ギュスターブ公爵家と令嬢リリアンヌ
「アンドルー様、息女のリリアンヌでございます」
最終日の3日目。謁見の間で、ギュスターブ公がひとしきり誕生日の言祝ぎを述べた後、横に立つ娘を紹介すると、おずおずと少女が進み出て挨拶をした。
「は、初めまして。リリアンヌと申します」
「初めまして。」
にっこりと笑顔で応えた。
特に私の肩書や名前を名乗ることはない。最初の頃は「初めまして。レストニア王国王子アンドルーです」といったような返しをしていたが、3日間、延々と挨拶し続ければ多少は手も抜きたくなる。私の祝賀会である以上、皆が私のことを知っている前提なので、自己紹介のくだりは省略するようになった。そのかわりに笑顔だけは絶やさないようにしている。
「レストニア王国アンドルー殿下、御生誕5年目の祝賀に際し、謹んでお祝い申し上げます」
「ありがとう。今日の夜は最後の祝賀会になるので、ゆっくり楽しんでいって貰いたい」
「はい。殿下のご厚情に感謝致します」
ここまで1000人近くの謁見をこなしていたことで、自分でも気付かぬ間に疲れていたのだろうか。
内心に受けた衝撃とは裏腹に、私は淡々と社交辞令を交わした。交わしてしまった。挨拶が終われば彼らは、彼女はそのまま退出してしまう。いや、それはちょっと待ってくれ。今のはなし。なしだ。ええと…
「ギュスターブ公」
「はい、何でございましょうか」
「大したことではないのだが、公の挨拶が3日目、というのは何故に?」
その瞬間、なぜかリリアンヌの肩がびくっ、と震えた。
レストニアには公爵家が3つある。そのうち2つは初日、それも1、2を争うようにして挨拶にきた。勿論娘たちを伴って。
まあ普通はそうだろう。知らなかった私はともかく、あれだけの数と顔を合わせることをあらかじめ知っているなら、できるだけ覚えが良いに越したことはないと考えるのは当然だ。そして彼らは実際そうした。他の有力者たちも多少の差はあれど似たようなものだ。
家格の問題もある。有事の際、誰よりも先に駆けつけることが王家への忠誠の証として重要視される。その際、出遅れれば他家から侮られるため、家格の高い家はあの手この手を使ってより早く拝謁の機会を持とうと試みる。
通常の順番であれば、他国の王家皇家や、公爵などの外戚・教皇などから始まり、侯爵や地方領主、以下格に応じて順番が決まり、そののちに王宮の重職、さらに民間の豪商などの有力者が続く。
その中で、一つでも拝謁の順番を上げようと画策するのが常だ。もちろんそこにはある程度”越えられない壁”というものが存在するので、無秩序になったりはしないが。
ところで今回、2公家が他を差し置いて謁見できたのには理由がある。
王である父が上記の不文律を無視し「早いもの勝ち」を宣布したからだ。
…また、はた迷惑なことを。
これに各方面は驚愕した。国内はともかく、使節団を派遣する他国は根回しという点で一歩劣る。結果、誰よりも王家に近しい上、情報も得やすくかつ根回しに長けた2公家が最初に拝謁できた、と言う訳だ。
「他の者に先んじて」と自慢げに語る両公だったが、
すまない、君たちは一番じゃないんだよ。
確かに、彼らは私たちに非常に近しい、血族的にも物理的にも。ただ、物理的にはもっと近しい人間がいたというだけで。
「アンドルー。お前が無事に7歳を迎えられたのは彼らのおかげだ。
お前は他人様から祝われる前に、お前の成長に手を貸してくれた彼らに感謝するのが先であることをゆめ忘れるな」
城の皆の前で、父はそう言った。
私の世話をしてくれる執事やメイド達、私を護る騎士団、食事を作ってくれる料理人たちや家庭教師、厩番、その他王宮に携わる全ての人々の前で。
私は彼らのひとりひとりに感謝の礼を述べた。
これが父の目的だったのだろう。
「早い者勝ち」は言った本人が一番早いに決まっている。父の行いははた迷惑ではあったが、不思議と腹は立たなかった。今、目の前で一番を力説する彼らには多少申し訳なかったが。
あとグリフィス公、最高齢の女性はあなたの所か。だからあれほど食い下がったのか。39歳はさすがに無茶というか無理だ。それと、少しばかりふくよかなのもちょっと。頼む、「少し」の意味を察してくれ。
話が横道に逸れてしまった。ギュスターブ公のことだ。
今回、皆が順番を争っている中で彼だけは何の動きも見せていなかった。
ギュスターブ公は武人気質で、あまり王宮内の競い合いに興味を示さない。どちらかというと内政的な、領地や領民、国の安泰について心を配るような人物だった。それでいて地位と力だけではない。2公家を含め、他家が幾度もギュスターブ家に勝る影響力を得んと働きかけながら、それでも後塵を拝し続けるのはひとえに公の才覚によるものである。その公が、今回に限り何の動きもない。何か思惑でもあるのだろうかと、ふと気になっただけのことで、質問に大した意味はなかった。
ところが予想に反して、ギュスターブ公にわずかな動揺が見られた。あまり感情を表に見せることのない公にしては珍しいことだ。自身の表情の変化に気付いたのだろうか、ややばつの悪そうな顔で公は質問に答えた。
「私どもに、事情が、ございまして」
「事情?」
「はい」
家の事情か。これは踏み込んで聞くのが難しい所だな。内容次第では干渉行為にも当たるので、掘り下げず流すのが無難な所か。そもそもそれが目的ではないし。
「分かっ…」
「ふむ、差し支えなければ聞かせて貰えないかギュスターブ」
ああ何で地雷を踏みに行くのかなこの父は。
王からの言葉であれば公に断るすべはない。それでもわずかに抵抗を示し公が答える。
「虚偽を申し述べれば不敬に当たりますが、かといって腹蔵なく申し上げても御無礼になるかと」
「いや、別に怒ったりしないから構わないよ。なあアンドルー」
「…そうですね」
「…分かりました」
ギュスターブ公は観念したようだ。反射的に引き留めようとして、ただ思いついただけの、さほど意味のない質問だったのに、結果として公には申し訳ないことになってしまった。
「家の恥を晒すようで面目ないのですが、」
横にいるリリアンヌの顔色がみるみる青くなる。
「…娘が、行きたくないと、申しまして」
…ふうん。それは少し、気になるね。彼女の話も聞いてみよう。ぜひ。
「リリアンヌ公女、今の話は?」
「…はい。父の言う通りで、…申す通りでございます」
そこにギュスターブ公が割って入る。
「重ねての無礼、お詫び申し上げます。」
「いや、それは構わないよ。尋ねたのはこちらだし、腹を立てている訳ではないから」
「恐れ入ります」
「ただ、『行きたくない』は気になるね。公女?」
リリアンヌに話を振る。
「は、はいっ!」
「城に上がるのがそんなに嫌だったのかい?」
「…嫌じゃないです。ていうか、一度は本物見てみたかったですし」
うん?言葉が砕けて来てるな。そういえば、先程までの挨拶も少しぎこちなかったし、もしかするとこれが地だろうか。
「では、何が不満で?」
「…だって、リリアンヌですし」
リリアンヌだから?
「公女だと、何か不都合でも?」
「あ、いえ…」
そこに再びギュスターブ公が割って入る。
「殿下、重ね重ねの無礼、大変申し訳ございません。次の者も控えておりますので、私どもはこれにて」
いや、まだ話の途中なんだが。よほど都合が悪いのか、話を打ち切る気がひしひしと伝わってくるが、それはちょっと強引すぎやしないか?第一、私は全然話し足りない。
「ああそうだな、その続きはまた後日聞かせて貰おう。大儀であった」
いやいや、何故締めようとしているんだ父よ。話はこれで終われと?そんな中途半端な。
しかし、王の許しが出た以上、公に残る理由はない。
は、と応じ、公爵夫妻はいそいそと、公女リリアンヌは戸惑った様子のまま下がっていった。
公爵たちが退出した後、私は父に尋ねた。
「なぜ、話を切り上げたのですか?」
「理由は簡単だ」
父はにやり、と笑って、
「こんな短時間で終わらせるのは勿体ない。多分、突けば面白そうな物が沢山出てきそうな気がするからな」
どうせそんなことだろうと思った。王家に近い公爵家なら、いずれ続きを聞く機会はあるだろうが、先程の態度ではとても口を開くとは思えないし、話が中途半端すぎて消化不良の感はどうにも否めない。
「で、お前の印象はどうだった」
「どう、と言われますと」
「うん?勿論あの子のことだ。気に入ったんだろう?」
「…いえ、それほどでも」
今日の私は嘘つきだ。
年は私とさほど変わらないように見えたので6、7歳と言った所だろう。確かに可愛い顔立ちで、将来を期待させるものがある。ただ、飛び抜けて美しい、という程でもなく、この3日間に私が会った女性の中には彼女より美しい女性は幾人もいた。
しかし、何故か私は彼女に惹かれた。理由に心当たりはある。が、私とて秘密のひとつふたつ位は持ち合わせているし、そうそう口にする気もない。ただ、何故かこういう時ほど父の鼻は良く利く。内心の動揺を抑え、努めて表情には出さぬようにしていたが、父は何かを感じたようだ。厄介な。
「ふうん」
と父は品定めをするように私を見ると、一言で爆弾を落としてきた。
「うん、決めた。あの子、お前の未来の奥さんね」
は?
はああああああああああああああああああああ!?