第15話:終焉の晩餐と、世界を統べる「背徳の全載せ黄金盆」
離宮の空気が、かつてない重圧に震えていた。
黄金の装飾を施した巨大な馬車が止まり、帝国騎士団が最敬礼で迎える。
ついに現れたのは、帝国の絶対守護者、皇帝ゼノス陛下だった。
その後ろには、油まみれで理性を失った密使クロムウェル卿が、這うようにして付き従っている。
「……何だ、この鼻を突き抜けるような、下卑た、それでいて魂を直接揺さぶるような臭気は。アラリック、貴様はこれほどまでに不潔な空間で、皇太子らを飼い慣らしていたというのか」
皇帝ゼノスは、冷徹なまでの威厳を纏い、眉間に深い皺を刻んで離宮へ足を踏み入れた。
彼は「純潔料理」こそが帝国の高貴さを守ると信じて疑わない、保守派の頂点。
しかし、彼の前に現れたのは、かつて見たこともないほど「健康的」で、かつ「野性的」な魔力を放つアラリック閣下だった。
「陛下。不潔かどうか、まずはその目でご覧ください。俺の魔力が、そしてこの者たちの瞳が、絶望に満ちているように見えますか?」
閣下が堂々と胸を張る。その横では、エプロン姿のジュリアン殿下と、頬を赤らめたセフィリア様が、今か今かと厨房から漂う匂いに期待の眼差しを向けていた。
「……よろしい。その女、エレーナが作るという『毒』が、どれほどのものか見せてもらおう」
私は、皇帝の冷たい視線を正面から受け止め、静かに右手をかざした。
これが最後の、そして最大の錬成。
これまでの旅路で生み出してきた「罪悪感」のすべてを、一つの皿に集約させる。
「錬成――黄金の白真珠米。アイアンタスクボアの極厚バラ肉。さらに、疾風鶏の唐揚げ、魔晶芋の塩まみれ、そして三連の肉パン。それらすべてを包囲する、焦がし魔臭球の黒ソース」
厨房のテーブルを埋め尽くすほどの、巨大な銀の盆が現れた。
その上に、私はすべての「禁忌」を盛り付けていく。
「仕上げに、白銀の罪を銀河のようにかけ、スノーゴートの濃厚乳脂を火山のように噴火させます。これこそが、私の答え……『帝国全載せ・背徳の黄金盆』ですわ」
立ち上る蒸気は、もはや離宮を飲み込む雲となった。
バターのコク、肉汁の香り、スパイスの刺激、そして魔臭球の暴力的なまでのパンチ。
皇帝ゼノスの鼻腔に、容赦なくその香りがなだれ込んだ。
「な……ッ!? なんという、なんという厚かましい匂いだ! 嗅いだだけで、我が帝位が揺らぐほどの衝撃……っ!」
皇帝はたまらず椅子に座り込んだ。
私は、その巨大な皿を、陛下の目の前へと置いた。
「さあ、皇帝陛下。高貴な白湯のようなスープを捨て、この『大地の叫び』を召し上がれ。一口食べれば、貴方の守ってきた『清らかさ』がいかに空虚だったか分かりますわ」
皇帝は、震える手でスプーンを握った。
そして、脂とソースにまみれた白真珠米、そして厚切り肉を一度に掬い上げ、口へと運ぶ。
「――ッ!! ぉ、ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」
皇帝の全身から、爆発的な魔力の光が噴き出した。
あまりの旨味の衝撃に、彼の背後にあった豪華な装飾壁が、魔圧に耐えきれず粉砕される。
「なんだ、なんだこれは! 舌が焼ける! 脳が震える! 我が人生において、これほどの『充足』を感じたことがあったか!? 噛むたびに溢れるボアの脂、そしてこの白いソース……。これだ、これこそが、戦う男たちに必要な『真実の糧』ではないか!」
皇帝は、なりふり構わず銀の盆に手を伸ばした。
黄金の肉を掴み、パンをちぎり、ポテトを口に詰め込む。
彼の瞳からは、長年の空腹と孤独から解放されたかのような、熱い涙が溢れ出していた。
「旨い……! 旨すぎるぞ、エレーナ! 我は……我は今まで、何を恐れていたのだ! この脂の輝きこそが、帝国の栄光そのものではないか!」
皇帝が膝をつき、夢中で皿を空にしていく。
その姿を見て、ジュリアン殿下とセフィリア様も、ついに耐えきれず参戦した。
「父上、ずるいです! その三段目の肉は僕の分です!」
「わたくしも! わたくしも、そのチーズの滝に飛び込みますわ!」
三人の帝国最高権力者が、一つの皿を囲んで、脂まみれの顔で笑い合っている。
それは、どんな浄化魔法よりも尊く、どんな外交よりも強固な絆を築いた瞬間だった。
厨房を支配するのは、咀嚼音と、あまりの旨さに漏れる慟哭のような歓喜。
離宮の外では、皇帝さえも虜にしたという噂を聞いた騎士たちが、勝利の咆哮を上げていた。
「……ふん。ようやく終わったか」
アラリック閣下が、嵐のような食事風景を満足げに眺めた後、私を後ろから強く、壊れそうなほど抱きしめた。
彼の体温は、私の作った料理の熱量を受けて、信じられないほど熱くなっている。
「エレーナ。これで、お前の冤罪は完全に晴れたな。それどころか、お前は皇帝さえも跪かせた。……もう、誰も俺からお前を奪うことはできない」
閣下は私の耳元を優しく噛み、独占欲を滲ませた甘い声で囁いた。
「だが、世界中がお前の味を求めるようになるだろう。……嫌だな。お前のその手、お前のその料理、お前のその愛は、すべて俺だけのものだ」
「あら、閣下。私の胃袋は、もうとっくに貴方に掴まれていますわよ?」
私が微笑んで振り返ると、閣下はたまらず私に深い、深い口づけを落とした。
その唇からは、微かに魔臭球とソースの香りがしたが、それは私にとって、どんな香水よりも愛おしく、甘美な香りだった。
その後、帝国では「美食革命」が宣言された。
エレーナ・フォン・ローゼンベルクは『至高の料理聖女』として称えられ、離宮は『味覚の聖地』として語り継がれることになる。
だが、当の本人は。
「閣下、今夜はこってりしたラーメンがいいですか? それとも、背脂たっぷりの炒飯?」
「……お前のそばにいられるなら、何でもいい。だが、仕上げの『デザート』は、お前をたっぷり戴かせてもらうぞ」
最強の騎士団長にこれでもかと甘やかされ、愛され、今日も離宮には香ばしい「幸せの匂い」が立ち込めている。
悪役令嬢による「胃袋からの帝国制圧」。
それは、最高に脂っこくて、最高に甘い、ハッピーエンドを迎えたのだった。
(完)
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