2. 二百数える間に
「百五十……百六十……」
数えは、荷揚げ屋の時計だ。
俺のスキルは、立ち止まりに厳しい。止まっていられる持ち高は二百きり。使い切る前に歩き出せば、一歩につきひとつだけ戻ってくる。走っても、足踏みでも駄目だ。荷を背負った歩きだけが、俺の時計を巻き戻す。だから受け渡しは百八十で切り上げて、白い道を二百歩往復して、また膝をつく。それが作法である。
「百八十。……一度、離れます。急かしたいわけじゃない。俺の道の都合です」
渇いた人間を目の前にして、水を置いて歩き出す。ひどい作法だと自分でも思う。それでも、この作法だけが十二人ぶんの帰り道を保たせる。振り返れば、俺の道は闇の底で一本きり、細く光っている。あの光の端で十二人が待っていると思うと、二百歩の往復さえ惜しい。惜しいが、作法は作法だ。
犬潜りの前に膝をつき直し、水の袋を押し込む。
「まず水は、いちばん悪い人から。ただし、いきなり飲ませないでください。一口含んで、十数えて、また一口」
穴の奥から伸びてきた指は、埃で白かった。水袋の胴に触れた瞬間、指先の震えが袋越しに伝わってくる。生きている人間の震えだ。俺はその震えごと、荷を静かに手渡した。
「折れた足の方は、いますか? 副木と晒しを通します。膝の上と下、二箇所で結んで。結び目は外側です。……声で言います、そのとおりに巻いてください」
見えない相手に、声だけで手当てを渡す。荷揚げ屋の仕事の半分は、届けた先で荷を使える形にすることだ。晒しの巻かれていく衣擦れの音を、俺は数えの裏で聞いていた。
「――こちら、支隊長。生存十二。負傷四」
瓦礫の向こうの声は、割れてはいたが、折れてはいなかった。
「足の骨折が一、裂傷が二。それと……副長が、熱で朦朧としている。水は、そいつから回した」
「正解です。粉は水に溶いて。塩と糖です、味は謝ります」
穴の奥で、若い声が小さく「……うまい」と言い、それきり嗚咽に変わった。誰かが背中を叩く音がする。順番を守る低い声がする。統率は生きている。なら、帰れる。
五十、六十。水袋が穴の奥へ消えるたび、背中がひとつ軽くなる。軽くなったぶんだけ、胸の側に別の重さが積まれていく。荷が軽くなる夜というのは、そういう夜だ。
「これから、そちらの穴を広げます。出られるようになったら、荷物は置いてください」
「装備もか? 支給品だぞ」
「荷物は置き、命だけ積む。……歩く速さが、そのまま命の速さになります。鉄は、また買えます」
一拍の間があって、支隊長の声が向こうで言った。全員、聞いたな。置いていく――と。
瓦礫を選んで抜き、犬潜りを人の幅に広げる。這い出てくる順に、俺は声で数を打った。
「ひとり。ふたり。……頭を下げて、光の上へ。そこはもう、俺の道です」
出てくる顔は、どれも埃と乾きで白い。まばたきするたび、白い道の光が痛むらしい。それでも一人ずつ、光の上に足を置いた瞬間、肩から力の抜ける音が聞こえる気がした。最初の通信の、あの若い声はどれだったのだろう。考えかけて、やめる。全員連れて帰れば、確かめる暇はいくらでもある。
俺の荷には、目方の決まりもある。紐に掛かる荷が十キロを切れば、道は消える。水を降ろし切った俺の枠は、道具を入れても十キロを割るのだ。だから降ろし切る前に、次の十キロを肩に作る。予備の枠に水袋と道具を移して先に肩へ掛け、それから主荷を組み替える。〈先掛け〉――次の荷を掛けてから、前の荷を降ろす。荷揚げ屋は、何があっても肩を空にしない。
並んだ十二人の顔を、俺は一度ずつ見た。いちばん若いのは、まだ十代に見える。その若さが、さっきの無線の声と同じ震え方をしている。
俺は隊列を切った。
「歩ける人は前と後ろ。折れた足は真ん中。熱は――俺の背中です」
槍を二本、紐で組んで折れ足の男の松葉杖に変える。男が掠れた声で笑った。
「……槍が、こんな役に立つとはな」
「いい槍です。今夜は、杖の名人ということで」
熱の副長は、背負子ごと背負った。四十を過ぎた男の体は、乾いて軽い。軽さが、そのまま残り時間の話をしてくる。背中に移ってくる熱が俺の歩幅を勝手に広げようとするのを、数えで抑えた。
「白い道の上なら、魔物は乗ってこられません。崩れもしません。疲れたら、座って休んでいい。……止まれない枷は、俺ひとりでいい」
「あんた、いったい――」
「荷揚げ屋です。それ以上のものだったことは、一度もありません」
ただし、と俺は天井を指で差した。
「固まっているのは足元だけです。天井までは、俺の道も面倒を見きれません。上の音にだけは、耳を残しておいてください」
白い光の帯の上を、十三人が歩き出す。十二人ぶんの足音が、俺の道の上で少しずつ揃っていく。後ろのほうで誰かがまだ泣いていて、その泣き声さえ、歩調の一部になっていく。俺の敷いた往路は、そのまま復路になる。これがこの稼業のいちばんいいところで――いちばん、祈りに似ているところだ。
その言葉が呼んだわけでもないだろうが。
背後の闇の奥で、低い地鳴りがした。




