幕間 - ウィルヘルム、エジルの会話
指定された時刻丁度、エジルは王宮のある部屋の前で足を止めた。こんこんとノックすると返事の代わりにドアが内側に滑るように開き、エジルを中に招き入れる。
「ご招待お預かりありがとうございます、ウィルヘルム公。わざわざ私のような無粋な武人をお茶の席に誘っていただけるとはね」
クスクスと笑みを浮かべながらエジルはゆっくりと部屋に入った。鎧を取り普段着姿になるととても“死に神“のあだ名からは遠い姿になる。市井に紛れていても誰も気づかないだろう。
そのエジルを呼んだウィルヘルム・アトキンスは部屋の中央にある応接セットにこの来客を促した。こちらはいつも通りの灰色のローブである。傍らにはティーポットを抱えたメイドが一人いるのみ、いつもいる護衛はいない。
「男二人のむさ苦しいお茶ですがね。まあ、おかけになって下さい」
そうエジルに声をかけて自身もソファに腰を下ろした。準備よく揃えられた二人分のティーカップに紅茶を注ぎ終えるとメイドは静かに一礼して退室し、部屋にはウィルヘルムとエジルの二人だけが残された。
ウィルヘルムとエジルはさして仲が良いとは言えない。にも関わらずわざわざウィルヘルムがエジルをこうして人払いをしてまでお茶に呼んだのには理由があるからに他ならない。
「まずはこの度の獣人反乱の制圧、御苦労でした」
「いえいえ、とんでもない。120もこちらの貴重な兵を失ってしまいました。とんだ誤算ですよ」
白々しいとも言えるやり取りはこの二人にとっては本題に入る助走みたいなものだ。事実、王都に帰還して早々に制圧軍全体にウィルヘルムは労いと賞賛の言葉をかけていたし、その功をもっとも評価されたのは軍を率いていたエジルだったのだから。
濃い赤っぽい紅茶の香りを嗅ぎながらエジルはサングラス越しにウィルヘルムを見た。年間365日、その鉄壁の威圧感を以って規律を維持するこの宮廷魔術師第一位はエジルにとっては苦手な人間だが、今日に限ってはそうも言っていられない。
さっさと自分から用件を切り出す。
「ウィルヘルム公、お茶も素晴らしいのですがそろそろ本題に入りませんか。あの腕輪、どのようなものです?」
「そうだな、互いに忙しい身だ。将軍の推測はある程度当たりだよ。あのネクロマンサーの左腕に嵌められていた腕輪だが、装備している人間の魔力を過剰に増強し人工的にネクロマンサーにする代物だ」
ウィルヘルムがティーカップをソーサーの上に置く。カチャンと静かな音に続いてエジルの笑い声がひっそりと響いた。
「やっぱりね、、あの魔術師、ネクロマンサーにしては呪法の使い方が甘いし、微妙にぎこちないので妙だなとは思っていましたが」
「貴公、腕輪の鑑定結果より先にそやつが造られた存在と分かっていたようだが、やはり死体が無くなったことが決め手かね」
ウィルヘルムが念押しするとエジルはあっさり頷いた。
「ええ、私が止めを刺すとあのネクロマンサー、傷口からその身体を塵と化しましたからね。風に吹き飛ばされた後には公に預けたあの腕輪のみでしたよ」
エジルの返答は淀み無い。ウィルヘルムはどう答えたものか数瞬迷ったが、意を決したように口を開いた。
「あの腕輪のような呪法を封じた魔具は製作にかなりの技術を要する。囚人風情が持っているような物では無い」
「つまり?」
「シルベストリが適当な囚人を見繕いあの腕輪を着けたのだろうな。凶悪犯なら後でどうなろうと知ったことではないし、実験台にはお誂え向きだよ」
ウィルヘルムが渋い顔になる。厳格で知られる彼だが非道なことには手を出さないだけの規律正しさも兼ね備えていた。その潔癖さがただ畏れられるだけでなく尊敬の対象としてラトビア王国で認められている一因だろう。
ウィルヘルムが付け加える。「あの腕輪でネクロマンサーになったとしても長生きは出来ん。魔力の増大と引き換えに生命力を削る代物だ。邪悪な道具だよ」
「まさに実験台ですね。しかしそうなるとシルベストリの狙いはどうなりますかね」
エジルが顎に手を当てた。
「魔具の効果を試したのだ、命を削らぬ完璧な魔具の創造を試みているか、あるいは雑兵にあれをつけてネクロマンサーの集団を造りあげるのか、、人工的とはいえそこらの魔術師では太刀打ち出来ん厄介な存在にはなる」
「あまり面白いことにはなりそうもありませんねえ?」
「将軍にとっては斬り甲斐のある相手が増えて喜ばしいかもしれんがね」
冗談半分めかしてウィルヘルムが紅茶を飲む。暖かい液体にはざわついた神経を安らげる効果があるようだ。
シルベストリ共和国とは全面戦争にこそなっていないが小競り合いはしばしば発生している。互いに面白くない相手というところだが、もし人工的とはいえネクロマンサーが生み出されるようだとラトビアにとっては脅威以外の何物でもなかった。
(監視を強化するか)
結論は避けウィルヘルムはエジルに向き直る。ダークブラウンの髪を肩まで伸ばした武人はそうそう、と何か思い出したようだ。
「あのドラグーンの青年、なかなか見事な戦いぶりでしたよ。戦争が初めてとは思えない度胸の座りぶりでした」
ほう、と眉を上げたウィルヘルムが心持ち身を乗り出す。
「ちょっと大人しい青年と聞いていたので心配していたがね。貴公がそう言うなら心配無用かな」
「覚悟が出来つつあるのでしょう、異世界から飛ばされてきたのは気の毒でしたがね。アッシュやシャリーの助けがあればもっと大規模な戦争でも活躍出来そうです」
「ならば一安心だ。成熟したドラグーンは一軍に匹敵するというからな。育ってもらわぬと困る」
くく、と不意にエジルが笑った。「私は今回の獣人の反乱は貴方が画策したのかと思っていましたよ。ドラグーンの成長を促すためにね」
この笑えない冗談にウィルヘルムは硬い笑いを目に浮かべただけだ。鋼を思わせる鋭い声で答える。
「そこまで悪辣ではない。反乱が起きたと聞いた瞬間、あのドラグーンの青年を使う良い機会だとは思ったがその程度だよ」
「・・・怖いですねえ、貴方には逆らわない方が良さそうだ」
肩を竦めたエジルにウィルヘルムは何も言わなかった。ひっそりと窓枠から差し込む庭木の黒い影が王国の誇る魔術師と武人にかかる。
「綺麗ごとだけでは国は守れはしないものだ」
カチャリとティーカップを鳴らしながらウィルヘルムの呟きが静けさを取り戻した部屋に消えていった。
エジルはサングラスのブリッジを軽く指で抑えただけだ。賛成とも反対ともこの血を求めて止まない将軍は言わなかった。




