オタクが町にやってきた
門前に控える商人の団体は、モナ男爵領やジーク伯爵領などにいた複数の商家の集まりで、荷馬車の数はゆうに三十を超えていた。どう考えても町に入りきらない量だ。
「タ、タイちゃん、これどうするの? 明らかにオーバーキルなんだけど」
「野営の準備はしてきているはずです。災害支援の基本は自活ですから」
「意識高っ」
イーリアとザコルとマージの三人が商人の代表と話をしている。
いや、あれ、代表じゃないな。きっと副代表か何かだ。
「ねえ、本物の代表はどこ?」
私とエビーとタイタはとりあえず後方に控えてコソコソ見守っている。
「ミカ殿、彼が代表でないとよくお分かりですね」
「だってあの人、どう見ても中間管理職でしょ。頼まれてここに立ってますって感じがありありと」
ザコルがタッと地面を踏み、トントーンと近くの木を垂直に駆け上がっていった。
しばらくすると木の上からザコルが飛び降りてきて、その後に落下してきた人物を難なくお姫様抱っこでキャッチした。ガタイのいい男性が完全に心神喪失した様子で抱かれている。
「ああ、あんな所にいたんだ」
「ようこそって囁いたんすかねえ…」
エビーがボソッと言った。
ザコルが男性を抱いたままこちらへとやってくる。
「タイタ、基本的に気配を断って隠れている者は、集いの関係者だと思っていいんですね?」
「はい。その通りです!」
「分かりました。あの部下代表を名乗る者にも頼まれたので、少し挨拶に行ってきます」
抱いていた男性を部下代表と周辺の者に引き渡し、ザコルが目にも止まらぬ速さで跳んだり走ったりし、十人以上の忍者もどきを心神喪失状態にして連れてきた。
「まあ、イーリア様とマージ様が戸惑い切った顔をしていらっしゃるわ…」
「お気持ちは解ります。俺もついていけてねーんで」
遠巻きな町民達も表情だけでドン引きしているのが分かる。
「素晴らしい! 気配を断っても猟犬殿の前では全くの無駄! 流石です!」
タイタは大興奮だ。
「ねえ、まだ私の顔までは認知されてないよね?」
「いえ、この場に近づいた時点でしっかり見られていると思います。俺がここにいるので」
こ、この工作員め。勝手に護衛対象の顔を晒しおって。後で情報規制を敷かないといけないじゃないか。あの人達、私が渡り人だって知ってるって話だろう。
「ザコル殿だけでなく、噂の氷姫様とイーリア様のお姿まで拝めるなんて。このイベントに参加できた幸運は彼らの末代まで語り継がれる事でしょう」
イベント言うな。
ザコルが疲れ切った表情でこちらに戻ってくる。
「ザコルお疲れ様です。何だかんだ言ってファンサに乗ってくれるザコル、大好きです」
ひく、何か信じられないようなものを見る目をされた。
「嫌でしたか?」
「…………違います。すみません」
ザコルは溜め息を吐きつつ、私の髪に頬を擦り付けてきた。嫌ではない、と。ではまたファンサに協力してもらおう。
「姐さんはそういうとこすよねえ」
「何が?」
エビーのジト目に気まずくなったか、ザコルがスッと私の髪から頬を離した。
忍者もどき、もとい猟犬ファンの集いメンバー、もとい気を失った商家の代表達を丁重にもてなすため、町民達が協力し合って集会所へと運び込む。
全員見事に深緑色の外套を身に付けている。どよつく集会所。カオスだ。
この安らかな顔の人達を前にどうしたらいいのかと思っていたら、町の外で手早くボランティア村の設営を指示した各商家の部下達が引き取りに来た。
「来て早々に騒ぎを起こし大変申し訳ありません。支援要請の連絡を受け取ってから、どこのリーダーもノンストップで物資の確保に奔走しておりまして…。まともな挨拶もできない非礼をお許しください」
部下の一人が私達に向かって頭を下げる。さっきの部下代表というか、中間管理職っぽい人だ。
「いや。そうまでして我が領のために駆け付けてくれた事、深く感謝しよう。直接リーダー方に言葉が届かず残念だが」
イーリアも頭を下げる。彼女もザコルと同じように、相手が変でも平民でも、理由があれば迷わず頭を下げられる人のようだ。
「あの、この方達はしばらく起きないって事でいいんでしょうか」
私が手のひらで転がったリーダー達を指し示すと、
「はい。体力の限界はとっくに突破していたかと思われますので。本人達は憧れの猟犬様にとどめを刺していただけて本望かと。お邪魔にならぬよう、外の設営が終わったらすぐに運び出します」
との答えが返ってきた。
ぶっ倒れるまで推しに尽くしちゃうオタク怖い。部下の皆さんが至極冷静なのが救いだ。
「とりあえずは私共の方で、物資の中でもすぐに必要な物を町に運び入れたいと考えておりますが、いかがでしょうか。それぞれ持ち寄った物はこちらのリストにまとめてありますのでご参考に。それから、今回の支援に関わった貴族、商人、一般人の名簿もここに」
部下代表が恭しくイーリアに紙束を手渡す。
連絡を受けてからここに来るまで丸一日も無かったはずだが、物資の調達とリストアップまで行い、商家同士の連携も完璧にしている。デキる。だが優秀ゆえに苦労させられるタイプに違いない。
物資は、直接ここに来られなかったファンの分まで引き受けて載せて来ているそうで、リストを脇からチラ見したが膨大な量がありそうだった。
「確かに受け取った。だが私自身はこれから暗くなる前に下流へ移動しなければならない。このリストはミカ殿、貴殿に預けよう。マージと相談しながら采配を頼む」
「は、はい! ですが、私が預かっていいのですか」
イーリアがクスッと笑いながらリストを手渡してくる。
「ああ。本来なら私が貴殿に仕事を頼む権利など無いのだがな。緊急時に動ける人が動いて何が悪い、だったかな?」
「ええ、そうですね! 私でお役に立てるのならばぜひ! ボランティア団体との仲介は、このミカにお任せください」
ドンと胸を叩く。仕事だ!
「では任せた。報酬と手駒の件はまた追々。しっかり休養も取れ。もちろん、マージもな」
「お心遣い感謝いたしますわ、イーリア様」
マージが優雅に一礼した。
「…わざわざ仕事など負わせずとも、ミカがここから動かぬよう、今度こそ僕がしっかりと監視しますよ」
後ろから肩をガシッと掴まれる。
「ザコル、お前にはこの支援者の名簿を預ける。適切な応対をしろ。それからお前は少し冷静になれ。縛り付けるばかりが愛ではないぞ」
「………………」
ザコルが黙り込む。愛だってー。イーリアが口にすると、まるで歌劇のセリフみたいだ。
ギリッと肩を掴む手に力が入ったので、バシバシと手の甲を叩いた。
◇ ◇ ◇
イーリア一行を送り出した後、私は部下代表と話し、食糧は宿と町長屋敷の食料庫へ、燃料類は集会所外の小屋に保管場所を作らせ、医療資材は診療所と救護所に分配した。
衣料や毛布などは仕分けて集会所に置き、後で避難民達の所を回って希望を聞くことにする。そうこうしているうちに外はすっかり暗くなった。
ザコルとタイタは支援者名簿を見て話しながら後をついてくる。エビーは一旦救護所の仕事に戻らせた。
ファン達の部下の中にも傷の手当てに明るい者が何人かいるようなので、明日から診療所と救護所にヘルプに入ってもらう事にした。医師も一人同行しているらしい。
リーダー達も疲れているだろうが、部下の皆さんもきっと疲れているはずだ。今夜は休んでもらう事にしよう。
「ミカ様がおられて本当に助かっておりますのよ。正直、わたくし一人では手が回りませんでしたから。善意で支援に来てくださった事はもちろん嬉しいのですが、もう身が保たないと思ってしまいましたもの」
町長の執務室に物資の分配について報告と相談に行ったら、マージが嘆息しながら言った。
「マージ様、お休みになってください。私は今日昼まで休ませてもらいましたからまだ体力には余裕があります。門の方で何かあれば私かザコル様が対応しますから。どうしても手に負えない時のみお声をかけさせていただきます」
昨日から昼夜問わず避難民や支援物資を受け入れていたせいで、町長代理を引き受けていたマージは受け入れ手続きやトラブル対応のためにほとんど寝られていない様子だった。町長、いや元町長はぐっすり寝ていたようだが。
今は下流の方にも避難所ができたおかげか馬車の往復は減ってきているし、屋敷にいる怪我人の世話なんかも使用人が取り仕切っているので、町長の判断が必要な場面は少ない。私やザコルでも何とか対応しきれるだろう。
「いえ、ですが…」
「どうかおまかせください」
「ミカ、僕はいいですが…」
「今は私よりマージ様です。マージ様に倒れられたら町は大混乱になっちゃいますから。どうか仕事と思ってお休みください」
明日からはボランティア団体も手を貸してくれるはずなので、私の方は休みやすくなるはずだ。
「ミカ様、わたくしはまだ」
「さあ、お連れして」
マージの側に控えた使用人達に目配せすると、承知したと言わんばかりに頷いてマージを脇から抱えた。
「ちょ、ちょっとあなた達」
「奥様、いえ新町長様。お任せしましょう。もう限界ですよ」
「私達もおりますから大丈夫です。一晩くらいどうにかなります」
使用人達は渋るマージを引きずって部屋から出ていった。
執務室には私とザコルとタイタ、そして老齢の執事が一人残された。
「ミカ様。当家の奥様を労ってくださり感謝申し上げます」
「最低限必要な執務についてお伺いしてもいいですか」
「もちろんでございます」
執事から町長が判を押さなければならない事項などの説明を受ける。その辺りは領主子息であるザコルのサインでも問題ないだろう。タイタには、ただ今から私とザコルが町長業務を肩代わりする旨を門や集会所の方へと報せに行かせた。
◇ ◇ ◇
執事が食事を持ってくると言って下がり、一瞬だけザコルと二人きりになる。
「補給ー!!」
思いっきり抱きついてみた。
「ちょっ、ミカ、何をするんですか、僕はまだ汚れが残っているんですよ!」
ザコルは屋内に入るにあたり泥だらけの上着を脱ぎ、足元のみ汚れ落としをしていた。確かにまだ肌は埃っぽい。
私ならばおそらく、多少の泥を吸い込んだ所で肺を悪くする事はないのでどうでもいいことだ。
「ねえ、こんな半袖一枚で寒くないんですか?」
胸にすりすりと顔を擦り付ける。
「話を聞いていましたか………はあ、気にしている僕が馬鹿みたいだ」
ザコルが軽く脱力する。
「もしかして、さっき喧嘩したこと気にしてるんですか? 私、ザコルの言い分も正しいって解ってますよ」
お互いがあんなに言い合ったのは初めてだったが、彼が私のためを思って怒ってくれたことくらい、ちゃんと解っている。
「……むしろ、私の方が気にしてます。…頑固でごめんなさい」
「ああもう、泣くなよ…。僕も言い過ぎましたから」
ザコルが私をギュッと抱き締め返してくれる。
執事が戻ってこない。これは…気を遣われているかもしれない。
「だめだめ、これ以上こうしてたらフリーズしちゃう」
「抱きついてきたのはそっちでしょうが」
フン、と鼻を鳴らされる。
「あのう、なんで私からくっついた時は微妙に塩対応なんですか?」
「べ、別に、気のせいでは? ほら、泣き止んで」
ザコルは私の涙を吸い取るように目尻に口づけた。そしてそっと私の肩を掴んで離した。
「ん?」
ザコルが何かに気づいたように怪訝な顔をする。
執事が執務室に運び入れてくれた食事はスープとパン、ボイルしたソーセージもつけられていた。久しぶりの温かい食事に心も潤う。猟犬ファンクラブには本当に感謝だ。
執事のおじいさんにも給仕は不要だからと下がってもらったので、再び二人きりになった。
「ザコル、どうかしました?」
「いや、気のせいか…?」
ザコルがしきりに腕を動かしたり、考え込んだりしている。
「スープが冷めますよ」
「ああ、食事中にすみません」
ザコルが食事に向き直る。こうして一緒に食事するのも昨日の朝ぶりだ。
「昨日から一日しか経ってないのに、二人で食事するのが久しぶりな気がして泣けてきます」
「泣かないでくださいよ…。ああ、ミカ、昨日から魔法を使ってないんじゃないですか?」
「そうだった。でも、体調が悪いって程ではないですよ。ちょくちょく泣いてるからですかね」
スープの最後の一匙を口に入れる。ふう、美味しかった。ごちそうさま。
「だから心配しているんですよ。泣きやすくなっているでしょう」
確かに。涙腺が緩んできている気がする。
「ふむ、仕事を任された以上、公衆の面前で大泣きするのは示しもつかないし避けたいですね…。今、常に周りに人がいるからこっそり氷を作るのが難しいんです。…発熱や炎症で苦しむ人に氷を届けられたらと何度思ったことか」
涙がじわりと湧く。
「魔法があってもこんな時にさえ役立てない。やっぱり私なんて、ザコルの言う通り大人しくしてた方がマシなのかなあ」
視界が徐々に悪くなってくる。
「ちょ、ちょっと。僕はそんな風に言ってないでしょう。ほら、ええと、あなたはその知性と行動力で充分皆の役に立っているじゃないですか。ミカの真価はむしろそこでしょう? 魔法なんてオマケに過ぎません!」
「オマケ…」
「オマケです! だから魔法のことなんかで泣く必要はありません」
ザコルが席を立って私が座る応接用ソファの横まで来る。彼は再び目尻にキスを落とした。
「いいですか、今、ミカが大泣きしたとして、急に誰かが訪ねてきたら僕は確実に死にます!」
「…………ふ、ふふ…っあはは、何で!?」
ザコルの真剣なその表情が可笑しくて吹き出してしまった。涙も引っ込む。
「笑い事ではありません! 僕は真面目に言ってるんですよ! 比喩でもなんでもなく」
「何言ってるんですか、比喩でないなら尚更、誰があなたを死なせられるっていうんですか。大体、ザコルはこの領のお坊ちゃんでしょ? 変な女が泣いてたくらいでそんな」
「いいや、ここは既にあなたの味方だらけだ。どこに行ってもそうだった気がする。責められるのはいつだって僕の方」
コンコン、とドアがノックされる。私は急いで目尻に残った涙をナフキンで拭いた。
「おおーい、いちゃついてんすかあ」
扉の向こうから馴染みのある軽口が聞こえる。
ザコルが扉を開けるとエビーが顔を出した。
「ああ、食事中でしたか。すんません。さっき手当てを交代してもらえたんでこっちに来ました」
んんっ。エビーはわざとらしく喉を鳴らす。
「これ以降はあなたの護衛に戻ります。だからどうか泣かないでミカ」
先程のザコルの台詞の真似らしい。そして私の方に歩いてくる。
ザコルが無言でエビーの首元に指をピタッと添えた。添えるまでの動作は全く見えなかった。
ゴクリ、エビーが喉を鳴らす音がやけに大きく聴こえる。
「……この殺気! ヒリつくぅ! じょーだんすよ、冗談!」
「ふふ、ザコルの味方っぽい人が来ましたねえ」
「こいつは敵です」
「敵!? 味方っすよ味方ぁ!」
ここ数日で随分と仲良くなったものだ。
テイラーを発ってから、もう十二日目になっていた。
◇ ◇ ◇
「あの殺気、ちょっとクセになりますよねえ」
「何言ってんの。エビー、食事はした?」
「はい。救護所スタッフみんなで出来立てをご馳走になったんで」
「それは良かった。皆働き詰めだったもんね」
仮設救護所は宿の食堂を借りているので、厨房からすぐに配膳してもらえたようだ。
「タイタは? 門の方へ行った後、一応救護所へ行くようにも言ったんだけど」
「タイさんは救護所の人に頼まれて燃料と衣類を運ぶ手伝いをしてます。終わったらすぐ来るんじゃねえすか。ミカさん、清拭の用意頼んどきましたよ」
トントン。エビーが言うが早いか、早速清拭のセットを持った使用人がやってきて扉を叩いた。私の着替え袋と洗濯済みの服まで持ってきてくれている。
「ありがとう。流石はエビー」
「魔王殿と一緒に扉の外で待ってますよ」
「誰が魔王だ」
二人がどやどやと部屋を出ていく。私はありがたく、執務室の中で着替えと清拭をする事にした。
◇ ◇ ◇
「エビー、少しいいですか。ミカに聴かせたくない話です」
僕は扉の前で並び立つエビーに小声で話しかける。
「何すか? 喧嘩の話すか? それとも、まさか清拭の音が気になって興奮とか…」
「違います! どうしても僕を変態にしたいようですね…。そうではなく、ミカの涙についてです」
「あ、何か分かったんすか?」
エビーも小声になって返してくる。
ミカは『魔法を使うか、号泣すると体調が回復する』とし、涙にも魔力が込められているかもしれないと話していた。エビーもミカの話を聴いた一人なので、涙と聞いただけで何の話か察せたようだ。
「さっき、ミカの涙を舐めた時に感じた事なのですが…」
「涙を、舐めた…?」
エビーの顔を見たら、恐ろしく怪訝な顔をしていた。
「なるほど、また新しい扉を…」
「ち、違っ! ミカが泣いたからつい目尻に口づけてしまっただけで…!」
つい声を上げかけたものの、すぐに小声に戻した。
「ほおーん。ついね。で、その恥ずかしい話が何すか」
エビーは目を眇めながら先を促す。
「ぼ、僕は土砂崩れの現場で軽く腕を痛めていたんです。少し大きめの石をどかした際に捻ってしまって」
「少し…。てか、絶対少しじゃない大きさだったんでしょうねえ」
「まさか。ツルギ山の岩の中では小さい方でしたよ」
あの程度、少し鍛えた者なら誰にでも持ち上げられるはずだ。僕が腕を痛めたのは鍛錬不足という他ない。
「まあ、活動に支障のない程度の痛みではあったのですが、それが、突然引いたんです」
「引いた?」
数日くらいは続くだろうと思っていたので、急に引いた事に違和感を覚えたのだ。
「それで、ミカがまた泣き出したものですから、彼女から見えないよう小指を折って、慰めるフリをしてもう一度涙を」
「は? 小指を、折った…? 自分で…?」
エビーを見たら、顔を引き攣らせていた。
「何? 何なの? あんたもミカさんも自分を傷めつけんのが趣味なの?」
「検証のためには必要な処置です。指の骨を折るくらいなら血も出ませんので」
「あーっ、もう…! 滅茶苦茶ツッコみたいけどまあいいです。で、どうなったんですか」
「もう治りました」
エビーに片手を見せる。
思い切り逆の方向に折ったはずの小指が、全く何事もなかったかのように動く。辛うじて痣が残っている程度だ。
「おおー…。やべーじゃないですか。これはやべーよ。ミカさんに絶対言っちゃダメすよ」
「分かっています。だから君に相談しているんじゃないですか」
「そうすか…。俺、そんなに信用されてんすね」
エビーは僕に警戒されていたことくらい察しているんだろう。対象は彼に限ったことではないが。
「現状、話せるのが君しかいないんです。できればタイタとも共有したいのですが…。今日はもう話す機会がなさそうですし、あの、集いの同志? という者達のこともよく理解できていなくて」
「ああ…はい、俺もそれはよく分かんねーっす」
彼は同志、つまり僕のファンなのだそうだが、しばしば理解の範疇を超えるのでどう対峙するべきなのか迷うのだ。
少なくともタイタに悪意がないことは判る。ただ、組織としての『同志』の間でミカの情報をどう扱うのかが予測できない。彼らの行動原理についてはミカの方がよく解っていそうだが、彼女には相談できない。
「エビー、この間の事は口止めしていますよね?」
僕が動揺してミカの手を握り締めすぎた時の事だ。みるみる間に怪我が治った様子は、タイタもしっかり目撃していた。
「もちろんすよ。後で具体的に何を言ってはいけないのかきっちり説明しました。タイさんが持ってたメモも押収してミカさんに預けましたし」
「そうですか。君は本当に頼りになりますね」
「きゅ、急に何でそんな事言うんすか。気持ち悪いでしょうが!」
エビーがおどけて自分の腕をさすって見せる。
エビーは悪ふざけが過ぎる時もあるが、その実、職務への意識は高い。常識的な視点を持ち、僕にも真っ向から意見する姿勢も好ましい。
「…エビー、この涙の事は本気でゾッとしているんです。もしミカが知ったら…」
「十中八九、有効な活用法を考えようとするでしょうねえ。『涙くらいいいじゃん死ぬわけじゃなし』とでも言いそうすよ」
エビーがミカの真似をして言った。確かに言いそうだ。
「あの人は自己犠牲の精神がちょぉーっと行き過ぎてますからね。心配なのは分かります」
「自己犠牲の精神、なんて生易しいものじゃない。ミカは、少しくらいの、いや相当の痛みだったとしても自分が我慢してやり過ごせばいいと考えている節がある。もし目の前に重篤な怪我人が現れたりしたら、涙を搾り出すためにどんな手段を講じるか…」
「もしかして、ミカさんが自分の能力当てにして、涙が出るくらいの痛みを自分で負おうとすっかもってことすか?」
「ミカならやりかねない」
「解らんでもないすけど、それ、アンタも同類すからね?」
エビーが自分の小指を立てて振りながら目を眇める。
「同類? まさか。僕は職業柄、例え腕の一本くらい欠損したとしても戦えるくらいには鍛えています。その僕が自分で骨を折るのとはわけが違う。ミカはあくまで非戦闘員だ」
「そりゃそーすけどお…」
僕が取り乱したあの時、腕をひしゃげさせられたというのにまるで冷静だった。異常な我慢強さだ。相当鍛えた武人でもああは振る舞えまい。
加害者である僕の方はもう終わりだと思ったし、今までで一番自分に絶望もした。だというのに、ミカは僕を一切諦めていなかった。それはタイタもそうだった。
ミカに至っては、むしろ治癒能力を僕が気味悪がるのではと心配し、護衛の必要もなくなって僕が離れるのではと全く頓珍漢な思い違いをしていた。
どうしてそんな考えになるのか全く理解できない。
あの時のことは、ミカに自己治癒能力があったから何とかなったようなもので、そうでなければこの旅は強制的に終了していたはず。結果的に救われた僕がそれを気味悪がるなど、絶対にあり得ないことだ。
ミカはその後もまるで僕を拒む様子がない。それも不思議でならない。
普通、どんなに『気にしてない』と言えても、一度痛みを覚えた体は正直に反応してしまうものだろう。しかし、あれから何度か断って触れてみたが、嫌がる素振りどころか身体のこわばりすらも感じられなかった。
自己治癒現象を利用し、苦痛を繰り返し与えるような拷問もあり得ると説明した時は流石に怯えていたようだが、それをするのは僕ではない誰かだと、疑いもしていない様子だった。
会ってまだ一年も経っていない、怪しい経歴もある、しかも自分を害した男を、どうしてそう信用できる?
微かな青痣すらも消えかかっている自分の小指を見つめていたら、エビーが僕の肩にポンと手を乗せた。
「あんま思い詰めんでくださいよ。てか考えすぎすよ。まあ、周りが怪我人ばっかりの状況で伝えるべきじゃないってのは賛成すけどねえ。…でも、ミカさんならそのうち自分で検証し始めますよ。疑問をそのままにしておく人じゃありませんから。その時に俺らが冷静でなくてどうするんすか」
エビーの言う通りだ。冷静にならないといけないのは解っている。彼女が僕に警戒心が無さすぎることはさておき…。
「まー、今日のところは気付かんかった事にしましょうよ。今この時に黙ってたなんて、後で本人に知れたら滅茶苦茶怒りそうですし。で、ちょっと気になった事訊いてもいいすか」
「何です」
「涙以外の体液は検証しました?」
「涙以外の?」
「だから、例えばそう、唾液とか」
エビーが指先で口元をトントンと叩く。唾液。そうか、なるほど。その発想は無かった。
「いえ、口にはせいぜい触れるくらいの口づけしかしていませんし、まだ分かりませんね」
「…………」
急に言葉が返って来なくなったので横を見る。ニヤニヤとするエビーが目に入った。
「今、自白したの解ってます?」
「…………っ」
かっと顔に熱が集まるのが分かる。
「あははは、ザコル殿は本当にチョロ……ヒッ!!」
思わずまたエビーの首元に手をやってしまった。
「…エビー、丁度、ミカを抱き締め足らないと思っていたところなんです。代わりに君を抱き締めてもいいですか? 力加減できるか分かりませんが」
「俺なんか抱き締めたって何も面白くないってえええいでででででででエエエッ」
僕より上背のあるエビーを無理矢理抱え込んでいたら、ガチャッと扉が開いた。
「何二人で騒いでんの? 仲良しだね」
出てきたミカが不貞腐れた様子でこちらを見る。何を怒っている?
しかし、ミカは怒っても愛らしいな。不思議な生き物だ。
「ダズゲデミガざあああん」
「よく分かりませんけど、離してあげてくださいよ。それ、結構苦しいんですから」
ミカにはもっと警戒しろとの意味を込めて軽く締めてやっただけだ。
というか、夜に訪ねて行ってすんなり部屋に通され、すんなり腕の中に入ってきた時は頭を抱えそうになった。僕でなかったらどうするつもりなんだ。
手を緩めるとエビーが素早く抜け出て距離を取った。
「は、はあっ、ま、まさかミカさんも、これ、やられたとか…っ!?」
「すぐ離してくれたから大丈夫だよ。というか、私に危機感がないからわざと脅してみせたんでしょ?」
「べ、別にそんなことは」
何もかも見通していそうなミカの瞳から目を逸らす。
ジト…。エビーが不穏な視線を寄越してくる。
「…おい変態魔王さんよう、あんま調子乗ってっとマジで知らねえかんな」
「はいはい、魔王もエビーと同じく心配性なんだよ。私があまりに能天気だから」
解っているならどうしてもっと真剣に自分の身を心配しない、と口から出かかって飲み込む。ここは廊下だ。これ以上墓穴を掘ってミカから引き離されるのだけは困る。
空気を読んだように、ミカが部屋の中へと僕達をいざなった。
◇ ◇ ◇
結果的にその夜は、避難民を乗せた荷馬車が三回、パズータからの救援が一回訪れ、許可の判を四回押しただけで特にトラブルもなく夜明けを迎えた。執事のおじいさんが二度ほど様子を見に来てくれたが、特に手を煩わせる事もなかった。
執務室には衝立と簡易ベッド二台も運んでもらった。この部屋は応接室も兼ねていて、まあまあの広さがある。後から来たタイタも含め、衝立の向こうで男性三人が交代で清拭を行い、エビーとタイタには仮眠を促した。ザコルは私が眠るまでは眠らないと言い張ってずっと立っている。
「いや、せめて座りましょうよ。何の苦行ですか?」
「普通、護衛とは対象の後ろに立っているものです」
「いや、今まで普通に隣に座ってたしあまつさえ膝に乗せたりもしてましたよね? …まあ、ここは人様のお部屋だから節度が守れて丁度いいかもしれませんけど」
私は執務室に布を持ってきてもらい、ソファに座ってずっと布オムツや赤ん坊の肌着を縫っていた。
猟犬ファンクラブが持ってきてくれたのは大人向けの衣料品が多かったので、子供や赤ん坊用の服はまだまだ不足していた。赤子用が一段落したら、大人の服をいくつかリメイクして、幼稚園や小学生くらいの子向けの服も作ってみよう。
「ミカは裁縫の心得もあるのですね。器用なものです」
「近所に住んでいたスミエさんという方が色々と教えてくれたんです。祖母の友達で、洋裁や手芸が趣味の方でした。お料理も上手で、祖母が脚を悪くしてからはよく差し入れをいただいたんですよ。祖母のお友達で、私に良くして下さった方は他に何人もいます」
「ミカは色んな大人に育てられたのですね」
「そう。なのに恩返しもできず…」
「はい、泣かない。さあこのヤカンをもう一度凍らせて。すっかり溶けましたから」
ザコルは使用人に言って水の入った大きなヤカンを届けてもらい、私に氷を作らせてはストーブの上に置いて溶かしてを繰り返している。賢い。白湯も飲めるし一石二鳥だ。
座り心地のいいソファで細かい作業などしていると目がしぱしぱしてくる。
薪ストーブのお陰で暖かいし、明かりがランプのみで暗いのもいけない。外は徐々に明るくなってきたがマージはまだ寝足りないくらいだろう。もう少しここに待機するつもりでいなければ。
縫い終わった肌着を綺麗に畳み、ぐぐっと伸びをしながら立ち上がる。
「ザコル、ちょっと踊りましょう」
「な、何故。ここでですか?」
ザコルが身構える。踊りに苦手意識があるのは知っているが、そこまでか。
「そう、ここで。眠気覚ましに」
「それなら僕が起きていますから、あなたはソファで仮眠を取ればいいじゃないですか」
「任された仕事を途中放棄して寝るなんてあり得ません」
ザコルには護衛任務を途中放棄させてしまって申し訳なかったが、あれは非常事態だから仕方ない。仕事うんぬんより、人命のかかった救助こそ最優先だろう。
「そういうわけで、ワルツでも踊りましょう」
「どういうわけですか、ちょ」
ザコルの手を無理矢理取って自分の手を乗せる。
「ちゃららららーん、ちゃちゃん、ちゃちゃん」
「…何ですかそのワルツは。聴いたことがありません」
「ドナウ河が青いだか美しいだかという曲ですよ」
適当に口ずさみつつ、テイラーにいる間にマスターできた数少ないステップを踏んでみる。私よりもザコルのステップの方がずっと怪しい。これはかなり練習しないといけないな。
「私が元いた世界にもワルツや舞踏会はあったんです。まあ私のいた国とは文化圏が違いますし、踊りそのものについてはさっぱりなんですが」
「なるほど、ミカも元々、ダンスにはこれっぽっちも興味が無かったということですね。少しでも興味があればもっと『識って』いたでしょうから」
「ふふ、バレましたか。ダンスというか、運動全般に興味が無かったともいいますね。でもアメリアと約束しましたから、この機にしっかりマスターしますよ。春になったら、ザコルも私と一緒に踊ってくれますか?」
む、眉間に皺が寄る。
「…そういうのは女性側からは言わないものです」
ああ、そういうものか。じゃあ、誘ってくれるんだろうか。
「あ、あなたが望むならその通りにしますが、正直、ミカが恥をかくだけだと思いますよ」
「ふーん。じゃあ、第二王子殿下にでもお願いしようかなー」
「どうしてそうなるんです!」
「そんな怒るくらいなら頑張って踊ってくださいよね、私と」
窓から朝日が差し込む中、私がうろ覚えで口ずさむ適当ワルツに合わせて練習を続ける。
そうこうしているうちにエビーとタイタが起きてきた。
いいとこ出身らしいタイタは基礎教養としてダンスも嗜んでいたそうで、ザコルはステップの間違いをやんわりと指摘されていた。
タイタが起きたので、今のうちにと私が渡り人である事が同志達にどこまで知られているのかを確認した。
意外な事に、集いの間では知らない者がほとんどであるようだ。貴族メンバーの中には知っている者もいるかもしれないが、集いの場でそれを口にする事は決してないらしい。
「オリヴァー様もそこまでは漏らしておられません。本来、王家とテイラー伯爵家しか知らないはずの極秘情報ですから。もちろん、俺も渡り人だとは絶対に口にするなとオリヴァー様から厳命されています」
オリヴァーは一応線引きできる子だったらしい。
応接セットは一人用ソファ三台と二人用ソファが一台、ローテーブルを囲む形で配置されている。
一人用に私とタイタがそれぞれ座り、二人用ソファにザコルとエビーが座っている。微妙に違和感のある座り位置だ。
「僕の方では、第二王子殿下があちこちで渡り人の存在や外見的特徴を漏らしているのは把握しています。集いに参加している貴族達は賢明な者が多いようですね」
第二王子から聞いた噂話を、軽々しくプライベートで口にしないくらいの分別はある、と言いたいようだ。
ザコルが今回の支援者名簿をパラパラと見ている。
「推しに認知されたくない方が多いので、ザコル殿にお名前をお伝えする前にご本人の許可を得なくてはならず…。その名簿以上には具体的な名をお教えできなくて申し訳ありません」
「…もしや、この名簿に記載されていない支援者もいますか」
「はい。申し訳ありません。これを見る限り『足りない』かと」
タイタはここら地域一帯の会員をしっかり把握しているようで、この名簿の人数では『足りない』と感じたようだ。
「この短時間でよくぞそんな人数の支援を取り付けたものだ。まあ、貴族ならば立場もあるでしょうから、匿名もやむを得ないでしょう」
「いえ、身分は関係ありません。ただ推しに認知されたくないだけかと」
タイタは同じセリフを繰り返した。つまり平民でも載っていない支援者はいるということだ。
「タイちゃんはそういう時に名を明かさない配慮はできるのね。あっ、ごめん、嫌味じゃないよ」
タイタはにこりと笑い、首を振った。
「配慮という程の事ではございません。貴族平民関係なく、他の同志からよく言われるのです。勝手に自分の存在をザコル殿に伝える事はしないでくれと。自分は壁か空気になりたいのだと」
「ふぅん、徹底的にオタクの流儀を叩き込まれてんのね…。あれ、じゃあ、私ってどういう人として認知されているの? 氷姫とは呼ばれてるんだよね?」
「テイラー領に突如現れた魔法士だと思われています。オリヴァー様がそのように紹介なさいましたので。渡り人でなくとも力の強い魔法士は貴重な存在ですから、出自を問わずそれだけで貴族家に囲われたり、護衛がついたとしても不自然ではありません」
「なるほど、では私は彼らの間においてはただの魔法士だと思われているんだね?」
「そうですね。少なくとも同志、商家のリーダーたちはそう認識しているはずです。必要以上に口外もしていないかと」
それが本当ならなんて訓練されたオタクだろう。
私を詮索することは推しであるザコルにも迷惑がかかることだと、皆がしっかり理解し心を律しているということだ。
「なーる…。もう今後その設定でいけませんかね? 私は実は魔法士。ただの魔法士。平民だったけど魔法に目覚めてテイラー伯爵家預かりになった。サカシータ子爵家には修行か何かで来た。みたいな? それなら堂々と魔法を使えるんじゃ」
ザコルの方を向くと、ふるふると首を振った。
「駄目です。テイラーで接触したラースラ教徒は『氷姫』が渡り人だと把握していました。テイラーの縁者で氷を作れる魔法士がもう一人いるとは考えてくれないでしょう。今この町を多くの人間が出入りしている以上、あなたの出自に繋がる情報を軽々しく晒すわけにはいきません」
だよねー。
「ラースラ教かあ…。私が言うのも違うと解っていますが、何だかもう隠すのに疲れてきましたねえ…」
「僕もこんな田舎町に危険思想を持つ者がいると考えたくはないのですが…。でもそうですね、ではこう言い変えましょう」
コホン、ザコルが咳払いする。
「未だ何もしていない民のために、罪を犯させないための我慢をしていただけませんか、ミカ」
なるほど。
もしラースラ教に染まっていたとしても元は一般の民かもしれない。その民を本当の罪人にしないためと言われれば、確かに納得できる。私の事をよく解っているな。
「その言い方はいいですね。モチベーションが上がりました。何とかやり過ごしてみせます!」
「あなたの優しさにつけ込むような言い方をしてすみません」
「ううん。私も前向きになれますから。そもそも、私のための旅でもあるんだし、文句を言う方が間違ってるんですよ。でも、また魔力がうまく消化できずに大泣きしちゃったら、その時はごめんなさい」
「そ、そうですね、泣い…………」
急にザコルが言葉に詰まる。
「……ザコル殿」
エビーが控えめにザコルをつついたのが見えた。
「ああ、はい。ミカが泣き始めたら速やかに回収します」
「ふふっ、速やかにね。ザコル、どうしました? もしかして疲れていますか?」
「え」
ザコルの顔を覗き込む。
「ねえ、大丈夫ですか? 顔色が悪いような」
「大丈夫、大丈夫です。何でもありません。まだ部屋が暗いのでそう見えるだけではないですか」
ザコルが手のひらを向け、一人用ソファから身を乗り出そうとした私を制す。
「……ふーん?」
私は大人しくソファに腰を戻す。
手にしていた白湯入りのマグカップをローテーブルにタンッと置くと、ザコルとエビーが僅かに肩を上げた。
◇ ◇ ◇
その後、私がアメリアへの手紙を書くと言ったら、エビーも報告書を一緒に送りたいと言うので、お互いに内容を確認し合いながら書き上げた。ザコルもセオドア宛に手紙を書き始めた。
私の方では、魔力を使わないと体調不良になる旨は前の手紙にも書いたが、念のためもう一度触れておく。
水害の事やイーリアやマージとのやり取り、山の民や猟犬ファンの集いの話など、書くことは山のようにある。私もザコルも護衛二人も無事で、元気にやっていると書いて締めくくった。
使用人が朝食を運んでやってきて、食べ終わる頃になってマージが現れた。
「ミカ様、おはようございます。執務を代わってくださり本当にありがとうございました。少々寝過ごして遅くなってしまいましたわ。お恥ずかしい…」
「それは良かった。マージ様、顔色が大分良くなられましたね。何ならもう少し寝ていらしても良かったのに」
「昨日はかなり早い時間に寝かせていただきましたから。充分過ぎる程休めましたわ」
マージは昨日、使用人の仮眠室の一画で寝たらしい。自分の寝室は重傷者に明け渡しているからだ。政治家の鏡だろうか。
献身的な彼女が町長を務めるこの町はきっと、これからより素晴らしい町になっていくのだろう。
◇ ◇ ◇
私達はマージに執務室を明け渡し、その足で『深緑の猟犬ファンの集い同志が作ったボランティアキャンプ設営地』へ向かう事にした。…長いな。もう同志村でいいか。
「ミカ、寝なくて大丈夫ですか。少しくらい休んでからでも」
「大丈夫ですって。ザコル、私これでも以前は三徹くらい普通だったんですよ」
「ミカさん、そこ誇らないでください。いいすか、ファンの同志の人らとの打ち合わせが済んだらさっさと寝てくださいよ」
「俺が伝達役をお引き受けいたしましょうか。ミカ殿は指示さえ出してくだされば」
「もー、皆過保護だなあ。指示だけじゃ足りないよ、彼らの意見も聴いておかないと。今朝のうちに済ませないと彼ら今日動けないでしょうが」
心配性の護衛達を引き連れてやってきた同志村入り口には、深緑色の旗が掲げられていた。
「同志村っていうよりザコル村ですねこれは」
テントの色も深緑が多い。自衛隊キャンプみたいだ。
「やめてくださいよ…。ミカも自分に置き換えて考えてみればいいんです。もしもこの旗が黒か紺か氷の結晶柄で、ここがミカ村と呼ばれていたら…」
ミカ村…
「どっ、どうしていいか分からない! 私の何がいいのかと問いただして回りたくなる!」
「そうでしょう。僕は今まさにそんな気分です。でもミカ村はいいですね。何ならシータイの町名を聖女にあやかってミカかホッタに変更してもいいでしょう。反対意見も出ないんじゃないですか。父に言って…」
「な、なんでそんな事言うんですか…!? 恥ずかしすぎてもう町に顔出せなくなっちゃうでしょ!?」
斜め後ろにいたザコルの胸に向かって軽くパンチを繰り出してみたが、サッと避けられただけだった。
村の中から昨日の部下代表と数人の男性が駆けてくる。
「ザコル様! ミカ様! おはようございます! 呼んでくださればこちらから出向きましたのに」
「おはようございます。散歩がてら寄らせてもらっただけですのでお気になさらず。皆さんよく休めましたか? 井戸の勝手が違って不便だったのでは」
このキャンプ村から一番近い井戸は農業用の井戸だ。
「いいえ、時間を気にせず自由に使わせていただけるのでありがたいです。今リーダは…ええと…」
「隠れてしまわれましたか?」
「お恥ずかしい事で…。重ね重ね申し訳ありません…」
「またザコル様に見つけてもらってもいいですが、そうするとまた心神喪失されてしまいますかねえ…」
「充分睡眠は取ったはずなのですが、私共の方では何とも…」
部下Aが縮こまる。これ以上彼らに訊いても気の毒だ。
「ではこの場でご挨拶させていただく事にします。コホン…皆さーん! サカシータ領の危機に駆け付けてくださり、誠にありがとうございます! サカシータ子爵第一夫人であらせられるイーリア様より、町との仲介役を任されました。ミカと申します! お見知りおきをー!」
さわさわさわ…さわさわさわ…
近くの木々や茂みから葉擦れの音が聴こえる。何だろう、某もののけの猩々か木霊と話している気分だ。
「私自身もこの町でお世話になっている身ではありますが、成り行きもあって一昨日より避難民支援のサポートをしております! これから皆様にご提供いただいた物品と人材の配置を一緒に考えさせていただければと思いまーす!!」
さわさわさわ…さわさわさわ…
「取り急ぎ、部下の方々とお話しして初動を決めさせていただいてもよろしいでしょうか!」
さわさわさわ…さわさわさわ…
「ザコル様が寂しがっておられます! もし慣れたらお話しして差し上げてくださいね!」
「ミ、ミカ、何を」
しーん……
静寂。昨日まで強かった風が今朝は収まっているので、沈黙が際立った。
「……やっぱり僕とは話したくないんですね…」
ザコルが分かりやすくシュンとする。
わさわさわさ!! ガサガサガサ!!
さっきより強めの葉擦れが聞こえてくる。そんなに振ったら枝が折れそうだ。
「良かった。これで推しを悲しませずに済みそうです」
ふふふ。
「流石はミカ殿、強い…!」
タイタが呟く。今のはザコルが可愛かっただけだと思う。
「では、部下の皆様。打ち合わせをいたしましょうか」
「もちろんでございますミカ様。……おーい若頭! ほんとにこっちで勝手に決めちゃいますからね!」
さわさわっ。
この人のリーダーはあの木の上だな。
「まずは診療所と救護所に…あとは門で誘導と…荷馬車へ…集会所でのお世話も…それから皆を一度湯浴みさせた方が…」
大きめのテントの一つに通され、部下連盟と対峙する。
物資は昨日ある程度運び入れているので、今回は人材の配置から話をした。
部下だけでも八十人くらいいるのだ。グループを分け、ローテーションを組みながら途切れずに支援してもらうのがいいだろう。
「もし足りない物があれば追加の支援を手配いたしますよ。貴族の同志の方々からいただいた予算はまだまだありますし、食料などを定期的に調達する便も設けるつもりですから」
「それはありがたい事です。では、衣食住と医療に関わる物資はもちろんお願いするとして、可能なら乳幼児と子供用の物品もお願いしてもよろしいでしょうか。服と靴、できれば玩具なども」
「玩具ですか?」
「子供にとっては、この避難所生活自体が非日常で大人以上にストレスですから。親の苦労を半減させるためにも何か暇を潰せるものがあった方がいいかと……ねえ、エビー、子供向けの画材って高級品?」
エビーを振り返って質問する。
「絵の具や蜜蝋のクレヨンなんかは高級品すね」
こっちの世界では庶民の子供向けの安い画材というものは無いらしい。
「鉛筆は?」
「色のついてないただの鉛筆なら大した値段じゃないすよ」
「そう。では、服と靴、安い紙と鉛筆などを。長引くようなら勉強道具も必要でしょ」
「分かりました。基本的な物資を追加で調達した後、できる限りで手配させていただきます」
「ありがとうございます」
「他にお力になれることはございますか」
「あ、もし可能なら、この手紙と報告書を郵便に出してくださいませんか。テイラー伯爵家のアメリア様宛です」
「僕も。テイラー伯爵様宛で」
「はい、確実に届くよう手配させていただきます」
一時間程の打ち合わせを終える。昨日執務室で各々書いた手紙も預かってもらえて良かった。
今日動く人材の選抜は昨日からしてあったようで、指示を出すとすぐに集まった。私達と一緒に連れ立って町に戻る。部下連盟、仕事が早いな。
各施設に同志村の人材を紹介しながら送り届けていく。
医師もいるとは聞いていたが、昨日心神喪失していたリーダー陣に混じっていたらしい。今日も隠れていて私達に同行はできなかったため、診療所には後でここに来る旨を伝える。これでシータイの町医者先生も休めるといいが。
人材を案内し終えた頃には昼時に差し掛かっていた。
私達四人は集会所で避難民と同じ食事を受け取り、椅子を勧められたので隅っこの方で食べた。
同志村の面々は早速仕事に取り掛かっており、今まで働き詰めだった町の人々が少しずつ帰宅し始めている。山の民の女性達も何人かを残し、休養のために別の建物に移動したようだ。リラも母親と共に向かったらしく、姿は見えなかった。
「豊富な支援物資に、統率の取れた八十人の若者に、医師まで…。いやいやほんと自衛隊かっての。こんなハイスペックな支援団体が災害二日目にしてやってくるなんて。ザコル、何を返礼します? 全員の家を回って背後取ります? 集いにゲリラ参加します?」
「ミカ、僕にも心の準備というものが必要なんですよ。知らない人ばかりの集まりだなんて考えるだけで吐きそうです」
「それでこそザコル殿。英雄でありながら堂々と弱気を吐ける胆力。感服いたします」
タイタの謎の褒め言葉に、ザコルが微妙な顔になった。
何だろうな、国最強の英雄という光の住人でありながら、人付き合いの苦手さを全く隠さない所が彼らの心の拠り所にでもなっているんだろうか。『弱気を吐ける胆力』って凄い矛盾した言葉だけど。
「ちょっといいすかね、俺だけかもしれませんけど、昨日から何が何だか全然分からねーんすよ。あの人らファンなんすよね。何で隠れるんすか。何で認知されたくねえんすか。全然ついていけねえ。寂しい。ねえ教えてくださいよ英雄殿お」
「僕に分かる訳ないだろ…」
ザコルは、じゃれつくエビーに嫌そうな顔をしつつもそのままにさせている。
「エビーにも解らない事はあるのだな。人付き合いで苦労する事など無いだろうと思っていたが」
タイタがその様子を眺めながら言った。少し羨ましそうだ。
「エビーは確かによく気の付く子だけど、気がつくからこその苦労や心配事も多いと思うな。理解できない事だって当然あるよ。誰もが親しみやすい分、板挟みにもなりやすいだろうしね」
「なるほど、そうなのですね。すまないエビー。嫌な言い方をしたようだ。考えてみれば、そういう俺こそが苦労の種だったな」
私が窘めると、タイタが素直にエビーに謝る。
「ちょ、そんな、別に謝るほどの事じゃねーし、タイさんの事だって今は苦労の種だなんて思ってねえすよ。まあ、誰にでも気安いのが俺の長所みたいなもんすけど、正直、人の心なんて分かんねえ事の方が多いっす。ミカさんは嬉しい事ばっか言ってくれますよねえ。姐さん一生ついてっていいすか」
「いいよ。私の質問に何でも答えてくれるんならね」
目を眇めたらエビーがザコルの陰にシュッと隠れた。エビーの方が背が大きいのではみ出している。
「ミカ、エビーが怯えています」
「ふーん。ザコルはエビーを随分と気に入ったんですね。仲が深まったようで良かったです」
「早速板挟みにしないでくださいよ!」
「あははは」
「怖っ! 目が笑ってないっす!」
そんなエビーとザコルを横目に、黙ってソーセージが挟まれたパンを頬張る。美味しい。集会所の喧騒を聴きつつ、食事に集中しようとする。
「ミカ」
咀嚼中なので返事をせずに顔だけ向ける。
「ミカ、ええと…」
ゴクンと飲み込み、無言のままスープを啜る。
「ザコル殿、ダメすよ」
「何がダメなのかな?」
私が笑いかけると、明らかにザコルとエビーが体を引いた。
「タイタ。食べ終わったらあの二人抜きで同志村に行きましょう」
『え』
「休む前にリーダー達の顔くらいは確認しておきたいです。同行してくれますか」
「御意に」
「ザコル。あなたはエビーと一緒に離れた場所で待機してください。かなり離れてても会話くらい拾えますよね」
「わ、分かりました…」
◇ ◇ ◇
「隠し事ヘタか! それでも暗部の敏腕工作員か⁉︎」
「すみませんエビー。自分でも自分に呆れている所です…」
僕はエビーと一緒にミカとタイタからできるだけ距離を取り、木の陰から二人の背中を見守っている。僕にはあちらの会話が聴こえるが、ミカにはこちらの会話など聴こえていないはず。
「それよか、いきなりミカさんから距離置きすぎっしょ。今までミカさんの隣を譲った事なかったくせに。何俺の隣に座ってんの?」
「ええと、口づけ云々の話をしてから急に恥ずかしくなって…」
「今更何言ってんすか! あんたがやらかした数々の変態行為をあげつらってやろうか! 膝に乗せて飯食ってたの忘れたんすか!?」
「あの時はただ無性にミカの世話がしたくなったというか、どこまで許してくれるのか気になったというか…。あの、エビー、僕はどうしたらいいんでしょうか。今までどうやってミカと接していたのか分からなくなりました」
「知るかよ!! …くそ、でも俺のせいか…すいません。俺が変に揶揄ったりしたせいで…」
そういうの慣れてねーんすよね、とエビーがバツの悪そうな顔で後ろ頭を掻く。
「君に謝られるのも何となく堪えますね…。しかし、どうしましょうか。もうミカ相手には誤魔化せません」
「この後四人でちゃんと話すしかないすね。何となく、これでタイさん除け者なんかにしたら余計に怒られる気が…」
エビーの言う通り、僕はこれでも多くの秘密を抱えた元暗部の人間だ。
確かに演技や嘘は不得手だという自覚はあるが、黙っているだけならむしろ得意だという自負があった。しかしどうしてだか、今回の事では少しも冷静になれない。ミカの前ではどうしても取り繕おうとする気持ちが前に出てしまう。
ミカの能力に関する事は特に第一級の機密として扱うべきで、いつも以上に気を引き締めなければならないというのに。全く情けない。
「自分自身の政治的配慮の欠如というか、無能さにはほとほと呆れる思いです。気が緩んでいる自覚はありましたが、機密も扱えない程腑抜けているとは。主に遠ざけられるわけだ…」
遠くにいる華奢な背中を眺めながら、深い溜息が漏れる。ミカも呆れただろうか…。
「…ちげーよ。セオドア様があんたを遠ざけたのは、ザコル殿が最悪自分が悪者になればいいと思ってるからすよ」
僕はミカから視線を外し、エビーの顔を見る。何の事だ?
「あんた、どうせ自分が失うものなんてないとか思ってんでしょうけど、セオドア様が拾った人間を捨て駒みたいに扱う人じゃないって、本当は解ってんでしょ?」
「…それは」
「あんたが暗部でどんな扱い受けてきたか知りませんけど、セオドア様も、きっとミカさんも、ザコル殿が安易に破滅しようとするのを何とか止めようとしてんじゃないんすか」
「破滅…?」
「だから、王都燃やすとか、すぐそういう事言うからすよ!」
それはそうだろう。あんな害虫だらけの王都なんて、僕が燃やしてしまえばいい。罪を引き受けるのは、僕みたいな捨て駒にこそ相応しい。主も最終的にはそうするつもりで僕を拾ったのだと思っていた。
だから『あり得ない』と…。
「やっぱ、あんたら二人って似た者同士だと思うんすよねえ…」
「まさか。ミカは来たばかりのこの町でさえ多くの人間に認められ、愛されているでしょう。僕とは雲泥の差だ」
「あの変な深緑の村、全部あんたのファンが作ったもんすけどお?」
「それはまあ、そうらしいですが…」
ミカは僕に言った。周りを見ろと。愛してくれる人はたくさんいるからと。…そう、泣きそうな顔で。
「そうらしいって、他人事かっての。まあいいすよ。で、もしミカさんがザコル殿んことはもうイラネっつって、他の人んとこ行っちゃったらどーすんすか。愛してくれそーな人はたくさんいますもんねえー」
ミカが僕以外の人間の手を取って僕から離れるとしたら。もう何のくびきも未練もなくなるとしたら。
「燃やす」
「何を!? いや、そーいうとこっすからね!? あー、くそ。俺もミカさんに謝んないと…。絶対ザコル殿を取ったって思われてる…!」
「エビーが僕を? 何の話ですか。ミカが怒っているのは隠し事をされたからでは」
「それもあるでしょうけど、早い話、俺とザコル殿がコソコソやってるから嫉妬してんすよ」
「しっと?」
……???
「心底不可解って顔ばっかりせんでくださいよ。仮にですけど、俺かタイさんがミカさんとベタベタして、ザコル殿に内緒でコソコソ話してたらどう思います?」
「滅す」
「でしょうね! ミカさんの方も、そういう意味でも怒ってるって事すよ!」
「そういう意味で……ああ、なるほど」
泣きそうな顔で、周りを見ろと、自分がどうなっても僕が幸せになってくれないと困ると言ったその口で、お友達ができてよかったと言ったその口で、ザコルはエビーを随分と気に入ったんですね、と言う。
「縛り付けたくないと言ったのはミカなのに」
ミカ、ミカ。僕の可愛いミカ。
ああ、どうして……
「…やべ、変なスイッチ押したか」
エビーが訳の分からないことを呟く。
早くミカと話したくてその背中を見つめていたら、ミカが不意にこちらを振り向き、ミカの前に集まっていた同志達が一斉に散った。
◇ ◇ ◇
「ちょっとザコル。あんな遠距離から殺気、いやあれ殺気か…? とにかく何かの気を飛ばしてこないでくれます? せっかく集まってくれた同志が散っちゃったじゃないですか」
私は隠れていたザコルに向かって文句を言った。しかし、とりあえずリーダー達の顔は確認したし、必要な話はできたのでまあよしとするが。
「あんな遠距離からの気を察知するミカさんもミカさんすよ。同志の皆さんもすけど」
「何度も近くで殺気浴びてたら敏感にもなるっての。で、愛しのエビーと話はつきました?」
「ミカ、話したい事があります」
ザコルがズイッと前に出てきたので思わず後ずさった。
「な、何? すごい前のめりなんですけど。昨夜からずっと私を避けてましたよね? 何ですか急に…」
「僕が愚かでした。あなたに隠し事をするなんて」
「いや、隠しとけって言ったのは俺もすよ。嫌な思いさせて申し訳ありませんでした」
エビーがザコルを庇うようにして頭を下げる。
「ふううーん? エビーがザコルのために謝るんだ? 仲のよろしい事で」
今日何度めになるか知らないが目を眇めて二人を見ると、エビーは後ずさり、ザコルはなぜかさらに前のめりになって私の肩を掴む。
「ミカ、疲れたんじゃないですか。もう休みましょう」
「ちょちょちょっとザコル殿! 話し合うんでしょうが! どこにつれてく気だよ!!」
私の肩を押して行こうとするザコルをエビーが必死に止める。
はあ、と息をつく。
「…ザコル。離してください」
平淡な口調でそう述べるとザコルがピタッと止まった。すっ、と手を離される。ザコルを掴んでいたエビーまで固まっている。
「話し合うんでしょう。人目に付かない所を探しましょう。どこか知ってる?」
「それならば、この町のはずれに出入り自由な礼拝堂があると聞きました。今日は休息日ではないので人もいないと思われます」
タイタが私に答える。
「初めて行く場所だね。一応訊くけど、ラースラ教は関係ないんだよね?」
「もちろんです。この土地で古くから信仰されている豊穣の女神を祀るものですから」
「そう。では行ってみましょう」
タイタに案内を任せ、踵を返す。ザコルとエビーも後からついてくる。
二人が何を隠していたか知らないが、どうせ私の能力か何かに関する事だろう。
ザコルが私にではなくまずエビーに相談したのだ。きっとロクでもない事が起きたか、判明でもしたのに違いない。
私は正直聞きたくないという気持ちを抑え、なるべく平常を装って歩いた。
つづく




