ドラグーンの初陣 4 ラストアタック
そのニ体の巨大な影を見て僕が最初にとった行動はコバルトを再召喚することでも他の兵士に声をかけて前線に再参戦することでも無かった。
ただじっと慌てずに村周りの様子を観察することだった。
そもそも前線の追撃部隊に参加せず後衛に残った者は手傷を負ったりした者が主だ。今、彼等が急に前線に参加してもそれほど助力にはならずむしろ前線が引かねばならない場合に邪魔になるだけになりかねない。
それを弁えているため、後衛部隊はじっと動かず時折こちらの包囲網から漏れてくる敵を討ち取るだけに徹していた。
もう一つは僕自身コバルトの再召喚が不可能な状態を回復させるのに時間が必要だった。前線の様子を見極めながら必要な時にコバルトを呼ぶ為の時間を稼ぐ。そう決め込み(落ち着け)と自分に言い聞かせる。
アッシュやシャリーのことは心配だ。だが彼等の方が僕より余程レベルは高く、そして頼りになる兵もついている。それを踏まえてしばし忍耐強く後衛で機会を伺っていた。
「行った方がいいかもな」
20分も経過した頃、僕の視線は左翼に向いていた。
じわじわと敵が侵食してきているのが見てとれる。
シャリーが受け持つ左翼、それに対する敵の主力は黒山羊の頭をした獣人、いや怪物だ。あんなサイズの獣人なんて聞いたことが無い。
右翼と中央よりは左翼の方が押されているかな、と直感的に判断し、右手に集中して再度コバルトを呼び出す。
急いで飛び乗る、だけど精神集中が難しい。長い時間の召喚は無理だと悟ったが今行かなければシャリーが危ないかもしれない。
「コバルト、多分短時間しか君を使えない。急いで左のあの黒い山羊へ」
一声ドラゴンは咆哮し、その翼を羽ばたかせて一気にトップスピードに達する。高度が低いため、地を這っているような錯覚に陥りそうになった。
「このまま奴にぶつかるぞ、つかまってろ、マスター」「頼む」
僕等が応答する間に黒山羊との距離がみるみる詰まる。意外にも素早いステップでこちらの魔法や剣をかわしていた黒山羊だが、こちらに気づいた時には既に遅かったようだ。
猛スピードでそのまま黒山羊に衝突し、こちらの味方から引きはがしたコバルトだがそれで止まらない。その長い首をしならせて敵の左肩に思い切り噛み付くと、黒っぽい血液が音高く宙を舞った。
身の毛もよだつような呪詛をその口から漏らしながら、黒山羊がコバルトを殴りつけるが殆どコバルトには効いていない。
(ダンプカーが激突したみたいだ)
舌を噛まぬよう口に含んでいた布を吐き出す。コバルトと敵のサイズはほぼ互角。時速100キロに達そうかというドラゴンの体当たりと牙の猛撃をくらい、相当なダメージがあるはずだ。
もう召喚も限界と見切り、コバルトを戻しながらその背から転がり落ちた。青い光となり消えていく竜の姿の向こうに右手で左肩の傷口を抑える巨大なニ足歩行の黒山羊が立ちはだかる。その目がまだ爛々と輝き僕を睨みつけていた。
「マダカッタワケデハナイゾ、ニンゲン、、!」
重い声が頭上から響く。まだか、まだ倒れないのか。
(しぶとい、、!)
強い。耐久力の高さに舌を巻く。だが相当に弱っているはずの今なら、もうシャリーが逃がしはしないだろう。
果してその予想は当たった。ドラグーンの援軍という好機に味方の軍が沸き立つ。シャリーが隣に駆け寄り目で僕に感謝しながら攻撃魔法の詠唱を始めていた。「もうこちらに切り札は無い。決めてくれ」それだけ声をかけて彼女を守るようにその前に立った。
反撃をしかけようと黒山羊を囲んだ戦士達の剣が閃き、遠距離からは弓兵が放った矢が射抜く。致命傷にはならないが奴を牽制するにはこれで十分だった。
「これで止め、、!白き霜の柱、その中に閉じ込められし命を魂の奥底までも凍らせ、千年白夜の永劫にさ迷わせよ。。フロストピラー!」
黒いローブをひらめかせてシャリーが呪文を完成させた。その瞳はいつもより金色の光が濃い。
通常より長い詠唱。それはよりレベルが高く破壊力も比例して高い魔法を意味する。
ビキ、と空気が凍結した。キラキラと美しく霜が舞ったか、と思ったのもつかの間、黒山羊を襲ったのは白い地獄だった。
敵の周囲の地面が真っ白に輝く円となり、そこから上空へ凍気が噴き上がる。
離れていても分かる程の極低温の凍気の嵐は怪物の身体を蝕み凍りつかせるのみならず、凍らせた端からそのまま破壊していく。
アオオァオアと黒山羊の絶叫が吹き荒れる極寒の吹雪から僅かに聞こえたが、それすら吹き消された。
呪文詠唱中のシャリーを守って脱獄囚の一人と剣を合わせていた僕もその叫びが消えたのが分かった。(行ける!)と自分を叱咤し、鍔競り合いを制して相手を突き放しながら素早く魔法に切り替えた。
「焼き尽くせ、赤い火炎よ、竜の羽ばたきの如く。ファイアストーム!」
今の今までただの戦士と侮っていたのであろうその脱獄囚は慌てて逃げようとしたがファイアボールとは比べようも無い攻撃範囲を持つストームをかわしきれるはずも無い。
無残にも全身を吹き荒れる火炎の嵐に巻き込まれ、黒い影が赤い炎の中で揺れたかと思うとそのまま崩れ落ちた。
「うっ、、」自分の鼻をつく嫌な匂いに吐き気がこみあげる。それが自分が焼き払った脱獄囚の肉の炭化するほど焦げた匂いだと気づく。
生きる為に人を殺す。それはこういうことだ、と僕の理性が囁き、感情は止めろと叫びかけていた。
(でも今は無理だ。戦闘はまだ終わっていない)
額の汗を意味も無く拭いながらシャリーの姿を探した。幸い神官に回復魔法をかけてもらい、埃に汚れた顔をローブの袖で拭く彼女の姿をすぐに発見出来た。
「怪我は?」「大したことないわ。魔法はだいたい相殺出来たし」
ローブの肩辺りが破れかけている姿を見れば強がりだろうと思ったけど、回復魔法が効くなら大丈夫だろう。周囲の戦いも黒山羊を倒したのがこちらを勢いづけたか、散発的な反撃を繰り出す敵を押しやっている。中には降伏する者も出始めていた。
シャリーが僕の横に並ぶ。その視線の先には青白い氷の彫刻と化した黒山羊の怪物があった。
腕や脇腹が凍りつきながら破壊され、もう生命力のかけらも感じられない。
「凄い魔法だったね。助けに入らなくても大丈夫だったかな」
「ううん」僕の問いをシャリーは否定した。
「危なかったと思う。意外に素早かったから直接攻撃もかわされるし魔法もなかなか当たらなかった。五人もやられたわ、あの怪物一匹に」
無念そうに唇を噛み締めながらシャリーが声を絞り出した。僕と違って副隊長として軍を率いている立場の彼女には部下の命を預かる責任がある。それだけに犠牲者が増えたのが許せないらしい。
「でもね」きっと視線をあげたシャリーが村の方を見た。既に何人か前線の兵士が踏み込み、残った敵を捕らえ始めている。
「彼らの犠牲は無駄にはしないわ。陳腐な言い方だけど国の礎となる覚悟を持って戦ったのだから、生き残った者がそれを引き継がないとね」
やりきれないけど、と最後に付け足して紫色の髪の魔術師はくしゃりと頭のとんがり帽子を目深にかぶった。その小さな肩が小刻みに震えているのに気づいたが、黙って見守ることしか出来ないまま僕はシャリーの傍らで馬鹿みたいに立ちすくんでいた。
既に昼は終わりかけ太陽は西に沈みそうだ。赤々とした夕日が染める戦場には生者と死者の影が黒々と伸びている。
あのコバルトのブレスを退けた敵の魔術師は驚くべきことにエジル将軍が一人で討ち取ったらしい。
戦が終幕へと向かう中、たった一人で嬉々として魔術師に攻撃を仕掛けた将軍を心配して(ただし内心では死ぬはずがない、と誰もが思っていたようだが)、何人かが二人が爆撃のような音を立てながら戦っていた村の奥を見に行くとクレーターのような大きな穴を見つけたという。穴の周りには灰色の噴煙が立ち込め、相当に強力な魔法が使われた跡に見受けられた。
まさか吹き飛ばされたのか、と心配になった捜索隊がエジル将軍の名を呼ぶと、さあっと噴煙が切り裂かれその中から大鎌を右手に、何やら金属で出来た腕輪を左手に持ったエジル将軍がずるずると現れたらしい。
金属鎧が部分的に溶けており、本人もあちこちから血を流しているにも関わらず至極上機嫌に「なかなか愉しめましたよ、あの魔術師は。。しかし、所詮造られた存在ではあれが限界ですか」と言って無造作に腕輪を持ち上げニヤリと笑ったそうだ。
「この獣人と脱獄囚の混成軍の反乱には幾つかの裏があるらしい」と王都への帰路に着いた兵士達はぽつぽつと話していた。
従来なら考えられないネクロマンサーの出現、タイミングの良すぎるシルベストリからの脱獄囚の合流、そして獣人の域を超えた怪物の出現。
勝利はしたものの不審な点が多過ぎたのだ。噂は噂を呼び、勝利の輝きに一抹の不安が黒い滴のように染みをもたらした。
だが、初めての戦に疲れた僕はこれ以上は何も考える気力も無く、ただただゆっくりと飛翔するコバルトの青い背中の上で揺られていた。
時折「マスター、しっかりしろ?」とコバルトが気をつかってくれるが生返事を返すのが精一杯だった。
記憶の底から甦るあの老魔術師の虚無感を湛えた洞窟のような目。あれは人なのか、と思わずコバルトの背で身震いしたがとりあえずは終わったことだ。次の任務まで束の間の休息を取ろうと気持ちを切り替えながら王都への街道の先を見渡した。




