――異世界書記―― 第三章 第十節 表と裏②
「シロナ、ネメア。二人に話しておきたいことがある」
追い風の名残のある城門広場は、もはや戦場とは呼べないほど戦意が失われていた。体の痛みと身に起きた不自然な自然の脅威に現状を理解できないまま、兵士たちは身動きが取れないでいた。
こいつらに敵意がないのであれば、それ以上追撃する必要も命を奪う必要さえない。ただし、あくまでも確認しておかなければならないと、俺はそう思った。
「俺は……この世界を創り出した神の半神だ。俺の願いは、ただ一つ。俺の半神を救い出すこと。そのためにはこの世界を蝕んでいる因子を排除しなくてはならない。俺は、そのためにはきっと手段を選ばないと思うし、躊躇もしない。世界を救うために、世界を壊そうとするときもあると思う。二人が守りたい世界を……人たちをも手にかけるかもしれない。それでも、二人は俺に協力してくれるのか?」
この土壇場にきてこんなことを聞いたのは、急に自信がなくなったからだ。俺がしようとしていることは、世界の人間を殺す行為であり、このことで不幸になる人間を作るということ。
それがいくら神の所業であれ、罪の意識を感じずにはいられない。
今まであった、ゲームで敵を倒すような感覚が少しずつ薄れてきてしまったのだろう。
この世界の住人はただのNPCではない。命を持ち、自我の宿る人間だ。
でも、それを躊躇していたらユカリは……。
そんな不安げな表情の俺に、シロナは微笑んだ。
「私は、この旅で学んだことがあります。トウカ様に導かれてから、多くのことを考えられるようになりました。私の自我が覚醒してから、私も迷いっぱなしです。確かに、多くの人を守りたいですし、守るために倒さなければならない時があることも知りました。考えたり、決めたりするのって本当に辛くて勇気がいることなんだって初めて知りました。でも、自由意志が持てるって、悩めるのってとても幸せなことだと思います。だって、自分の人生を自分で決められるのですから。トウカ様……私は、だからこそ、こう思うんです。トウカ様の決めたことなら、私は一生信じられます」
シロナは、俺の目をまっすぐに見ながらそう話した。シロナは続ける。
「トウカ様は、トウカ様のお考えがあって、葛藤があって決断されているのだと思っています。多くの人々を救いたいという私の想いは変わらないと思いますが、少なくとも、多くの人を苦しめるためにトウカ様が行動なさるとは思えません」
「――私も、同意見かなぁ。理由はどうあれ、私をあの監獄から解き放ってくれた恩人だもの。ま、私はもう肉体がない幽霊だし! もう失うものなんてないからね! ……あ、トウカ様とシロナちゃんがいなくなっちゃうのは嫌だからね!」
「……そっか」
俺は意識していなかったけど、多分、微笑んでいるんだろうな。
これから始まる戦いは、きっとこれからの戦いの序章に過ぎないのだと思う。
明確な世界の歪みを目の当たりにした最初の戦い。
俺の管理権限代行者の力でどこまで太刀打ちできるかは正直わからないが、頼もしい味方がいてくれて本当によかったと思う。
神に巫女に幽霊という変な組み合わせだけど、これから俺たちは、世界と神を救うために、世界を壊そうとしているのだから。
「さて、敵さんが出てきたみたいだな」
城内から一直線に走ってくる巨体の姿が見えた。
あいつはきっと、この城の監獄で襲いかかってきた処刑人だろう。
その手にギロチンを加工した大剣を握りしめ、一心不乱に突進してきていた。
「……迷いを、断ち切る――」
二本の剣を鞘から抜き、眼前で構えながらシロナは瞑想を始めた。
ビギナポストの裏世界から戻ってからというもの、シロナの目つきが少し変わったように感じる。エノクという死兵との戦いが彼女の決意を固めたのだと思うが、それ以上に彼女の救いに対する考え方が変わったのだと感じる。
この世界の住人たちは寿命という概念がない。なので死というものが身近に存在しないのだ。それは、偶然にも落陽という街が“死”をもたらす性質を持ったNPCが存在しなかったからということに他ならないが、何かしらの脅威にさらされない限り、この世界で死ぬということはない。
街が死んだのを目の当たりにして、シロナはきっと自我を失った人たちと死者たちを重ねたのだろう。目的も、意識もなく彷徨う亡者たちの姿と。
自我を失うということは、この世界でいう死と言える。
心も、魂も失った状態なのだから。
死兵たちには少なからず心や魂が残っていた。神である俺に呼応して呼び覚まされた自我は、自ら死を望んでいた。
肉体は滅び、心を失って彷徨い続けている自分に耐えきれなくなったからだ。
だからこそ、シロナは斬ったのだ。
彼らの肉体ではない。命ではない。
彼らの心を守るために――。
処刑人は、その勢いを止めることなく突き進む。
倒れ伏している兵士たちを踏み潰しながらも、その足を止めることはない。
その目にはもはや命の尊さは見えてはいない。
その表情にはもはや魂と呼べる高潔さは残ってはいない。
シロナにとって、それは許すべからざる悪であった。
そして、同時にそれはシロナが最も救いたい自我でもあった。
処刑人は雄叫びをあげながら、もはやその内側に宿るべき理性を感じさせず、狂乱とともにギロチンを振りかざす。
その豪腕から放たれる渾身の一振りがシロナの頭上を捉えた時、シロナは目を開いた。余りある力によって振り抜かれたギロチンは、シロナが瞬時に一歩踏み込んみ躱したため空を切っていた。同時に地面を割き、ギロチンは深く地中へと突き刺さっていた。
刹那――シロナは処刑人の下顎を思いっきり蹴り上げた。2メートルは優に超えるであろうその巨体が仰け反るように宙へと浮かび上がる。同時に、空中へと飛び上がったシロナの追撃――強烈な蹴り落とし――をもろに腹部へと受けることとなった。
地面へと叩きつけられた処刑人は、それでもなお雄叫びを上げることをやめない。痛みも、苦しみも忘れてしまったのだろうか。
シロナは憐れむように処刑人を見つめていた。
「やっぱり、私にはこの人を斬ることはできそうにありません……」
そう言って、シロナは首元に当てていた剣を下ろし、鞘に収めた。
「あなたを恨んでいる人は私じゃありませんからね」
そう言うと、シロナと入れ替わって処刑人の前に立ち塞がったのは、ネメアだった。
「――ありがとう、シロナちゃん。あの強烈な蹴りでなんだかスッとしちゃった」
ネメアは地面に突き刺さったギロチンを簡単に引き抜くと、「――ふーん」と言いながら品定めをするかのようにそれを眺め、肩に担ぐようにして構えた。
「――なるほど、これは持ってみたらとーっても振りたくなるよねー」
痛みは感じていないにせよ、満足に動かせないまま地に伏している処刑人の首めがけて、ネメアは容赦なくそれを振り下ろした――。
「――なんだ……呆気ない。興ざめしちゃうなぁ。百年間も殺され続けたあの人の恨み、ちゃんと果たせたかしら?」
……うん。間違いない。
こいつらが仲間で本当に良かった。と言うか、敵じゃなくて良かった、と冷や汗を流しながら思う俺であった。
ネメアは処刑人の持っていたギロチンがとてもお気に召したようなので、これを武器にしたいと言い出した。
俺が生成した武器でないと浄化はできないので、ならば、と、ネメア仕様に改良することにした。
「――断頭鉈“ネメシス”……この深紅の柄の部分がとーっても私好み……」
巨大な鉈を手にしてうっとりと眺める少女……。
幽霊というキャラクターが合わさると余計に怖いな……。
……と、羨ましそうに眺めていたシロナの姿が目に入ったので、今朝方生成しておいたとっておきをシロナに渡すことにした。




