リリとアンディ①
多くの出来事が怒涛のように押し寄せ、今日は私もリリも随分と翻弄されたが、日が暮れて夕食の時間になると人が潮のように引いていき、私達の周囲もようやく落ち着きを取り戻した。今私達がいるラウンジには2,30人程度がまばらに残るのみだ。
あの後、私とアレックスは、元の予定通りフェルへの面会届を提出に行くため、一旦ラウンジを離れることにした。リリも同行したがっていたが、創設されたばかりの茶会は、早速第一回目をその場で開催することにしたようで、イリーナがしがみ付いて離れないため、最終的にリリは折れた。
女性の語らいに男性がいるのは無粋だろうと言い訳をして私達が席を立つのを、恨めしそうに見るリリ。まああれだけの啖呵を切ったんだから、その位は付き合ってあげなさい。
提出した面会届は無事受理されたようだ。先程寮監を通じて回答があり、面会は明後日と決まった。
今は元の3人に戻り、テーブルに突っ伏したリリを私とアレックスが労っている最中だ。
「つ、疲れました…」
「大変だったな、ほれ。お疲れさん」
アレックスが、冷水に満たされたグラスをリリの前に置く。
「ありがとう、アレックス。でも」
「お腹いっぱいってか」
「そうなんです…」
本来なら夕食の時間に私たちがここに残っている理由がそれだ。今日の食事についてはラウンジでは供されないことがあらかじめ伝えてあったので、学生のほとんどが寮内と校内の食堂に足を運んでいる。食事の時間は決まっているので、食べ損ねれば明日の朝まで我慢が必要になる。ここに残っているのは、話に夢中で時間を忘れている女生徒や、自身で準備してきたのか、サンドイッチを片手に本を読んでいるような生徒位だ。
「私のことはいいですから、二人は食事に行ってください」
「いや、私は空腹ではないので行かなくても構わない」
「俺は朝から食いっぱぐれたから、ちょっと腹減った」
「う。私が」
「まあそれはいいんだけどさ、どうせ『薔薇園』の高いメシ食うような金持ってないからな」
うん?
「アレックス。学内の食事は無料だよ?」
「は?え、なに?それ初めて聞いた」
「そんなはずはないと思うが。入寮の際に説明があっただろう」
「いや、寝てて聞いてなかったわ。そうか、タダか…」
ぐううううううううううううううううううう。
「…わりい、タダって言葉に反応した」
「いやアレックス。私たちのことは気にせず行ってくると良い」
「でもなー」
「リリアンヌはこの様子だし、先程言ったように私もあまり空腹ではないからね」
「んーーーー」
「アレックス。アンドルー様の言う通りです。夕食を食べそびれたら、朝まで食事抜きですよ?」
「いや、まあ、空腹には慣れちゃあいるが…」
ぐううううううううううううううううううう。
「口より、腹の方が正直なようだ」
「…ホントにわりい。ちょっとだけ行ってくるわ」
「そうして下さい」
「急がなくて構わないよ。二人でゆっくり話す時間も欲しいから」
「あー。折角のお言葉だから腹いっぱい食ってくる。じゃ、また後でな」
そう言ってアレックスはいそいそと食堂へ向かっていった。
「アンディも本当にいいの?」
「リリと二人の時間が作れるなら、一食抜く位は何でもないよ」
「そう言ってくれるのはうれしいんだけど…」
「それに、今のうちに話しておきたいこともあったからね」
「話しておきたいこと?」
「そう。まずは今日のこと」
「今日の、こと?」
「分からない?」
あっ、と気付き、その後、ばつの悪そうな顔になるリリ。
「たまたま通りがかったアレックスがああだったから無事に済んだけど、不用心にも程があるよ。リリ」
「…ごめんなさい」
「世の中には良い人ばかりじゃないから、一歩間違えば大事になってた」
「あ、でも『魔法石』があったから」
「本来ならもう、それは使われてないとおかしい。皆に迷惑を掛けまいと、使い渋ったんじゃないのかい?」
「…」
「それでは『魔法石』本来の目的が果たせない。却って皆に心配を掛けることになってたかも知れないね」
いつもより強めにリリを叱る。リリが迷った「サーレス通り」、そこ自体はそうでもないが、少し横道に入ればそれなりに物騒な所だ。貴族が通う「薔薇園」の制服を身に着け、見た目からお嬢様のリリはさぞ街中で目を引いたことだろう。何も起こらなかったのはたまたまだ。密かに付いていたはずの護衛の影も見えないし、どこかでリリを見失っていた可能性もある。
「…ごめんなさい」
しょんぼりした顔で、リリはもう一度謝った。
「次は必ず使うようにね?迷っては駄目だよ」
「分かった。次はちゃんと使うよ。ごめんねアンディ、心配掛けちゃって」
「分かってくれればそれで良いよ。それで、リリは朝からどこに行ってたんだい?」
「う…、それは、その、あの」
「大通りに行こうとしてた、とは聞いたけど、何をするつもりだったの?それとも、誰かに会う約束でも?」
リリは家からほとんど外出したことがない。私と会ってからはなおのことそうだ。街の誰かと会う約束ができるとは考え難いが。
「あ、会う、っていうか、ちょっと人探しをね」
「『人探し』?誰を探していたんだい?」
「…」
言えないのか。
リリが、僕に、隠し事をしている。
僕がずっと抱えている最大の懸念がこれだ。初めて会った時からそうだったが、リリはなにか大きな秘密を抱えている。僕にも話せない、なにかを。
それ自体はさほど問題でもない。僕にだって同じような隠し事はあるし、それでリリに対する気持ちの何かが変わる訳でもない。
だからこれまでそれを彼女に問おうとしたことはないし、今回もそのつもりだった。
だけど、今日一日を振り返れば、おそらく彼女の行動が全ての騒ぎの起点になっている。
彼女がアレックスと会い、僕との接点を作った。貴族の彼との間で起きた揉め事も彼女が収め、あの困ったキャサリン嬢と再会するきっかけも、イリーナ嬢の「白薔薇」もそうだ。
彼女がまるで、物語の主人公であるかのように物事が運んでいる。
そしておそらくリリはその理由を、
最初から知っている。
それに気付いたとき僕は、初めて彼女に、彼女とは異なる別の影を見るようになった。
僕と同じような、影を。
だから、知りたいと思った、いや、知らねばならないと思った。
これは、僕とリリの間に、何かが起きる前触れではないかと。
だから、
「言えないのかい。リリ」
「ごめんねアンディ、もうちょっと、もうちょっとだけ待って欲しいの」
「…それは、あと、どの位?」
「たぶん、来年の今ごろには全部話せる、と思う。ううん、全部話すよ」
「…そう」
「ごめんね」
何度も何度も僕に謝るリリ。責めるつもりじゃなかったんだが、どうも昔からの癖は直らない。
待て、今僕は、何と言った?
「昔」から?その「昔」とは、一体いつだ?
何かが閊えているような、もどかしい感情が湧き上がる。
なんだ、この感じは。
なにか、途轍もなく、大切なことを思い出せないような、なにか。
「ど、どうしたのアンディ、す、すっごく顔色悪いよ!どうしたの?気分悪いの!?」
今まで感じたことのない、自分が「自分でない」感覚。
三半規管が狂い、平衡感覚を失くしたかのような、視界の揺らぎと焼けつくような頭の痛み。
…な…ん………だ、こ……れ……………は…
「ちょっと待ってアンディ!今お医者さん呼ぶから!!誰か!!」
痛みを堪え、自分を保とうとするが、うまくいかない。
頭を火箸で掻き回されているような激痛に、意識を失いかける。
「アンディ!!アンディ!!しっかりしてアンディ!!」
涙をぽろぽろ流しながらリリが必死に、おれに声を掛ける。
…ああ、また、泣かせちまったなあ。
ごめんな、るり。