灰色の町 二節
灰色の雪に染まった道の中を、大きな袋を引きずって歩くと、まるで大蛇がそこにいたかのような跡ができる。そして、そんな跡は、こんな町の中で迷わないようにするための指針になる。
「疲れた……というか、本当に灰色ばっかりだな……」
当てもなくこんな街中を歩いてきたわけではないのだが、半端当てもないようなものだったので、疲れてしまうし、灰色の景色になかなかなれずに気が滅入ってしまう。仕方なく引きずってきた袋の上に座り込み、小休止を取ることにするが、休むと言っても食い物も何もない。
「あぁー、疲れた。本当に疲れた」
馬鹿でかいため息とともに愚痴をこぼし、体を覆っても余りある袋の上に寝転がる。
実際、俺は特別に"この町で孤独に生きていくんだ"とか"俺が絶対生存者を見つけてやる! "とかを決心しているわけではない。なので、とある目的の為に瓦礫から引っ張り出してきた袋を引きずっての物資調達、兼町の様子を伺うという行動に対し、俺はそこまで本気になれないのだ。
「せめて雪じゃなくて花の種が降ってくりゃあな……」
朝早起きな朝顔、聖地に咲くというタチアオイ、オレンジの宝石のような実を付けるフユサンゴ……視界いっぱいに広がる光景を瞼の裏側に映し、しっかり見ようとして、ぎゅっと目を閉じると、頭痛で視界が開けた。
「また、この風景かよ」
妄想の中だけでも花園を見ていたかったのに、不眠症から来る頭痛で灰色の世界に戻されるとは、なんとも癪な話である。
「クソッタレ……」
珍しく純粋な感情が沸いたかと思って口に出したら、ただの悪態であった。
「仕方ない、行くか」
節々をパキパキと鳴らしながら立ち上がり、袋を持って再び歩み始めた。
------最後に悪態をついたのが……何時だったか、とにかく俺は、結構な時間をかけてこの町を探索し、ついに"拠点"と呼べそうなところを見つけていた。
「と言っても、崩れてないガレージなんだけどね」
場所は灰色に染まった商店街、もとい、生まれ故郷でもある東京都某所にある南台商店街。そして、そこに偶然見つけた、ワゴン車用のガレージであった。崩れてなく、雪埃しのげて、そこそこスペースがある。更には、地震の影響で飛び出したのか、本来のここの主であるワゴン車が目の前の道に出ているので、目印にもなる。
「次は食い物と水を探して、その次は……」
やることはたくさんあるが、なぜそこまでして生き残りたいのか……心の奥底に沈んだ"何か"からは、その答えは返ってこない。ただ、時折「探せ、探せ」と、心の中に響いてくる声から察するに、何かを探しているのだろう。
「そりゃそうだろ、探せっつってんだから」
一人で馬鹿みたいなやり取りともいえない何かを繰り広げながら、灰色の町、いや灰色の商店街……やっぱり灰色の町の中へと歩んでいった。……どうせ、ここが銀座だろうが新宿だろうが、灰色の瓦礫の山であることに変わりはないのだから。
雑貨屋の瓦礫をどかして日常用品を、薬局の瓦礫をテコの原理でどかして薬や包帯を、入り口が崩れているのでわきからコンビニに入り保存食を等々、とにかくたくさんの物資を集めてはガレージに運び、その数をチェックしていた。
「ユーパン、276錠、セロクエル、115錠、サイレース……くっそ、12錠か……」
中でも入念に数えた物は、精神薬である。感情をコントロールする精神系の薬は飲まないに越したことは無いのだが、眠り薬は俺にとって無くてはならないものなので数えていたのだが……
「ジェネリック医薬品含めて、眠れそうな薬は100錠か……」
たった今、俺がこの町で生きていける限界が分かった。100日である。俺は気分を高揚させる薬を数粒口に放り込みながら、この先の生活について考える。正確には飲まずに過ごす日があるかもしれないのでわからないが、少し考えただけで大よその見当はついた。やはり、100日前後である。
「なぜ眠り薬が無くては生きられないかって? 簡単な事さ、体が薬を飲まないと徐々に動かなくなるからだよ」
薬の瓶片手に、先生にでもなったかのように独り言を続ける。精神系の薬を飲んだことが気分を高揚させているのだろう、いつもより心が朗らかだ。
「今だってそうだ、体の関節は常に音を立てて鳴るし、なにかあるごとに節々が固まっていくのを感じている」
でも、薬を飲んでとにかく眠れば、体は動く。体が動けば助かる道……それとも、心の声に従って抗う道と言った方がいいかもしれないが、とにかくそんな道が見えてくるのだ。
「でもまぁ……今日はもう寝ていいだろ?」
誰に問うでもなく、自分に問う。ここ数日間の薬なしの生活、灰色の生活、絶望しかけた生活……そろそろ休んでもいいころだ。
「おやすみ、俺」
袋を寝袋の様に扱い、薬を一錠、水なしで飲みこむ。しばらく飲んでなかったせいか、すぐに眠気は回ってきた。
「せめて、悪夢を見ませんように……」
そう残し、ガレージの中、灰色の雪が降りしきる街中で、一時の安眠についたのだった。
------「ッハ!」
鉛色の空の上から太陽が消えた時間に目を覚ます。睡眠は効能通り五時間の眠りを俺にくれた。だが、その間の悪夢までは取っ払ってはくれなかったようだ。
「……チクショウ」
いやな悪夢を、見たくもない幻想を長々と見せられて、眠った気はしないが、兎にも角にも睡眠はとれた……本当はもっと、ゆっくり寝ていたかったから、チクショウなどとつぶやいたのだが、とりあえず太陽が昇るのを待つことにした。
「寝ても起きても地獄かよ……」
月があざ笑うかのように真上にある事から、夜明けは数時間先になるだろう。
「あぁー、クソ……」
悪態は夜の闇に消えていった。
------灰色の商店街での暮らしが始まって、早くも一週間が経過した。その間に他の生存者や何か大きな出来事があったかと言えば、二つある。一つは、花屋にあった花の種を何とか咲かせようとしたが失敗し、心が荒んだこと。そしてもう一つは
「家族が増えました」
次いで、ニャアー、と三つの泣き声が聞こえてくる。見ると、二匹の黒猫と一匹の三毛猫が、ガレージの中でじゃれ合っていた。
「ほら、餌だぞ」
じゃれ合っている三匹に向けてそう言うと、拾ってきた猫缶を開けてやり、中身を小さなお椀にぶちまけてやる。すると、遊んでいたことなど忘れてしまったかのような切り替えの早さで、餌を食べにきた。
猫の名前だが、全身真っ黒なモコモコの猫には"シャノ"と名付け、おなかの毛が星のような形を作っていて、そこ以外全部真っ黒な猫には"ステラ"と名付けた。そして、三匹目の猫は三毛猫なのだが、正直だるくなってきたので、適当に"ミケ"と名付けた。
「仲良くな」
そう言い残し、ガレージを後にする。外では相変わらず雪が灰色になって降っていた。
「……」
ガレージから数歩歩き、空を見上げる。いつもの灰色の街並みや空にある霧が、ここ数日で余計に腹立たしい存在へと変わっていた。
「花畑は無理だったよ、代わりに猫たちの面倒を見たら死んでもいいだろ?」
空に向けて、言う。花を咲かせようとしたが失敗したことは、あまりに語ることが少ないが、あまりに強く心をえぐられた気がした。要は、自分は花の一つも咲かせられないほど惨めな存在、という事が分かったのである。
「花屋には結構きれいな状態で種や肥料があった。それでもだめだった」
所詮、花を育てていたことなど昔の話。更にここは太陽の光もろくに届かない、灰色の町である。度台無理な話だったのである。
「だから、な? そしたら死ぬからな?」
孤独を癒してくれる猫が死ぬか居なくなるかしたら死ぬ。誰のためでもなく、自分の為に自分の命を絶つ。そう考えていても、心の奥底からは何も聞こえてこなかった。
「なら、そうしよう……そうしよう」
乾いた笑いを上げながら、灰色の雪が降りしきる街中をフラフラと歩く。まるで死人の様に、ただフラフラと、死ぬ時間を求めて生きている。
「ハハハ……かくして、"流 進"の人生は、終わりに向かいましたとさ」
皮肉たっぷりに言う。体を捻りながら、変に伸ばしながら、踊るように歩いて、自分の無意味だった生を思い返していた。……が、止めた。
「なーんも無かったからな……あー、とっとと死にたい」
そのあとも、ただただ死人の様に踊っては、自虐に浸っていたのだった。
------"取り残された青年"は、半端狂ったように付近を徘徊した後、激しく嘔吐してガレージで死んだように眠りについた。
同時刻、神様が何かに対してひどく怒っているみたいな事に気づく。何に対してそんな怒ったのか知らないけれど、僕には関係のない事だ。
そう、運命はまだ、回り始めていないのだから。




