第28話 商人連合へ備えて
商人連合からの書状を受け取ってから一夜明けた。
朝の光は優しいのに、胸の奥はどこかざわついている。
(……商人連合。本当に行くんだ)
大きな世界に踏み込もうとしている実感が、
足先までひやりと降りてくる。
「ほらエリ、いつも通り手を動かしな。
緊張したまま生地を触ると固くなるよ」
「は、はい……!」
ハンナの声に肩を震わせながら、私は粉と向き合った。
陽だまりパンの生地は、緊張をよく拾う。
手の温度も、指の力も、心の揺れも。
(集中……集中しなきゃ)
◇ ◇ ◇
「エリ」
ハンナが、練り台の端に腰を下ろした。
「商人連合の面談、怖いかい?」
「……正直、すごく怖いです」
「そうだろうねえ。商人連合ってのは、王都でも大所帯だからね。
でもね、あいつらは味に嘘はつかないよ」
ハンナは真剣な顔で続けた。
「誰よりも正直だし、誰よりも残酷だ。
けど、しっかり届くものなら、ちゃんと評価する。
それが職人ってもんだよ」
「届く……もの……」
「エリの陽だまりパンだよ。
あんたの手からしか出ない、あの柔らかい温度。
あれはごまかせない本物なんだ」
胸の奥がじんわりと熱くなる。
「エリ、うまく見せようとしなくていい。
あんた自身のものを持っていきな」
「……はい」
◇ ◇ ◇
昼すぎ、休憩の時間。
セシルが湯気の立つハーブティーを差し出してきた。
「お嬢様。どうぞ」
「ありがとう……セシル。
あの、明日の面談だけど……」
言おうとすると、セシルが静かに頷いた。
「当然、同行します。
商人連合は安全な場所とは限りませんから」
「危険……なの?」
「人が集まる場所は、思惑も集まります。
お嬢様には、決して不利な場に立ってほしくありません」
声は穏やかだが、眼差しは真剣だった。
(守ろうとしてくれてる……でも)
ふと、胸の奥に別の影が差した。
(それでも……昨日みたいに、呼び出されたら?
私の時は、来てくれるのかな……)
そんな不安が喉の奥で渦巻く。
「セシル」
「はい」
「その……もし、また呼び出されたら……
面談の日は……どうするの?」
セシルはわずかに目を見開いた。
一瞬で、その深い影が揺れた。
「……大丈夫です」
ほんの少しだけ言葉を詰まらせて続ける。
「明日は、お嬢様を優先します」
「……本当に?」
「はい。明日は……必ず」
その言葉は、
強く、けれどどこか切実だった。
◇ ◇ ◇
夕方になり、私は練習用の生地を何度も焼いた。
焼いて、割いて、香りを確かめ、舌で味わう。
(もっと……もっと良くしたい)
けれど焦りすぎると逆効果だ。
失敗も増え、ハンナに何度も制される。
「やりすぎは毒だよ。エリらしさを失う」
そう言われて、私はようやく手を止めた。
「……明日、ちゃんとできるでしょうか」
「できるよ」
ハンナは手を拭きながら笑った。
「だって、あんたは自分のためじゃなくて、
誰かのためにパンを焼く子だからね」
「誰かの……ため」
胸の奥が、ほんの少し明るくなる。
面談が怖い理由も、
失敗が怖い理由も、
実はそこにあるのだと気づいた。
(私……誰かのために焼けなくなるのが、怖いんだ)
陽だまりパンの本当の味は、
私の想いと、誰かの笑顔が重なったときに生まれるものだ。
◇ ◇ ◇
本日の収支記録
項目内容金額
収入通常営業の日給+25
収入貴族街の前渡し注文(小量・エリ取り分)+8
合計+33
借金残高23,582 → 23,549リラ
セシルの一口メモ
明日の同行は確約いたしました。
お嬢様の努力が正しく伝わる場となるよう、私も最善を尽くします。




