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第32話:藤沢 詩織

 渋谷女学院の制服に袖を通したとき、胸の奥が少しだけ誇らしかった。

 古典的なセーラー服、ブルーが眩しいスカーフ。

 街で「あ、あの制服だ」「渋谷の白鳥みたい」と振り返られるのを感じるたびに、自分が“特別な場所”に足を踏み入れたのだと実感する。


 公立中学の頃とは、何もかもが違った。

 クラスの子たちは、それぞれの家庭もそれなりで、帰国子女も少なくない。

 英語が飛び交う会話に最初は戸惑ったけれど、すぐに慣れた。

 勉強もハイレベルだったが、それが苦痛ではなかった。

 むしろ新しいことを学ぶたびに「パパに話して聞かせたい」と思うと、自然とやる気が湧いた。


 学校の制服は有名で、時折、駅前で「写真撮らせてよ」とか「連絡先教えて」と声をかけてくる男子がいた。

 でも、誰も相手にしない。

 私ももちろん無視した。

 ——だって、私には比べる対象がある。

 パパと比べれば、どんな男性も色あせて見えてしまうのだ。


 毎日の通学で、必ず目に入るものがある。

 渋谷駅前の高層タワービル。

 そこに、パパの会社が入っている。


 電車を降りてビルを見上げるたびに、胸がふわっと温かくなる。

 ——パパは今も、このビルのどこかで働いているんだ。


 友達が「もうお父さんには近寄らないで欲しい」と愚痴をこぼすことがある。

 厳しかったり、説教ばかりだったりするかららしい。

 「臭い」「汚い」「小うるさい」というのが理由の殆どだ。

 ちょっと酷いな。

 でも、私は違う。

 私は、もっとパパと話したい。もっと一緒にいたい。

 だから、そういう気持ちを「分かる」とは絶対言わなかった。


 ビルを見上げる時間は、私にとって特別な儀式になった。

 「今日は忙しいのかな」

 「パパの部下の女性たちはきっと優秀で美人なんだろうな」

 「でも……パパってモテそうだから、職場でトラブルになったりしないかな」


 そんなことを考えている自分に、時々笑ってしまう。

 ——まるで恋をしているみたいだ。

 でもそれは、恋とは違う。

 私にとってパパは唯一無二の存在。

 この世界で誰よりも信じられる、私だけのパパなのだ。

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