言い訳じみたモノローグ
このお話は、残酷な描写を含みます。
そのようなものが苦手な方は見ないことをお勧めします。
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僕、有松 博は、独りで在ることを愛している。
静かな場所で、にぎやかな場所で。
広い場所で、狭い場所で。
暑いところで、寒いところで。
自然豊かな森で、人工物あふれるビル街で。
どこであってもただ独り、ただぽつんといることが心地よいのだ。
本を読んでいてもいい。
何かをつまんで小腹を満たしていてもいい。
寝ていてもいい。
何もしていなくてもいい。
重要なのは、登場人物が自分のみであり、自分以外の余計な変化が発生しないこと。
そんな時間と空間を、僕は至宝と感じている。
さすがに小さいころからそうだったわけではなく、保育園の頃は『オトモダチ』と仲良く走り回って遊んでいたが、それは飽くまで自他の区別がついていなかったころまでの事。
『自分』と『タニン』が明確に区別でき、そして『タニン』という存在が、『自分』に変化を強制してくる存在だと認識できた時、僕は僕として誕生したのだろう。
それ以来の僕は、苦痛にまみれた世界で過ごさなければならなくなった。
トモダチとは仲良く『一緒に』過ごしましょう。
『独りで行動』して和を乱してはいけません。
『みんなの』常識に当てはまらないことは非常識です。
そんな、世間一般にとっての『アタリマエ』が僕に絡みつき、放してくれない。
しかもそれが周囲の『ゼンイ』によるものであると理解できてしまったから、なおさら突き放せない。
もとより突き放すだけの『ツヨサ』があるわけでもなく、弱い僕は本心を隠してへらへらと愛想笑いを浮かべて過ごしている。
間違っている自分を自覚していても、さりとて正しい『ジブン』を作るだけの器用さもなく。
『セッキョクセイ』のかけらも出さず、理解のできない『ジョウシキ』の中で、ただただ日々を受け身で過ごす。
そうして、もはや自分が何を求めていたのかもわからなくなり、『ニチジョウ』に溶け込むことが当たり前になってしまった。
そんな『ニンゲン』が、僕。
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だからこそ、僕の心はひそかに、どんどん頑なになっていく。
誰かに僕を理解できるわけがない。
所詮は他人だ。
だから。
僕を知らないくせに僕の心の中に入ってきて欲しくない。
僕を理解もできないくせに僕の心の中に入ってきてほしくない。
入ってきて、踏み込んで、踏み荒らしてほしくない。
入ってきて、踏み込んで、踏み荒らすな!
--ここは、僕の心だ!
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これから始まるのは、勝者が存在しない物語。
だれが勝つかではなく、いかにひどい負け方をしないかを追求しなければならない物語。
飽食に逃げた少年も、
銃器の解放感に身を重ねた少女も、
人外に心を奪われた少年も、
すべての命を平等だと捉えた少女も、
愛を餌にした少女も、
世界のすべてを欲した少年も、
全ての支配を望んだ少年も、
神の力に救いを求めた少年も、
--そしてもちろん、この僕も。
すべての登場人物が、ことごとく敗者であることが確定している物語。
終わってみれば、残ったのがみじめな僕だけであることが当たり前のことだとすんなり理解できる物語。
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とはいえ、それはすべてが終わった今だから言えること。
神様自身が『大罪のゲーム』と名付けたこのゲームを生き残ってしまった僕が得た結論だ。
17歳の夏に起こったあのゲームで『変えられてしまった僕』だからこそ言える言葉だ。
それまでの僕は、『化け物』そのもののような主義主張を持っていることを除けば、僕は普通の学生だった。
普通の高校二年生らしく、テレビも見れば漫画も読むし、もちろんゲームもする。
入学したばかりの頃の緊張も消え、受験にもまだ早いと考えているいわゆる中だるみ状態で、主義主張にのっとり誰かに話しかけられれば答え、授業を受け、わからないことは先生に質問し、部活には入っていないので放課後はすぐに帰宅し、少し休んだ後宿題をはじめ、その途中で母親に呼ばれ夕食を済まし、そのあと宿題を片付けて風呂に入り、いつも見ているバラエティー番組を見て、翌日の準備をし、もうすぐに迫った夏休みに思いをはせながら眠りにつく。
得意教科は数学と理科で苦手なのはいつも赤点リーチの英語。
家は一戸建てで、両親と一緒に住んでいる。兄弟はいない。
僕は、そんな感じの、世の中に十人に一人はいそうなごく普通の一般人だ。
否、ごく普通の一般人だと思い込んでいた。
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だから僕は、最初にあんな非日常に巻き込まれたとき、どのように反応したらいいかわからなかったんだ。
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