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52 選択の時

 ノワ・グリフォンを封じて以降、魔族の相手をしたのは一度きりだった。蛇の尾を持つ暴れたがりの狼を死に物狂いで封じ込めた。

 さらに二か月あまり後。サダルスウドが三度目の訪問を果たした。

「おっ。なかなかいいツラになってきたじゃねえか、メルクリオ」

「別に変わってないと思うけど」

 来て早々、少年の頭を潰さんばかりの勢いで叩いてきた――本人は()()()()しているつもりである――サダルスウドに、メルクリオは湿っぽい視線を向ける。見られた方はその反応に気づいていないのか、豪快に笑っていた。メルクリオはひとつため息をついてから、彼を応接室に案内した。

 お茶を片手に面白みのない報告を済ませた後、いつものように日々の話をする。その中で、サダルスウドが思い出したように呟いた。

「そういや、そろそろ試用期間が終わるな」

「……うん」

「どうすんだ、メルクリオ? このまま番人になるのか?」

 雑談の延長の問いかけは、やわらかい心を揺さぶる。メルクリオは、目を伏せた。

「……わからない。まだ決めてない」

 業務自体は嫌いではない。ただ、このまま大図書館の番人で居続けたいとは思えない。かといって――この立場を捨てたとしても、一時的に心が軽くなるだけだ。行く当てがないのは半年前と同じであるし、新たな犠牲者が出るのも耐え難い。

 正解などわからない。誰もが幸福になる選択肢などありはしない。番人選抜のあの日から、彼の道には靄がかかったままだった。

 実態を知っている大図書館監査員は、少年の反応をどう取ったのか、腕を組んで小さくうなる。

「まあ、いわばおまえさんの人生を決める一大事だからな。しっかり悩めるのはいいことだ。ただ――」

 おびえたように顔を上げたメルクリオの前で、サダルスウドは目を細めた。

「どの道を選ぶにせよ、『その時』が来たら腹ぁくくれよ、メルクリオ」

 からりとしていて、けれどどこか重い言葉。

 その本当の意味は、幼い少年にはわからない。ただ、覚えておかなければならないような気がして、ゆっくりとうなずいた。

 にっと笑ったサダルスウドはお茶を呷る。大ぶりな動作からは想像もつかぬほど静かにカップを置いて、膝を叩いた。

「そんじゃ、今後の方針が決まったらまた呼んでくれや。今回は、もう少しこの町に留まるからな」

「そうなの?」

「おう。おまえさんの試用期間が終わるってんで、ちゃんと見届けろっておかみから言われてんだ」

 なるほど、とうなずきつつ、メルクリオは小さく笑ってしまった。サダルスウドの話しぶりに、『王都に戻る時期が遅くなって嬉しい』という内心がありありと表れていたからである。

 そんな監査員を見送って、業務に戻る。そうして一日が終わり、また次の一日が始まり、終わる。

 過ぎゆく日々の中で、メルクリオは自分の身の振り方を考え続けていた。しかし、いくら考えても納得のいく答えなど出ない。そもそも、この仮契約自体が納得のいく形で行われていないので、しかたのないことだった。

 メルクリオが口を閉ざして考え事を始めると、かたわらのルーナも沈黙した。彼が自分から尋ねない限り、彼女も口出ししてこない。今までもそうだったが、この数日は特に沈黙が重たかった。

 悩み抜き、悩み疲れたある宵。メルクリオは、大図書館の奥――今まであまり入ったことのない区画に足を踏み入れた。特に深い理由はない。契約魔法について詳しく書かれている本を探すうち、偶然辿り着いたのだった。


 彼はそこで、あるものを見つけた。



     ※



「おれ、大図書館の番人になるよ」

 試用期間の終了日を間近に控えた、ある日。サダルスウドを呼び出したメルクリオは、そう宣言した。

 さすがの監査員も榛色の目を丸くする。しばし少年を見つめ、彼が本気だとわかると、いつものように目の前の黒い頭を軽く叩いた。

 かすかな痛みにメルクリオが顔をしかめたとき、サダルスウドは手を離して、すぐ隣のルーナを見やる。

「仮契約から移行するときって、どうするんだ? 契約魔法をやり直すのか?」

『いえ。契約魔法の強化を行います。――ほら、魔法使いがたまに行う“誓いの儀”ってあるでしょう? あれを使って結びつきを強めるんですよ』

「あーあれな。魔法の効果を高めるために、大層な誓いを立てるやつ」

 さらりと相槌を打ったサダルスウドが、一拍遅れて眉を跳ね上げた。

「ちょっと待て。つまり、番人はみんな『誓い』必須かよ」

 そうだと言わんばかりにルーナがまるい体を揺らす。サダルスウドは眉間に深いしわを刻んだ。

「大丈夫かよ。あれって、破ったら魔法が弱くなったり腕吹っ飛んだりするだろ」

『大丈夫です。高尚な理想を掲げる必要はありませんから。番人でいる間はお仕事がんばります、という感じで大丈夫……と、メルクリオにも話していたところです』

 そうなのか、と言わんばかりにサダルスウドがメルクリオを見る。見られた方は、小さくうなずいた。顎を撫でる男性を見て、ルーナが羽を震わせる。

『今日中に契約魔法の強化を行いたいと思います。立ち会っていただいてもいいですか、サダルスウド?』

「おう。構わんぞ」

 心配そうではあるものの、サダルスウドは立会人を請け負った。肩を回して気合を入れた彼に、メルクリオは「よろしく」と頭を下げる。

 誓うことは、もう決まっていた。


 契約魔法の強化――『誓いの儀』は、夕刻の外庭で行うことになった。敷地内の魔法学校から生徒がいなくなった頃を見計らい、人目につかない木陰に集まる。メルクリオとルーナが向かい合い、それをサダルスウドが競技の審判のように見ている、という形だ。

 冷たい風が木々を揺らす。騒ぐ木の葉をなだめるように、ルーナが静かな言葉を落とした。

『これより契約魔法の強化を行います。いいですね、メルクリオ』

「うん」

『では――』

 ルーナが目を閉じ、羽を震わす。草地の上に黄金色の波紋が広がり、周囲のアエラが熱を帯びた。澄んだ音が響き、大地と大気が輝きだす。

『誓いをここに』

 月光の精霊の言葉に、少年はうなずいた。灰青の瞳に彼女の姿を焼きつけて、口を開く。

「我、月光の精霊と縁を結びしメルクリオは――大図書館の番人として、一切の偽りを口にせず、この命を燃やして職務を全うすることを誓う」

 ルーナの満月のような体が震えた。サダルスウドが目をみはる。それでもメルクリオは、胸を張っていた。

 天地の輝きが強くなる。一瞬、何もかもが見えなくなるほどになり、直後に輝きが収まった。

 刻一刻と暗くなる外庭で、誰もが無言で立ち尽くす。アエラのざわめきが収まって、遠くから虫の声が響いてくると、大きなため息が響いた。――サダルスウドだ。

「館長。終わったのか」

『――はい。これで、メルクリオは正式な大図書館の番人となりました』

「そうか。そりゃめでたい」

 皮肉と本心が半々であろう呟きが落ちる。大股でメルクリオに歩み寄ったサダルスウドは、小さな肩をばしりと叩いた。

「いった!」

「ったく。てめえの首を絞めるような『誓い』を立てやがって、この馬鹿が」

 思いがけず強い言葉をかけられて、メルクリオは唇を尖らせる。

「馬鹿って……そこまで言わなくたっていいだろ」

「いーや、馬鹿だ。大馬鹿者だ」

 どことなく不満そうなサダルスウドは、メルクリオの頭を右手でぐりぐりと動かす。しかし、それも長くは続かず、大きな手は離れていった。

「……だがまあ、そういう馬鹿は嫌いじゃねえ。俺も、他人にいわせりゃ『同類』らしいし」

 腰に手を当てるサダルスウドのすぐ後ろで、ルーナがうなずくように体を上下させている。メルクリオは見なかったふりをして、そう、と呟いた。

 サダルスウドが白い歯を見せて笑う。そこにいたのは、いつもの彼だった。

「せいぜい気張れや、番人殿」

「……ん。がんばる」

 小さく答えたメルクリオは、何とはなしに顔を上げる。

 夕闇が迫る空に、白く輝く星を見つけた。

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