幽霊がいるなら会ってみたいですわね
ラピスラズリ色の瞳を細めて、セバスチャンったら満面の笑みでクッキーを頬張ってご満悦ですわね。
二人でテーブルを囲んで午後のティータイムを楽しむ度に、わたくしの執事ときたら……。
「さすがですお嬢様。私はお嬢様のお作りになられる、このアーモンドクッキーを心から愛して止みません」
スラッとしていて背も高くて、女の子が羨むほどの艶のある黒髪の持ち主は、見た目に反して甘い物には目がありませんの。
お父様は葉巻やお酒を好んでいましたし、世の中の殿方の大半といえばそういう趣味ですのに、セバスチャンったらまるで子供がそのまま大きくなったようですわ。
「どうかなさいましたかお嬢様? 紅茶が冷めてしまいますよ」
薄い琥珀色が満たしたカップから上る香気を吸い込んで、わたくしはそっと溜息にしましたの。
「食いしん坊が過ぎて、どこかの悪い人にお菓子やごちそうで釣られて誘拐などされなかいと、心配しているだけですわ」
「ご安心くださいお嬢様。どれほど豪勢な晩餐でもてなされようと、私は仕えるべき主を見失いはいたしません。食い逃げをして必ずやお嬢様の元に帰ることを誓います」
そっと胸に手のひらをあてて、セバスチャンは小さく会釈しましたの。
きっちりごちそうを食べていくあたり、毒でも盛られないか心配でしてよ。
わたくしがティーカップを持ち上げると、セバスチャンは思い出したように片方の眉をあげましたわ。
「そうそうお嬢様。クッキーで思い出したのですが、町外れの修道院のクッキーもとても美味しいと評判だったそうです」
修道女たちが作る焼き菓子は、修道院それぞれにレシピが違うという話ですけれど、一つ気になりますわね。
「あら、評判だったというと昔の事のようですわね?」
「ええ。実は最近、その味が落ちてしまったというんです」
「レシピを変えたのかしら。評判が落ちたというなら元に戻せばいいのに」
わたくしも自分で作ったアーモンドクッキーを一口。サクサクとした歯触りにアーモンドの香ばしさが相まって、自画自賛ですけれどなかなか美味しく焼き上がりましたわ。
セバスチャンは続けましたの。
「実はこのような噂を街で耳にしまして。クッキーの味が落ちたあと、修道院近くの共同墓地に幽霊が出るようになった……と」
「幽霊ですって! そ、それは興味深いですわね!」
「お嬢様、淑女たるもの常に落ち着きと品位を欠いてはいけません」
「あら、失礼。けれどとっても興味深いですわ」
お父様は幽霊なんて迷信と言いますけれど、わたくしにはそうとは思えませんの。死者の魂がなにかを伝えたくて、この世に残り続けているのかもしれませんわ。
恋人との永遠の別れを悲しんで戻ってくるような物語はいくつもありますし。
「その幽霊はどのような姿をしていますの?」
「さあ、そこまでは」
「クッキーとなにか関係があるのかしら?」
「どうでしょう。噂が広まるのとクッキーとの因果関係はなく、ただの偶然かもしれませんし」
「幽霊はいったいどのような未練を残しているのでしょうね?」
「お嬢様、まさか幽霊探しなどいたしませんよね」
眉尻を下げるセバスチャンに、つい、わたくしったら意地悪心に火がついてしまいましたわ。
「うふふ♪ さあどうかしら」
「お嬢様がそのようなことをなさるとは思いませんが、墓地で死者の眠りを妨げようものなら呪いが降りかかるやもしれません」
「あら、それは怖いですわね」
セバスチャンったらすっかりタジタジですわね。
「お嬢様。これはわが家の言い伝えですが、純白には死者の霊を慰め癒やす効果があるといいます。お嬢様に限ってご無理はなさらないと思いますが……」
困り顔も絵になるわが家の執事に「もちろんですわ」と返答して、午後のティータイムを終えたわたくしは、こっそり独りで外出しましたの。
洋品店で白いローブと白い下着を買いそろえたのは、単に気に入ったからでしてよ。
それから街でクッキーの美味しかった評判の修道院についても、たまたま情報を知ることができましたわ。
偶然って恐ろしいですわね。
セバスチャンも寝静まる深夜に、わたくしは白装束で外に出ましたわ。
こんな時間だけあって、馬車も使えませんし歩いて郊外に向かいましたの。
どの修道院かはクッキーの評判が落ちたという情報で目星もついていましたし、レーヌ川にかかった橋を渡って、三十分ほど歩いて郊外へ。
空に昇った半分ほどの月明かりを頼りに、ブドウ畑の先にある修道院までやってきましたわ。
街中と違って街頭もありませんし、修道院も寝静まって不気味なくらい静かですのね。
ああ、わくわくしてきましたわ。幽霊がどんな姿をしているのか、この目に焼き付けてみせましてよ。
修道院の隣に建つ教会をぐるりと迂回すると、建物よりも背の高いマロニエの木がありましたわ。とっても立派ですわね。
そんなことを思いながら、わたくし墓地までやってきましたの。
なだらかな丘に点々と墓石が並んでいますわ。管理が行き届いているみたいで、まるで公園のようですわ。墓守の小屋がありますけれど、明かりもなく人の気配は感じませんわね。
「どなたかいらっしゃいませんこと~?」
聞いてみましたけれど、応えるものはありませんわ。
風がさわさわと吹き抜けて、マロニエの葉を揺らすばかり。
呼ばれて出てくる幽霊というのも愛想が良すぎますわよね。
なんだか残念……と思っていたところで、黒い影がフッと墓守の小屋の裏手から飛び出しましたの。背も高くて見上げるほどですわね。
それは目にもとまらぬ速さで教会裏のマロニエの木の方へと駆け抜けていきましたわ。
こ、こ、これは……間違いありませんわ。
「幽霊ですわね!」
まったく足音を立てずに、あんな速さで移動できるなんて他に考えられませんわ。
わたくし、純白のローブが汚れないよう気をつけながら、急ぎ足で教会に向かいましたの。
黒い影はマロニエの木の裏に逃げ込みましたわ。
「お話いたしましょう? あなたはどのような未練があってここにいますの?」
お返事はありませんわね。マロニエの木の前に立って、ゆっくりとその後ろに回り込むと……そこに逃げたであろう黒い影は、忽然といなくなっていましたわ。
「恥ずかしがり屋さんですねの」
人間同士でも最初に会った時は素っ気ない態度を取りがちですし、明日の夜も明後日も、毎晩通い詰めればいつかお話してくれるかもしれませんわね。
◆
初めて黒い影を見てから一週間ほど、わたくしは健気に(と、自分で言ってしまうほどに)毎夜毎晩、墓地に足を運びましたの。
なのに幽霊と会えたのは一度きり。もしかしたら幽霊の方はわたくしの姿をどこからか見ているのかもしれないと思って、気を引こうと踊ったり歌ったりしましたけれど、効果なしですわ。
するとしばらくして、街で幽霊の噂がさらに広まり始めていましたの。
日用品のお買い物帰りに、カフェのテラス席でセバスチャンとコーヒーを飲んでいると、女学生たちが仕切りに幽霊の話をしていて、つい聞き耳を立ててしまいましたわ。
「ねえ、大きなマロニエの木があるお墓の幽霊の話、知ってる?」
「聞いた聞いた。ここだけの話だけど、そこの修道女の幽霊っていうじゃない」
「神に仕える身なのに自殺したんでしょ?」
「そうそう。ある貴族の三男坊に言い寄られて、妊娠した途端に捨てられたって噂よ」
「最近、そのことがバレてその三男坊、家から放逐されたって……本当かしら?」
「やっぱり白い女の幽霊の呪いはあるのよ。墓守がカラスみたいな歌声を聞いたっていうじゃない。不気味ね~」
「違うわよ。独楽みたいにくるくる踊り狂うんですって。その踊りを見た人間は事故にあって足を片方失うっていうし」
ミルクとお砂糖たっぷりのコーヒーに口をつけて、わたくしついムッとしてしまいましたわ。コーヒーの味じゃなくて、幽霊の噂があまりにも間違っているんですもの。
セバスチャンが不思議そうに首を傾げましたの。
「どうかなさいましたかお嬢様?」
「幽霊は黒い服で背も高いのに、噂話なんてあてになりませんわね」
「おや、どうして幽霊が黒い服だなどとお思いになるのですか?」
「それはわた……わたくし、ある筋から信頼性の高い有力な情報を得ていましてよ」
カップをおいてエヘンと胸を張ってみせましたわ。
セバスチャンは目を細めて「そのような情報源をお持ちになられていたとは、意外です」とちょっぴり驚いたみたい。
夜中に出歩いていることがバレると、主人として示しがつきませんものね。家人に隙を見せないの淑女の務めでしてよ。
「ところでお嬢様はどう思われますか? 巷では白い女の幽霊ということですが……」
「背の高い黒い男の幽霊ですわよ。闇夜の中で夜よりも暗く、浮かび上がるくらいに真っ黒ですのよ」
「まるで見てきたような臨場感溢れる語り口にございますね。美しさは外見のみならずその言葉の一つ一つまで磨かれ輝いていらっしゃる。さすがですお嬢様」
「ほ、褒めすぎですわ」
誰もわたくしたちのことなど見ていないでしょうけれど、顔がカアアアっと熱くなってしまいましたわ。
「おや、一雨きそうですねお嬢様」
遠くの空から雷鳴が響いて、いつの間にか遠方に厚い雲が広がっていたのが見えて、わたくしは残りのコーヒーを飲み干しましたわ。
夕方から夜にかけて激しい雨が降ったけれど、それも深夜には止んで星空が広がりましたの。今夜は月明かりも
わたくしは今宵も白いローブ姿で墓地にやってきましたわ。
雨でそこかしこにできた水たまりを避けるようにして、教会裏のマロニエの木のそばまでやってきましたの。
今夜はお月様がまん丸で、とっても明るい夜ですわ。これなら闇より暗い幽霊が、いっそうくっきり見えるでしょうね。
ただ、足下はちょっと問題ありですわ。墓地はどこもかしこも水たまりだらけ。
踊るのは無理そうですし、今夜は歌だけにしようかしら。
ふと見ると、大きな水たまりに月が映っていましたの。
そこには、のぞき込んだわたくしの姿も映し出されていましたわ。
「あら、あらあらあらあら……そういうことでしたのね」
白いローブ姿は遠目にみれば幽霊に見えなくもないですわね。
わたくしが幽霊探しを始めた時期と、白い女の幽霊の噂が出始めたのも一致しますし……。
「こんばんわ幽霊さん。噂の白い女の幽霊さん。なんてことはない、わたくし自身でしたのね」
世間を騒がせてしまいましたわ。やれ貴族の三男坊に捨てられただの、尾びれ背びれがついてしまったのも、わたくしの背格好が少女だったからかしら?
その点、男の幽霊というのは噂になりにくいのかもしれませんわね。
さてと……困りましたわ。わたくしがこれ以上毎晩墓地に押しかけると、色々と迷惑をかけてしまいそうですし。
今夜で終わりにした方がいいかもしれませんわね。
本当は幽霊とお話してみたいのですけれど……。
「お前のせいだ……お前のせいだあああああああああああ!」
突然でしたわ。吠える獣のような怒声にわたくし、身がすくんでしまいましたの。
そして月を映した水たまりの鏡に、青白い顔の男の姿が映り込みましたわ。
幽霊? そう、思った途端、わたくしの頭に衝撃が走って、そのまま前のめりに倒れてしまいましたの。
不覚にも身体が動かなくなって、びしゃりと水たまりの中に倒れ込んだまま、意識が……遠のいて……。
どこからか聞き覚えのある声がした気がしたけれど、わたくしは完全に気を失ってしまいましたわ。
目が覚めるとわたくし、修道院のベッドの上でしたの。
ローブは泥水にまみれてしまったみたいで、窓の外に洗濯物といっしょになって干されていましたわ。
修道女の服に着替えさせてもらったみたい。
眼鏡を掛けた二十歳過ぎくらいの修道女がやってきて、わたくしにこう言いましたの。
「貴方のおかげであの子の無念が少しは晴れたかもしれないけど、もう二度とこんなことはしないでちょうだい」
「失礼ですけれど、わたくしなにが何やらさっぱりわかりませんわ」
気を失ってしまってから、いったいなにがどうなったのかしら?
眼鏡の修道女は「とりあえず、動けるようならついてきて」と、わたくしに告げて部屋から出ていってしまいましたわ。
眼鏡の修道女に案内されてマロニエの木までやってきましたの。
陽光に青々とした葉を誇らしげに広げていますわね。
そんな枝から幹をたどっていくと、不自然に削られているところがありますの。
「悪戯かしら?」
そっと指差して、眼鏡の修道女は教えてくれましたわ。
「あのゲスな貴族の三男坊がミランダと一緒に名前を彫ったのよ。頭にきたから削ってやったわ」
「あの……ミランダさんとはどなたかしら?」
「もしかして知らないでやってたの?」
「やったと言われても……わたくし、黒い男の幽霊を探していただけですわ」
眼鏡の修道女は小さく息を吐いてから、わたくしをじっと見つめてきましたわ。
「白いローブ姿なのはどうして?」
「わたくしに仕える執事の故郷では、白は死者の霊を慰める色と聞きましたから」
「そんな話、聞いたことないわね。喪服はみんな黒でしょう? それに仕えるって……貴方も貴族なの?」
「ええ。そうですけれど」
「お偉い貴族様の道楽で、夜中にうろつかれたくないわ」
「許可も取らず勝手に出入りしたことは謝罪いたしますわ。もう来るなというのであれば、二度と足を踏み入れません。それに一晩保護していただいた上に、着替えまで用意していただいて感謝しています。ですからその……なにがあったのか教えていただけませんかしら?」
一度小さく頭を下げると、眼鏡の修道女は昨晩のお月様みたいに目をまん丸にしましたわ。
「貴族にも変なのはいるのね。いいわ。しらばっくれているのかもしれないけど、この修道院で起こったことを教えてあげる」
そう言うと、木漏れ日の下で彼女は事のあらましを簡潔に教えてくれましたわ。
ミランダはクッキーを焼くのが好きな純朴な少女でしたの。
気立ても良くて明るく素直な女の子は、あるとき貴族の三男と出会いましたわ。
強引な男だったけれど、ミランダは恋をしたそうですの。神に仕える身でありながらと、悩みながらも……。
ただ相手が悪かったみたい。男はミランダに迫り、貞潔の誓いが破られた上に子供まで身ごもってしまいましたの。
しかも男は彼女に子供ができたとわかると、彼女を捨ててしまったそうですの。
最低ですわね。
貴族相手に訴えることもできず、神への誓いを破ってしまった彼女は自ら命を絶ってしまった。そのお腹の中の子供とともに……。
「なのにあの男は悠々と生きているなんて、不公平じゃない」
眼鏡の修道女はまるで自分の事のように怒りを露わにしましたわ。
「その男はどうなりましたの?」
「噂が広まって親に離縁を言い渡されたらしいの。貴方のおかげね」
「わたくしはなにもしていませんわよ」
「してくれたじゃない。その身をもって。貴族のぼんくら三男坊は、ミランダの墓まで曝こうとしてたのよ。そこで貴方と出くわした。ミランダの幽霊と間違われて襲われたんだもの」
さすってみると後頭部にたんこぶができていますわね。この程度で済んで幸運でしたけれど、不思議ですわね。
「どうしてわたくし、無事なのかしら? そのような暴漢に襲われたら命がいくつあっても足りませんわ」
「そんなのは知らないわ。ただ、昨晩突然教会の鐘が鳴り響いたの。それで私たちは起こされて、墓地を調べにいったら倒れて泥まみれになっていた貴方と、あの男が気絶して倒れてたの。すぐに王立警備隊に突き出してやったわ。なんでも黒い影に死ぬほど恐ろしい目に遭わされたから、警備隊に保護してほしい……ですって。そのまま収監されたし、離縁されているから保釈金だって出ないでしょうし、いい気味よ」
神に仕える身としては、もっと報いをとは言えませんわよね。まだまだ物足りなさそうな口振りですけれど、男は捕まったというわけですのね。
黒い影――もしかしたらわたくしのことを、幽霊が助けてくれたのかもしれませんわね。
昼前にメゾネットに戻ると、玄関に泥だらけの靴がありましたわ。
セバスチャンったら普段はピカピカの靴ですのに、手入れもしないなんて珍しいですわね。
すぐにリビングからセバスチャンが飛んできましたわ。
「お帰りなさいませお嬢様。修道院から連絡は受けておりましたが、入れ違いになるかと思いこうして留守番をしておりました」
「幽霊探しはおしまいですわね。昨晩は幽霊に助けていただいたみたいで、お礼を言いたいのですけれど、これ以上修道院に迷惑はかけられませんし」
「幽霊に助けられたのですかお嬢様?」
「ええ。不思議な事ってあるものですわね」
セバスチャンはゆっくり頷くと、わたくしに訊きましたの。
「ところでお嬢様はどうしてどうしてそこまで幽霊に会おうとなさるのですか?」
「幽霊が存在するというなら、お母様にもいつか会えるでしょう」
男で一つで育ててくれたお父様には感謝していますけれど、お母様に一目会って成長したわたくしの姿を見せたいものですわ。
けれど無茶をして天国のお母様を心配させるわけにはいきませんし、夜遊びはほどほどにしないといけませんわね。




