インパール 12
第31師団の右翼、138連隊と特務機関の坂上少尉は、コヒマの北方を迂回しようと歩みを進めていた。
峠にさしかかると、南西の方角にコヒマの街が目に入った。
手前に見えるのは、小高い丘にへばりつく先住民の集落だ。
そこから数キロ南へ下ったところに、大きな丘陵がある。
西のディマプルから来た街道は、その麓で南に折れてインパールへと向かう。
イギリス軍は、その丘陵に強力な防衛線を築いていた。
標高が最も高く急峻な坂に囲まれた北側の峰は、ギャリソンヒルと呼ばれる中核陣地で、何重にも塹壕が掘られ、多数の掩蓋を備え、街道に睨みを利かせている。
先住民の話では、イギリス軍がコヒマに入ったのはわずか1週間前、ギャリソンヒル陣地が完成したのもほんの数日前で、出来立てのほやほやらしい。
シャングシャックでイギリス軍が時間を稼いでいたのは、このためだったのか。
ギャリソンヒルを攻略するには、街道に沿って伸びる尾根を伝って南から北上するルートと、北東の中腹にある台地から急坂を駆け上がるルートがある。
尾根には、イギリス軍が4つの陣地を縦深に配置していた。
南から順に、ジェイルヒル陣地、輜重隊陣地、野戦補給陣地、クキピケ陣地だ。
中腹の台地には、州政府副長官の瀟洒なバンガローとテニスコートがある。
テニスコートは掘り返されて塹壕が縦横に走り、バンガローは土嚢が積み上げられ、それぞれの周囲には鉄条網とバリケードが張り巡らされていた。
武骨な野戦陣地から目を転じると、街道から少し下ったところに、800戸、3000人が住む、西洋風のコヒマ新市街がある。
家々の白壁は、朝日を浴びて茜色に輝いていた。
シャングシャックで予想外の苦戦を強いられた、第31師団の左翼、第58連隊は、コヒマの南方を迂回し、幅15メートルの幹線道路に出た。
コヒマ=インパール街道だ。
第2大隊重機関銃中隊の広田上等兵が、その道をコヒマへ向かって進んでいると、山陰からイギリス軍の監視哨が現れた。
近づくにつれ、喚声が聞こえてくる。
先行する歩兵部隊が、後続を待たず、攻撃を始めたらしい。
機関銃の射撃音に、手榴弾の炸裂音が重なる。
しばらくして、山の向こうから太鼓を叩くような音が響いてきた。
重砲を発射する音だ。
イギリス軍は、コヒマの西方7キロのズブザに榴弾砲を10門配置していた。
広田上等兵は、慌てて待避壕へ飛び込んだ。
次の瞬間、大量の砲弾が降り注ぐ。
無数の雷が一度に落ちたかのような衝撃に、大地が揺れ動いた。
頭の中が真っ白になり、時間の感覚も失われる。
どれだけ時間が経ったのか、ふと気がつくと、夕闇が迫り、周囲は静まり返っていた。
イギリス軍が、監視哨から撤退したようだ。
歩兵に続いて塹壕を辿り、敵の陣地に入る。
監視哨は、突角陣地に重機関銃の側防火点を備えていた。
翌日、ジェイルヒル陣地の攻略にかかる。
今度は夜襲で、まず狙うのは陣地西方の倉庫群だ。
小部隊が被服倉庫の前にいたが、すぐに追い払った。
続いて、食糧倉庫、弾薬庫、駐車場を制圧する。
歩兵中隊に、機関銃小隊が続いた。
重機関銃の重量は60キロもあり、2人がかりで担がなければ運べない。
食糧倉庫から小麦粉の袋を運び出して、土嚢の代わりに積み上げ、即席の銃座とした。
重機関銃で敵陣を掃射し、それを合図に歩兵が突撃を開始する。
だが、イギリス軍の抵抗も激しく、なかなか前に進めない。
膠着状態のまま、やがて、日の出が近づいてきた。
周囲が明るくなるにつれ、敵の砲撃の精度が増してくる。
弾薬庫に命中し、次々と誘爆して、炎が渦を巻いた。
積み上がったドラム缶が、巨大な火柱を上げる。
砲撃が終わると、今度はイギリス軍の反撃が始まった。
敵の歩兵がわずか30メートルまで迫り、手榴弾を投げ込んでくる。
遠投自慢の兵が拾って投げ返し、炸裂音に続いて悲鳴が上がった。
押されながらも、なんとか踏みとどまっているうちに、やがてまた日が暮れた。
イギリス軍の抵抗は頑強で、戦況は想像以上に劣勢だ。
このままでは全滅してしまう。




