11月・4
困惑する僕に説明が要ると思ったのか、クルーツォはだるそうに、
「……栄養剤」
と呟いた。
これが? 僕は思わず箱を見直す。
これが栄養剤? 僕が知っているものとはかなり違うのだが。
昨年までの栄養剤は瓶入りで、言うなればカウンターの後ろに飾られている蛍光色のアレ程度の大きさがあった。それがひとり1本ずつ配られた。
寮生全員分ともなれば、両手で抱えないと到底持てないほどの大きさの箱で4つ。
あまりの重さに昨年は寮まで車で運んでもらっていた。
運転手の顔は見なかったけれど『フローロが男と車で帰ってきた!』と軽く騒ぎになったことを覚えている。
そう言えばあの時、誰よりも立腹していたのはイグニだった。
『こんなに重いものをひとりで運ばせるなんて』と言っていたけれども本音はそこじゃないだろう。
そもそも本人が交際ではないと否定しているのに何を言っているのやら、とも思ったが、今になって考えればあれもフローロの気を引こうと思っての発言だったに違いない。
思い出しても腹が立つ。
が、今問題にすべきは栄養剤。
この箱はあまりにも小さい。
そして軽い。
せいぜい1本入っていればいいところ。
「僕の分だけじゃないんだけど」と脊髄反射的に口から飛び出しそうになった文句を飲み込み、僕は確認のために箱を開けた。
入っていたのは濃いピンク色のカプセル。
数からすれば寮生全員の分がありそうだし、これならひとりでも余裕で運べるけれども、今年からカプセルになったとは聞いていない。
これは本当に栄養剤なのか? 持って来たであろうクルーツォがそう言っているのなら栄養剤なんだろうけれど、本当に”学校指定の”栄養剤なのだろうか。
「僕が知ってるのとかなり違うんですけど」
「今年からこうなった」
「ホントに?」
昨年フローロが苦労したことで形状を変えたのだろうか。
瓶入り栄養剤は重い、と他の学校からも苦情が入ったのだろうか。
「成分表示上は俺が作ってる栄養剤と同じだ。問題はないと思われる」
「作った!? きみが!?」
「それは作ってない」
口をきくのも嫌そうなのに、口を開けば衝撃の事実。
このなりでまさかの薬師ときた。しかも昨年までの栄養剤は彼が作っていたらしい。
爆弾発言になるとわかっているから喋りたくなかったわけではないだろうが、何処まで信じていいのだろう。
栄養剤にしろカプセルにしろ、彼が作っている姿は全く想像できないのだが。
僕はつやつやと光るカプセルを凝視する。
嘘を吐いたところでクルーツォには何の得もない。
オレンジジュースやココアがオレンジ果汁やカカオの色をしているように、このカプセルのピンクは昨年の栄養剤と同じ材料だと思われる。
けれどこの箱はアポティへの届け物ではないのか?
それをポッとやって来た僕に与えてしまってもいいのか!?
薬師と言うのが真実なら、栄養剤の鮮度が落ちやすいことも知っているだろう。
アポティは仲介でしかないのだから直接渡したところで問題ない。と……そんな善意で渡してくれたのだと信じたいけれども、どう見ても砂漠の旅人にしか見えないそのなりが、僕の判断を鈍らせる。
せめてアポティのように白衣を着こんでいてくれれば手放しで信用したものを。って、その考えも本当なら危険なんだけど。
初等部の頃、社会科見学でドリンクの工場を見に行ったことがある。
工場の中では大勢のアンドロイドが働いていた。
髪は必要ないからと最初からウイッグを外し、全身に消毒薬を散布してから作業を開始する徹底ぶりだった。
ただのドリンクですらそうなのに、薬を作る人が土埃を振りまいて歩くはずがない。
セルエタで時間を確認する。
16時40分。そろそろ帰らなければ門限が怪しい。
しかしこれを持って帰って皆に飲ませていいものか。
不在にしているアポティも僕が取りに来ることを知っているだろうに、何故何時までも帰って来ないのか。
「持って行かないのなら、」
「あ、持っ……っていくけど、でももうちょっと待って。ちゃんと受け取ったって証明もしてないし、もし僕が嘘を言って取りに来たんだとしたらきみだって困るでしょ?」
「嘘なのか?」
「嘘じゃないけど」
「なら何が問題だ」
ああ。この融通のきかなさ、数ヵ月前に突然現れた”自宅に籠ってゲームを作っている自称30歳”を見るようだ。
僕がこのまま持って帰ってしまったら、後で困るのはクルーツォだろうに。
そんな不毛なやり取りの最中、
「おや?」
救世主が現れた。
店に入って来たのはクルーツォがアポティと呼んだ白衣の男。
彼は抱えていた荷物をカウンターに置くと僕に目を向けた。
「もしかして栄養剤を取りに来たのかい? クルーツォに持って来てもら……何だ、もう受け渡し済みじゃないか。何か問題でも?」
アポティは僕が抱えている箱に目を止める。
どうやらクルーツォが言うとおり、今年から仕様が変わっただけの”学校指定の”栄養剤であるらしい。
「ゴチャゴチャ言って持って行かない」
「だから、それは!」
クルーツォの言葉を打ち消すように声を張り上げる。
確かに難癖をつけて持って行かなかったのは僕に非があるけれど、半分くらいは「受け取りのサインも何もなく持って帰ってしまったらクルーツォが困らないか」なんて余計な配慮をしたせいだ、と言いたい。
「すまなかったねぇ。何でも今回からカプセルにするって上からお達しがあってね。届いたら持って来てもらうようにクルーツォに頼んでおいたんだけど、今度は僕が急に出かけなければならなくなってしまって」
そんなことを言いながら、アポティは店の端末から受取証を引っ張り出す。
サインを書き込むと、ほどなくしてセルエタに受け取り完了通知が届いた。
やりとりを眺めていたクルーツォが「それがいるならそう言えば」と呟いたけれど……学校のおつかいで受け取りに来るのが初めての僕には”それ”がどんな形をしているのかもどんな手続きをするのかもわからないのに、酷と言うものではありませんか!? とツッコむのは無駄骨にしかならない気がして諦めた。
アポティが言うには、クルーツォは確かに薬師で、栄養剤に限らず、此処で処方される薬のほとんどの調合を担っているらしい。
この埃っぽいマント着用で? 薬なんて薬局や病院と同様、塵ひとつない真っ白な清潔な環境で作られているイメージだったのに。
と絶句する僕に、アポティは苦笑する。
「うん。みんなそう言うんだよ。でも材料を取りに行くところから精製するところまで全部彼の仕事さ。3日と置かずに外に行くから小汚くても仕方ないとは言え……此処に来る時くらいはもう少し身だしなみに気を遣ってくれると嬉しいね。こうやって心配する子がいるんだから」
最後はクルーツォに向けたものだろう。アポティも彼の汚さは気になっていたと見える。
「材料は外の世界にあるんですか?」
「そうだよ」
アポティは明快に答えてはくれるけれども、それが何かは教えてくれない。
砂しかないのに栄養剤の材料なんてあるのだろうか。
昔、赤色色素は虫から抽出していたと聞いたことがあるけれど、そう言えばあの栄養剤の色は、と思い出して、思わず身震いしてしまった。
もし虫が材料なら教えてくれなくて当然だ。
むしろ何故想像してしまったんだと自分を責めたい。
どれだけ栄養があったとしても虫の絞り汁なんて飲みたくない。
「さあ、暗くなってきた。もうお帰り」
アポティは席を立つと、門灯を点けがてらドアを開けた。
開いたドアから四角に切り取られた町並みが見える。
オレンジと群青が混ざり合った世界に、ぽつり、ぽつり、と灯りが点り始めている。
あの四角を通り抜ければこのミッションは終わり。
寮に戻って、栄養剤を配って……
「あ、ちょっと待って」
帰宅を促すアポティを遮って、僕は再びクルーツォに向いた。
……今を逃したら、もう2度と彼には会えないかもしれない。
クルーツォは3日と置かずに外に出る。
きっと旅立ちの日の前後も出ている。
だったら。
僕の中で先ほどの疑問が、今か今かと出番を待っている。
「あの、5ヵ月くらい前に外の世界で学生を見なかった!?」
ノクトを外の世界で見かけてはいないだろうか、と――。
だが。
「……誰かいなくなったのかい?」
食いつくような勢いでクルーツォに迫っていた僕は、今までにない冷淡なアポティの声で我に返った。
アポティが僕を見ている。
瞳の奥が何時かのフランのように瞬いている。
レトだ。
レトが来ている。
そうだ。アポティもクルーツォもアンドロイド。
その背後にはレトがいる。
そして先ほどの問いは、僕がノクトを『ノクトではない』と証言したようなものだ。
レトはずっと待っていた。
僕がボロを出すのを。
黙って、その時を窺っていた。
「どうも先ほどから極度の緊張状態にあるように見受けられたけれど、それが原因なのかな? 誰がいなくなったんだい? システム上では誰も減ってはいないはずだけれども」
前回はフランひとりだったし、途中でノクトが助けてくれた。
でも今は。
相手はふたりで、僕はひとりで。
そしてアポティはドアノブに手をかけていて、何時でも僕を此処に閉じ込めることができるわけで。
ノクトが無事では済まないだけじゃない。
僕も精神鑑定を受けさせられるかもしれない。
精神鑑定を受けた者は皆、廃人のようになってしまって……そうしたらフローロを助けるどころか、ファータ・モンドに行くことすら叶わなくなってしまう。
そんなこと。
せっかく”レトの学徒”になったのに。
「な、何でもない!」
これ以上問い詰められる前に。
僕は箱を抱えると薬局を飛び出した。




