――捜神記―― 第一章 第四節 黄昏に潜む闇
夕焼けに染まる赤から、次第に街は夕闇に沈む。
昼間のような活気に満ちた賑やかさは失われ、窓から灯りが仄かに洩れる静けさが都全体を包み込んでいた。
4人の帰路は、岩山を段々に開拓した落陽の都の中腹にある神殿から、ほとんど麓に位置する市場街への階段と下り坂との夜道である。
距離にすればさほど遠くはないが、麓へと下る直線的な道はないため、ジグザグに作られた坂道を行くしかない。
シロナと別れた4人は、慣れた足取りで坂道を下りながら話をしていた。
「それにしても、今日は不思議な一日だったなぁ。あたし、幼女《あの子》がぶわーって出てきたとき驚いて声もでなかったもん」
「お、俺も……」
「へぇ、アナベルでも驚くことあるんだね」
「う、うっせぇぞ! カルミア!」
「それにしても……カリンは本当に動じないよね」
「そう……?」
「それ、あたしも思った! 大きなネズミが出てきたとき、あたし思わずビックリして大きな声だしちゃったのに……カリンはシロナの後ろにいたけど、全然怖がってなかったよね」
ジューンがそう言うと、カリンは徐に足を止めた。
それに気づいた3人はカリンに振り返ると、いつもの穏やかな表情ではなく、何か、興味を失ったような冷たい表情をしていた。
「……あんな雑魚相手に怖がるわけないでしょ?」
小声ではあったが、ジューンたちは辛うじてそう聞き取れた。
カリンは続けて何かをブツブツと呟いているようだったが、何やら穏やかな状況では無さそうだった。
「か、カリン……? どうしたの……?」
ジューンがカリンにそう尋ねた瞬間だった。
麓の市場街から悲鳴のような声が聞こえた。
その声を皮切りに、いくつもの声が上がってくる。
――ただ事ではない。
「カルミア!」
「あぁ、行こう! アナベル」
そう言うと、近くの屋根に飛び乗り、家の屋根を飛び移りながら2人は市場街まで急いで向かっていった。
「カリン!」
カリンはあの表情から一切変わらず、その場に佇んでいるだけだった。
ジューンは少し後ろ髪を引かれる思いだったが、市場街にいる自分の家族たちの安否が心配になり、先を急ぐことにした。
「よくわからないけど……何か気に触ったのなら謝る。ごめん! でも、今は市場街が心配なの! カリンもしゃきっとして! 私は先に行ってるよ!」
カルミアたちに続くように、ジューンも家の屋根を渡って麓へと向かった。
街は既に、夜闇に塗れていた――。
雲に隠れていた月の光が差し込み、暗闇に隠れていたその姿を少しずつ露わにしてカリンへと近づく姿があった。
「さて……芽吹きたての自我を相手にするのも飽きたし、そろそろ頃合いかな……」
興味を失ったような無表情から、左頬を釣り上げるようにニタリと笑みを浮かべる少女から声をかけられたのであろうその男は、麓の市場街を眺めた。
鎧を纏い、左手の親指で剣の柄頭を軽く撫でながら――。
同じように市場街を眺めるカリンの目も、先ほどの冷たい眼差しから愉悦を噛み締めるような目尻へと変えていた。
「うふふ……さぁ、感謝しなさい、私たちの主人――この世界における神の代行者であり超越した自我であらせられるあの御方の隷属たる私、カリンのオモチャになれることを」
いつの間にか、カリンは町娘のような格好から、黒いローブを纏った姿へと変わっていた。
その表情に妖艶な笑みを浮かべて――。
◇◇◇
「姫様! あれほど街には行ってはならぬと申したではありませぬか!」
帰ってきて早々、神官長であるモリア老師からシロナは大目玉を食らっていた。
「はぁ……姫様、近頃はどうされたのですか? この頃おてんばが過ぎますぞ……ワシは心配で心配で……ところで――」
モリアの視線はシロナの膝に座ってこちらを睨みつけるような視線を向けている無愛想な幼女に向けられた。
「そこのお嬢ちゃんはどなた様なのですかな?」
「神様です!」
シロナはキラキラした瞳をモリアに向けた。
「……えっ? えーっと……今、なんて?」
「神様です!」
「……」
「か・み・さ・ま! です!」
より一層の笑顔をモリアに向けながら、シロナはモリアに幼女を見せつける。
神様――だと……?
こんなに目つきの悪い幼女が……そんなはずはない。
「はぁ……まったく姫様は……どこでそのようなご冗談を身につけられたかは存じませぬが……そのような捨て子をいく人も拾っては、例え神殿の長とはいえきりがありませぬぞ」
「なっ……捨て子ではありません! この子……いえ、このお方は列記とした――」
「いやいや、姫様……そのような言い訳はよいのですぞ。何か深い訳がおありなのじゃろ――はっ!? も、もしや!? 隠し子ではありますまいな!? 姫様ともあろうお方が!!」
「ちょ……なんでそうなるの!? 落ち着いて!!」
「うぉーー高血圧じゃぁぁぁ! 誰か鼻血を止めてくだされぇぇ」
このように、謎の幼女をシロナが連れ帰ったことで神殿内は大騒ぎとなっていた。
神官長であるモリアは尼僧に介抱されながら、未だ興奮が収まらない様子だった。
いつもながら、モリア神官長の早とちりには頭を悩ませる……シロナがはぁっとため息をついたとき――。
「嵐――」
聞いたことの無い、子どもの声が聞こえた。
声の主は……。
「気をつけて――」
神の祭壇より現れし御子――。
「(この子……喋れたの!?)」
「危険――」
そう言いながら、幼女は外を指さした。
神殿の入口の方向を。
シロナはその指さす方へ視線を移すと、何やら慌ただしい物音が聞こえてきた。
音が少しずつ大きくなるのに従って、音を立てる主が息を切らしながら駆け込んできた。
衛兵の1人だ。
「報告します! 神官長――シロナ様!」
「何事ですか?」
「それが……得体の知れない女が現れ、民を襲っているとのこと!」
まさか……この子の言っている危険って……。
このことを察知したということ――?
「して、現れた場所は?」
鼻を押さえながらモリアが聞いた。
「はっ、市場街です」
市場街――!?
シロナは脱兎のごとく走り出した。
先ほど別れたばかりの親友たちの住む街が襲われていると聞き、考えるよりも先に体が動き出していたのだ。
シロナ様!? 何をしておる! 追うのじゃ! というモリアの声が神殿の中からこだまして聞こえているが、そんなことは気にしていられない。
神殿の外に出ると、街は夜闇に包まれていた。
悲鳴も、争う音も、何一つ聞こえない静寂があまりにも不気味であった。
月明かりがさしたタイミングでシロナは闇の中へと走り始めた。