むしろ、誰!?
バシャッ
「良い気になってるんじゃないわよ!」
ポタポタと髪から滴る水が冷たい。
シャツも一緒に濡れて、いまが暖かくなければ寒さに震えることになってそうだ。
濡れた髪をかき上げて、水を掛けてきた相手を見ればそれはさっき魔王にクビにされた男爵令嬢と、彼女よりじゃっかん下がったところでオドオドしている少女がいる。
いつぞやの三人組の二人で、今回はシャルロット嬢はいないみたいだ。
「いいこと、先程のことを撤回するようサヴァラン様に進言なさい。そうしたら、わたくしへの無礼を許してあげるわ」
「なぜです?」
無礼もなにも、別になにもこの人にしてないんだけど。
むしろ無礼なのは、いきなり水をぶっかけてきたそっちでしょ。
「まあ、口答えするの!?平民ごときが生意気ね。…ちょっと、あなたもなにかいいなさいよ」
オドオドしてる…と思ったら、上の空だったらしい。
もう一人のメイドさん、そういわれて慌ててる。
「そっ、そうよそうよ!」
いや、本当にそう思ってるの?
適当な反応だなぁ。
「なんといわれても、私から師団長へクビの撤回を進言することはありません。師団長の決定に従うまでです」
侍“従”だけに。
それに、きちんと仕事しない人がそばにいてもシワ寄せがこっちに来て迷惑なんだよね。
魔王の機嫌が悪くなるし。
「まあぁ!もし、わたくしが」
「そうよそうよ」
今度は早いよっ!
メイドさん(クビ済)も、仲間のあんまりなタイミングに微妙な顔してる。
「…あの、戻っていいですか?」
「ダメよ!話は着いてないわっ!」
ダメか。
なんだか漫才みたいなやり取りだから、もういいのかと思ってたけど。
早く戻らないと、魔王がずっとこの間待ってるんだよ。
“お菓子を”、だけどさ。
「だいたい、賤しい魔女がサヴァラン様の傍にいるのがいけないのよ。この間の遠征にもなにを勘違いしたのか、着いていったようだし。お前、なぜシャルロット様の命を実行しないの!?」
はて、シャルロット嬢に命令された記憶がない…って、まさか『魔女を追い出す手助けをしなさい!』ってヤツかっ!?
あれは人質ならぬココア質があったからだし、了承してないし、なにより自分を追い出すことは出来ないし!
「いや、ムリ」
「なんですって!?」
つい本音を出すと、ヒステリックな声で喚かれる。
えー…、魔女の有無以前より魔王本人の前であんなに震えてる人が、まともに会話出来るかわからないよ。
まさか、それまで手伝うとかないよね?
「だいたい、シャルロット様でしたっけ?彼女がいないのに、勝手なことをしていいんですか?まず、現状を伝えた方がいいように思いますよー」
そして、そのまま解放して今後関わらないでほしいな。
八つ当たりで水を掛けられるのは、もうごめんだ!
「あれ?シャルロット様が、あなた方の中心なんてすよね?」
ん?なんだか、メイドさん(クビ済)が顔を歪めて、イヤな感じで笑ってる。
「確かにそうね。伯爵家と子爵家や準男爵家など、位に大きな隔たりがあるわ。我が家と一つしか位が違うだけで、大きな顔が出来るのですもの。で・す・が!わたくしがサヴァラン様に見初められたら…うふふっ」
怖っ!
なんか背筋がゾクゾクきて、メイドさんから距離をとる。
メイドさん(クビ済)はさっきまで暗い笑みを浮かべてたのに、今はお嬢様の高笑いつまり『おーほほほほっ』というやつを繰り出していた。
…つまり話を簡単に訳すと、シャルロット嬢は二人のメイドさんよりも順位が上で、メイドさん(クビ済)としては彼女がセンターを張るのは仕方ないと思いつつも、面白くない。
だけど魔王にメイドさんが見出だされたら、その立場が変わるってこと?
「『ユー、センター張っちゃいなよ』とか?…いやいや、ファンの人気投票の結果の方が大事でしよ」
事務所が違うし、まず魔王のキャラが違うか。
そもそも魔王は、魔王で魔術師団長で、社長で音楽プロデューサーなの?
多忙過ぎる!
でもなー、そんな棚ぼた狙いってのはどうなんだろう?
ちゃんと仕事しようよ、仕事…って、クビになってるんだっけ。
「そんなんじゃ、今いるファンが離れて行きますよ!」
「なにをいってるのか、意味がわからないわよっ!?」
まったく、地道に知名度を上げないと次回の人気投票では順位が下がっちゃうからね!
「ねっ、ねぇ。もう、ここまでにした方が…」
「なぜかしらっ!?まだこの生意気な侍従に、立場というものをわからせていないわ!」
あれ、協力させるって話はどうした?
もちろんこちらからはいう気はないから、このまま話が逸れてくれればいいな〜
そう暢気に成り行きを見守ってれば、ソワソワしていたメイドさんの方が向こう側を向いて一言。
「誰かこちらに向かって来るみたい…」
って、速っ!?
メイドさん(ソワソワ)がそういったとたん、メイドさん(クビ済)は素早く身を翻す。
しかもその速さがハンパない!
走ってないよね?ロングスカートがめくり上がったりしてないからね。
あれか、白鳥も水面下ではあんな感じなのだろうか。
ダーッて速く歩き去るメイドさん(クビ済)は、一旦足を止めて振り返りざま『覚えてなさいっ!』などと、悪役感まるだしなセリフを残していなくなった。
いや、ちょっと待って。
クビにされたんだから、もう接点がないんだけど?
イヤだよ、また拉致られるのは。
「あの〜?」
「…!」
残されたメイドさん(ソワソワ)に、そのことをキッチリハッキリ!伝えておこうと声を掛けるが、彼女は息を飲んで目を見開く。
驚かすつもりはなかったんだけど…と、彼女の視線の先を見て勘違いに気付く。
こちらにやって来る男の人が二人。
一人はブラウニーと同じ制服姿の、冷たい色合いの目が鋭い壮年の男の人だ。
針金でも背中に入ってるんじゃないかと思うほど、真っ直ぐ伸ばされた背筋がなにかの武道をたしなんでいそうな雰囲気を醸し出す。
もう一人は…こちらを見て驚きの表情を浮かべるまだ若い男の人は法術師の制服を着た見覚えのある人だった。
「おに…!」
「パル…っ!」
ん?こちらが『お兄さん』と、魔王の出張に同行していた法術師の若い男の人に声を掛けようとしたんだけど、ちょうどタイミングがかち合って互いの言葉がかき消えた。
声の主はお兄さん本人で、彼の視線はメイドさん(ソワソワ)に向けられている。
メイドさんの視線も彼に向けられていて、しばし見詰め合ってた二人だったけど。
「え〜っ!なんで逃げるの!?」
実際は、さっきのメイドさん(クビ済)を追いかけていったのかもしれないよ。
でも、なにも弾かれたような勢いで走り出すことはないんじゃないの?
ほら、逃げられたみたいな形になった法術師のお兄さんが、真っ青な顔で固まってるじゃんか!
「ちょ、ちょっと!?どうすればいいんですかっ!」
メイドさんの後ろ姿と、法術師の青い顔を交互に見て埒が明かないと判断して、同じく成り行きを見守っていたもう一人に判断を仰ぐ。
なぜかこちらをジーと見ていた壮年の男の人は、一瞬だけ視線を二人に向けた後に緩く首を振った。
ええっ、この状態を放っておけってこと!?
「ヘタに首を突っ込めば、拗れる」
だからって、こんな状態の人を放置って、そりゃないよ。
「お兄さん、しっかりして!」
呆然と立ち尽くす法術師のお兄さんの肩を叩きながら声を掛ければ、痛そうに顔をしかめられた。
そんなに力なんて入れてないのに、失礼だな!
しかも、こっちを見る目が怪訝なものになってるし。
「……誰?」
まだ出張のときからそんなに経ってないのに、本当に失礼だなーっ!!
そりゃ、そんなに関わってないけど、差し入れあげたじゃんか!!
ちょっと睨み付ければ、お兄さんは引きつった顔をしながら後退る。
…本当に、失礼だな。
さらにムッとして、腰に手を当ててお兄さんを睨んでいれば、また後退った彼はふと視線を下にずらして…なぜか赤面した。
「きっ、君!君は侍従ではないのか!?」
「?まお…じゃなくて、魔術師団長の侍従ですが、なにか?」
ん?どうしたんだろうと、視線を下にずらせば…。
「ひぎゃーーっ!?」
侍従の制服って、シャツとリボンタイに焦茶色のベストとズボンなんだよ。
サイズがなかったのか、ちょっと大きなシャツとベストを着用してるんだけどそれがいま、べったりと肌に張り付いている。
ベストのおかげで身体のラインはそんなにわからないものの、だぼついて本来より下がった位置にあるベストのV部分から出てるシャツが張り付いて、その…ブラと微かにある谷間が透けて見えていた!
いやああぁっ!見られてたのっ!?
「なんで、教えてくれなかったんですかっ!?」
「いえるわけないだろっ」
真っ赤な顔のまま、お兄さんは怒鳴り返す。
確かに、男の人にそんなこと親切心でいわれたとしてもキレてたかもしれないけどさ!
でも、しばらく見てたってのがやらしいよ!!
両腕で自分を抱き締めるようにして、前を隠す。
おかげで、ぐっしょりとした感覚が胸元だけじゃなくて腕にまで及ぶ。
うぅっ、気持ち悪い…でも、隠さないと。
一人葛藤してると、頭上にバサッとちょっと重たい上着を掛けられた。
これは、壮年の男の人が着てた制服?
「着てろ」
「わーっ、ありがとうございます!助かります」
んじゃ、ありがたくお借りしまーす。
なにやら考え込む素振りをみせる男の人にお礼をいって、いそいそと制服を着込む。
おいしそうなラムネ色をしてるのに、冷たい雰囲気を醸し出してるからどうしても冷たく見える目をしてるのに、この男の人は意外に優しい。
いや、二言しかしゃべってないのに決め付けることじゃないけど、なんとなくその坦々とした口調が魔王を思わせるせいかそんなふうに思ってしまう。
年は四十代で、渋いおじ様って感じで見た目はまったく似てないけど魔王の父親って可能性もなくはない。
そう思うと、聞いてみたくてムズムズしてきて、仕事中にも関わらずつい聞いてしまった。
「おじ様は、魔王陛下のお父様でございますか?」
「…滅多なこというものではない」
なにがっ!?
えっ、魔王の父親ってことは秘密事項だとか?
ヤバい!呆然と『侍従が女の子…“黒剣の魔王”の傍に、魔術師以外の女の子…』なんてよくわからないことをブツブツ呟いてるとはいえ、人前でなんてことを聞いちゃったんだろう!
取り返しの着かないことあわあわしてると、察したらしいおじ様がゆるゆると首を振る。
「なにか勘違いしているようだが、私がいったのは師団長を“陛下”と称したことに対してだ。陛下と呼ばれるのは国王“陛下”のみで、間違っても臣下に下った方に付けるものではない。彼の方の立場上、混乱を避けるよう私の息子はいわなかっただろうか?」
「むすこ…」
って、誰。
だって魔王じゃないんでしょ?
少ない交友関係からうんうん唸りながら探すその横で、男の人二人はなにやら話し合っていた。
うん…、完全な放置プレイですね!
「ダクワーズ、彼女のことは他言無用だ」
「えぇ、わかりました。以前のプディングのときも、今回の“花炎の魔女”のときも騒ぎになりましたから、誰がなにを仕出かすかわかりません。…もう、遅いかもしれませんが」
お兄さんは、メイドさんたちが消えた廊下の先を見詰めて静かに呟く。
「この間の遠征で魔術を相殺した、白い女の子。彼女が噂の“花炎の魔女”ですよね?色々な人たちから、質問攻めにされたんですよ俺」
『もっとも、知ってることはありませんけど』というお兄さんの言葉に、借りた制服の前を合わせて下を向く。
…噂は知ってるけど、質問攻めってナニソレコワイ。
「そうそう!魔女ははじめて見ましたが、スゴかったです。空に咲く花みたいな炎の大魔術だけでなく、遠征に参加していた騎士の中に、金を積まれて師団長に危害を加えようとした輩がいたんですが、彼女の占いで一網打尽に。…あっ、すみません、ソルベ団長の前で」
「いや、事実だ。人選は吟味したつもりだったのだが…な」
うーむ、シリア…すだね、空気が!
こっちは、だらだらと冷や汗が滝のよう流れてるよ。
ブラウニーが勝手に付けた“花炎の魔女”って二つ名が一人歩きしてる気がする。
いや、だってさ、炎の大魔術ってなに?
占いってフォーチュンクッキーのことだろうけど、女の敵を退治したくらいで魔王の敵は倒したつもりないんだけど…。
「それに、清楚で美人でした!」
いやいや、だから誰!?
もしくは、お兄さんの目が節穴か。
こっちは美女な父似な姉兄弟妹の中で、唯一平凡な母似なんだから!
ハッ!まさか、本当に別人の話をしてるのかも!
すっごい清楚で美人な魔女の恋人が魔王にはいて、隠れ蓑として保護してる子どもを使ってるとか!
確かに私も、出張先に行ったけどその前後に魔女の恋人が大活躍してたんだね、きっと。
なるほど〜なら、噂は保護してる子どもと恋人がごっちゃになってあんなふうに流れてるんだね、なっとく。
なっとくいく答えを導き出してすっきりしてると、こっちを見詰めていたおじ様と目が合った。
無言の視線が突き刺さるんだけど!
別に悪さなんてしてないのに、やたらと居心地が悪くて素早く視線を逸らすのだった。
×男爵令嬢
○子爵令嬢
ミツキの勘違い。