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肉塊

 

 引っかかりに気づいて目を向けると、はたしてそれは瘤だった。私の体はみるみる膨れ上がった。私は恐怖からかなんとなくここから逃れるべきだと思った。しかし此処にいなくてはいけないとも思った。体はどんどん膨らみ、枝分かれし、また膨らんだ。私は恐怖したがもとより孤独であった。他へ行ってもいいし、此処にいたかった。時折私はくるくると体を回転し、ひらひらと舞った。幾らでもこの身を捻り、沈殿し浮かび上がった。そうした無意識の自由を瘤の所為に失ったのだ。暗い部屋で一人、私は次第に闇に飲み込まれていった。それはしかしある慈悲を持っていた。というのも、私自身が闇に親和性を持つ種の人間であったからだ。深淵に近付くほど頭は冴えわたり生き生きと体が跳ねた。運命の、わたしの「生」の行く先の不安が上書きされてより明瞭となり浮かび上がる。――はっ、としたときには遅く私は息苦しさに喘いでいた。冷静さを取り戻そうと振り返り、装う。指先がズドンと重くなり、呼吸の仕方も忘れ藻搔く。吐く息がどこか心の奥で阻害され、細く細く掠れている。胸いっぱいに吸おうにも全く届かない。焦れば尚のこと苦しむだけだから努めて冷静でいようとするのだが、体はもぞもぞ動き、正位置に戻ろうとする。それさえ分かれば問題ない、そう思って。

 こうした出来事が続くと私は信仰を作った。これは成功だった。神でも仏でも自分自身でもない、人類が未だ知らぬ世界の、運命を司るこの暗い部屋で私に微笑む彼奴を私は深く信仰し、助けを乞うのである。顔の先が重くなり、やがて朦朧としてくると手に持ったお守りに顔を擦り合わせるように幸いとして祈った。

 私はあらためて益々肥え膨らんでいくぶよぶよとした巨体を見たが、その醜悪さに心臓が激しく引き攣り、勢い振り子するのを感じていた。耳の血流がドクドクと鳴っていた。一体どうしてしまったのだろう。私はこの手で瘤を潰してしまわねばならぬ、憂鬱が耐え切れなくなり叫び声を上げようとした。しかしこの静寂のなかに壁を叩き殴って何になろう。憐憫を浴びたいのではない。私はより一層外界から離されるだけだと諦めて、やはりこの虚空のなかを自由に泳ぎまわる幻想ばかり見るのであった。

 と、どこからともなく美しい音楽が聞こえてきた。これは彼奴が私を陥れるためのものに違いないのだが、孤独で退屈を覚えた私にとって大変素晴らしい気分転換になった。音が部屋のあちこちに落ちた。それは私の体を跳ねてやがて消えた。染み込んだ音が私を動かしているように感じた。一音する度、分厚い肉が脱皮して軽くなる。導かれるように、ともすれば転がり落ちて、私は遂にこれが祝福であると認めた。ああ、なんという解放!

 最後に感じたのは風であった。首筋にすぅすぅ風が当たるのだった。この閉ざされた部屋にどうして風が吹くのだろうか。彼奴に決まっているのである。彼奴とは何者だろう。そうだ、私が得体のしれない恐怖から作り出した偶像である。しかし彼奴は最初から私の味方でも敵でもなかった。愈々私はぞくぞくとし出した。淡い快感があった。目を閉じてその快感を追った。風は確かに吹いている。すぅすぅ、すぅすぅ・・・。途端に部屋が明るくなった。目の前に落雷があったかのように眩しかった。いや、私は最初からずっと目を閉じていた。だから初めて感じた光というものに耐え切れずに、声を上げて泣いていたのだ。

 やがてどこからかまたあの音楽が聞こえ、私は目覚めた。横に投げ捨ててあったお守りを手に巻き、膝を曲げて起き上がりつつ祈った。一滴のインクが繊維に染み込んで拡大するように、私もまた猛スピードで理解していた。セットした目覚ましの一音が仕事や暮らし、いろんなことを一気に呼び起こしどきどきした。人生は憂鬱そのものである。暗い水底で泳ぎ回ることを夢見ながら、最近できた足の付け根の瘤がまだ引かないのを見てうんざりするのであった。

 

 

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