「彼女のことを、もう思い出したくないんだ」
お姉さんが亡くなったのは一年以上前のことで、
あんなことがあったからもう引っ越していても
おかしくはないだろうと思ったけれど、
彼はまだそこに住んでいた。
「……ここか」
最寄り駅から徒歩三分程度に位置する
十五階建てマンション。
オートロック式で築年数は五年ほどとまだ新しく、
赤色でレンガ調の外壁がオシャレで家賃も高そうに見える。
彼はどんな気持ちで今もここに住み続けているのだろう?
アポイントも取らずに、
しかも元婚約者と親しかっただけの一少年と
その連れが押しかけては失礼に当たるはずだ。
けれど由野さんは戸惑う素振りすら見せず、
「婚約者の部屋番号は?」とぶっきらぼうに言ってくる。
ここまで連れてきておいて、鳴らさないのも収まりが悪く、
僕は渋々彼の部屋番号を入力し、呼び鈴を鳴らした。
二、三度鳴らしてようやくだろうか。
「……どちら様ですか?」
寝起きさながらに気怠い男性の声が聞こえる。
疲れは感じるが、確かに彼のものだった。
「田所さんの元婚約者の深山さゆりさんの
お線香を上げさせていただきました、佐藤昇汰です」
「…………帰ってください。
彼女のことを、もう思い出したくないんだ」
彼の拒絶を受けて、僕は内心胸を撫で下ろした。
自分が納得するためだけに、
残された人の心を踏み荒らす真似はしたくないと思っていたから。
しかし由野さんは彼の返事を受けて、
我慢できないと言わんばかりに僕を押しのけ、
インターホンの正面に陣取った。




