第9話 社交界の「平服でお越しください」に具体例を足しただけなのですが
ある日のこと。
私は自室で、一通の招待状を眺めながら頭を悩ませていた。
差出人は、以前から親しくしている侯爵令嬢。今度、彼女の屋敷で小さな夜会が開かれるそうで、私も招待していただいたのである。
それ自体は嬉しい。
嬉しいのだけれど……。
「……ねえ、これってどういう意味だと思う?」
「はい?」
私は傍らに控えていた侍女に、招待状の一文を指さしてみせた。
『当日は平服でお越しください』
……平服。
つまり、普段着ということだろうか。
でも、貴族の夜会で本当に普段着を着ていったら、それはそれで失礼な気がする。
「そうですね……。おそらく、あまり格式張った装いでなくても構わない、という意味ではないでしょうか」
「それは分かるんだけど、どのくらい?」
「どのくらい、と申しますと?」
「例えば、普段お出かけするときのドレスでもいいのかしら。それとも、もう少し華やかなものの方がいい?」
「それは……」
侍女が困ったように首を傾げる。
うん。そうなるよね。私だって分からないもの。
そもそも、平服という言葉自体が曖昧なのだ。
主催者としては「堅苦しく考えなくていいですよ」という親切心なのかもしれないけれど、招待された側からすると、むしろ悩みが増えることもある。
……ああ、そういえば。
前世でもあったなあ。こういうの。
結婚式の二次会や、就職活動の説明会の案内をもらったとき。
『平服でお越しください』
なんて書かれていることがある。
そして、念のために調べてみると、「平服とは礼服でなくてもよいという意味であり、普段着という意味ではありません」なんて説明が出てくるのだ。
「……いや、つまりどういうこと!?」
何度そう叫んだことか。
しかも、これがまた厄介なことに、どこまでカジュアルにしていいのかは、その場の雰囲気によっても変わってくる。
結局、無難そうな服を選んで、当日は周りの人の服装を見てようやく安心するのである。
あの、会場に着くまでの妙な緊張感。
できれば、もう味わいたくないんだけどなあ。
「……お嬢様?」
「あ、ごめんなさい。ちょっと考え事をしていたわ」
「それで、お召し物はいかがいたしましょう?」
「そうねえ……」
私は衣装棚に並ぶドレスを眺めた。
うーん。
◇
そして迎えた、夜会当日。
結局、私はあまり派手すぎない、淡い青色のドレスを選ぶことにした。
普段のお出かけ用よりは少し華やかだけれど、本格的な夜会用のドレスほど格式張ってはいない。
……まあ、このくらいなら大丈夫でしょう。
そう自分に言い聞かせながら会場へ向かったのだが、屋敷に到着して、ほかの出席者たちの姿を見た瞬間、私はほっと胸を撫で下ろした。
よかった。どうやら、そこまで浮いてはいないらしい。
ただ、周囲を見渡してみると、皆さんの服装はなかなかバラバラだった。
普段のお茶会に着ていくようなシンプルなドレスの人もいれば、かなり豪華な装飾を施したドレスを着ている人もいる。
なるほど。みんな、それぞれ違う解釈をしたわけね。
「ヘイミー様!」
そんなことを考えていると、友人の令嬢が声をかけてきた。
「あら、お久しぶりです」
「お久しぶりですわ。……ああ、よかった」
「え?」
「実は、今日の服装がこれでよかったのか、ずっと気になっていたんです。ほかの方々を見て、ようやく安心しましたわ」
「ああ、分かります! 私もずいぶん悩んだんですよ」
「まあ、ヘイミー様も?」
どうやら彼女も、出かける直前まで何を着るか迷っていたらしい。
やっぱり、こういうのは私だけじゃないんだなあ。
と、そこへ主催者の侯爵令嬢がやってきた。
「まあ、皆さん。何のお話ですの?」
「ああ、実は今日の服装について……」
事情を話すと、彼女は少し驚いたようだった。
「まあ! 私としては、皆さんに気楽に楽しんでいただきたかったのですが……。かえって悩ませてしまったのですね」
「いえいえ、お気持ちはありがたいんです。ただ、もう少し具体的に分かると嬉しいなって」
「具体的に、ですか?」
「ええ。例えば、招待状に服装の見本を載せてみるのはどうかしら?」
「見本……?」
「こんな感じのドレスでお越しください、というイラストを添えるんです。もちろん、必ずそのとおりに着る必要はなくて、あくまで目安として」
要するに、主催者がどのくらいの服装を想定しているのか、それが分かればいいのである。
「なるほど! 絵でしたら、確かに分かりやすいですわね」
「それ、ぜひやっていただきたいです!」
友人の令嬢も嬉しそうに声を上げた。
「言葉だけでは、どうしても迷ってしまいますもの」
「そうですね。では、次に招待状をお送りするときには、ぜひ試してみますわ!」
おお。それはありがたい。
これで次からは、もう少し気楽にドレスを選べそうだ。
◇
さて、それからしばらく経って。
私は、例の侯爵令嬢から新しい夜会の招待状を受け取った。
そこには日時や場所などと一緒に、服装の目安として、二人の女性が描かれた小さなイラストが添えられていた。
一人は、落ち着いた色合いのシンプルなドレス。もう一人は、少し華やかな装飾のあるドレスを着ている。
そして、その下にはこんな一文が。
『こちらは服装の一例です。同程度の装いであれば、お好きなものをお召しください』
「おお……」
すごい! これはなんとも分かりやすい!
ここまで丁寧な案内なら、必ず同じ格好をしなければいけない、なんて勘違いも起きにくいだろう。
しかも、服装の例が二種類も描かれているというのも実にいい。
「ふふ。これなら、どんなドレスでいこうか、すぐに思いつきそうね」
「はい! 私も、こちらの方がずっと分かりやすいと思います」
侍女も嬉しそうに頷いた。
そして実際、今回はあっという間に着ていくドレスが決まった。
いつもなら「あれはどうかしら」「こちらの方が無難では?」なんて相談を繰り返していたのに、見本があるだけで、こうも違うものなのか。
これだったら、服を選ぶこと自体を楽しめるというものだ。
もちろん、実際に夜会へ出席してみても、ほかの参加者たちからの評判は上々だった。
「今回は迷わずに支度ができましたわ!」
「うちは母と娘で出席するので、二人分の服を考えなければならなかったのですが、ずいぶん助かりました」
「私は会場に着くまで、自分の服装が合っているかドキドキしてしまう性分でして……。今回は馬車の中でも安心していられましたわ」
うんうん。やっぱり、みんなそうだったのね。
おしゃれを楽しみたい気持ちと、場違いな格好をして恥ずかしい思いをしたくない気持ち。
この二つは、別に矛盾するものではない。
むしろ、ある程度の目安があった方が、安心して自分なりのおしゃれを楽しめるんじゃないだろうか。
……で、ちなみに。
この服装の目安を示すという習慣は、その後、夜会以外にも広まっていった。
結婚式や各種パーティー、ちょっと格式のあるレストランなど、服装選びに迷いがちな場所でも、主催者やお店の側から「このくらいの服装でお越しください」と、イラストなどで具体例を示すようになったのだとか。
へえ。それはいいことだ。
やっぱり、「ご自由に」と言われるより、ある程度の目安があった方が気楽なのよね。
「……いや、つまりどういうこと!?」
→私が調べものをしていて最終的に言う台詞ランキング第1位。いや、私が調べるの下手なだけなんですけどね……




