第12話 旧友とのすれ違い
出張販売を終え、日が暮れかけた石畳の道を歩いていた。
貴族街の門を出ても、心の奥はまだ熱を帯びていた。
焦げた過去を超えた気がした。
――けれど、過去はそう簡単に消えてくれない。
曲がり角の先で、懐かしい声が聞こえた。
「……エリシア?」
その名を、もう呼ばれることはないと思っていた。
振り向くと、そこにいたのはアデル=クライン――
かつて社交界でよく一緒にいた令嬢仲間だ。
同じサロンで笑い、ドレスを選び合い、未来を語り合った友。
だが今、彼女の手には絹の扇子ではなく、買い物袋があった。
そして彼女の視線は、私のエプロンと籠に向けられていた。
「……あなた、〈麦猫堂〉の人なの?」
一瞬、喉が詰まった。
元令嬢という言葉が、脳裏をよぎる。
でも、逃げるのはもう嫌だった。
「ええ。 今日の出張販売を担当していました」
アデルは数秒、何かを探すように私の顔を見つめ――
やがて、微笑んだ。
「そう。……美味しかったわよ。陽だまりパン」
「ありがとう」
それだけの会話だった。
けれど、そのありがとうには、昔と同じ温度があった。
◇ ◇ ◇
アデルが去ったあと、セシルが隣で歩幅を合わせる。
「動揺されていましたね」
「そりゃそうよ。昔の友達に、パン屋のエプロン姿を見られたんだから」
「恥じる必要はありません。
お嬢様が働いて得たパンは、かつての晩餐より価値があります」
「……うまいこと言うのね」
「事実です」
ふっと笑う。
夕暮れの風が頬を撫でて、焦げた匂いの代わりに小麦の香りが漂った。
昔の友人はもう遠い世界の人かもしれない。
でも、私には私の歩幅がある。
パンを焼き、笑って、少しずつ返していく。
それが今の誇りだ。
◇ ◇ ◇
店に戻ると、ハンナが腕を組んで待っていた。
「おかえり! あんたたち、すごいじゃない。
侯爵家で完売だなんて、うちの名前が上に広まるよ!」
「ありがとうございます」
封筒を差し出すと、ハンナは中を見て満足そうに頷いた。
「じゃあ今日の分、ちゃんと分けておくよ」
銀貨の音が、現実の証のように響いた。
◇ ◇ ◇
本日の収支記録項目内容金額
収入出張販売後の日給+25
収入売上分追加歩合+30
合計+55
借金残高24,401 → 24,346リラ
セシルの一口メモ:
旧交再会。人は立場を変えても、味覚は変わらないようです。
それにしても――お嬢様、焦げていないパンは表情まで柔らかい。




