ロンの願い
「先の二人を見て、なお願いを変えないとは、大したモノだね」
ネイトの問いに、ロン・タルボルトは首を振った。
「今更だ。他に望みなどない」
「了解。なら、願いを叶えよう」
ネイトが黒袖の腕を掲げる。
それを見ながら、シルバは印を切った。
「シ、シルバさん……?」
「いいから」
驚くタイランに構わず、シルバは聖句を唱える。
ロンの頭上から光が降り注ぎ、光柱が彼を包み込む。
そして。
「がっ、はぁ……っ!?」
突然、喉笛から大量の血を噴き出した。
目を剥き、ロンは首筋を押さえながら、床に倒れ込む。
「『回復』!」
すかさず、シルバは回復の祝福をロンに飛ばした。
俯せに倒れたロン・タルボルトは身体を痙攣させ、かろうじて死んでいないことを示していた。
「ふぅ……あ、危なかった」
シルバは、額の汗を拭った。
何が起こったか分からないのは、周りの人間だ。
ネイトは無表情に血の海に沈むロンを見つめ、カナリーも腕を組んで難しい顔をしている。
他の皆は一様に、戸惑っているようだった。
「な、何が起こったのだ……? それにシルバ殿も、何故……」
キキョウの問いに、シルバは頭を掻いた。
「……アイツの望みは、『狼男になる前の身体に戻りたい』だったからな。俺も色々と考えたけど、『狼男になる直前』に戻る可能性は高いって思ってたんだ」
うん、とカナリーが頷く。
「まあ、前の二人を見ていたら、大いにありえたね」
「後天的な狼男は、大抵が別の狼男に傷つけられて、生じる。今の出血は喉笛だったな。傷は瞬間的に塞いだけど、それでも命に別状がないか、確かめないと」
シルバはパーティーの輪から離れて、倒れているロンに近付こうとする。
「あ、危ないよ先輩。ボクが……」
付いてこようとしたヒイロが足下をふらつかせて、後ろに倒れようとする。
「とと」
「に」
「ブモ」
その背中を、リフとボタンが支える。
「ヒイロだって出血多くてキツいんだから無理するな。キキョウ、いけるか」
「うむ、ヒイロよりはマシなつもりだ」
代わりにキキョウが、シルバに付き従った。
「むー」
「ヒイロ、拗ねちゃだめ」
ぷくーっと頬を膨らませるヒイロの背中を、リフがポンポンと叩いた。
床は血を吸い、それなりに乾きつつあった。
シルバは、倒れているロンを見下ろした。
もう一度確認してみるが、やはりもう傷は塞がっている。
無理をしなければ、死ぬことはないだろう。
ただ、一抹の不安を感じ、念のためネイトに尋ねてみることにした。
「……なあ、ネイト。一応聞くけど、この後コイツまた狼男になるとかないだろうな?」
「それはないよ。狼男になる直前、だ。傷から原因となる体液が入り込む寸前で、止まっている。だから、彼はもう狼男になることはない。もう一度噛まれれば、別だが」
「勘弁してくれ」
あんな物騒な相手ともう一戦交えるなんて、冗談じゃないと思うシルバだった。
いや、実際に戦ったのはキキョウとヒイロだったが、それを考えると胃が痛くなる。
「う……」
俯せのロンの肩が震え、呻き声が漏れる。
どうやら、意識が戻ったようだ。
シルバの前に、キキョウが庇うように立った。
油断なく、刀の柄に手をやる。
「シルバ殿、気を付けられよ。この男、今更奇襲を仕掛けてこないとは思うが、それでも敵であることに変わりはない」
「だから、キキョウに来てもらったんだが。……お、気がついたか」
ロンはゴロリと身体を転がし、仰向けになった。
血と埃にまみれた顔で天井を見上げ、そしてシルバに視線を向けた。
「……ここは、どこだ?」
妙な問いに、シルバは目を瞬かせた。
「どこだって、『墜落殿』の第三層だろ?」
「『墜落殿』……知らない場所だ。何故、俺はそんなところにいる?」
疑問が、シルバの中で確信に変わりつつあった。
「……俺の名前を覚えているか?」
感情に乏しいロンの眉が、微かに寄る。
「初対面だろう。知っているはずがない。だが、どうやらその司祭服……助けられたようだな。礼を言う」
シルバは、ネイトに振り返った。
「……おい、ネイト」
「言っただろう。狼男になる直前に戻したって? ならば、記憶もそこまで戻るのは、当然の帰結じゃないか」
「やっぱりか!?」
一同驚愕する中、カナリーだけは「やれやれ」と首を振っていた。
シルバの代わりに、今度はキキョウがロンに質問する。
「お、お主、名前は、ロン・タルボルトで間違いないな?」
「ああ……何だ、ここは、どこかの迷宮か? 何故、俺はこんな所にいる。いや、あの親娘は無事なのか?」
「ぬぅ……狼男になった経緯は今ので大体分かったような気がするぞ」
おそらく狼男に襲われそうになった誰かを庇い、ロンは傷ついたのだ。
そして、彼は狼男になった。
唸るキキョウに代わり、再びシルバが口を挟む。
「ここは、大陸の辺境アーミゼストの迷宮の中だ。詳しい話を聞きたいんだが……一回、迷宮を出てからの方が良さそうだな」
「アーミゼスト……だと? 何だって俺は、サフィーンからそんな所まで移動しているんだ。あの狼連中にそんな力があるとも思えなかったが……」
理解できん、とロンは不思議そうに天井を見上げていた。
「あ、あの、シルバさん……」
ちょんちょん、とシルバの肩を、タイランが叩いた。
「何だよ、タイラン」
「この人、その……狼男になった後の記憶が、なくなっているんですよね?」
「……そうみたいだな」
囁くようなタイランの声に、シルバも自然、小声になってしまう。
「これまでの記憶がなくなるって……それも残酷ですけど、じゃあ、ノワさんのパーティーに入ってから行なったことに関しては、どうなるんでしょう?」
それは大きな問題だ。
シルバは腕を組んで唸った。
「分からん。だが、最悪の場合はノワ達と一緒に牢獄行きだ。肉体が逆行しようと記憶がなくなろうと、ロン・タルボルトがノワ達の仲間だった事実は覆らない。キモは、コイツの言葉が信用されるかどうかだろうな。先生にはちゃんと説明するけど……」
「よく分からんが……」
ロンはキキョウを見上げると、身体を起こした。
しかし、痛みが残るのか、首筋を押さえて顔をしかめてしまう。
「ぐっ!」
「お、おい、回復は施したっていっても、溢れた血は失われたままだ。それにさっきのは相当な重傷だったから、完治って訳でもない。無理するな」
「ああ、俺もそう思う。思うが、しかし……」
シルバの忠告を無視して、ロンは立ち上がった。
おぼつかない足下を何とか踏みとどまり、キキョウを見据える。
「サムライだな。一手お手合わせ願いたい」
キキョウは武器を抜くでもなく、ロンと相対する。
「某か」
「そうだ」
青ざめた顔と、血に汚れたボロボロの黒衣装のまま、ロンは腰を落とす。
「俺が今、どういう状況にあるのかはよく分からない。アンタの名前も素性も知らん。……だが、アンタとは戦わなければならない気がする」
「左様であるな。そういえば、パーティーとしてはともかく某個人としては、ちゃんと決着がついていなかった」
同じように、キキョウも腰を落とし、刀の柄に手をやった。
「よいだろう。お相手いたす」
二人に挟まれ、シルバは戸惑ったように左右を交互に見た。
「おいおい、二人とも、一応普通に動くのも難儀なんだぞ?」
「シルバ殿、それは違うぞ」
「ああ」
ロンが右手を突き出し、構える。
どうやら使うのは、拳法のようだ。
「腕がもげようが足が折れようが、戦士にとっては相手に向き合った時が常に万全」
微かに笑うロンに、キキョウもニヤリと口元を歪めていた。
「うむ。たかが、足下がふらつく程度でやめる訳にはいかぬのだ。何、それほど時間は掛からぬよ。よいな、ロン・タルボルト」
「不満はない。やろう」
ロンとキキョウが動き、ぶつかり合う。
再び、高速での戦闘が開始される。
それを眺めながらシルバは距離を取り、頭を抱えてパーティーの輪に戻った。
すると、ボタンの背にうつ伏せ状態になった、ヒイロが笑っていた。
「ま、先輩には理解できないよー、これは」
そしてヒイロはネイトの方を向いた。
「魂に刻まれた戦いの記憶までは、リセットできなかったみたいだね」
ネイトは肩を竦めるだけだった。
「そこは僕にも理解できないね。そもそも、魂自体巻き戻されているはずなのだが」
「ボクももう一戦やり合いたいところだけど……ま、やめとこ。お腹が空いてしょうがないし、戦う理由がないからね」
残った体力と気力を惜しげもなく注ぎ込み、戦いに没頭する剣士と拳士を、ヒイロは羨ましげに見つめていた。