髪してくれってこと?」
「前にもしてくれたじゃないか」
いつの話だと考え、思い出す。あれか。出会ったばかりの頃、彼の超適当にしていい加減な散髪を見かねて、手伝った時の話をしているのか。覚えていたんだね。
「プロに頼んでよ。この世界に床屋さんはいないの?」
「いちいち通うなんて面倒だよ」
「月に一度のことでしょ! 面倒というほどでもないじゃない」
「髪を切るためだけに出向くってのが、どうにも億劫でさ。それでつい行きそびれているうちに伸びたんだよな。家で切ってもらえるなら楽でいいんだけど」
青い瞳が期待を込めて訴えてくる。私は無言でフォークを突き出した。またイリスがぱくりと果物に食いつく。
「貴族なら家に床屋さんを呼ぶんじゃないの?」
「君に切ってもらう方がいい」
「そんな技術ないわよ。せっかく整えたのに不格好になっちゃうわよ」
「前髪自分で切ってるんだろ? 上手じゃないか」
「全体を整えるのとは話が違うって」
言い合いながらも、引き受けてしまうことはわかっていた。イリスに甘えられるのに弱いんだよね。普段は私が世話されているから、頼られるとつい言うことを聞いてしまう。
床屋さんに弟子入りするしかないかなあ。参謀官の中にそんな特技を持った人いないかしら。
将来、子供が生まれたら、お母さんの床屋さん開業だ。イリスはそのための練習台だと思おうか。頼んだ以上はどんなにかっこ悪くなっても文句言うなよ。子供が生まれるまでには、上達してみせるから。
「……東屋をちゃんと完成させてくれたら、考えてあげる」
ため息まじりに言うと、イリスはぱっと顔を輝かせた。このお日さまの笑顔に、本当に私は弱い。
「ああ、もちろん。あと少しだからな。手が治ったら仕上げよう。そうだ、花の苗も頼んでおいたぞ。完成する頃には届くだろう」
「どんな花?」
「それは咲くまでのお楽しみ。来年、ふたりで楽しもう」
「……そうね」
微笑んで、私はまた果物を差し出す。でもイリスはこちらへ顔を寄せてきた。
唇にぬくもりがふれる。近い距離で笑う瞳がいとおしい。
毎日幸福が積み重なっていく。一つ一つは小さくても、ささやかな光を大切にしていくことで、やがて大きな輝きになっていく。
完成した東屋のそばに植えられた苗は、翌年真っ白な花を咲かせてくれた。
本編への投稿はここで終了です。
残り二編は番外編集「晴れ、ときどき竜」の方に投稿します。