ドラグーンの初陣 2 戦争
「夜まで待つ必要はありません。獣人らは夜目がききます。夜襲を受ける前にこちらから宣戦布告しておきましょう」
アッシュの報告を受けたエジル将軍の判断は早かった。さも当然と言わんばかりだ。
いや、確か最終交渉をするとか言って無かったか。しかしエジル将軍にはそんな気はさらさら無いらしい。アッシュとシャリーも「やっぱりか」と言わんばかりにそれはスルーしている。
ダークブラウンの髪を肩にかかる程度にまで伸ばし、なぜかサングラスをしているエジル将軍は一見優男だ。口調も柔らかい。だが行軍の間に他の兵士から聞いた彼の二つ名は"死に神"という不吉な物だった。いつの間にかそう呼ぶ人が増えたんだよ、とその兵士は神妙な顔つきで教えてくれた。
「では最終交渉も無しということでよろしいのですね」
アッシュが確認すると"死に神"は頷いた。
「ええ。一時間後に宣戦布告します。アッシュ、シャリー、貴方たちは150ずつ兵を率いて右翼と左翼へ。カイト君には別の任務があります」
「「はっ、了解しました!」」
斥候に出た時の態度を一気に戦闘モードに変えた両名がカツンと踵を打ち付け敬礼する。その場を退出する前に僕に激励の言葉をくれたのは嬉しいけど、僕の緊張もじわじわ高まっていた。
「さて、カイト君。貴方の任務ですが重要ですよ?ああ、固くならなくて良いです。重要ですが難しくはありません」
エジル将軍が椅子に座るよう勧めながら話しかけてきた。その言葉に甘えて着席する。
「一体どのようなことを」
「本来ならばドラグーンがこちらにいることは極秘なので切り札として使いたかったのですが、敵の布陣している場所を見て気が変わりました。
コバルトと共に上空から奴らに先制攻撃してもらいます」
え?一瞬意味が分からず脳が働かなかった。
念押しするようにエジル将軍がもう一度言う。
「少し説明が足りませんでしたね。つまり、こういうことです。こちらが宣戦布告したとて高所に篭る奴らはわざわざ出てきて野戦に臨まないはずです。私達が押し寄せれば高度差を利用して村に篭って投石機なり長弓を使えばそれだけ有利ですから。
それは面白くないので、奴らを村から追い出す必要があります」
淡々と説明するエジル将軍の意図は分かった。だがもしコバルトのブレスをまともに村に浴びせれば。
発言許可を得た上で「村の家屋は焼き払ってしまうことになりますが、それでも良いですか?」と聞く。
元々住人がいた村である。出来れば帰る場所を壊したくは無かったのだけど、エジル将軍の返事は無情だった。
「全く構いませんよ。どのみち、獣人や脱獄囚が占拠して好き放題に荒らしているでしょう。ここは迅速に制圧を完了し村を奴らの手から奪還することだけを優先します。村人には補償金を出して他の村に行ってもらえばいい」
あっさりした口調にそうなのかなと疑問が湧く。だけどどのみち従うしかない。制圧軍の兵の被害が出来る限り減るよう迅速に終わらせる必要があることくらいは理解できた。
「了解いたしました。一撃与えた後はいかがいたしますか」
「無理はいいません。即後退して睨みだけ効かせて下さい。状況に応じて再出撃しますがね」
「はっ」
これならこなせそうだ。ブレス一発で敵は混乱するだろう。
それから一時間後、ラトビア王国制圧軍は占拠された村を丘の下から包囲するように布陣した。剣や槍で武装した兵達の姿が午後の日差しを弾いてきらきらと輝く。
一度コバルトを戻した僕は本陣で待機しながら今か今かと宣戦布告の開始を待っていた。そわそわして落ち着かず、腰の剣の柄を撫でて気を逸らしていた。
(頼むから短時間で終わってくれ、、)
祈るような気持ちだった。そんな個人的な感情とは別に布陣した兵士が数歩前進する。ここからは見えないがアッシュとシャリーが両翼の指揮を取っているのだろう。
ザン、と己の武器を大地に打ち込んでエジル将軍が進み出た。黒い全身鎧に身を包んだ痩身が村を睨む。
「獣人村からみすみす出て来た反乱者、そしてそれに手を貸す愚かな脱獄囚共に告げます。私はこの制圧軍の指揮を取るエジル。降伏するまで今から貴方達を攻め立てますが、覚悟はよろしいですね?」
慇懃無礼を絵に描いたような相手を舐めきった宣戦布告だが敵から反応は無い。村はしん、と静まり返り伝わってくるのは不穏な気配のみだ。
(言葉は不要ってわけか)
相手の本気を感じとったのは僕だけじゃない。全軍の空気がぴりぴりと緊張感を高める。
ただ一人、エジル将軍は反応の無い混成軍を見切ったかのように片手を挙げた。「それでは始めましょうか。楽しい楽しい殺戮の宴をね、、!」
彼の右手が振り下ろされた瞬間、僕は右手から召喚したコバルトに飛び乗った。敵に見られないようにするためぎりぎりまで隠しておいたのだ。
青い竜が待ち兼ねたように咆哮する。両軍が位置する丘に響き渡る竜の叫びが消えぬうちに僕はコバルトの飛翔を開始していた。
「頼みますよ、カイト君。奴らをあぶり出して下さい」
「はいっ!」
頭上を通過する際にもらったエジル将軍の声を背に一気に高度を上げた。みるみるうちに村との距離を詰めていく。
「カイト、コバルト、出る!」
自然と腹の底から気合いがほとばしる。跨がったコバルトの背中からは力強い脈動が伝わってきた。
(まったく頼もしいよ)
心の中で賞賛し下方を確認すれば標的である村が見えた。ぬいぐるみみたいだと思った獣人や脱獄囚らが弓矢をこちらに向けているのが見えた。
「あいつら、ドラグーンを見てびびってないのか?」
「噂が隣国にまで広がっていたのかもしれぬな。マスター、そろそろ撃てるぞ。命令を」
僕の疑問にコバルトが答えながら緩やかに高度を落とし始めた。まだ弓の射程外らしく村からはこちらを攻撃してこない。
(やらなければやられるんだ)
アッシュの言葉を思い出しながら覚悟を決めた。高度約70メートル。充分ブレスなら届く。
「撃て、コバルト!遠慮無用だ!」
僕の命令が下るや否や、群青色の体を震わせてコバルトはその強靭な顎を開いた。牙の間から周囲に熱が漂い空気を揺らす。
ボウッという音と共に純白のブレスが竜の口から放たれた。強力無比の火炎は村を薙ぎ払い、慌てふためいた混成軍が列を乱して逃げ惑う。
そのはずだった。だが、必殺のブレスは村を僅かに逸れてすぐ近くの地面を焼き払っただけだ。
ドウン!という爆発音と黒煙がもくもくと立ち上る。しかしそれは村の中枢にはまるで関係無い位置での爆発に過ぎない。
何故だ、と考えるより先に答えの方が姿を現した。同じく不審そうなコバルトが唸り声をあげる。
「あれは、、魔術師か?我のブレスを退けるとは」
いつの間に出現したのだろう。赤黒いローブを纏い、右手に宝石の埋め込まれた魔術師のような姿が村の屋根からこちらを見据えている。だがその顔にはまるで肉がついておらず、薄い青白い皮膚が張り付いているだけだ。ローブから覗く手も枯木のように細い。男のようだがそれも定かでは無い。
暗い空洞のような目を向けた老魔術師がこちらを見た。図らずも視線が合う。
かなりの距離を隔てているのに伝わってくるこの寒々しい殺気は何だ。虚ろな暗い目からは何も読み取れず、知らず知らずの内に冷や汗がこめかみをつたった。
人の身でドラゴンのブレスを弾き返すなど果して有り得るのか。あんなのが脱獄囚にいるというのか。
「何であんなことができる!?」「分からぬ、だが迷っている暇はなさそうだぞ」
コバルトが言うなりニ発目のブレスを放つ。それと同時に屋根の上から老人が攻撃魔法を唱えたのが見えた。その杖から青白い稲妻がほとばしり白いブレスと真っ正面から激突する。
僅かニ、三秒に過ぎなかっただろうが瞼を焼きそうな青白いスパークが火花を散らした。またもやブレスは目標を逸れ、村の外を焼いたのみだ。老魔術師の攻撃魔法の威力はブレスよりやや落ちるようだが、直撃を逸らしているだけでも相当な破壊力があるのは明白。間違いなく強敵だ。
もう一発ブレスを叩きつけようとしたコバルトの首を抑えやめさせた。不満そうに竜は唸り声をあげる。
「何故止める?」「敵が出て来た。一旦引こう」
ややこちらが押し気味ならばこのまま力押しで無理矢理相手を削るか、と僕も考えていたが眼下の状況を見てその判断を改めた。
村から次々に敵が出撃し、丘の下に陣どる制圧軍に突撃を始めたのが見えたからだ。
うおおお、と勇ましい吠え声をあげてニ足歩行の狼や熊ー人狼と人熊だーが黒や茶の毛を逆立て迫っていく。そのすぐ後に凶悪面の脱獄囚が「こいつらぶっ倒せええ!」と物騒なことを叫びながら続いていた。
謎の老魔術師から目を離さないようにしながらコバルトに距離をとらせた。適当なところで反転させ、一気に帰陣させる。距離が有りすぎるのかさすがに追撃もこない。思わずほっとした。
だが真下から時折、矢が撃ち込まれてくる。獣人や脱獄囚が僕らを見つけ威嚇してきたのだ。
「帰りながらでいい、下を」
「心得た」先程の不満をぶつけん、とコバルトがその紅い目を細めた。その口から今日三度目のブレスが突撃する混成軍に降り注ぐ。
威力をやや抑え気味に放ったためか、ドゥドァを焼いた時程の熱量では無い。それでも頭上から降り注ぐ白い火炎に突撃を仕掛ける敵陣の足並みが乱れる。
聞こえてくる苦痛と呪詛の呻き声に怯みかける自分を叱咤しそのままコバルトを飛ばせ続け、一気に本陣近くまで舞い戻った。
空から見ていたがこちらは相手の突撃に合わせて布陣を変更し、アッシュが率いる右翼から前にぶつかろうとしているようだ。その分、左翼のシャリーは少し下がり気味になっている。敵の勢いを斜めに受けて殺す気らしい。
互いに弓矢や投げ槍の応酬が始まった頃、エジル将軍に状況報告をすることが出来た。馬上で愛用の武器らしい大鎌を担いだエジル将軍は黙って聞いていたが、ブレスが凌がれたことが面白くないのだろう、「何者なのかわかりませんがやりますね」と呟いた後、コバルトの翼をぽんと叩いた。
「よくやりましたよ。その魔術師が誰かはわかりませんがね。無事で何よりです」
そう言っている間に攻防は接近戦に移ったらしい。甲高い金属音が右翼から響き渡り、軍馬のいななきと人の叫び声がそれを覆し更に重なる。
(戦況ってこんなに刻々と変化するのか)
自分の神経が尖るのが分かった。コバルトに騎乗している限りは滅多なことは無いだろうが、神経を擦り減らす戦場でどれ程召喚を維持出来るか不明なのが怖い。
しかしもう迷っている暇は無い。とにかくコバルトに暴れてもらい敵の足並みを乱すだけ乱し、味方をサポートするくらいしか僕には出来ないが。
「誉れある初陣ですね。頑張って下さい、カイト君。そろそろ私も前線に飛び込みましょうか!」
楽しそうな声でエジル将軍が笑う。
総大将なのに自ら武器を振るうというのはどうか、とちらりと考えたが自分の目の前のことに集中する。ずい、とコバルトがその青い巨体を前に進めると味方からは歓声が、敵からはどよめきが起きた。存在感は抜群だ。
「頼むぞ、コバルト。とにかく好きに暴れろ。召喚が切れそうになったら引け」
口の中が乾く。目が砂埃と微かに混じる血煙をとらえ、耳には怒声と悲鳴と喧騒が響いた。
ジャッと今までに無い獰猛な声をあげてコバルトが突撃した。巨体に似合わないスピードで体当たりや爪の斬撃を繰り出すと、敵が一撃で吹っ飛ばされる。
中には勇敢にも飛び掛かってくる敵もいる。狼の牙や熊の剛腕が唸れば何発かは竜の鱗を切り裂き、囚人共の武器も全てを避けられるようなスペースがない以上コバルトにヒットする攻撃もある。
だが致命打には全くならない。鋼鉄以上の硬度を誇る鱗に加えてその下の皮膚も柔軟で強靭だ。僕が時折自分に繰り出される攻撃を払うことだけに集中している間に、コバルトのお陰で敵の中枢は大きく乱れていた。
「鳴り響け、雷神の怒り。降り注げ、灼熱に輝く裁きの雨。ライトニングストーム」
聞き覚えのある声が左翼から聞こえたと思った次の瞬間、コバルトが急上昇した。何だ、と言いかけた時には僕らの左手にいた敵に何十条という雷が撃ち込まれた。バチバチバチと激しい放電音を立てながら十数体もの敵を飲み込んだ電撃の嵐の炸裂だ。
「シャリーか!」「ぎりぎりで我が避けると計算して唱えたか。賢いというかしたたかというか」
コバルトがふうと息を吹き出したのも無理は無い。タイミング的には危なかった。
だがこの一発の意味は大きい。シャリーが得意と言っていた大規模の電撃呪文をきっかけにこちらの兵士が突っ掛かり、敵を押しまくり始めた。一瞬右も見たがアッシュ率いる右翼も負けていない。
(そうだよな、倍以上の兵力があれば普通は圧勝か)
ほっと一息つける。考えてみればこちらには数は多くないけど僧侶や神官もいる。傷ついても回復魔法でまた戦えるというアドバンテージは大きい。数でもメンバー構成でも有利とくればこの結果は当然と言える。
頃合いと見てコバルトを前線から引かせながら汗を拭う。敵全体が引きはじめているのが見えた。勢い任せで突撃してきたが、目論みが外れたというところだろうか。
あの正体不明の魔術師は気になるもののまずは勝ったようだ。
逃げ遅れた敵を次々その大鎌で血祭りにあげているエジル将軍の姿が小さく見えたけど、放っておいても大丈夫だろう。
(召喚を解くか)
一瞬躊躇ったがそろそろ限界だ。初めての戦争の喧騒と血生臭さに気分はダウンしている。傷こそ免れたものの、疲労が濃くこれ以上はきつい。「コバルト、ありがとう。とりあえず戻ってくれ、限界だ」僕の命令に青い竜は頷いた。こちらはまだまだ元気だ。「分かった、マスター。だがあの魔術師が出たら無理に出も呼べ。あいつは危険だ」
「忠告感謝するよ」答えながら召喚を解く。青い光の塊となった竜を右手に収納して前を見ると、まだ前衛部隊は後退する敵に食らいついていた。まるで獲物に牙を突き立てた優秀な猟犬だ。
「勝った、かな」敵の気配も無い。ぼそりと呟くと周りにいた兵士の一人が同意してくれた。
「ああ、もう勝ったも同然だね。エジル将軍は絶対逃げる相手を逃さないから。。多分敵は全滅するよ」
「えっ、降伏させて終わりじゃないんですか」
思わぬ言葉にびっくりして聞き返すと兵士は肩を竦めながら答える。
「死に神なんだよ、あの人は?自ら大鎌振るって戦のただ中に飛び込むのはただ身を張って部下を鼓舞するだけじゃない。それ以上に敵を血祭りにあげるのが好きだからそうだ」
正直俺は敵なんかよりあの人の方が怖いよ、と締めくくってその兵士はどんと草の上に腰を下ろした。
・・・もう後は絶対任せておこう、と決めたのは疲労していたからだけでは無い。迂闊に前に出たらエジル将軍の鎌に巻き込まれかねないという恐怖を感じた為だ。
見学に徹するうちにその死に神率いる前衛部隊は敵兵を丘の中腹まで追いまくっている。敵の数が激減しているのはここからでも分かった。圧勝だな、と安堵した僕に罪は無いと思う。
だが戦は最後の最後まで気を抜いてはならない、と思い知らされたのは次の瞬間だった。
突然、村の一軒の家が弾け飛ぶのが遠目に見えた。勢い余ってこちらの魔術師が攻撃魔法をぶつけたのか、と思ったが崩れた家屋を踏み越え、灰色の噴煙から現れた巨大な影にその考えは覆された。待機状態に入っていた他の兵士も「何だ、あれは?」「獣人、、にしちゃでかいぞ」と驚きながら立ち上る。
オオオウ、、とそれが叫び声をあげた。それに呼応するようにもう少し小さめの影がルオオオ、と雄叫びをあげる。地球でもこちらの世界でも聞いたこともない生き物の咆哮が背筋を凍らせる。
本能的に(あれはマズイ)と感じ、相当の距離があるにも関わらず腰が浮きそうになる。
そしてそのニ体の巨大な影に守護される邪悪な像のように、コバルトのブレスを退けたあの老魔術師の赤黒いローブ姿が浮かび上がった。




