晩春は薔薇の季節
「やばい、遅刻する!?」
窓から差し込む日差しに目を覚ました僕はぱっと文字通り飛び起きた。早く着替えて会社に行かないと、と思ったところで自分の部屋の片隅に立て掛けている鎧が目に入りふぅ、と安堵の溜め息をつく。
(まだ日本にいるって勘違いしてるなあ)
交通事故で死亡してこの世界に飛ばされて一ヶ月と少し。まだ現世の習慣は体に染み付いているようで時々こんな感じで跳ね起きてしまう。
僕が寝ているのは白い壁のワンルームマンションの一室ではなく、土壁にクロスを張った壁とフローリングでは無い天然の木材を仕上げた床というナチュラルな部屋だ。新人用の宿舎は皆同じ造りであり、慣れた言い方で言えば八畳一間に小さな納戸がついたような形式だ。
そう広くは無いけど、食堂とトイレ、風呂が共通なので個人スペースだけに使えると思えば十分だった。
その宿舎の部屋のベッドに胡座をかいたまま僕はベッド脇の机から手帳を拾いそれを開いた。今日が休みなのは覚えていたけど夕方からは何か予定をいれていたはずなのでその確認だ。
「あー、、戦勝慰労会か」
先日の獣人と脱獄囚の反乱鎮圧の慰労会が王宮で催されるというのを聞いたのは王都に帰還した翌日だ。それから三日後、つまり今日の夕方に原則全員参加で行うと通知され今に至る。
(何着ていけばいいんだろう?)
いわゆる宴会ならそれほど気を使った格好はする必要は無いだろう。しかし仮にも王宮で催されるならあまり普段着っぽいのもまずい。そのあたりの細かいことを聞くのを失念していた。
まあいいか。幸い休みなのだから街で調達すればいいかな。
ベッドの上からはい出た僕は窓を開けた。春の終わりらしい暖かな熱を帯びた風を胸に吸い込んで目を覚ます。
(おはよう、という相手もいないけどそれなりに僕は頑張っているよ)
胸の中でもう二度と会うことも無い彼女や両親、友人に祈り窓を閉めた。
******
身支度を整えた僕は宿舎を後にして街の中心へ向かった。僕と同じように今日が休みの宿舎の同僚から「おう、カイト、デートかい」と冷やかされたけど「いい相手がいたら紹介してくれ」と笑って冗談で返す。
任務で忙しかったこともありおざなりにしていたが慰労会用の服を買う他に幾つかやっておきたいことがある。
(剣を研ぎに出す、両替商による、文字勉強用の本を買う。この三つだな)
歩きながら手帳に念の為に書く。夕方までには全部こなせるはずだ。
こちらの世界の物価水準が大体分かってきたので買い物も大丈夫だろう。日本円の感覚だと1ゴールドが30円くらいになるようだ。物価水準が全然違う商品やサービスもあるのでそういう物を除けば、大体はこれで僕の感覚と合う。
まずは両替商に寄り、自分が預けていたお金を引き出すことにした。王都の中心に大きな石造りの店舗を構える両替商のメイン業務は勿論、貴金属と現金を一定のレートで計算して交換することだが希望する客には貸金庫を使わせてくれる。
現代の銀行に近いけど、利子がつくのではなく逆に預かり手数料を取られてしまうので使う人は限られる。
家がありきちんと鍵がかけられるなら僕もわざわざ預けないが、留守にしがちな宿舎の自室はセキュリティがしっかりしているとは言えないのでやむを得ずこの貸金庫のお世話になっていた。
「すいません、預けておいたゴールドの袋を持ってきてもらえますか」
「はい、少々お待ち下さい」
両替を行う客で賑わう一階とは別に地下に設けられた貸金庫用のフロアへと案内された。紺色の長袖の制服を着た女性店員が丁寧に接客するあたりは、地球の銀行とあまり変わらない。
「こちらですね、お確かめ下さい」
貸金庫を借りた際に渡された割符を照合した後、店員が現金の入った袋を持ってきてくれた。鍵の代わりに一枚一枚絵柄や色が異なる割符を使うのはなかなか面白い。
礼を言い、部屋の片隅にある机を借りて袋を開ける。軍からの初任給と任務手当、討伐手当の大半がここに入っている。
ほとんどコバルトのお陰なのだが討伐手当の分が結構多い。それだけで10,000ゴールドを超える。先日の反乱鎮圧の任務手当も3,000ゴールド以上支給されており結局トータルでは22,000ゴールド余り持っていた。
(日本円換算で約66万円。。結構あるな)
いつ命を落とすか分からない軍人だからか、そこそこ貰っているようだ。とりあえず日常生活に困る危険は無いだろう。
当座の資金として2,000ゴールド引き出し、また割符を見せて袋を預かってもらった。「ありがとうございました」という声を背中に受けて外へ出る。
剣を研ぎに出して本を買ったら昼食にしようと決めて僕は石畳の敷かれた街の通りを歩き始めた。
「あら、カイト君?」
新品から古本まで扱っている割と大きな書店で本を見ていた時だった。背後からの聞き覚えの無い女性の声にびっくりして振り向く。
一見、日本人のように見える長い黒髪がまず目に入った。卵型の綺麗な顔立ちをした女性だが、誰なのか思い出せない。
(いや、確か会ったことがある?)
どことなく記憶の底にひっかかる物がある。その女性が腰にさしている曲刀ーシミターというらしいーに気づいてようやく思い出した。
「こんにちは。確かメルシーナさんですよね。この前の反乱鎮圧で一緒に戦った」
「忘れてたっぽい顔ね?」
口許に手を当てて上品にくすりと笑いながらメルシーナさんはちょっと咎めるような顔をした。勿論怒ってはいないのだろうけど、遠征開始時にアッシュが紹介してくれたのに忘れかけていた僕としてはバツが悪い。
「すいません、なにぶん緊張していてまして、、」
しどろもどろになりながらの僕の弁解を「いいのよ、初陣だったのだし当然よね」と軽く流してくれたメルシーナさんは何をしてるのかな、と聞いてきた。
文字の勉強用に本を探しています、と答えると「ん?」と一瞬訝しげな顔になったメルシーナさんだがすぐに「あ、そうかそうか。異世界から来てまだ間が無いのよね。すっかり馴染んでいるから不思議に思ったの」
と明るく言ってくれた。
「読み書きくらいは自由に出来るようになりたいんで必死です。もっとも手探り状態ですけれど」
子供用の教本を何冊か手にとっていた僕は説明した。若干言い訳がましかったかもしれない。
「大変なのね、異世界から来るって」
「大変ですけどまだ恵まれてますよ、アッシュやシャリーが何かと助けてくれますから」
そろそろ会話を打ち切ろうかと思い、頭を下げて視線を店の入り口にやる。だが僕の意図は意味が無かった。「ねえ、カイト君。時間があるならお昼でもご一緒しない?一人で食べてもつまらないの」というメルシーナさんの誘いを受けたので断る理由もなく「いいですよ」と答えていた。
相手に特に予定が無いなら誘いを断るのは無粋だ。
選んだ二冊の本を小脇に抱えたまま、僕はメルシーナさんに連れられて一軒の店に入った。店と言っても通りに面した敷地には屋根が無くパラソルの周りに椅子と机が置いてあるオープンテラス式のカフェだった。
某巨大コーヒーチェーン店を思い出しながら二人で注文をして外の席で待つ。お腹はあまり空いていないのでコーヒーと果物のタルトだけ頼む。
(あんまり話したことない人だけど、何話せばいいんだろ)
会話の糸口を探して落ち着かない僕に対してメルシーナさんはまたくすり、と笑った。
騎士なのに剣よりも花を愛でていた方が似合いそうな繊細さがある。
「春の終わりを告げる頃、薔薇の季節がやってくる。艶やかな薔薇の花弁に騎士の剣、乙女の胸に届けよう」
不意にメルシーナさんが節をつけて呟いた。軽やかなテンポで歌うように。
「詩か何かですか?」
「そう。この季節になるとよく歌われる短詩ね。情熱の薔薇に騎士の誓いと恋心をこめた詩。カイト君はこういう詩は知ってる?」
「あまりよくは知りません。僕がいた世界では詩は芸術としては残っていますけど、歌の方が一般的ですね」
自分の得意では無い分野の話だが堅苦しくないので少し気分がほぐれた。
「あちらの歌ってどんなものか興味あるわ。無理じゃなかったら今度一曲聴かせていただけるかしら」
「あまりうまくないですけどそれでよければ」
にこやかな聞いてくる相手のペースに乗せられた気はするけど、悪い気はしない。少し雑談した頃にちょうど注文した料理も届き、話しながら食べ始めた。
メルシーナさんは僕と同じように休みらしい。夕方の祝賀会まで時間があったので街に出てぶらぶらしていたら偶然僕を見かけたので声をかけたそうだ。
「家族でもいたらお休みが合わなくても、家で家事していればいいんでしょうけど、、どうにも一人だと時間の使い方が下手で駄目ね」
「ご家族はいらっしゃらないんですか」
「ええ、二年前に夫が亡くなってからは一人ね」
悪いことを聞いてしまったと思い謝ろうとすると、メルシーナさんは「いいのよ」と首を振った。
「あの人、私と同じように騎士だったの。ある任務の際に運悪く手強い怪物に囲まれちゃってね」
そこまで言って一旦言葉を切ったメルシーナさんはテーブルに視線をさ迷わせた。
「幸運にも回収された遺体を前にして“仲間を逃がす為に一人で囮になった“、とその任務で生き残った人が泣きながら話してくれて、ああ、あの人らしいなと思ったわ。悲しさが押し寄せて来たのはお葬式の後」
戦っているとこういうこともあるのよ、と付け加えて微笑んだメルシーナさんは綺麗で少し物悲しい。
「ごめんなさいね、湿っぽい話をしてしまって。せっかくの休日なのに」
「いえ、こちらこそ知らなかったとはいえすいませんでした」
慌てて謝る。勢いがつきすぎてコーヒーカップが倒れそうになり慌てて抑えると、その様子がおかしかったのかメルシーナさんは小さく笑った。
「ドラグーンの人ってもっと高飛車で鼻にもかけないという方なのかと思ってたのだけどカイト君は全然違うのね」
「?」「ほら、男の人で自分の話ばかりしたがる方いらっしゃるじゃない。自慢話ばかりして俺はこんなに凄いんだぞ、て見せたがる方。特別なスキル持ちの方だからカイト君もそうなのかもと思っていたのだけど、むしろ黙って話を聞いてくれるから意外だなと思ったのよ」
なるほど、そういう意味か。フォークでタルトをつつきながら僕は答えた。
「でしゃばるのが苦手なんです。でも昔からそうでしたね。よく女性から話しやすいと言われてました」
「恋愛相談とかもよくされたでしょ?」
全部お見通しのようだ。
「多かったですね。。学校の帰りに捕まえられて相談されてた時に友達に見つかって“あの二人は付き合っている“と誤解されたりもしましたよ」
今となっては青春のひとこまに過ぎないけど、当時は大変だった。しかし苦労した甲斐があり、めでたく僕の友人と付き合うようになったその子はバレンタインデーに「彼氏の次に愛してる(笑)」と手作りチョコレートをくれたので、リターンは取れたと言えるだろう。
この話をするとメルシーナさんは可笑しそうな顔をして「二番目に愛してるって微妙な表現ね」と言ったので「二番目でも三番目でも愛してくれたら構いませんけどね」と返した。
「じゃ、やっぱりカイト君は皆に好かれるタイプなのね。貴方の飾らない性格と姿勢が好かれているのも分かる気がするわ」
「いや、そんなことは別に」
誘いが多いから気をつけた方がいいとパネッタに注意されたのを思い出した。ドラグーンだから好意的に捉えてくれる人が多いだけなんだろう、と冷静に考えてみると自分の性格などを見てくれている人がいるかどうかは怪しい。
死んでしまいもう二度と生前に付き合っていた彼女とも会えないというのが僕の心の重しになっていた。小さな喧嘩はしたけど概ね好きといえる相手だったし、残念な気分はある。違う相手と幸せになってほしいと願うことしか出来ないまま、こちらの世界での生活も一ヶ月以上になりそろそろ思い出は思い出として僕も恋愛については考え始めていた。
体の欲求だけなら娼婦を抱けば済む話ではある。王都といえど人の集う場所である以上、そういった風俗街的なエリアがあるのは知っていた。行かないのは別にお金を媒介とした体の関係が疎ましいというだけでは無く、むしろ心が餓え始めていた。
数字にすれば心と体の欲求が7対3といったところ。勿論恋愛についての本気になりはじめたことは他人に言えたことでは無いので黙っている。迂闊に口に出そうものならドラグーンの血を家系に取り込もうと希望する名家がどんな誘惑を仕掛けてくるか分かったものじゃない。
「あの、今晩の慰労会の服を買いに行きたいんですがどこかいいお店知りませんか」
席を立った時に聞いてみるとメルシーナさんは「あら、私もそのつもりだったのよ。ご案内するわ、私の友達がやっている服屋だから勉強してくれるわよ?」
渡りに船である。人の縁は大事にしないと罰が当たる。
お言葉に甘えることにした。
ついていると思っていた僕に衝撃を与えたのは、服屋に向かいながらやや躊躇いがちに口を開いたメルシーナさんの話の内容だった。
思わず聞き返してしまう。
「それ、本当ですか?ご主人が亡くなった時に庇ったメンバーの一人がアッシュって、、」
「本当の話よ。さっきはわざと伏せておいたのだけど、カイト君もいずれ知ることになると思うから言っておいた方がいいと思ったの。隊長は自分からそういう過去を話さないとは思うけど、他人の噂話が伝わることもあるから」
メルシーナさんは少し寂しそうに笑った。
「私が副隊長になれたのはアッシュ隊長がそのことで負い目があるからだ、ということも当てこすりで言われたこともあるし。隊長、格好いいから人気あるのよ。女の嫉妬よね」
「なんとも言えませんが。。アッシュはご主人が亡くなられた時にどうしていたか聞いてもいいですか」
僕が見る限り、アッシュは責任感が強い。彼の性格からして自分の責任だと抱え込んでいる可能性は高いだろう、と推測した。
「私に主人の死を知らせに来たのはアッシュ隊長だったわ。。まだあの時は二十歳で今からどんどん伸びるという予感はあったにせよまだ経験不足でね。泣きながら「俺が弱かったせいでご主人を殺してしまった」って何回も何回も頭を下げて、、ずっと謝っていたの」
意外な二人の接点と悲しい過去だった。
「全然アッシュ隊長、あの時はまだ隊長じゃなかったけれど、のせいなんかではないのにね。怪物に襲われることを覚悟の上の任務なんだし不慮の事故みたいなものよ。だからもういいから、貴方のせいじゃないから大丈夫よって逆に私が慰める羽目になったのよ。可笑しいでしょ?」
メルシーナさんの言うことは分かる気もするが、人は理性で正しいと思っても己を責めずにいられない時はある。そうしなければ世の中を正視出来ない程に辛い痛みを抱えたような時だ。
「その後、アッシュはどうしたんですか」
「そうね、、私も夫を亡くしてしばらく精神的に駄目になっていたから全てを知っているわけじゃないけれど。。アッシュ隊長はその事件以降、ひたすらに自分を鍛えることに没頭したの。危険な任務に自ら志願することが続いて、見兼ねた上官が止めても「これで死ぬようならそれまでの男というだけです。覚悟は出来ています」と言ったらしいわ。元々の素質は異常なまでの量の実戦経験で鍛え上げられ、みるみるうちに頭角を現したの。一年後には若手騎士の間で彼に敵う相手はいなくなり、隊長任務もこなすようになった。その後ね、私が彼の部下に抜擢されたのは」
石畳の歩道を歩きながらメルシーナさんの話が続く。
「再会した時に隊長は「あの時の贖罪を私はまだ終えていない」とだけ言って、私に頭を下げたの。もう気にしないで下さいと言ってもずいぶん長い時間そうしていた」
「上司と部下の間柄だけじゃなかったんですね。アッシュにそんな過去が、、」
「任務中はアッシュ隊長は私にも遠慮することは無いわよ。それこそ全員の命にかかわりますから。でも時々あの人のお墓参りをしてくれたり、私にプレゼントを送ってくれたりしてくれるのね」
ふう、とメルシーナさんは小さく息を吐き出した。綺麗な横顔には憂いと愛しさが混じったような微妙な表情が浮かんでいる。
「いつまでも昔のことに捕われていてはいけないとは分かってはいても中々割り切れないんじゃないですか、アッシュは。僕は彼をそんなに知ってるわけじゃないですが」
自然とそう答えていた。メルシーナさんはそうかもしれないわね、と呟き「早く隊長もいい人見つけて楽になればいいのに」と笑った。少し引きずるものがある笑顔だったけど、彼女なりにアッシュのことを心配しているようだった。
だが、もしアッシュが自分だけが幸せになることに罪悪感を感じていたら、彼女の笑顔も届かないだろう。どれ程の修練が22歳の若さにして隊長を勤めあげられる程の実力を培ったのか想像もつかないが、恐らく鬼か修羅かのような戦いに身を投じたのではないだろうか。金髪の美丈夫の朗らかな態度の裏にそのような一面があったとは。
(メルシーナさんはアッシュのことをどう思っているんだろう)
不意に沸いた疑問は胸の中でもやもやと漂った。自責の念からとはいえ自分を心配し続けてくれる男に悪い感情は抱かないだろう。複雑な好意以上の感情が芽生えたとしてもおかしくは無い、、それならアッシュは?
付き合う相手を見つけようとしていない理由が自責の念だけではない可能性はある。だが、もしそうだとしてアッシュもメルシーナさんも幸せになれる気がしない。ぞく、と背筋が粟立つ。背徳感を帯びた甘い危険な香りのする関係がもしも成り立つとしたら、それこそ薔薇そのものじゃないか。




