ムードクラッシャー
『歓迎の気持ちを表したくて』
それが、犯行動機だ。
本当なら、横断幕に『ようこそ』と書きたかったらしいけど、急だったために壁に直書きしたそうだ。
しかし上の部屋でそんなことをしようものなら、モンブランがキレる。
だったら、ろくに使われてない地下牢なら汚しても、騒いでもいいと判断したホットらの、単独行動だったらしい。
豚の血は、赤の方がハデでいいかと思い、養豚場から届いた新鮮なものを拝借したそうだ。
ハッキリ言わせてもらえる?
…あんたら子どもかー!!
強いて言うなら、転校生が来るのを知った、小学校低学年児童だ。
しかも、ハデだからって厨房からの無断拝借。
フツーに、窃盗だからね!
頼まれたことしてなよ、も〜
理由が理由だから、こちらは何にも言えないけど、モンブランと説教係を交代した魔王は疲れている。
本当、お疲れさまでした。
「話がある」
説教続行のモンブランと、説教され中のホット、見守るプリンを置いて連れて来られた場所は、魔王の部屋だった。
おどろおどろしい雰囲気も、玉座も勇者たちの成れの果てもない、ただ重苦しい空気が充満する部屋というのが、正直な感想だ。
大きなデスクと、座り心地のよさそうなイス、倒れてきたら押し潰されそうな本棚が三台、設置してある。
この階は全て魔王専用で、他に本棚だけの部屋や、実験室があるそうだ。
…実験室?
聞き返したい言葉もあったけど、聞ける雰囲気じゃない。
堂々とした佇まいの、黒い木で出来たデスクの上には、書類の山が二つ。
魔王の視線の高さまで積み上げられたソレは、薄い紙なんだから結構な枚数になりそうだ。
関係ないから暢気に見てたけど、案内するため前を歩いてた魔王はそうじゃない。
ソレを見た瞬間、すんごく重いオーラが魔王から発生した。
うわ〜、さっきの心配してるときとは明らかに違う、黒い中に赤を含むオーラだ。
その赤は別名、“怒り”と言う。
赤黒いオーラを撒き散らす魔王は、デスクにあったのと違うイスを私用に準備してから、ひたすら書類に目を通しはじめた。
最初の書類を見たときにこちらに視線を投げた後、思案する素振りを見せただけで、それからは存在を忘れられたかのように黙々と書類に何やら書いている。
『話がある』と聞いてなにごとかと緊張してたんだけど困った、今は手持ち無沙汰だ。
床に置いた段ボールを膝に置いて、ずっと確認したかったものを取り出す。
取り出したのは、納品書だ。
結局、トラックにぶつかりそうになったせいで、きちんと確認してなかった。
取り出したそれには、当たり前だけど購入者の名前と購入した品名、個数が印字されている。
自分の名前が書いてある納品書の下に載ってる品名と個数を確認して…思わずイスからずり落ちた。
向こうのミスだと思い込みたかったけど、納品書にはしっかりと注文数が載っている。
それと実際の数は合ってるし、支払いは済んでるし、もう何袋か封が開いてるから返品はムリだよね〜
両手と両膝を着いて、ひっそり項垂れてみる。
まあ、過ぎたことだから仕方ないけどさ。
「どうした?」
こっちの落ち込んだ様子に気付いたらしい魔王が、怪訝な表情をしながらやって来る。
「あ〜、いえいえ。なんでもないです」
両手、両膝を着いた状態の私の前で、片膝を着いた魔王の視線は、手に持ったままだった納品書に向けられている。
さっきのホットらの血文字は、どう見ても日本語とは違っていた。
だけど理由はわからないけど、ごくフツーに読むことが出来たのだから、もしかしたら読めるかもしれない。
「読めますか?」
納品書を差し出して聞いて見れば、魔王はゆるく首を振る。
「…おもしろい文字だな」
めずらしい、少しの間を置いての言葉。
そう言いながら、納品書の“佐藤”の部分をなぞる長い指を見ながら不思議に思う。
どう見ても外国顔の魔王たちだけど、しゃべってる言葉は日本語にしか聞こえない。
英語が壊滅的な人間が、急に理解出来るようになったとは考えられないなら、彼らの方が日本語でしゃべってるのかと思ってたけど…。
まあ、魔王が漢字を読めないってことだけは、新たにわかったよ。
だからと言って、なんかの役に立つとは思えないけど。
「それ、私の名前なんですよ」
魔王の指先を指し示しながら告げると、彼はマジマジとそこを見た。
やっぱり、名前のフリガナは“サトウ ミツキ”になっている。
あの宅配の兄ちゃん、きちんと見てなかったな。
段ボールにも同じような書いてあるのを確認して、いつものことながらタメ息を吐いた。
するとどうしたのか、魔王がいきなり…本当に唐突に抱き締めてくる。
もう一度言おう、抱き締めてくる。
なっ、何が起こった〜〜〜!?
筋肉質で固い腕が片方は腰に、もう片方は背中に回り、強く引き寄せる。
引き寄せる勢いのまま、私は魔王の胸に飛び込むことになったのだ。
たいした距離じゃなかったけど、それ以上に衝撃のあまりされるがままになってしまう。
いや、だってさ、悲しいかな告白をされたこともなければ、彼氏いない歴が年齢と同じ人間である。
家族以外の男の人と、こんなに密着するなんてないよ!
意外に固い胸に、頬と耳を付けることになってビビる。
内心では色々考えているけど、実際にはうめき声一つ、上げられない。
身体は完全に硬直して、自分の意思では動かせなさそうだ。
「大丈夫だ」
背中に回された手が、ぽんぽんとそこを軽く叩く。
声は穏やかで、オーラだってこんなに近くにいてもぜんぜん気にならない。
耳を押し付けてるから、魔王の規則正しい心音も聞こえてくる。
「過去にブルームはいた。その存在の立場の脆さも、数少ない記録で知っている」
次の台詞で、魔王が何を考えて行動に移ったのかがなんとなく理解出来た。
「だから、私の力が及ぶ限り護る」
どうやら彼は、私を安心させたいらしい。
落ち込んでるように見えたのかなぁ?
さっきのタメ息を見ての行動だとしたら、理由を話せたら怒られるかもしれない。
魔王は、背中を叩いてた手を上にずらしていく。
行き着く先は頭で、頬を胸に押し付けてるから正確に言えば後頭部だ。
彼はおそるおそるという風に、後頭部を撫でる。
王都に来る前もなでなでされてたし、拒んだことはなかったはずだけど、今更その手を払い除けたりしないのにね。
何より、気持ちいいし。
後頭部を魔王の手にぐりぐりと押し付けてみると、一瞬だけ止まった動きがじょじょに乱暴になった。
最終的には、“撫でる”じゃなくて“かき混ぜる”になってしまう。
おかげさまで、髪の毛がぐしゃぐしゃだ。
特別、何かお手入れをしているわけじゃないけど。
も〜、さっきまでのドキドキはどこに行っちゃったんだよ〜
…ほんの少しだけ、残念に思えたような。
いやいや、気のせいだよね!
両手を突っ張って、魔王との距離を取る。
ムードをクラッシュさせられた後だから、大丈夫だと思って気になってたことを質問した。
「“ブルーム”って、なんですか?」
距離が開くことによって顔を上げることが出来たんだけど、上げなきゃよかったと後悔する。
さっきの雰囲気が欠片もない、仏頂面が間際にあれば誰でもそう思うよね!
なんなんだ、いったい。
「…ブルームは、もとの世界から剥離された者のことを言う」
ブルームは、チョコレートの表面に油や砂糖が浮き出て劣化した状態を指す。
つまり、世界=チョコレート、浮き出た白いの=私?
「世界から、引き剥がされたって…私が?」
ここは、もといた場所じゃない。
そんなの見ればわかるのに、自分で思っているのと実際に他人に言われるのとでは、ぜんぜん違う。
だってそれじゃあ、現実になりそうで…
「わたし…私は、いらない?」
「サト」
「家族だって、私のこと忘れちゃうんだから」
「サト、話を聞け」
「あはっ、なら向こうじゃ誰も何も、私を必要としてくれないってこと?さみしーな、それって」
「ミ…」
バターンッ
「参上!」
ビシッと、なんかカッコ付けたポーズを取ったそのままの姿勢でこちらを凝視して、そこで硬直する。
それを見て、こっちも硬直した。
「あっ…、お邪魔だった…よな?」
「何がだ?」
魔王とこっちを見ながら、闖入者…ブラウニーは言葉を濁す。
「やっ、その〜あの〜」
チラチラと視線を飛ばしてくるブラウニー。
魔王と私とお互いの腕を交互に見てるけど、何もへばり着いてないよ?
やたと変なテンションなのと、変なポーズを取りつつ器用に固まるその姿がおかしい。
なんとか堪えようとしたんだけど、やっぱりムリで噴き出してしまう。
ぶふ〜
笑うと、こちらを見下ろす魔王と視線が交わる。
険のある目が少し和み、魔王の雰囲気が柔らかくなった。
ブラウニーのあのポーズは、魔王を和ませる効果があるみたいだ。
…そういえば、魔王が何か言い掛けてたけど今はそんな素振りもないからまあ、いいか。
ブルーム
①チョコレートの表面に出る白いのが出て来て艶がなくなる劣化現象。あれが出るとおいしくない。脂肪が分離して固まったのがファットブルーム、砂糖が表面に出て固まったのがジャガーブルーム。
②世界から弾かれて、別の世界に飛ばされた人間を指す。