11月・3(☆)
図書館でいつものように本を引き出す。
フローロのリストも、もう7冊目に突入した。
よく見れば途中途中、海に関係のないタイトルが挟まっているけれど、これは息抜きに読んだものだろうと見なして除外する。
花に関する本なんていかにもフローロという感じだ。余裕があれば読んでみたい。
それにしても 此 処 では専門分野は学べないと思ってたけれど、どうして結構な冊数がある。
専門と呼ぶのもおこがましい子供向けなのかもしれないが、それでも知らなかった知識の多いこと。
持ち帰る本を選び終えたら後は帰るだけだけれども、ふと思いついて医療・薬学ジャンルを開けてみた。
言うまでもなく調べたいのはチャルマの病気について。
医者にわからないと言う病気が、これらの本を読んだ程度の素人にわかるはずがないのは承知だけれども……と思って開けてみて。
チャルマが症状らしい症状のひとつも見せていないことに思い当たった。
それが「元気なのに退院できないなんて」に繋がるのだけれども、言い換えれば症状がわからなければ調べようもないわけで。
体の奥底で痛みも何もなく浸食していくタイプの病気なのだろうか。
以前から兆候らしきものはあったのだろうか。
僕は気付かなかったけれど、同室のヴィヴィも何も気付いていないのだろうか。
そんなことを考えつつ、遠くで聞こえたチャイムに僕はリストを閉じる。
今日は薬局に行かなければいけないから長居はできない。
カウンターの向こうでクレアが僕になど目もくれずに作業しているのを横目で見つつ、僕は図書館を後にした。
薬局に行くと見覚えのない青年がいた。
他の学校の学生だろうかとも思ったが、どうにも学生の恰好ではない。
しかし薬局関係者かと言われるとそれも違う気がする。
砂嵐を何時間も煮詰めたような赤錆色のマントは何処となく埃っぽいと言うか薄汚いと言うか。
外の世界を旅してやっと此処に辿り着いた旅人、なんて表現が頭に浮かんだ。
何処も彼処も白い中で、カウンターの後ろにある薬棚には蛍光色の瓶がずらりと並んでいる。
その極彩色の瓶を背景に、青年はカウンターに備え付けられた高台の椅子に腰かけ、頬杖をつきながら冊子に目を落としている。
処方箋薬局を兼ねている此処は待合用に雑誌も置いてあるから、その本も此処のものだろう。
そう思いつつチラリと見えたページは論文の如き文字でびっしりと埋め尽くされていて……失礼ながら意外すぎて怯んでしまった。
いつもいる白衣の男はいない。
しかしこの青年が代わりの店員だとは思えない。
もし店員のつもりで話しかけて違っていた日には、この硬い床に穴を掘って入ることになりそうだ。
が。
「……アポティは出かけているから後にしてくれないか?」
僕が口を開くより前に青年は僕に視線を投げかけ、気だるそうにそう告げた。
アポティ、とは白衣の男のことだろうか。
振り返った際に目深にかぶったフードから髪がこぼれる。
銀髪だ。ついでに言えば肌も浅黒い。
髪色からしてアンドロイドだろう。しかし随分と不愛想なアンドロイドもいたものだ。
僕が知る範囲のアンドロイドは皆、初対面でもフレンドリーに接してくる者がほとんどだったから、人間を忌避しているかのような言動はむしろ珍しい。
でも青年の態度は『何も聞くな』と目の前でピシャリとシャッターを閉じているようなもので、あれこれ聞いたところで相手をしてくれるようにも思えなくて……だから僕は黙ったまま窺うことしかできない。
アンドロイドではあるけれど、接客を生業にしていないタイプだろうか。
例えば門の警備兵は人間に対して愛想を振りまく必要がないばかりか場合によっては威圧的な態度を取らなければならないから、その手のプログラムを全て外してしまっている。
青年の恰好は警備兵とも違うけれど、僕の知り得ないところで働くアンドロイドは他にもいる。
衣類や学用品などを作る者。
町のメンテナンスをする者。
町を覆うドーム屋根の補修人なんて、多分、一生会うことはないだろう。
そしてそんな人間と関わらない彼らは愛想とは無縁に違いない……と思うのは一方的な偏見だろうか。
ああ、そうだ。町の外に出た学生を探しに行く捜索隊も。
他の町は知らないが、この町の人間は子供だけなのだから、それもアンドロイドの仕事だろう。
そう考えれば薄汚れた赤錆色のマントも不愛想なところも、まさに彼の職業そのものを表しているように思えて来るから不思議だ。
小綺麗な町中ではなく、砂嵐が吹き荒れる外の世界を具現化したような――。
だとしたら。
唐突に首をもたげた考えに、僕は掌が汗ばむのを感じた。
もし彼が外の世界に精通しているのなら、ノクトが外に出たかどうかも知っているかもしれない。
5ヵ月前。能登大地と入れ替わるようにしてノクトは消えた。
僕たちは”前世の記憶を思い出した”設定で今のノクトに接しているが、体ごと能登大地なのか、記憶だけ能登大地なのかは未だにはっきりしていない。
ノクトが真相を明かさないせいもあるけれど、あれだけ何度聞いても答えないのはそのあたりの記憶が吹っ飛んでいるのかもしれない。
15年間の”ノクト”の記憶がないのだから他だって忘れていても当然だ、と最近は思っていたのだが……転移ならそもそもノクトの記憶などあるはずがない。
彼が転移でこの世界に来たのだとすれば、この世界には彼とは別に”本物のノクト”が存在することになる。
けれど町中では全く目撃情報がない。
探りを入れて来たレトは何か知っているのでは、とも思ったが、問い質すにはノクトのことを洗いざらい喋る必要がある。
僕がノクト失踪の連絡をしなかったことを。
部外者かもしれない能登大地をノクトとして生かしていることを。
そのせいでもしかしたら生きて見つけられたかもしれないノクトを、見殺しにした可能性があることを。
だがもし外でノクトを見た者がいるのなら。
本物のノクトの生死が明らかになれば状況は変わって来る。
「……きみは、」
「クルーツォ」
問おうとして先に答えられた。
それが青年の名前らしい。が、知りたいのは名前ではない。
最も知りたいのはノクトの生死だが、その前にこの青年は予想どおり外の世界に関係があるのか。そのことを置いていきなりノクトについて聞いたところで、下手をすれば水族館でセルエタの装飾を頼むようなトンチンカンなことになってしまう。
本人のことは本人に尋ねるのが1番早い。
けれど喋るだろうか。僕だって初対面の何処の誰かも知らない奴に自分のことをペラペラと喋りはしない。
「クルーツォ……は薬局の人?」
だからこんな外堀を埋めるような質問しかできない。
以前、ヴィヴィに会話を続けるコツはキャッチボールだと教えてもらったことがある。質問し、相手が提示した答えの中から次の質問を出す、とやっていけば自ずと盛り上がるらしい。
「違う」
だが、「違う」からどうしろと。
僕は青年の回りに目を向ける。
先ほどは陰に隠れて見えなかったが、冊子の脇に10cm四方程度の箱が置いてあるのが見えた。
もしかするとこの青年は配達に来ただけで薬局とは関係ないのかもしれない。
この箱を届けに来たものの店主が留守で、受け取り待ちをしているとも考えられる。
宅配業者ならこの恰好でもおかしくはない。多分。
「そ……れじゃあ、どうして此処にいるの、かな?」
「それをお前に話す義務があるのか?」
駄目だ! 全く会話にならない!
それどころか好感度自体がダダ下がり!!
ヴィヴィ曰く、ブツ切りの一問一答では盛り上がらないどころか、相手は問い詰められているように感じて不快になるらしい。今のクルーツォはまさにそれ。こうなってしまっては彼の素性や外の世界については諦めて、此処へ来た本来の目的を果たして帰ろう。そうしよう。
「あー困ったなァ。僕、学校から栄養剤を取りに行くように言われたんだけど」
白々しくそう尋ねてみる。
彼が薬局と関係があるのかどうかすらわからないままそんなことを言うのもどうかと思ったが、なんせ宅配業者だの砂漠の旅人だのは一方的な推測で、本当はやはり薬局の店員だったという可能性も0ではないのだ。
学校からは今日中に受け取るように指示されている。
そうでなくとも栄養剤はとかく鮮度が落ちやすいから今日中には配りたい。
案の定、クルーツォは怪訝そうに眉をひそめた。
「そんなことを言われても」と思ったのか、それとも「困ったなァ」があまりにも嘘臭く聞こえてしまったのか。
そう思うと途端に恥ずかしくなって来て……。
「やっぱ、」
「いいです、気にしないで」と続く予定の台詞を置き土産にして踵を返しかけた僕に、だが、クルーツォは黙ったまま手元の箱を押して寄越した。
思わず受け取ってしまったものの、僕はその箱とクルーツォとを見比べる。
これをどうしろと言うのだろう。「もう帰るから代わりにこの箱をアポティに渡して」だったらちょっと、いやかなり困る。
なんせ僕はアポティが何時帰って来るのかを知らない。
栄養剤が受け取れないのも困るが、門限を過ぎてまで見ず知らずの青年の代わりに人を待つ義理はない。




