〝かけがえのない時間〟
店に着くなり、由野さんはレシピを元に
クレープを再現してくれると言った。
「由野さん。
さっき言ってた、
お姉さんが幸せでいることが怖くて死を選んだって、
本当ですか?」
「彼女は彼女なりに彼を本気で愛していたんだろう。
それでも、いや――だからこそなのか、
彼女は彼と手と手を取り合って
生きていく未来が怖かったんだろう。
ぬるま湯の幸せが、
幸せとも不幸せとも言えない日々が、
彼女にとって一番の幸せだと気付いたから。
最高の幸せへと向かおうとする彼とでは、
いけなかったんだよ」
「――だからって、
お姉さんは自分で死を選んだんですか?」
「恐らくは」
私に断定することはできないがな、
と切なそうに由野さんは目を伏せた。
なぜ、幸せを避けることが
死へと繋がってしまったのだろう。
お姉さんには、生きていてほしかったのに。
「そんなのって、あんまりですよ……」
「死というものは往々にして納得できるものではないさ。
それが彼女の場合、
他人には理解すらできないというだけだった、
それだけのことだ」
あまりにも冷たく、
お姉さんを淘汰するような物言いに、
僕はキッと由野さんを睨みつけた。
だけどそこにあったのは無力を嘆くような、
彼女の死を儚むような……
優しくも痛々しげな表情だった。
――どうしてあなたがそんな顔をするんですか。
そんな顔をされてしまったら
僕は何も言えないじゃないですか。
それを察するように、由野さんは続ける。
「それでも彼女は残したかったんだろう、
甘いものが苦手な君に」
コトリ、と目の前に置かれた
マサラ・チャイとミルクレープ。
マサラ・チャイから立ち上る湯気は
シナモンとカルダモンの匂いを漂わせ、
エンゼルブルーのクレープからはミントが香った。
「ミントの花言葉に
〝かけがえのない時間〟
というのがあるそうだ。
彼女がそれを知っていたかどうかは定かではないが、
遺書の代わりにこれを遺したんだ。
そう思っても差し支えないだろう」




