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ガイ・グレーム・クロイドンの黄金の五年間  作者: 水前寺鯉太郎


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凪(なぎ)の季節と、静かなる継承

11月 6日


思考の狂騒が、嘘のように止まった。

朝、目を覚ましても、昨日までの自分との乖離かいりに戸惑うことはない。視界はどこまでも明快で、論理は透き通った氷のように安定している。知能年齢二十四歳。一人の人間として、知性と精神の均衡が最も美しく保たれる地点に、僕は今、留まっている。


ミラー先生との研究も、一つのマイルストーンに到達した。僕の脳内における「定常状態ステディ・ステート」の観測。薬の効果が飽和し、崩壊が始まるまでの、いわば「嵐の前の静けさ」だ。この一年間、僕は「被験者」としてではなく、一人の「研究者」として、自分の脳が奏でる最後の旋律メロディを記録し続けることになるだろう。


僕は今、パン屋の経営と技術の「システム化」に心血を注いでいる。

ギルバートさんは、僕が持ち込む複雑な損益分岐点のグラフや、成分分析表に基づいた新しいレシピを見て、最初は眉をひそめていた。しかし、最近では「お前さんの言う通りに焼くと、確かにロスが減るな」と、少しだけ悔しそうに、でも誇らしげに笑うようになった。


僕は彼に、僕がいなくなった後も店を支えるための「自動化できない職人技の言語化」を提案している。


「ギルバートさん。あなたが感覚でやっている『生地の弾力』を、数値ではなく、物語としてマニュアルに残したいんです」


僕がそう言うと、彼は不思議そうな顔をした。二十四歳の僕にはわかる。彼が培ってきたものは、単なる技術ではなく、この町の人々との「対話」そのものだったのだ。僕はそれを、僕という知性が消滅した後も機能する「遺産レガシー」として結晶化させなければならない。


副作用の激痛も、このところは鳴りを潜めている。

まるで、僕という人間がこの世界で成すべきことを終えるまで、神様が執行猶予を与えてくれたかのように。


夜、日記のペンを置く前に、僕は数年後の僕に宛てて短いメモを残すことにした。

漢字も、数式も、論理も、すべてを忘れてしまった後の、あの「ヘラヘラ笑っていた僕」へ。


君がこの日記を読めなくなる日が来ても、君の指先が覚えているパンの感触だけは、君の人生を裏切らないはずだ。

十一月の風は冷たいが、厨房のオーブンの熱は、今の僕を優しく、等身大の人間として繋ぎ止めてくれている。

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