――創世記―― 第二章 第一節 失楽園(前編)
『悲嘆にくれているものをそのままの状態で置いておくのは良し悪しである――。』
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病院の一室で寝ている姿は、まるで眠り姫のようだった。
王子様のキスで目覚めてくれるのであれば話は早い――。
しかし、ユカリの眠りを妨げるものは現代の医療では見つからなかった。
彼女を永きの眠りに落としたのは、奇しくも自分たちで開発したゲームが原因だった。
いや、正確には、落雷の雷サージによる急速な負荷がかかったことが原因である。
もっと言えば、ユカリは食事と生理現象以外の時間をアナザーワールドの中で過ごしていたことも原因だ。
ゲームの世界で眠り、そして起き、世界を創っていたため、寝落ちでダイブインセプション(アナザーワールドを起動するためのVRハードウェア)の電源が落ちていたことがあり、充電式のそれを常に電源に繋いでいたため起きた事故でもあったのだ。
身寄りのいないユカリの第1発見者となったのは――。
「てめぇ……今さらのこのこと来やがって! ユカリ先輩ほっといてなにやってんだよ!!」
アカネだった――。
停電が起きた日、再びゲームに参加しようとユカリの家を訪れていた。
電源の入っていないダイブインセプションを着けたまま動かないユカリの姿を見つけた。
アカネから連絡は何度も入っていた。
だが、俺は何度も無視していた。
下らない――本当に下らない理由で――。
胸倉を掴まれて壁に押し付けられていても、咄嗟の言い訳も、返す言葉もない。
ただ、謝ることしかできなかった。
「――すまない……」
「……チッ」
胸倉から手を離したアカネから顔面に一発、重い拳が飛んできた。
「……なんだ、いつもみてぇに言い返してこねぇのかよ」
「……好きに殴ってくれ……」
「……ッ!!」
何度も何度も殴られた。
ここは病院だ……死なない限りは何とかしてくれる……。
だが、俺の心は決して治ることは無い――。
だって、そうだろ――俺のせいで、ユカリは――。
ユカリは昏睡状態になってしまったのだから――。
俺の顔面からは、傷から流れる血とは違ったものが流れていた。
人には見せたくない――心の内側にある泉から零れた雫だ――。
「……ユカ……リ……」
目前でアカネの殴る拳は止まった。
「ゴメンな……守って……やれなかった……」
その場に崩れ落ちた俺を、歯を食いしばりながら見下ろすアカネのその目にも――。
「約束したんだッ!! ユカリの父さんや、母さんが亡くなった時に!! この! この病室の前で、俺は……!! なのに……俺……ユカリに正直になれなくて……一人にしてしまったんだ……」
アカネは赤くなった拳を下げると、俺の前で膝を着いた――。
「……バカ野郎っすね……一人で……抱え込まないで……欲しいっすよ……」
アカネに抱きしめられながら、俺は声を上げて泣いた――。
こんなことは、物心着いてから初めてのことかもしれない。
病室の前で涙を流す二人をそっと遠くから、悲しい目をした勅使河原が見つめていた。
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「先輩……すみません。これまで何もお手伝いできなくて……」
「いいんだ……てっしー。ホントにすまない……」
病院から一番近いのは、勅使河原の住むアパートだった。
傷だらけになった俺の顔を丁寧に拭いてくれたり、消毒をしてくれたりと、甲斐甲斐しく手当してくれていた。
ここは病院なんだから、大丈夫だと言ったのだが、「喧嘩での怪我は保険が効きませんし、この状況だと通報されますよ」と言われ――。
「いやーホントに助かったっすよ! ネッシーさん? ラッシーさん? まぁどっちでもいいっすけど、うまい飯まで出してもらえてうち感激っす!」
この後先考えないユカリの後輩が、「そ、それはまずいっす! こないだも街で絡まれて何人か病院送りにしてっから……そ、その……そろそろまずいんで匿ってください……」と、急にしおらしくおねだりを始めたものだから、勅使河原も仕方なく自宅に招くことにしたのだ。
「トウカ先輩、食わないの?」
「……あぁ。俺は……いい」
「……そう、っすか」
「いや、お前に殴られて口の中切れまくってるからだよ」
「……あっはっは! ならしょうがないっすね!」
「何が……! ……まぁ、確かに、しょうがねぇかもな……」
アカネは箸を咥えたまま、勅使河原と目を見合わせていた。
そりゃそんな表情にもなるよな。
俺がこんなにも不甲斐なければ。
「えっと……それで、ユカリ先輩の容体は……?」
「なんっつーか……医者もよくわからないらしいっす……」
「え? 落雷のショックで意識を失っているわけではないの?」
「どうもそうらしいっす……普通落雷を受けた場合火傷の跡が残るらしいんすけど……ちゃんと呼吸もしてるし、心臓も動いてるって」
「じゃあもしかして……」
「……外傷もないっす。頭を打ったにしても、あんなゴツいメット被ってるんすから怪我なんてあり得ないっす」
「なるほど……」
「先輩……現実逃避しすぎて、本当にあっちの世界で神様になっちまったっすかね」
「ま、まさか〜。流石に電源が切れたらログアウトされ……るはず……」
場に神妙な空気と沈黙が続いて間も無く、玄関のインターホンが鳴った。
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「諸君らに来ていただいたのは他でもない。豊穣縁君のことだ」
勅使河原の家を訪ねて来たのは、研究室の教授、灰汁戸先生だった。
その先生の後ろに立つ、いかにも高級そうなスーツを着て、威厳のある目つきをしている年配の男性――。
俺たちと共同で開発したゲーム制作会社、オーバーブレイン社の会長――御嶋 智だ。
灰汁戸教授と御嶋会長に連れられ、真っ黒なリムジンに乗せられ、オーバーブレイン本社の会長室へと通された。
「実に痛ましい事故であった――。事情は灰汁戸教授から聞いておる」
会長自ら出てくるとは……なんとなく穏やかではない空気を感じた。
こういう時、大抵、大きな会社であれば証拠隠蔽を図りたいはずだ。
落雷の影響とはいえ、オーバーブレイン社の試作品を使用している際に起きた事故だ。
マスコミに嗅ぎ付かれる前に、俺たちに圧力をかけたいのだろう……。
――そんな場合かよ……。
「しかし、非常に残念な結果になった。このままでは――」
――ほら、やっぱり。
「我が社にとっての損害が大きすぎる――」
「――人の命より、会社の利益ですか」
「こ、こら、櫟木君!」
「教授……すみませんが、俺たちがここに来たのは間違いだったようです。先に帰らせていただきます」
俺は、一刻も早くユカリを助けたい。
そのために、せめて、少しでも長く一緒についていて――。
「それが、彼女のためになる、ということかね? 櫟木君」
背を向けた俺は、ピタリと動きを止めていた。
心の中を見透かされているような、そんな気持ちになったからだ。
「君は何か勘違いをしているようだがね――」
「何が勘違いしているって言うんですか。俺たちは会社の利益なんかのためにあのゲームを作ったんじゃない……俺たちの――ユカリの夢のために作ったんだ!」
いつの間にか、俺は大声を上げていた。
こんなことをしても、誰かに当たり散らしたところで何も解決しないことはわかっている。
俺にとって、今一番大事なのはユカリ――あの、不器用で甘え下手で、やる気がなくて、でも、大切な――俺の大事な家族の命だ――!
剥き出しの感情を抑え切れないまま、俺は拳に力を入れて握りしめることしかできなかった。
しかし、そんな俺の拳の力を抜いてくれたのは――。
「いや――やはり君は勘違いしているようだ」
俺は会長に振り向くと、その険しかった表情を少し緩ませながら、真っ直ぐに俺を見ていた。
「我が社の損害――それはな、君たちのような人材を失うことだ」
予想外の答えに、俺は正直動揺していた。
「豊穣縁君――研修レポートは出ておらんが、プレゼンテーションでの熱意と、開発中のあの企画力、制作意欲……あの女性に触発された我が社の社員が一体何人いたことか」
会長は窓の外を眺めながら、俺たちに語り始めた。
「この都市の大学にコラボレーション企画を持ちかけたのは私だ。情けないことに、我が社の開発する商品の質は下がるばかりでな。社員たちの士気も下がる一方だった。このままでは、本当の意味で我が社は終わってしまう。いっそのこと、学生に企画を持ちよらせ、学生参加と言う名目で低コストの商品を開発するつもりだった。だが、結果はどうだ。君達は私たちが創業当初に掲げていた、忘れていた熱意を持っていた。そう、ゲームは楽しむためにあるもの。自由で、現実を忘れ、新しい世界を旅するような――。私は決めたよ、君たちに社運を託すことを。だから――」
会長は俺たちに向き直り、歩み寄って来た。
「このプロジェクトは何としても成功させなければならん。だが、その矢先に我が社の至らぬ技術によって、君たちの大切な友人に危害が及んでしまったことを、心から謝罪させてほしい……この通りだ……」
そう言うと、会長は深々と頭を下げた。
その微動だにしない真っ直ぐな謝罪の姿勢に、大人の本気を見せつけられた俺は、しばらく言葉を失っていた。
「実は……会長さんに、お前たちに謝罪をしたいと懇願されちまってな。櫟木君……会長さんもこう言っているわけだし、もう少し話を聞いていかないか?」
「話……って、なんですか?」
呆然とする俺の代わりに、勅使河原が質問していた。
ちなみに、アカネにはユカリの側についていてほしいとお願いしてある。
この場においては彼女は一応部外者だしな。
「謝罪を受け入れていただけるならば、これから本題に入らせてもらっても構わないかね?」




