賢者①
ふう。
部屋のベッドに腰掛け、私は息を吐く。
衆人環視の中、あれだけの騒ぎを起こしたにも関わらず、結局、私達とレイオルに学園からは何の咎め立てもなかった。
いささか拍子抜けしたのも事実で、王子の私に対し忖度された可能性も考えなくはなかったが、これ以上あれこれと煩わされるのはご免被りたかったし、学園が何も言わぬ以上、こちらから藪を突くことはない。淡々と式は終わり、今はそれぞれに割り振られた部屋で荷を解いている最中だ。といっても、私を含め多くの者が事前に必要なものを運び込んでいるため、実際に荷を解く必要があるのは遠方から来たものや、自分で荷物を運び込んだものだけになる。
王宮の自室と同様、とまではいかないが、それなりに整えられた部屋は充分落ち着ける環境と言える。元々設えられている調度品も、幾人もの住人を見送ったのだろう、シンプルながらも年期の入った風格を漂わせていた。
式を終え、寮まで案内された私達は、一旦それぞれの部屋に入り、後ほど合流するよう約束していた。残念ながら、アレックスとは階が違っていたため、会いに行くのも来るのも少々遠い。どうせ同流するなら階下に下りるのだから、と言って部屋に来たがるアレックスをやんわり断ったのは、この時間を使って、一人で少し考えたいこともあったからだ。
まず、レイオル達貴族連中のこと。
リリがレイオルを制したことによって、私やリリに接触を図ろうと目論んでいた者達のあては大いに外れることとなった。勿論一時的なもので、またすぐに我も、と先を争い始めるのは目に見えている。8年前の祝賀会の時と似たような図式だが、前回と異なるのは、男性が主体となるであろうことだ。
当時、父が口にした通りこの国は強大だ。あれからさらに力を付け、今、レストニアと同等の力を他の国に求めるとしたら大陸を越えねばならないだろう。しかしそれすら定かではない。
私が知る他の大陸の強者はあくまで連合国家。国々の集合体であって、単一国家がこのように力を持った例を歴史を含め私は知らない。父の代になって特にそれが顕著だ。
父は、農業・工業など種類を問わず、この国のあらゆる産業に多くの新しい技術を広めている。
父曰く、魔法技術との融合は新しい試みであり、これまでの常識を破り得るものとのことだが、魔法技術自体はレストニア建国より前から存在するもので、なぜそれがこの時代に爆発的な進化を見せるに至ったのか、という私の質問について父は答えることはなかった。
どうやら父には私の知らない知識があるようだと、幼少の頃から薄々感づいてはいたが、そこは父らしく、のらりくらりとはぐらかすばかりで未だ答えを得ることはできていない。
ただ、不思議なことに父はこの多くの技術を、軍事の直接的な強化に繋げることはしなかった。
これもまた首を傾げる点で、たとえ今外威に脅かされることがなくなっているとしても、防衛力としては充分過ぎる力になり得るはずだ。私と同様の結論に達した者は決して少なくはなく、その度に父へ進言が繰り返されていたが、頑なまでに父はそれを認めなかった。
これに少なからず反発する者はいる。特に軍の関係者は直接・間接を問わず、日々圧力を掛けているが、まあ相手が悪い。結果、彼らは現在の王の説得を諦め、次の王に期待することにした。
つまり、私だ。
7歳の祝賀会、いやお見合いというべきか。あれに殺到した人々は要するに、私であれば組し易いとみて娘や孫、姉妹を差し出し、世界にすら覇を唱え得る力を得ようとした、そういうことだ。
馬鹿らしい。そんなもの、欲しければいくらでもくれてやるのに。
私がそれを安易に手放さないのは、おそらくは私を気遣っているがために、「技術」について肝心なことを何も口にしない父がその荷を一人で負っていることを知っているからだ。
だから、今のレストニアは事実上、父が一人で支えているようなものだ。父の知る「技術」は父以外に誰も知らない。
いや、一人、いたか。
「賢者」が。
賢者、フェルミノール=イオニス。
彼ならば、父の技術を継承することも可能だ。そして、何より彼は「不滅の身」である。
彼が父の意を引き継ぐのであれば、この国は長久の繁栄と安寧を得ることもできるだろう。
加えて、彼は父と同じように軍事への利用について否定的な考えを持っていると聞いた。
数度お会いしたことがあったが、物腰の柔らかい温厚な人物だった。すでに私より数百歳は上と聞いているのだが、それを感じさせるのはかつては黒かったという見事な銀髪くらいで、外見は私と大差ない年齢に見えた。
「賢者」の名の通り、その知識は明晰にして深遠。「先読」の力を持つために未来を見通す能力にも長けており、近年の、魔法技術の大幅な発展には彼が大きく寄与している。その点、父と似ているな。
30年ほど前、彼が突然失踪した際には、レストニアが傾きかけたと言うくらいにその影響力は大きい。
私が生まれた年に、ひょっこりと帰ってきて、国中から安堵されたが、その後は苦情と滞っていた研究の催促が殺到し、ほとほと弱ったとは本人の弁だ。
失踪の理由を聞くと、「研究のために他国に出ていただけで失踪などと言われるのは心外だ。私は悪くない」って、15年も不在なら。文句のひとつも言いたくなるでしょう。
「皆は気が短い」って、皆、貴方のように長命ではないのですから。
どうも、「賢者」様は私達とかなり異なる価値観をお持ちのようだ。
まあ、「技術」の話はこれから機会を得ることもできるだろう。なにしろ、今は彼と同じ場所にいるのだから。
そう、「賢者」フェルミノールは今、「薔薇園」にいる。
説明回
名前だけですが3人目です。