検証と反撃
石造りの素朴な礼拝堂には麦を抱えた女神の像が祀られてあり、その足元の台には供物と思われる花や果物などが置かれていた。
台の大きさに比べるとささやかな量だ。藁くずなども少し落ちている。もしかしたら、今回の避難民支援のためにここからも食料を持ち出したのかもしれない。
タイタにこの国の一般的な祈りの作法を聞き、両手の指を組み合わせて祈った。
災害に見舞われた人々の安穏を願うと同時に、災害支援をするに際して起きた数々の幸運と人の縁にも感謝を捧げる。
どうかどうか、避難された皆さんに早く穏やかな日常が戻りますように。
自然と膝をつき、ずっと手首に着け続けていたブレスレットを外して握り込む。深緑湖で買ってもらった、深緑の石と黒い木のビーズがあしらわれたブレスレット。数珠を握り、亡き祖父の仏壇に娘の帰りを祈っていた祖母の姿が脳裏に浮かんだ。
長らくそうしていたが、いつまでもこうしていては話ができない。私は涙を手の甲で拭い、立ち上がった。
「ミカ」
ザコルが静かに語りかける。
「まず、隠し事をして申し訳ありませんでした。僕が…」
ザコルが手を出そうとするので思わず後ろに避ける。
「まだ怒っていますか。ごめんなさい。…それとも、僕の事が怖くなりましたか、それなら」
ザコルの傷ついたような顔に、余計に苛立ちが募った。
「どうして私が怖がらないといけないんですか。それに、何かを隠そうとしたことに怒っているんじゃありません。隠さないといけない程の事が判ったんでしょう。何の覚悟が決まったのか知りませんが、無理に触れようとしなくていいですよ」
「無理に? 何を…」
彼は不可解そうな顔をする。
「何ですかその顔。そっちが怖がってたんじゃないですか、私の事を…」
静寂の中で誰かがゴクリと喉を鳴らす。それが答えのように思えた。誰の顔も見られずに俯く。
「違いますよ! ミカさん、ザコル殿は…!」
エビーが叫んだ。
一瞬呼吸を忘れたように固まっていたザコルが、ハッと息をふき返す。
「ち、違う、ミカ、どうして…エビーの言う通りです、違うんです。確かに僕はあなたを避けてしまいましたが、断じてあなた自身を怖がっていた訳では…!」
ザコルはその言葉を証明するように再び手を差し出す。
「避けたのは全く別の理由です。隠そうとしたのは、ただ、ミカのためを思って…。結果、不安にさせてしまったなんて、すみません、すみませんでした、ミカ」
涙がじわりと湧き上がる。
ザコルは動かない私をそっと抱き寄せた。
この世界に来てから泣いてばかりだ。魔力のせいもあるかもしれないが、日本にいた時はいつ最後に泣いたかも思い出せない。
祖母と家から離れてからは、私にはもう、泣く理由すらも無かった。
「…これからあなたに告げる事は、あなたを不幸にするかもしれません。でも、僕はあなたに自分自身を大切にしてほしい。ミカが僕に願ってくれたように。約束してくれますか、ミカ」
「…話の、内容によります」
ついそっけない言い方になってしまう。
言葉を尽くしてくれる人相手に大人げないとは思うものの、まだ気持ちの切り替えができていなかった。
「あのっ、ミカさん! 本当に、本当に申し訳ありませんでした。俺、ミカさんの気持ち全然解ってなかったです。ただ単純に知らない方がミカさんのためになると思って」
「いいよ、エビー。ちゃんと解ったから」
私はザコルから体を離し、涙を手で拭う。
「ザコルとエビーは、私のために隠そうとしてくれたんでしょ。もういいよ。…さあ、怖いけど、ちゃんと聞かないといけないですね」
これ以上いじけていても時間の無駄だ。
「では、俺は外でお待ちしています」
『えっ』
全員がその声の主を振り向く。
「タイタ? どこへ行くの」
一礼して扉に向かおうとするタイタを呼び止める。
「扉の外に待機させていただくだけです。ザコル殿とエビーが隠すべきと判断したのでしょう。でしたら、俺は聞くべきでないかと」
振り返ったタイタは淡々と言った。むしろなぜ止められているのか疑問に思っているようだ。
私はジロ、とザコルとエビーを睨む。
「タイタ、待って。二人に弁明の余地を与えるから」
「は、弁明ですか、ザコル殿とエビーに? な、なぜ…」
タイタが戸惑ったように私達三人の顔を見渡す。
ザコルは私に小さく頷いてみせ、タイタの方を向いて腰を折った。
「…どうやら君にも誤解を与えたようですね。申し訳ありません」
「あ、俺も、すみませんでした!」
エビーもザコルに合わせて腰を折る。
「そ、そ、そんな! どうして…っ、いや、エビーはともかく、ザコル殿! あなた様が俺に頭を下げられるなど本来あってはならないことです!」
「そうでしょうか。主、セオドア様に仕える者という点で僕らは平等でしょう。君の事は、何と言うべきか、猟犬ファンの集いなる組織の一員として、正直どう扱うべきかと迷いがあった。ですが、それ以前に君は、主に認められてここにいるテイラーの正騎士だ。その立場を軽んじたのですから謝罪は当然の事かと」
「いえ、しかし…!」
「それに、この話を君が聞くかどうかは、僕らの判断ではなく、ミカの判断を仰ぐべきです」
「それは、その通りですが…」
タイタがこちらに視線を移した。
私はふむ、と頷く。
「何の話をするのか分かりませんけど、十中八九私の能力に関する話ですよね? だったらタイタも聞いて。もう隠すのは疲れたって言ったでしょ。私は、君を信用してるよ、タイタ」
「ミカ殿、ですが、俺は本当に察しも悪く…」
私は首を横に振る。
「タイタは、確かに融通の利かない所はあると思う。それに衝動的になっちゃう時だって。でも、一度お願いした事はしっかり守ってくれる人だって事は、この短い間だけでもよく分かった。君になら秘密の一つや二つ、問題なく預けられると思ってるよ」
きゅ、とタイタが唇を引き結ぶ。
「タイタ、ミカもこう言っていますから。どうか、この場に留まってくれませんか」
「あ、頭をお上げください!! 先程からどうして俺などに…! あなた様は軽々しく頭を下げていい御仁では」
「それを言うのなら、君こそどうして僕などを尊重してくれるのですか。貧乏子爵家の八男にして、長年暗部で泥をすすり、果ては形だけの名声を充てがわれた捨て駒、それが僕だ。そんな者に一体何の価値があると…」
タイタが再びキュッと唇を引き結ぶ。今度は眉間にも皺が寄った。
「申し訳ありません、ザコル殿。それ以上あなたがご自身を卑下なさるのは…! どうにも、耐えられそうにありません」
タイタが私達の前で不機嫌な様子を見せたのは、これが初めてだったかもしれない。
今まで私やエビーに説教されても、ザコルがエビーにだけ秘密を共有しても、決して怒ることのなかったタイタが。
「俺、いえ俺達は、ザコル殿を慕っているんです」
「はい、それは聞きました。でも、これは今の僕の正直な気持ちなのです。それに君は…」
「ねえ、私も今の言い方はあんまりだと思います。私はタイタにもファンの集いにも感謝しています。少なくとも同志村のリーダー達はあなたのためだけに動いてくれているんです。その気持ちが信用できると思っているからこそ、彼らにお願いもしたんです。聴いていましたよね」
ザコルのマントを引っ張って抗議する。いくら本人とはいえ、人の好きなものを無価値のように言うのは良くない。
「はい。なので最後まで聞いてください。それで、僕はどうにか考えを改めたいんです。僕も、タイタとあの同志達を理解したい。僕の態度は誠実ではありませんでした。かつてミカにもそうしてしまったのに、反省のない事だ…」
「ザコル殿…」
自嘲するザコルに、タイタが戸惑ったように呟く。
「タイタ。今の発言を含めた僕の非礼を許してほしいのです。お願いします」
ザコルがまた頭を下げる。
「そ、そ、そんな非礼などと! 非礼は平民である俺の方ではないですか! 大体、お、俺を信用できないのは仕方がありません。俺自身が俺を信用できないくらいで…」
「君こそどうしてそこまで自分を卑下するんです。僕には卑下するなと言うのに」
「あ、あの、ええと…」
「君はきちんと主家やミカに信用されているでしょう。やはり何か誤解があるようですが、僕も君に恩がありますし、叛意があるなどとも思っていません。それに武人として評価しています。基本を疎かにせずしっかりと鍛錬を積んでいますね。君は、強い」
「は…………」
タイタの動きが一瞬止まる。急に褒められてフリーズしかけたようだ。
「なぜ君とこの話を共有できなかったかと言えば、昨夜は単に機会が無かったのと、先程も言いましたが、僕自身ファンの存在というものがよく理解できていないからです。ミカの情報をどのように扱うのかも予測できませんでしたし」
「嫌ですねザコル。訓練されたオタクが推しの不利益になるような事するわけないでしょ」
「訓練されたオタク……?」
ザコルが不可解顔になる。
私はコホン、と咳払いをした。
「要するに、ザコルが私を護っている限り、その任務の妨げになるようなことは控えてくれるって事ですよ」
「…なるほど。何となく理解しました」
ザコルが頷く。
「何にせよ、僕は君を軽んじていい立場にない。今後は遠慮なく意見もしてほしいと考えています」
確かに、タイタは護衛であり私達の監視役でもあるはずなのだ。身分を理由に引く理由などない。
「俺にもすよ! ミカさんには俺の指示に従えって言われたかもしれませんけど、思う事があればちゃんと言ってください!」
エビーも横から口を挟む。
「そうだね。私がタイタの意見を殺すような指示をしたのがいけなかったかも。君は、ザコルやエビーに物申したっていいんだよ。同じ護衛としてね」
タイタは言葉に迷ってしばらく逡巡したのち、姿勢を正した。
「わ、分かりました。いえ、恐れ多いことですが、護衛としてご意見できるよう鋭意努力したいと思います」
「真面目だねえ。タイタが常に努力してくれている事は分かっているよ。ありがとう。あーあ、今日は二人が私達を除け者にするから寂しかったねえー」
私はザコルの隣を離れ、タイタの側に寄る。
「い、いえ、ミカ殿はともかく、俺には不相応な感情かと」
「そんなことないよ。私達、仕事で関わってるだけの仲かもしれないけどさ、今は二十四時間拘束されてるんだもん、精神衛生を保つのも大事なことだよ」
「そうでしょうか…」
「そうだよ。君は特に頑張り屋だからね。私に付き合って避難民支援も懸命にやってくれたし、同志達を呼んでくれたのもお手柄だし、私の行く先の下調べも変わらずにしてくれてる。そこの二人にはこれ以上、可愛いタイタを蔑ろにしないようキツく言っとかないといけないね」
「か、可愛い…? し、しかし」
「大丈夫。君は何も悪くない」
タイタはこの四人の中で一番上背があって無骨な印象だが、普段の素直で穏やかな性格から『可愛い』という言葉が似合う人だ。工作員モードは少々パンチが効いているが、頼りがいがあってそれもいいと思う。
「タイタは素直だし、いつもニコニコしてるから癒されるんだよね。私にも思う事があればいつでも意見して。私の方こそ至らない所がたくさんあると思うし」
「そ、そんな事は決してありません! ミカ殿はいつだって正しくあられて…! …ああ、ですが、今日こそはしっかりと休んでいただきたく」
「ふふ、そうだね。今日は必ず休みましょう」
「はは、ようやく約束してくださいましたね」
ニコニコ。ニコニコ。
「ミ、ミカさん、その辺で…」
タイタと仲良く微笑み合っていたら、エビーが青い顔で制してきた。
「…確か、『可愛い』とは大事な人にしか言わない、でしたか。ミカ、そんなに休みたいなら僕が一緒に寝てあげましょうか」
ザコルが私に迫ろうとしたら、タイタがサッと私の前に出た。
「何ですか、タイタ」
「……ご、ご無体を働かれるのは、看過できません……ご、護衛として!」
ザコルが虚をつかれた顔をする。
「ありがと、タイタ」
私はタイタの背中をポンポンと叩く。
「ザコル、エビーも。別に仲良しごっこしたい訳じゃないですけど、今は四人しかいないんですから。輪を乱すような真似は控えてください。隠し事するならもっと上手くやってくださいね?」
『はい、すみませんでした』
言いすぎたかとも思ったが、二人は素直に頭を下げてくれた。
◇ ◇ ◇
四人で誰もいない礼拝堂の椅子に座り、声を潜めて今回判った私の涙の事について話をした。
全席が前向きのベンチシートのため、最前列の席に横並びで座る。
今回はちゃんとザコルが私の右隣に座ったので、私の左隣にタイタ、ザコルの右隣にエビーが座った。
「これは……確かに多くの人間に聴かせる話ではありません。この鈍い俺にも解ります。たとえ重度の猟犬ファンだとしても、身近に怪我をした者がいればミカ殿に縋ってしまうかもしれません。ミカ殿の許可なくしては、たとえオリヴァー様相手だとしても決して口外はしないと誓います」
タイタが重々しく言った。
どうやら私の涙を口にすると怪我が治ってしまうらしい。皆が重苦しい顔をしている。
何だそんな事かと言える雰囲気ではない。
正直、それはこれまでに予想した事の一つでもあったので、ショックという程ではなかった。
泣く事で魔力過多的なものが解消されていた事実を思えば、涙に何らかの魔力、魔法効果が含まれているかもしれないと考えるのは自然だ。私には自己治癒能力もあるので、治癒効果が含まれるというのはむしろ納得の結果である。
「えっと、まず言っておくけれど、私はこの能力で不特定多数の人を救おうと思う事はないよ」
「意外すね。最悪、避難所でばら撒く事まで想定してましたよ」
エビーがそう言った。
私は首を横に振る。
「そうしてこの場の人を特別扱いしてしまう事が、後々どういう事態を招くのかくらいは想像できるつもり。少なくとも自然治癒できそうな怪我に対してこの能力を使う事はないです。もちろん、目の前で誰か瀕死の大怪我でもすれば話は変わりますけど…」
涙が回復ポーションの役割を果たせるなら。切り札にもなり得る非常に有用な能力だ。
もちろん不用意に喧伝などすれば、治癒希望者が殺到したり、さらなる追っ手を呼び寄せたりと、碌な事態にはなるまい。
治癒能力といえばまさに乙ゲーヒロインにありがちな能力だが、現実にそんなものを授かれば『宝くじが高額当選して顔も知らない親類縁者にたかられる』のと同じ状況になるのが目に見える。
縋ってきた人全員を平等に治癒してやれれば解決するかもしれないが、私の身一つではそうもいかないだろう。
「ばら撒くつもりがない事には安心しましたが…。この事実をミカがどう捉えるかと、僕は怖くてたまらなくて…」
「そうそう、俺もやべーなって思いましたよ。何するか分かったもんじゃないって…」
ザコルとエビーが二人揃ってどんよりする。
「何を大袈裟な…。そうは言っても涙でしょ? いいじゃん死ぬわけじゃなし」
沈んでいた二人がバッと同時にこっちを見た。
「ほら、言った! 絶対言うと思った!」
「そういうところですよミカ! 僕は、あなたが涙を搾り出すために自傷でもしかねないと心配して…!」
二人が口々に責め立ててくる。本当に随分と仲良しになったものだ。
「はあ、何言ってるんですかねえ。自分の小指を折ってまで検証した人にだけは言われたくないんですが?」
ザコルを睨みつけると、サッと目線を逸らされた。
「ねえ、ザコル」
「な、何です」
「何を勝手に怪我してるんですか。治らなかったらどうするつもりだったんですか」
「検証の前に必要な犠牲です」
「ふーん」
「それに小指くらいどうという事はありません。鍛えてますし」
「ふーん。ねえ師匠」
「その呼び方はやめてください」
「ちょっとお願いがあるんですけど」
「な、何です。シショーと呼ぶのをやめてくれたら聞きます!」
ザコルが目線を逸らしたままで言う。
「確か、前はずっとシショーって呼んでましたよね。何があったんすか…」
エビーが呆れたような顔でザコルの様子を見ている。
「私は長いこと師匠って呼んでたから愛着もあったんですけどね。そんなに嫌われたら悲しいな。泣きそう」
「一生シショーで構いません!」
ザコルがバッとこちらを見た。
「…まあ、いいです。ザコル。もう一度怪我をしてくれませんか?」
そう言ったらエビーとタイタまでバッとこちらを見た。
「ミ、ミカ殿、やはり、まだお怒りが収まらないのですか?」
「え? いや、怒ってる訳じゃ」
「そうすよねいくら怒ってたってそんな事言いませんよね聴き間違いすよね!?」
「ミカがそう言うなら折りましょう」
あー!! とエビーが制止するが早いか、ザコルはあっさりと左手の小指を折った。
はあああ…。私は深く溜め息をついた。
「ザコルって、時折本当におバカですよね」
「何ですか、ミカが折れと言ったんでしょう」
「折れなんて言ってません。どうして最後まで話を聞かないんですか。もっと小さな怪我でいいのに……仕方ないですね」
私は席を立ち、ザコルの前で屈む。
「仕方ない…? 何が、えっ?」
戸惑うザコルの顔を両手に包み、その唇に自分の口を合わせた。
舌で唇を割り、口内に自分の唾液を何度かに分けて注ぐ。
しばらくして、ザコルがごくん、と飲みくだした。
「こんなもんですかね。どうですか?」
私は自分の唇についた唾液を舐め取った。
ついでにザコルの胸ポケットからハンカチを勝手に出してザコルの口元も拭く。唾液がこぼれて顎を伝ってしまっていた。
ザコルが何も言葉を発しないので、私は席に座り直してザコルの左手を観察する。
逆側に曲がっていた痛々しい姿の小指が、徐々に元の形へと戻っていく。数分経つと、薄いあざを残してほぼ治った。その手を取って小指を曲げたり伸ばしたりしてみる。
「よし、治った! すごい、本当に治りました! ほらほら、涙以外の体液でも同じ効果が得られると判りましたよ。さっきから気になってたんですよねえ、果たして涙だけの効果なのかなって。あ、そうだ、これって副作用とかあるのかなあ。でも、前に私の飲みかけ飲んだりもしてましたよね、よっぽど大丈夫だと思うんですが…。ザコル、協力ありがとうございます。あ、でももう絶対に小指は折らないでくださいよね! これは絶対…………あれ?」
はて。せっかく治ったのに、さっきから誰も言葉を発しない。
「どうしたの皆、黙っちゃって。ほら、涙より唾液の方が採取が楽でしょ。これならいちいち泣かなくていいし、切り札にもしやすいじゃない。次は血液かな。私の体の一部なら何でもいい可能性もあるよね。それはまた追々検証しますか」
ザコルも全く動かない。というか固まっている。
「…ふむ、ザコルでも心神喪失状態になることあるんですね。仕方ない、ザコル、ほら、立てますか」
ザコルの手を引くと素直に立った。
「何これ不思議…。何で意識なさそうなのに動くんだろ。えっと、この人、しばらく休ませようと思います。この近くで自由に使える部屋があるか知ってる?」
タイタに問いかけると、はっと我に返ったように目が合った。
「お、おそらく待機部屋か、給湯室があると思います。この礼拝堂はよくある造りなので恐らく…」
「あそこにある扉の向こうかな。タイタ、申し訳ないんだけど、毛布を二枚もらってきてもらえる? 私も少しお昼寝しようかと思って」
「しょ、承知しました」
タイタはスッと立ち上がって一礼し、駆け足で外へと向かった。
私はザコルの手を引いて待機部屋とやらに向かおうとする。
「ちょ、床に寝る気ですかミカさん。敷物でもないか探しますから、少しここで待っててください」
エビーも立ち上がって動き始めた。
私はもう一度ザコルを席に座らせ、隣に腰を下ろした。あくびが出る。急激に眠たくなってきた。
◇ ◇ ◇
「ミカさん、あっちに絨毯何枚か敷いたんで移動を…あー、寝ちゃったか」
急いで待機部屋から戻ると、ミカはザコルの肩を枕に完全に寝入っていた。
ザコルもいつの間にか座ったままミカの頭に首を傾け、すうすうと寝息を立てている。
呑気なもんだ…。
「ま、いっか。タイさん戻ってきたら移動させよっと」
俺は二人の後ろの席にドカッと座り、毛布を持ちに行ったタイタの戻りを待った。
しばらくすると、礼拝堂の大きな扉がギイと開き、毛布とクッションを二つずつ抱えたタイタが現れた。
「寝てしまわれたのか。どうする、エビー」
「とりあえず俺がミカさん運ぶんで、その後でザコル殿の移動手伝ってくれます?」
ミカを抱き上げようと手を出したら、サッとザコルの手に阻まれた。
「……僕が、運びます…」
「起きたんすか。執念すね」
ザコルがのっそりと動き出し、ミカを横抱きにして立ち上がる。
「あっちの部屋に絨毯を重ねて敷いてありますんで」
ザコルとタイタを礼拝堂の待機部屋へと案内する。
絨毯の上にクッションを並べると、ザコルがミカの頭をクッションに乗せつつ降ろした。律儀にミカのブーツを脱がして脇に置く。そしてミカの横に腰を降ろし、
「よし、じゃない。よし治ったって何だ…。何だと思っているんだ…」
と、ぶつぶつ呟き始めた。
「ザコル殿、気持ちは解りますけど、せっかくなんであんたも休んでください。外見張っときますんで」
「毛布をどうぞ。ミカ殿にも掛けて差し上げてください」
ザコルが毛布を受け取ったのを見届け、タイタと共に部屋を出る。
本来、護衛対象の姫と男を二人きりにしていいはずもないが、非常時で休む場所も選べない上に今更だ。
それに、あのヘタレがそうそう一線を越えられるとも思えない。
ヤンデレっぽいことを言う割に、口付け一つで心神喪失するとは。
あれでよくミカをいじっていたものだと思う。
いくら貴族だって男だし、工作員ならハニートラップへの耐性くらい持ち合わせていないんだろうか。
再び礼拝堂のベンチに座ろうかとも思ったが、ザコルの耳が良すぎる事を思い出し、礼拝堂の入口扉以外を戸締まりし、入口扉の外で見張る事にした。
「あー、俺、ほんと気が利くわー」
「そうだなエビー」
よく晴れた昼下がりの空を眺めつつ、タイタと扉の前に立つ。
「バカップルめ…」
「あのお二人を貶す俗語は看過できないぞ」
ただの呟きにタイタが律儀に返してくれる。
「ねえタイさん、ちょっと俺を叱ってくれません? 今回、俺マジでダメダメだったと思うんすよねえ…」
「何がだ、エビーは良くやっている。ザコル殿からも頼りにされているだろう」
「いや、それはただ成り行きっつうか…。てか、ミカさんの力になれなきゃ意味ねえすよ。俺がザコル殿に余計な事言ったせいで、あんなに怯えさせるなんて…」
ミカが自分の自己治癒能力を得体の知れないものとして怖がっていたのは知っていたが、人に怖がられて当然とまで思い詰めていたとは知らなかった。
「俺、踏み込みすぎなんすかね? もっと淡々としてた方が……あー、分かんねえ!」
「お前が分からない事が俺に分かるわけがない、と言いたい所だが。お前が淡々としていたら、ミカ殿はかえってご心配なさるのではないだろうか」
「心配ねえ…。まあ、そうすね。普通、護衛のためにあんな風に怒ったりしねーもんな。俺の事も心配してくれっかは分かんねえけど」
ミカがあそこまでタイタを庇うとは思わなかった。
ザコルと俺への当てつけもあるんだろうが、あの圧、相当ブチ切れていたはずだ。タイタが可愛いとかいうのも本心なんだろう。
ザコルの反応も意外だった。ミカの言葉に言い訳も反論もせず、すぐに言葉を尽くしてタイタに謝った。しかもやたらに褒めていた。あっちはあっちでよく解んねえんだよな…。てっきりタイタや同志達が苦手なのかと思ったのに。
まあとにかく、タイタはあの二人に一目置かれてるってことだ。
「ミカ殿は普通のご令嬢や貴婦人とは違う。お前の事も、きっと細やかに気にかけてくださるはずだ」
嫌味も含みもない、ただ穏やかな表情を浮かべるタイタにスーッと毒気が抜かれていく。
そうか、ミカが『可愛い』っていうのは、こういうとこか。
「ねえ、タイさんって、ミカさんの事、恋愛的な意味でいいなって思ったりしないんすか」
「は? 俺がか。流石に不敬だろう」
タイタは怪訝な顔をした。
「ミカさんって特殊な立場じゃないすか。別に相手が平民でも何でも、選ぼうと思えば選べるんすよ」
思ったより歳は上だったが、気さくで可愛い人だ。怒らせると怖いけど。
「それは確かにそうだな…。だが、お慕いはしているがそういう意味ではないぞ。ザコル殿にこそふさわしい方だと思う。それに、アレを見せられてはな…」
「アレね。俺もしばらく頭から離れなさそうすよ。アレは…」
迷わず小指を折る方もおかしいが、まさかあんな濃厚なのをいきなりブチかますとは。
ザコルもミカも、検証と名がつけば何をしていいと思っているんだろうか。二人して頭のネジが数本イカれているとしか思えない。
「あの献身は紛れもない本物だ」
おっと、この人の言っているアレとは、どうやら違うアレのようだ。あの手首の怪我の件だろうか。
「ああ、あん時のアレも、ほんとどうかしてますよねえ…。結局、一度も『痛い』って言わなかったんすよ、あの人」
異常な我慢強さというか。驚きを超えて心配にすらなる。
「ミカ殿はまるでザコル殿のために喚ばれてきたかのような方だと思わないか」
「まあ…、確かにザコル殿の相手が現世の女に務まるとは思えねえすけど…」
「そうだ。現世の女には見る目と根性が無いのだ」
タイタの真面目くさった言い方に思わず吹いた。
見る目はともかく、根性という点でミカに勝てる女などそうそういまい。
「タイさん、俺が謝る事じゃないかもしれませんけど、さっきの事、事前に言えなくてすいませんでした。相談するチャンスが来る前にミカさんにバレちまったんすよ」
「エビーが気にする必要はない。俺自身は本当にどうとも思っていなかったんだ。内容も内容だったしな。エビーが聞いているのならそれでいいと考えていた。言うも言わぬも、ザコル殿とエビーの判断に任せようと…」
タイタには変なプライドみたいなものが全くないらしい。こんなに素直で柔軟な人だったのか。
以前までの『融通が利かない』というイメージは一体何だったんだろう。素直すぎるといえばしっくりくるかもしれない。
「だが、ザコル殿には遠慮はするなと、ミカ殿にもご意見しろと言われてしまった。今まで、ただ侍ることばかり考えてきたので戸惑いはあるが、自分の行動に責任が負えるよう、精一杯考えてみたいと思う。…どうだろう、俺は、お二人のご希望に添えているだろうか」
「真面目すねえ…。そんなん、正解なんてないんすから。俺も、タイさんにもっと相談したいっす」
「ああ。互いに切磋琢磨していこう。お前に甘えてばかりでは不甲斐ないからな」
屈託なく笑うタイタが急に頼もしく見えた。
「で、早速なんすけど。あの二人、ぶっ飛びすぎてて理解できないこと多いんですけどお!? ザコル殿は拗らせすぎて面倒臭えし、変態だし、小指折るし。ミカさんは圧やべーし、ブチ切れるし、いきなり濃厚なのぶちかますし。もう今日はホントたくさんってか限界すわ。ミカさんってさあ、免疫無いとか言ってたのに自分からすんのは平気なんすかね? あーマジでさっぱり分かんねえ!」
「お前の苦労は分かったが、不敬な言葉は控えてくれ。心配になるだろう」
ああ、この人、俺の立場が悪くならねえように『不敬』だって注意してくれてたんだ。
「…っ、タイさあん! 好きぃ!」
タイタに抱きつく。
タイタが一瞬だけ鬱陶しそうな顔をしたので、また吹き出してしまった。
◇ ◇ ◇
窓から差し込む西日が眩しくて目を覚ました。横を見ると、ザコルが座ってぶつぶつと何かを呟いている。
「あれ、ザコル起きてたんですか?」
「ああ、おはようございます、ミカ」
「ザコル、休めましたか?」
「はい、ここに座っていました」
「それ、休んでなくないですか。せっかくエビー達が寝床を用意してくれたみたいなのに」
私の下には、何枚も重ねられた絨毯がある。毛布も、そして頭にはクッションまで当てられていた。おかげで体のどこも痛くなっていない。
「…………呑気に、隣で、寝られるわけが、ないでしょう」
ザコルが首だけ回し、据わった目をこちらに向けてくる。
私はゆっくりと体を起こした。
「そうなんですか? 心神喪失してたからいい機会だと思ったのに」
はわあ、とあくびをする。
「それです、どういうつもりですかミカ! 大体、よし治った、って何ですか。よし、じゃないんですよ。何だと思っているんです!」
「それはこっちのセリフですけど? ザコルだって前に私にキスして、よし寝たな、とかって言ってましたよね? よし、じゃないんですよ。何だと思ってるんですか」
「あ、アレは、ただの寝かしつけです」
「それなら私も、アレはただの検証です」
むむむ、しばらく睨み合う。
「今回ばかりはあなたの行動が全く理解できません。どうして人前であんな事を」
「そりゃ、うまくいかなかったら手当てしてもらうためですが? 私の涙で怪我が治ったというのだって、私自身は実際に見たわけじゃありませんからねえ。全く、黙って勝手に検証したのはどっちですか」
私が目を眇めると、ザコルがぐっと言葉を詰まらせる。
「四人が揃って人目につかない場所で検証できる機会も貴重ですしね。もう一度言いますが、話は最後まで聞いて欲しいです。いきなり指を折っちゃうから、急いで唾液を飲んでもらわなきゃいけなくなったじゃないですか」
「はあ、僕のせいだと言いたいわけですか…。ああそうですか」
ザコルがゆっくりと体をこちらに向ける。
「唾液を摂取させようというのはミカが勝手に考えた事でしょう、それを何の断りもなしにいきなり蹂躙して…! 大体、僕は涙をほんの数滴舐めた程度なのに、どうしてあんなに執拗に唾液を突っ込んでくるんです。全然同じ条件じゃないでしょうが!」
「どれだけの量を口にしたら治るのか分からなかったので、念のため多めに飲んでもらいました。まあ確かに同じ条件じゃなかったですね。では、最低どのくらいの量であのレベルの怪我が治癒できるかまた検証してみますか? 別に今度でも…」
「望むところです。ほら折りましたよ。さあ検証しましょう」
「あー!! また小指折って…! 信じられない。絶対やめてって言ったのに!! アホなんじゃないですか!?」
「阿保で結構。あなたには言われたくむぐっ」
私はさっと身を乗り出してザコルの顔を手で挟み唇を重ねた。
ザコルが軽く硬直したが、構わずチュッと涙数滴くらいの唾液を注ぎ込む。
「…うーん。治る様子がないですね。こんな量じゃダメか。ザコル起きてます? もう一度しますよ」
「…えっ、あ、ミカ、待っ、僕からむぐっ」
私は小指の様子を見つつ、治るまで量を少しずつ増やして検証を重ねていった。
「んーっ。エビー達、どこにいるんだろ。外かな」
ぐーっと伸びをしつつ立ち上がる。ザコルはまた寝てしまったし、外の空気も吸いたい。
部屋を出たが、女神像のある礼拝室には誰もいなかったので入口の扉を押してみる。
「おはようございます、ミカ殿」
「あれ、ミカさん。先に起きちゃったんですか?」
扉の両隣にエビーとタイタが立っていた。
「ううん、私が起きた時はザコルもと起きてたんだけど、色々あってまた寝ちゃったんだよ」
「色々…。まさかとは思いますけど…」
「ザコルが、自分が舐めた涙数滴に対してあの唾液の量は条件が同じじゃないとか言ってまた小指折っちゃったからさ、お望み通り再検証した」
「…………アホですね」
「アホでしょ。本当にアホ。でもね、量は大事だったよ、少しずつ増やしながら何度か検証したけど、最初の半分以下じゃ治り始める気配すらなくてね。逆に涙なら数滴でも効果が高いって事が判ったから、やってみて良かったかも」
「アホはミカさんもですよ。まんまとキスさせられてんじゃないですか」
ほえ?
「……あー、なるほどね。騙されちゃった」
顔に熱が集まるので手で頬をさする。
「可愛い顔しやがって。免疫無いとか嘘でしょ!?」
「ううん、それは本当。少しずつ慣らされてたみたいだけど…。まあ、仕返しみたいなもんだよ」
本人は寝かしつけだと言っていたが、こっちだって何度も故意に心神喪失させられたのだ。少しは思い知ればいい。
「痴話喧嘩に巻き込むんじゃねえし! こっちは今晩眠れそうにないんすけど⁉︎」
「ごめんね、また変なとこ見せて。もし怪我がちゃんと治らなかったら手当てしてもらおうと思ってたから…。次はちゃんと説明してから検証するね」
にっこり。
「タイさああん、もう俺には面倒見きれません!」
エビーがタイタに泣きつく。
タイタが戸惑った顔でエビーをよしよしと宥めた。
「ミカ殿、エビーはもう限界らしいのです。今日のところは勘弁してやってくださいませんか」
「そっかそっか。ごめんねエビー」
私もエビーの背中をポンポンと叩く。
「じゃあさ、エビーはザコルが起きるまでここに残ってて。一緒に寝ててもいいし。タイタ、各施設の様子を一緒に見に行こう。寒くなってきたからコートも取ってきたいし」
「御意に」
その、御意にって言い方が古風でいいなと思いつつ、まずは町長屋敷に向かう事にした。
もうすぐ日暮れだが、完全に暗くなる前には戻ってこよう。私はタイタを伴い、軽い散歩程度の気分で出発した。
◇ ◇ ◇
新町長、マージは執務室で、ゆったりと縫い物をしていた。
昨日を境に支援や避難民の出入りがかなり減ったので時間ができたらしい。
「ミカ様が赤子の服やオムツを縫われていたと聞いて。わたくしも挑戦しているのですよ。山の民から布を譲っていただいたの」
山の民の荷物には売らなかった反物が数本残っていたらしく、それを使って休憩が済んで手の空いた山の民や町の女性達もこぞって子供用品を縫っているらしい。
皆、私の事をいかにも献身的な人間のように褒めそやすが、皆の方がよっぽど献身的で働き者だと思う。
「ミカ様のお作りになったこの肌着、初めて見る形ですけれど、紐がついていてとても使いやすいと早くも母親達に評判ですわ」
乳児用の前開きの肌着の事か。
正直じっくり見たことがなかったのでうろ覚えだが、脱ぎ着が楽そうな甚平風のものを作った。もちろんサイズは適当、念のため少し大きめにしたつもりだ。
「そうですか、私には子供がいないのでちゃんと使えるものになっているか心配でしたが…。使っていただけているようで安心しました」
「奇遇ですわね、わたくしも子供はいないのよ。でも、この町こそがわたくしの子供だと思っているの。主人はあまり頼りになりませんけれど、この町に嫁げて良かったと思っていますわ。皆が一丸となってこの危機に立ち向かう姿はわたくしの誇りです。あなた様のお陰ですわ、ミカ様」
「私はほんの少し手助けをしたに過ぎません。…などと言うとまた叱られてしまいますね。マージ様、ありがとうございます。私は、お力になれた事こそを誇りに思っております」
タイタが、どうして誇りに思われないのですか、と言ってくれたことを思い出す。
振り返ると、ニコニコとこちらを見守ってくれている護衛の姿が目に入った。
集会所は町の女性に加え、同志村メンバーと思われる人達がそれぞれの持ち場で仕事をしていた。受付や避難民の世話、物資の配給など、皆忙しそうにしている。
「ミカ様。お疲れ様でございます。りょ、猟犬様はお近くにおられないようですね」
同志もとい、商隊を率いるリーダーの一人が周囲を伺いながら声を掛けてくる。
「お疲れ様です。先程は相談に乗ってくださりありがとうございました。彼には色々あって少し休んでもらっているんです。あまり連れ歩くとあなた方がまた隠れてしまいますしね」
ふふ、と笑うと、同志Aは気まずそうに頭を掻いた。
「いやあ、推しをあんなに近くで見たのは初めてで直視ができず…。タイタ殿はよく同僚として勤めておられますな」
「俺はファンである事を最近まで黙っていましたので。実質認知されておりませんでした」
「タイタも打ち明けてからは何度か心神喪失したよね」
「お、お恥ずかしい…。ミカ殿にも大変なご迷惑を」
「面白かったからいいよ。それに私だって何度も心神喪失してるんだからね」
私達は心神喪失仲間だ。
「ほう、お噂通り、ミカ様はあの方にご心酔でいらっしゃるのですね」
「そうですねえ。多分、出会ってからずっと推してますよ。あのダボついた服にもっさい髪型も好きだったんですけどねえ、おたくの会長のおかげでシュッとしてしまって」
「あの新コス…いえ服と髪型はオリヴァー会長の手配によるものでしたか。以前遠目にお見かけした時とは全く印象が違って余計に戸惑いました。意外に整った顔立ちや鍛え上げられたボディラインがはっきりと見えてしまって正直動悸が止まりません! あれはあれで推せるがしかしあの人目を気にしない出立ちもあの方の魅力の一つでした。やはりミカ様はよく解っていらっしゃる。いやあ、よく解っていらっしゃる!」
早口だ…。
世界が変わっても、推しの事になるとオタクが早口で饒舌になるのは共通らしい。
「そうそう、あんな動きにくそうな格好で、まるで木の葉でも払うように剣を払ったりするじゃないですか。見た目とのギャップが凄くてもうほおおんとにかああっこいいんですよねえ」
「戦うシーンを直に見かけられたことが!? うっ、羨ましい!!」
「ええ。私にはあまり見せたくないようでしたが、オリヴァーに穴場を聞いてからはよく遠くから練兵場を覗いていました。あの頃は自称『文官みたいなもの』でしたからね。ふふっ」
絶対無理があるよね、あれで文官だなんて。
「ミカ殿、もしやかなり前からザコル殿の実力にお気づきだったのですか? ザコル殿はずっとミカ殿には経歴を打ち明けておりませんでしたよね」
タイタが驚いたように言った。
「そうだよう。彼、私には全然教えてくれなかったんだよ。あんなに面白…いや、素敵な二つ名があるのに、それも聞いたのは出立直前だからね。ひどくない? 私の恥ずかしい二つ名は知られてるのにさあ」
「ぐううううううう」
「えっ、どうしましたか」
「な…なんということだ、ミカ様はあの方を国の英雄と知ってお慕いし始めたわけではないのですね!? 初めからあの方ご自身だけを見て心を寄せていらしたというのか…!」
彼はブルブルと震えながら溜めに溜め、
「ああ! テイラー伯爵家の壁になりたい人生だった…!!」
と叫んだ。
同志Aはその名もドーシャといい、チッカの町を中心に乳製品などを扱う商家の若頭だという。妙にダボついた深緑色の上着がトレードマークだ。
診療所を覗くと、同志の一人である医者が町医者の先生に代わって患者を診ていた。
思ったより若い人だが、外科も内科もできるらしく、手当ても迅速で、患者の話を聞きながら乳鉢をゴリゴリして調薬までしている。白衣の中に深緑色のシャツを着ているのは見逃せないポイントだ。
「ミカ殿、前に言っていた名医とは彼の事ですよ。もし内密に相談したい事などがあれば話を通します」
以前私が怪我をした時にタイタが言っていた事だ。
「そうなのね。今は忙しそうだからいいけれど、今後手が空くようだったらこの世界で一般的な薬を少しずつ処方していただこうかな。何があるか分からないもんね」
「ぜひそういたしましょう。彼はああ見えて対人恐怖症なのですよ。医学と推し以外の事ではあまり会話にならないのです。しかし一部では天才医師とも呼ばれています」
「またクセの強そうな人がきたね…。ザコルと気が合いそうだわ」
今は声をかけるのも憚られるほど患者が列を成している。邪魔をしないようそっと立ち去る事にした。
町の宿屋兼、仮設救護所にも同志村から手当てに心得のある人材が派遣されている。
こちらには部下の若者達の中でも女性が派遣され、宿に滞在している母子や妊婦の世話もしてくれているようだ。山の民の女性達の姿もある。
私のコートはこの救護所の隅に綺麗に畳まれてあった。
「ミカ様。お疲れ様でございます。朝まで町長代理をしていたと聞きましたが、少しはお休みになられましたか?」
そう声をかけてくれたのは、前に、煮沸消毒の鍋の世話を代わってくれた山の民の女性だ。ザコルが不在の間、さりげなく私の護衛も担ってくれていた一人である。
「はい。さっきお昼寝させてもらいましたよ。あなたも休んでいますか?」
「ええ、私も先程仮眠から戻ってきた所です。同志村の方々が手を貸してくださっていますから、今夜はしっかり休養を取らせていただく事になりました」
私が勝手に呼び出した『同志村』という呼称はもうこんな所にまで広まっているらしい。
「それは良かった。私も今夜はちゃんと寝るつもりですよ。今夜からは同志村の方でテントを貸していただける事になったので、もし何かあればそちらに連絡をください」
「承知しました。長にも伝えておきます」
長とは山の民のリーダーの事だろう。山の民達は町外れの空き家を借りて寝泊まりしているらしい。彼女は、土砂崩れの心配もあるということなので、まだしばらくはこの町に滞在すると語った。
門の方へ足を運ぶと、守衛のモリヤさんが声をかけてきた。
「ミカ様。昨夜は町長代理を買って出てくださったそうで。皆、奥様、いや町長を心配していたんで感謝しておりますよ。ありがとうございました」
「いいえ、何事もなくて良かったです。執務室はとっても暖かくて快適でしたよ」
「ははあ、もしやそれで代わるとおっしゃったんで?」
「そうです。バレましたか」
モリヤさんと笑い合う。実際何度も寝そうになるくらい快適だった。
荷馬車をずっと動かしていた山の民は、今はほとんどが休んでいるそうだ。その代わり、ここでも同志村から派遣された商家の御者達が活躍している。それ以外にも、モナ領から支援に来たという人が何人か精力的に動いていた。
水害からまだ三日目だが、体力の回復した避難民を既にあちらに帰し始めてもいる。
家族があちらにいる人もいれば、町や自宅の復旧作業に行きたいという人も多い。出来るだけ馬車を動かして、いくらかの支援物資と共に希望する人を運び出していた。
私が顔を出すと多くの避難民に囲まれ、ここを発つ前に会えて良かったと次々と握手を求められた。涙を流す人もいて貰い泣きしてしまい、泣き笑いしながら手を振って馬車を見送った。
「あー、滅茶苦茶泣いちゃった。顔、腫れてるかな?」
「目の周りが少々赤いです。このまま戻ったらザコル殿が心配なさるかもしれませんね」
「そうかもね、いや心配より先に怒られそう。無理矢理寝かしつけたようなもんだったし…もう起きちゃったかなあ。外に出たのがバレても怒られそうだわ。早く戻らないとね」
歩く速度を速める。怒らせるのは本意ではない。
「ザコル殿にはよい休息になったことでしょう。ミカ殿はいつでもお優しいです」
「タイちゃんたら。見透かすようなこと言わないでよね」
タイタと共に町の礼拝堂へ続く小道を歩いている。小一時間程度の散歩だが皆の様子を見られて良かった。
日は沈んだばかりで空は紅く染まっている。周りに人影はない。そろそろ夕飯時だし、避難所も忙しくなる頃だろう。
「イーリア様には内緒ね」
「もちろんです。また護衛を離れたなどとお叱りを受けては大変です」
「寝かしつけ方も大問題だったからね」
「現状、ザコル殿を寝かしつけられるのはミカ殿だけですので。致し方ないかと」
「私達はいつだって寝かしつけられる側だからね。たまには反撃しないと」
タイタと顔を見合わせて笑った。
ピリッ…と張り詰めた気を感じて足を止める。
「ザコル?」
「いえ、違います。ミカ殿、俺から離れないでください」
タイタが抜剣した。
三つの黒い影が茂みから現れる。
殺気をはらんだ圧と共に、なぜか畜舎近くを通った時に感じるような動物臭がほのかに漂う。
明らかに曲者だ。これはマズい。よりによってザコルがいない時に。
「…こんばんは。どなたでしょう。私に何か?」
「ミカ殿、前に出ないでください」
タイタが私を背に庇う。
「氷姫…我らが新たなる神よ。共に来ていただこう」
どうやらラースラ教の曲者らしい。
「…はあ、神ですか。そんな、大それた存在になった覚えは、ないのですけどねえ?」
私はなるべくゆっくりもったりと話す。少しでも時間稼ぎをしたい。そうこうしているうちにザコルやエビーが駆け付けてくれる事を祈る。
「あなた様はまだ神の卵であらせられるのだ。これ以上あの悪魔に蹂躙されるのを黙って見過ごすことはできない。こんな田舎の、無知な愚民どもの世話をさせるなど以ての外。あなた様は我々の神聖なる儀式よって真の神となる存在なのだから」
「ふぅん、真の神になるような存在に意見できるなんて。あなた方は、随分とお偉いようですねえ。それに、悪魔や愚民などという言葉が、一体誰の事を指すのか分かりませんが、私の周りにそのような呼び方をされていい人は、一人もいないんですよお」
もったりと反論したら、黒い影はこちらを馬鹿にしたように嗤った。
「随分と毒されておいでのようだ。神の卵を正しい道へと導き世界をより良いものにするのが我らの使命。あなた様の尊い身は決してあの深緑の悪魔や愚民どもの好きにさせていいものでは」
「うるさいなあ。黙ってくれる。何様のつもり?」
思わずもったり口調をやめて詰ってしまった。
深緑の、と名指しは聞き捨てならない。
先程から聞いていれば悪魔だ愚民だ何だのと。私の周りにいる人は皆、他人のために手を尽くせる素晴らしい人ばかりだ。お前らごとき不審者が意味の分からない事を言うな。
睨みつけていたら黒い影どもが押されたように黙ったので、タイタを密かにつつく。
「…申し訳ないのですが、この世界において私が帰る家はテイラー伯爵家です。ここに証明がありますから。今お見せしますね」
私は肩掛け鞄に両の手を突っ込み、もしもの時のために用意されていた短刀を左手で握り込んだ。そして、右手で紙束を持っておもむろに出す。
次の瞬間、それを思いっきり影に向かって投げつけた。
紙束がバラバラになって舞う。
その間を逃さずタイタが動いた。
「ギッ」
「アガッ」
「グウッ」
タイタは洗練された動きで剣を操り、影三つをあっという間に沈める。
私は背後に嫌な気配を感じて反射的に自分の後ろに短刀を振った。鈍い感触が刃先から伝わり、手首には痛みと痺れが走る。
「ウギッ…がああああッ」
短刀が手を離れる。振り向くと、片腕に短刀が突き刺さった人物がよろめきながら立っていた。
「このクソアマ…ッ」
「ミカ殿!!」
四人目の曲者が私へと飛び掛かろうとした瞬間、フッと糸が切れたように膝をついて倒れ込む。
「ミカ!!」
礼拝堂の方向からザコルが物凄いスピードで駆けてきていて、私は止めていた息を吐き出した。
つづく




