欲望を、信じろ
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御使 天利は平等主義者だ。
彼女はどんな生命に対しても分け隔てなく接し、平等に扱う。
そんな性格になったのは、彼女の両親もまた平等主義者であり、自らの娘に対し事あるごとに『どんな命も平等に扱わなければならない』と言い聞かせてきたからだ。
それ自体には何の問題もない。
むしろ、素晴らしい教えだろう。
教えを受けとる側が、曲々しいほど禍ってしまった少女でなければ。
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私、金剛 鍔芽は焦っていた。
文字通りすべてを見通し、大人な意見で場をまとめる役割を担っていた長田 鉄心は、自分達を見捨てて逃げようとしてあっけなく潰され。
年齢も比較的近く、出会ってからずっと互いに支えあってすぐ近くの脅威に抗っていた親友たち――三宅島 彼方、功力野 長史、マートン・ラムールの三人――は、天利の不意討ちにあって倒れてしまった。
今この場に立っているのは、自分と天利、そして頼れない――頼りたくない自分達のリーダーである鍛冶谷 加門の三人だけ。
……最悪……!
本格的に味方が一人もいないこの状況を、私はそう表現することしかできなかった。
「……あは……!」
心の底から嬉しそうに笑う天利の表情は、実に幸せそうで、今の自分とは正反対のものだ。
その事に絶望を深めていると、不意に隣の鍛冶谷が声をあげる。
「さ、三人とも、いい加減に起きてください。怪我らしい怪我なんかしてないでしょう?」
……怪我を、してない?
鍛冶谷の視線の先にあるのは、天利の凶器によって倒れ伏す三人の姿。
その三人のそばに転がる三つの綺麗な銀色はあまりにも鋭く、そんなものを主要器官がたっぷり詰め込まれた部分である胴体のど真ん中に喰らってしまったのだ。
怪我をしている、いないといった次元ではなく、生きているというだけでも奇跡であり、動ける可能性なんて考えるまでもなくあり得ないだろう。
……あれ? なにか、おかしい……?
と、ここで私は周囲の光景に違和感を覚え始めた。
その違和感は、倒れ伏す三人を見れば見るほど大きくなり、
「――っ、何が、怪我してない、だよ……!」
「……いったぁ……!」
「声すら出せずに動けない程度には、ダメージを受けていたさ。……まあ、ツバメのおかげでなんとか無事だがね」
という言葉と共にゆっくりと立ち上がった三人の姿を目にしたことで、その正体ははっきりとした。
……そうだ、刃物の銀色!
普通、人体に刃物が深く刺されば、無理に抜かない限り刺さったままになるはずだ。
もし刺さった場所や深さのせいで抜けてしまったとしても、その刃物は鮮やかな、あるいは暗い赤で血塗られていなければおかしいのだ。
だというのに、三つの刃物は全て地面に落ち、綺麗な銀色を放っている。
そして何より、立ち上がった三人の纏う衣服には傷一つない。
「わ、忘れないでください、鍔芽さん。貴女の能力で作った衣服を着ている限り、僕達は簡単には傷つきません。それを踏まえて戦況を見ないと、だ、大事な所で思考が停止してしまいますよ?」
弱々しく告げられた鍛冶谷の口調に苛立ちながらも、私はその言葉に納得するしかない。
よくよく考えてみれば解ったはずの事を理解できず、よりにもよって鍛冶谷なんかに指摘されてしまった自分に腹はたつが、それはそれとして一度思考を切り替える事にする。
三人が無事であったことを確認したおかげで――というか、自分が一人きりでないと知って――だいぶ余裕が出てきた私は、ここに来てやっと自分の能力を思い出した。
「さ、さあ、そんなに分かりやすい場所に立ってると、あ、危ないですから――」
「――わかってる」
表面だけ聞けば私の事を心配しているように聞こえるが、それだけは絶対にあり得ないと断言できる鍛冶谷の忠告に一言叩きつけてから、私は欲望を解放する。
「……天狗の隠れパーカー」
そう呟く私の手に現れたのは、何の変鉄もない灰色のパーカーだ。
正直、こんなまったく目立たなくてダサいパーカーなんて出したくはないが、そうわがままを言っていられる状況じゃないのはわかっているし、それに、
「――どうせ、誰にも見えなくなる」
自分にそう言い聞かせて、私はそのパーカーを羽織る。
すると、私の視界からあるものが消えた。
それは、私の手であり、足であり、胴体であり、そして自分では確認出来ないが顔でもある。
つまり、この瞬間、私の姿はこの場から消え去ったのだ。
「…………?」
倒れた三人が無傷であることに不服そうな表情を浮かべていた天利だったが、今は見えなくなった私を探して視線をさまよわせている。
そんな天利に対し、私は聞こえないようにぼそりと呟く。
「――さあ、私の華麗な着飾り、見られるものなら見てみなさい!」
その様は私の欲望とは正反対とも言えるものであったが、まあどうせ見えないものなのだと納得することにした。
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鍔芽の姿が消えたのを同時に認識したその場にいる者達の動きは、大きく三つに別れた。
一つは、安全だと思われる壁際までこっそりと避難すること。
これは姿を隠した鍔芽が取った行動だ。
次に、脅威に対して身構えること。
これを行ったのは、天利に敵対する四人だ。
鍛冶谷は一歩下がって、他の三人は一歩前に出てという違いはあるが、身構えるという行動には違いない。
そして、最後に、
「……あれぇ……? 一つ、消えたぁ……?」
と呟きながら、首をかしげること。
これはもちろん、天利が取った行動だ。
いるはずの相手がいなくなってしまった事が不思議でならないのか、キョロキョロと辺りを無防備に見渡している。
まるで隙だらけなその様子に、対する四人は無言で警戒を行うが、当の本人は全く気にする様子がない。
「……刺したのに立ち上がるしぃ、刺そうとしたら消えちゃうしぃ……」
心底つまらなそうな声色を隠すことなくそうこぼした天利は、うーん、と悩むように呻き声をあげ、
「……えーい!」
という気の抜けた掛け声と共に不意に右手を振りかぶり、その手刀をもって横凪ぎに空を切り払う姿勢をとる。
同時に、銀色の光が天利の右手から見えた気がして――
「――ふ、防いでッ!!」
鍛冶谷の焦った声に対し、反射的に顔をかばうようにした三人へ、先ほどと同じように三振りの刃物が放たれる。
先ほどとは違い、顔の中心を狙って突き進む刃は、しかし三人の腕に当たり、三人の顔を痛みで歪ませ、しかし、
「……やっぱり、刺さらないぃ……」
彼らの肌どころか衣服すら切り裂けず、地に落ちる。
三人着ている衣服はスーツにパーカーに半袖シャツと、間違っても防刃性能が高い衣服という訳ではない。
鉄板の類いを仕込んでいる様子はないし、何より功刀野に至っては半袖シャツに腕包帯という出で立ちで、どう考えても腕に刃を喰らって無傷で済むはずがない。
ならば、何故無傷なのか。
その大きな謎に、天利は頭を抱えて悩みこみ――
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――対象を絶命させうる行為に対する妨害要因の存在を確認。
――現在発生している事象内容を『防御性能の向上』と仮称。
――事象内容の精査開始。
――一度目の投擲と二度目の投擲状況を比較。
――腹部への投擲は無防備に受けたにもかかわらず、刺突から衝撃へ転換された模様。
――類似事象を検索。
――――防刃性能を付加された装備が該当。
――特記事項として、対象グループのブレーンと思われる者が二度目の投擲に対して防御指示を出したことを挙げる。
――腹部への投擲状況と頭部への投擲状況の差異を検証。
――――該当差異多数、現条件では完全な絞りこみは不可能。
――現状で目視されている超常現象を確認。
――既知の対象の目視が不可能になったという事象よりアプローチ開始。
――対象の発言にあった『天狗の隠れパーカー』という単語に注目。
――同名称を、ほぼ同時刻に出現した灰色のパーカーのものと仮定。
――同パーカーの形状等を検証、外見上は極ありふれた衣服の一種と判断。光学迷彩等の機能を有することはあり得ないと判断。
――各地の民話を検索、同パーカーと類似した名称を持つ『天狗の隠れ簑』の存在を確認。
――以上の観点より、再度腹部への投擲状況と頭部への投擲状況の差異を検証。
――――衣服の有無という差異を要検討事項として検出。
――投擲攻撃時、ブレーンは衣服のある部分への攻撃を見逃し、素肌が出ている部位への攻撃に警戒を促した可能性が高い。
――これまでの事象に衣服が関わっていることから、対象の能力を『衣服に効果を付与する能力』と仮定。
――妨害要因の内容を『衣服による防御性能の向上』と仮定。
――現在までの情報と矛盾しないことから、今まで仮定した情報を断定とする。
――妨害要因を発生させている人員を、現在目視不可能な対象であると断定し、排除方法を模索。
――通常の方法では探知不可能、もしくは非効率的と判断。
――能力保持者の認識をずらすことにより状況を変化させるすべを模索。
――模索終了。
――以下二つの言葉を自分なりに復唱し、周知させよ。
――一つ、『知っているか。能力保持者が死ぬと――
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鍔芽ちゃんが姿を隠してから、私、三宅島 彼方の目の前にいる少女――たしか、御使 天利とか呼ばれていた――は頭を抱え始めてしまった。
が、それも数秒ほどで終わり、先ほどまでとは変わって自信に満ち溢れた表情を浮かべた天利は、さっきまで投げるだけだった刃物を、今度はその両手に出現させて握りしめた。
……そんなもの、効かないのに。
鍔芽ちゃんはその欲望――『着飾りたい』によって様々な衣服を作り出す。
そして、今私達が着ている『着る者を守るように』と願われて作られたその衣服は、とても丈夫だ。
それこそ、あんな刃物なんか通さないし、銃弾だって受け止めてしまうだろう。
確かに衝撃そのものは無効化出来ないが、それ以上かたくすると動きにくくなってしまうのだから文句なんて出るはずがない。
……そう、文句なんて言えないんだ。
今も二度、そしてそれ以前からも、私たちは彼女の能力に守られてきた。
功刀野などは、半袖シャツ姿では腕が無防備になるからと、防御効果に治癒力向上の効果を付与した包帯まで渡されている。
もともと彼女の能力で出せるのは衣服のみのはずなので、包帯を衣服の――着こなしの一種であると認識するのは大変だったはずなのだ。
そんな彼女だったからあいつが現れるまで私たちのまとめ役を担えたのだし、あいつと違って人望もある。
私自身、彼女が同年代の同性である事を抜きにしても、彼女を尊敬できる人物だと思っている。
そんな彼女の能力が、こんなよくわからない女に破られるはずがない。
なにをしようが、全て徒労に終わるんだ。
「……ねぇ、知ってる……?」
両手に刃物を握った天利は何気なく、しかし何故かはっきりと聞き取れる声で言葉を放つ。
その声色はどこか不気味で、まるで天利の体を使って別のナニかが話しているような違和感があった。
「……このゲームって、欲望の持ち主が死んじゃうと……」
もったいぶっているように、あるいは普段からなれていない演技をしているようなぎこちなさで、彼女は続ける。
「……その欲望によって作られたモノの力が、全部消えちゃうんだってぇ……」
……え、それって……!?
もしそれが本当だとしたら、万が一鍔芽ちゃんが死んでしまったら、この服の防御効果もなくなってしまうと言うことだ。
今自分達が生きているのは彼女の能力が守ってくれているからであり、彼女の能力を頼って集まって来たのが自分達だ。
逆に言えば彼女の能力以外に自身の身を守る有効な手段を持たないということでもある。
もちろん能力のためだけで彼女のそばにいるわけではないが、それでもこれから先生き残っていくために不可欠であることは確かだ。
……守らないと……!
もとより持っていた思いを再度思い起こし、その誓いを果たすために動こうとして、
「――それとぉ、もう一つぅ」
ついでのように出てきた言葉が、また私達をその場に縫い止める。
何故か、彼女の言葉を無視することができなくて……。
「姿を消すタイプの道具の効果って大抵ぃ、姿以外を消すことが出来ないよねぇ……?」
……まさか、気付かれてる!?
確かに、その手の効果を発揮する道具の弱点は、音や匂い等まで隠してくれないと言うことだ。
だけど、今までそんな些細な情報を察知された事なんてないし、鍔芽ちゃんだって万が一の時を考えて静かに動いているはずだ。
……でも、もしばれているとしたら……?
鍔芽ちゃんは、防御はともかくとして、直接的な戦闘能力は低い。
だからこそ、戦闘に参加したり巻き込まれないように姿を消して隠れる戦法を真っ先にとるようにしているのだから。
確認することは出来ないが、今もおそらく私達の背後に隠れているはずだ。
……っと、危ない!
無意識に確認しようと後ろを向きそうになって、あわてて視線を戻す。
そして同時に、天利の狙いに気がついた。
……そうか、私達の視線から位置を割り出そうとしてるんだ!
自分では見つけられないから敵に教えて貰おうという作戦なのだろうが、そんなに甘い考えが現実になるわけがない。
「だから、ほら――」
……だから、そんな事をいくら言っても――
「眼を閉じていても、はっきり見えるみたいに居場所がわかるよぉ」
「だ、だめだ、鍔芽さん! そ、それ以上考えてはいけない!」
天利が前を見据えながら言ったのは、先の言葉と対して意味の変わらない、強いていうならほんの少し具体的にいっている程度の台詞だった。
その程度の言葉に対し最初に反応を返したのは、鍛冶谷だった。
かなりの焦りを含んだ彼の声色に、私は何事かと振り返ろうとして、
直後、背後から強烈な気配を感じた。
「――な、なんだ!?」
「つ、鍔芽!?」
それを感じたのは私だけではないらしく、功刀野とマートンまで背後を確認している。
だが、もともとそんな確認の必要なんてなかったのかもしれない。
先ほどから、そして今現在も感じている気配はとても強烈で、振り向くまでもなく――そもそも眼を閉じていても『誰かがそこに立っている』事がはっきりとわかるものだった。
それこそ、立っているのが鍔芽ちゃんで、パーカーを羽織って体全体をおおうようにして、鉄心を押し潰した岩の前に立ち尽くしていりるというような全ての情報がよくわからないのに頭に叩き込まれるのだ。
具体的に例えることが難しい感覚だが、そこにいる人の情報がダイレクトに伝わってくる。
普通に生活していればまず体験する事のない事態に、私達は混乱し、動けなくなっていた。
……い、いったい何が!?
なんとか事態を解明しようと思考を走らせるが、出てくる言葉に大差はない。
混乱に混乱が重なり、自分を縛ることしか出来ないのが現状だ。
そして、その隙を見逃してもらえるはずもなく……
「――あは、みーつけたぁ!」
その場にいた全員が振り向いたおかげでマークのはずれた天利が、即座の動きを見せる。
駆け出す勢いは、最初の一歩から全力だった。
前衛として前に並んだ私達三人の間を駆け抜け、鍛冶谷になんか目もくれず、私達に呆気にとられる間すら与えずに、天利は気配の塊――鍔芽のもとへ走る。
「――つ、鍔芽ちゃん!」
姿が見えないからといってさすがに相手の横を通り抜ける事はできず、行き止まりである巨岩の前に陣取ったのがあだとなり、鍔芽は逃げることが出来ないようだ。
せめてもの抵抗として左右に避けようとするが、
「――あはは!!」
という笑い声と共に天利によって投げられた両手のナイフが鍔芽の左右を通過して背後の岩に突き刺さり、退路をふさがれてしまう。
……まずい!
衣服による防御効果があるとはいえ、直接的な攻撃手段を持たない鍔芽が一対一で相対するという状況は、非常にまずい。
これからの防衛能力が落ちるという事を差し引いても、鍔芽に死なれるのは大きな損失だ。
なんとしても、それだけは避けなければならない。
だから、私は強く自分に言い聞かせる。
……間に合え!
小さい頃から体を動かすことが大好きで、色々な競技をずっとやって来た自分を信じろ。
成長するにつれて周囲との才能の差を強く思い知るも、体を動かすことを好きで居続けた自分を信じろ。
『運動がもっと得意になりたい』とずっと思い続けてきた自分を信じろ。
……このゲームによって開花した、欲望を、信じろ!
想像するのは、最速の自分。
全速力で走る天利に追いつき、追い越す自分。
万難を排し、鍔芽のもとへたどり着く自分。
……絶対に、間に合わせる!!
それらの思考を終え、振り向いた姿勢から体を前向きにし、走り出すまでを一瞬でこなした私は、風よりも早くなった。
思った通りに早くなり、思った通りに天利に追いすがる事の出来る私になることが出来た。
想像通りの自分を創造できた。
そして、
「――――――邪魔しないで待っててよぉ」
という詰まらなそうな言葉と共に、腹部へ強烈な衝撃が突き刺さる。
「――かッ!?」
肺に蓄えられていた空気が全て押し出され、背後に流れていた風景が停止し、疾走の勢いを殺しきれず体がくの字に曲がる。
体が折れ曲がり下を向いた事で、創造した最高の自分を打ち砕いたのが何なのか、見ることができた。
……木の、杭……!?
そこにあったのは、太さ10cmほどの丸太の先端を鋭く尖らせた杭だった。
長さが1m程もあるそれは地面から私の腹部に向かって斜めにはえており、それを確認してすぐ、私は今の状況を理解した。
……自分から杭にぶつかりに行って、止められた……!?
鍔芽のみを目指して天利の横を走り抜けようとして、地中から出てきた杭に気づかずに激突したのだ。
本来なら尖った杭に腹部を貫かれているところだったが、鍔芽の服のおかげで軽い呼吸困難と吐き気を催す程度で済んでいる。
だが、自分が混乱から覚めて現状を把握するまでの数秒は、天利が鍔芽にたどり着くのに十分な時間であった。
「とーちゃくー!」
間延びした声でそう言った天利の目前には、目に見えないけどはっきりわかる誰か――鍔芽がいた。
眼前には天利、背後には巨岩、左右には刃物と、鍔芽の逃げる隙はどこにもない。
いや、正確には頭上――上空が残っている。
このゲームでは空を飛ぶ事なんて欲望を応用すれば簡単に叶う。
鍔芽ならば『空を自由に飛べる服』を作ればいい。
たったそれだけで、鍔芽は助かることが出来たのだ。
そう、天利が目の前に到着するまでにその方法を考え付く事ができていれば。
「――はい、これあげる!」
そう言いながら笑顔の天利が鍔芽の足下に転がしたのは、何の印字もない鉄色一色のスプレー缶のようなものだった。
噴出口が少しごちゃごちゃしてはいるが、それ以外はなんのへんてつもないスプレー缶。
何の用途に使われるのか、見た目からはさっぱりわからない。
そして、それが何なのかを考えてしまったために浪費してしまった一瞬が、鍔芽にとって文字通り致命的な物となった。
「それじゃあ、ごゆっくりぃ」
ほんわかした雰囲気を保ったまま天利はそう言うと、後ろに一歩下がり、鍔芽から離れる。
この距離まで近づいておきながらなぜ離れるのかと疑問に思う暇もなく、次の変化が畳み掛けるように発生した。
「ひとーつ」
まず起こったのは、出現。
鍔芽の頭上をふさぐように、透明な立方体が現れたのだ。
それはガラスかプラスチックで作られたように見える、一辺が1.5m程の箱だった。
底面のみが開放されたその箱は、側面の下の方にいくつもの穴が空いている他は、継ぎ目らしい継ぎ目もないきれいなものだった。
「ふたーつ」
その次に起こったのは、落下。
空中に何の支えもなく突如出現したその物体は、当たり前のように重力に従い落ちてくる。
「みーっつ」
続いて起こったのは、閉鎖。
重力にしたがって落ちる先には、当然真下だ。
そこにいるのは、未だに頭上の変化に気がつかない鍔芽。
当然の事が重なれば結果も当然のことしか起こらない。
底面の開いた箱は、鍔芽の全身を覆うように被さる。
「よーっつ」
突如起こったのは、炸裂。
箱の出現に驚く鍔芽の足下にあった金属缶から、文字通り気の抜けるような音が響いたのだ。
プシュッ、というかん高いな音から始まり、その後も継続して音をたて続けるその缶からは、しかし何も出ていない。
何の意味があるのかわからないその物体を、鍔芽は油断なく警戒し、そして、
「いつーつ」
の掛け声とともに、全身の力を抜いて倒れ伏した。
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