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公証長サーシャの通過点―巻き戻った今度は自分に負けずに生きる  作者: 蜂須賀漆


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第12話(1)

帝都に帰着し、長距離移動の疲れが癒えると、アレクサンドラは公証に復帰した。

もちろんまだ補佐であり、復帰してすぐは、娘がまた思い詰めては一大事と、と父伯爵がともに執務室で勤務していたが、大丈夫そうだと分かると、所用で不在の日がまたぽつぽつとできはじめた。


先に伝えた、領地の不正調査の件は、さっそく行う旨を父伯爵が請け合ってくれた。

ただ、強硬的に暴くと逆効果になる恐れがあるため、一旦段取りを踏む、ということだった。


「逆効果?」


不正で私腹を肥やし、領民を害している以上、すぐにでも不正を阻み、担当執事を処分する以外の対応があるのか。

アレクサンドラの疑問に、父伯爵はあの執事はオルロフ家に仕えて長く、内情も把握しており、かつ数字に相当に強い者だ、と答えた。

帳簿を調べて聞き取りをしただけでは不正は見つけられないだろう。

調査を凌いだ後、さらに巧妙に隠したり、見つからなかったと自信を得てより悪どいことをやりかねない。

また、気が小さく、パニックになると開き直って逆上する性質もあり、下手に退路を断つのは得策ではない。

このため、定期確認の一環として調査を行った上で、その結果として発覚したのではないように装って、不正を知っているぞ、と仄めかすのが効果的だというのが、父伯爵の考えだった。

そして、二度と不正をさせないように、今後は領民側の書類との突き合わせを無作為に行う、と通告する。

それでもなお止めないのであれば、その時にまた考えるということだった。

追い詰めすぎないのが肝心だよ、と笑う父伯爵に、アレクサンドラは、父には不正を働く執事を辞めさせる気がないということを悟った。

逆効果とは、屈辱だと逆上して騒ぎ、後処理が不可能なほどに状況をめちゃめちゃにした挙げ句、オルロフ家を飛び出す、ということなのだろう。

気が小さいネズミはもう二度と貴族の家には雇われないだろうから、オルロフを、不正を見抜けない、領地管理もできていない愚かな家だと風聞をまき散らすのもやりかねない。

とはいえ、と娘の不服を察した父伯爵は、「代わりが務まる者がいなくてね。気心は分かっているんだ、一度知られた、と萎縮すれば二度目はやらない男さ」と言った。

将来、アレクサンドラが正式に当主になった時、その二度目が起きても救済措置は取らないと思う、そう父に継げると、父伯爵は大笑いして、


「もちろんそれでいいのだ、サーシャの言うことは正しいよ」


と言った。

正しさというものに、目下抵抗感を持っているアレクサンドラは、父の励ましを素直に受け取れず、もう少し伺いたいと問いを重ねた。


「お父様は、使用人や部下の性格に合わせて、対応をお決めになるのですか」

「必ずしもそういうわけではないよ。末端になればなるほど、顔も知らない者もいるからね」

「では、ご存知ない者の対応は、どのように」


父伯爵はそうだね、と悩んでから、


「まず、どんな者なのか、日頃接している者達にいろいろと聞くだろうな」


と答えを返す。


「性格や普段の様子、上役には職務上どういう評価をしているかを聞くね。誰か、トラブルや悩みを聞いていなかったか、というのも確認を取る。私的に切羽詰まって職務で何かをしでかすことは貴賤問わず珍しくないものだから」

「お聞きになって、それをどうお使いになるの?」

「使ったり使わなかったりだね。普段の勤務態度に問題がなければ、罰を軽減する理由にはなるだろう。

難しく考える必要はないのだよサーシャ。自分がこれから処分をしなければならないというのに、相手のことを何も知らないまま、人生を左右しうる事項を決めるのを私は好まないというだけなのだ」

「……職員の顔を、まずはきちんと御覧になってから、ということなのですね」


アレクサンドラの呟きに、父伯爵は「顔?そうだな、そういう言い方もできる。新しいな」と感心を示し、さすがサーシャだと手放しで褒め称えた。

アレクサンドラは、自分の発明ではないと言いたかったが、さらに問われた時に答えに窮するため、恐れ入りますと慎ましく礼を述べた。



父伯爵と全く同じ思考を持つことはできない。

当たり前のことではあるが、親子でも価値観の違いは歴然としている。

しかし父の口から、農夫と同じ意味合いのことを聞くとは予想していなかったアレクサンドラは、少し父の真似をしてみようかと宗旨替えをした。

不正を一旦見逃す、という荒技はアレクサンドラにはとても行えないが、顔の見方は参考になるものがあった。

もちろん、アレクサンドラが公証に溶け込んでいないこの段階で、突然他人の性格はどうか、と突飛な質問をするわけにはいかない。

まずは、執務室を訪れた者本人に、似た質問をしたり声をかけたりするところから始めた。

決裁を取りに来る者に、所属と名前を尋ねる。

ほとんどは自ら名乗るが、失念した者へは、さりげなく言わせるように誘導する。

それから、持って来た書類の内容を説明させる。

簡単にでいいと言い添えても緊張でどもる者が少なくないため、落ち着いて、と励ましながら最後まで話させる。

大体はその説明と書類内容とで適切であることが判断できるため、印を押し、労いの言葉をかけて書類を渡す。

もし内容に疑義があり、それが見逃せない誤りを含んでいる時は、一旦はその者に尋ね、答えられない場合は、上役に相談してもう一度いらっしゃい、とアレクサンドラができる範囲で優しく、責める響きにならないようにしながら、書類を戻す。

たまに、持ち込む前にきちんとチェックしたのか、と疑われるような事例もあり、巻き戻る前のように頭ごなしに叱責したくなることもなくはなかったが、我慢に我慢を重ねて、穏やかに再確認の指示を出した。


次第に、名前を聞いたことがある、顔を見たことがある者が増えて来る。

相手も緊張が解けた表情で入室する、そうなってから次のステップとして、若手や中堅にはこの仕事に就いてみてどうか、ということをざっくばらんに、上役達には所属内の様子を尋ねた。

虚を突かれて答えに詰まる者、定型文を口にする者、自分の言葉で率直に感想を述べる者とさまざまであり、アレクサンドラの方も慣れて来ると別な問いに変えてみるなどした。

丁寧だが親しさを交えるものもぽつぽつと現れ始めた。

しかし反面、アレクサンドラの疲労感はなかなかのものだった。

アレクサンドラは、どちらかというと積極的に日常会話を楽しむタイプではない。

愛想が良さそうな演技まではしていないものの、気が進まない時でも何らかのお喋りを挟むよう努めるのは、余計な力が必要だった。

中堅が深い辞儀の後に去り、机に両肘を着き、手の甲に額を乗せたところでノックがあって、


「お飲み物をお持ちしました。お疲れでいらっしゃいますね」


今日の当番メイドのオリガが入れ違いに姿を見せた。


「……疲れて見える?」

「ええ、それなりに。ですが、笑顔が多くなられましたのはようございます。顔を赤らめる者を頻繁に見かけるようになりましたわ」


湯気立ち昇るカップを、磁器の音少なく給仕しながら、オリガが嬉しそうに言ったのを、アレクサンドラは聞き咎める。


「赤らめる?何故かしら」

「それはお嬢様の見惚れたからに決まっておりましょう。お嬢様の微笑みは見る者を例外なく虜になさいます。慣れている者でも油断しているとドキドキいたしますゆえ」

「……もう少し他の言い方はないの、何だか悪の存在のようだわ」

「申し訳ございません、ですが皆の顔色を正確に言い表したつもりでございますよ」


自信満々なオリガに呆れたまま、アレクサンドラはカップに唇を付ける。

温かく香り高い茶が身体の引き攣りを解き、人心地が付いてきた。

立ち去りかけたオリガが、


「下々の者にお気遣いをなさるのは素晴らしいことですが、それで消耗されるのはいかがなものかと思いますわ。

また体調を崩されては事でございます。お嬢様に微笑みかけられるだけで、職員達への労いとしては十分も十分でございますよ」


と至極心配そうに言った。

別に労いではないのだけれど、とアレクサンドラはもう一口飲む。

会話を続ける気なら、無愛想よりも綻んでいた方がいいだろうと思ってのことで、オリガが主張するように魅了しているつもりなど全くない。

職員達が照れているとオリガが言うのならそうなのだろう。

自分の容姿が、他者から優れていると思われていることは知っているため意外ではない。

魅了してアレクサンドラの指示が通るようになるのならばこの上なく楽だが、もしそんな都合の良い事態が実現可能なら、巻き戻る前にあのような反発は起こらず、あのような惨事にもなっていない。

好意を持たれたのは一歩前進として、それを土台に、誠実に丁寧に皆の"顔"を見る者にならなければならない。

それにしても、部下が顔を赤らめたところなど巻き戻る前には目にした記憶はないが、前の私はそんなに笑っていなかったのだろうか、とカップを置きながらアレクサンドラはぼんやりと首を傾げた。


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