灰色の町
目が覚めたとき、目の前に移る世界が現実だとは思えなかった。大方まだ悪夢を見ているのだろうとすら感じた。しかし、この体の節々に走る鈍い痛みや、開けっ放しの目に入ってきた"灰色の何か"が、眼球に触れて鋭い痛みが走ったことから、ここは現実なのだろうと確信する。
「……夢の様だよ、悪い意味で」
仰向けに寝ている体勢から起き上がろうとするが、力が入らない。結局寝たままの姿勢で、からからに乾いた喉から、得意の皮肉を眼前に広がる光景に向けて投げかける。それくらいしか、この光景に対して俺が出来ることは無かった。
あたり一面、崩れたもしくは崩れかけた建物で埋め尽くされ、道路はひび割れ、衝突したらしい車が何台も積み重なっている山が、近くに見えるだけで三つはある。
極めつけにこの世紀末のような風景を更におかしくさせているものが、空から降り続いている、先ほど目の中に入ってきた"灰色の何か"だ。なんとかそれに手を伸ばして、掌に載せて、目の前に運んでくる。
「雪、か?」
確かに雪の結晶のような形をしているが、溶ける様子もなく、冷たいとも熱いとも感じない。ためしに握りつぶしてみると、埃か何かの様に粉々になって、タンポポの綿毛の様に風に乗って行った。
「いったい、なんなんだ……何が起きたんだ。というより、なんで誰もいないんだよ」
街中と呼んでいいのかあやふやな風景の片隅で、なんとか踏ん張って体を起こし、辺りを見渡しても、人っ子一人見当たらない。声もしない。ただただ"灰色の雪"が、降ってくるだけである。
「はぁ……本当に、これが夢だったらと思うよ」
鉛の様に重たい体を立ち上がらせ、ふらつきながらも、ポケットに入っていた携帯電話を確認する。そこには、最後に見た日付、もとい大地震が最初に起きた日付から、一か月後の曜日と日にちが表示されていた。
「ハッ、どうりで腹が減るわけだ」
鼻を鳴らして天を仰ぐ。こうなると、もはや苦笑いしか出てこない。携帯電話のバッテリーは、日付を表示した直後に切れ、電信柱も倒れているので公衆電話もおそらく使えない。そして、大地震から一か月という日にちが過ぎ去った廃墟の様な町に、誰かがいるとも考えずらい。
「無駄、なんだろうけどね……探してみるか、色々と」
この現実に対し、心が折れなかったのは、自分が抱えている"病気"のせいだろうか。とにかく折れなかった心を引きづって、ふらつく足取りで食べ物や人を探しに行く事にした。
「しっかし……今まで見た悪夢が優しく思えてくるね、この景色見てると」
乾いた笑い声を静かにあげながら、灰色の町をふらふらと進んでいった。
目覚めた日から数えて、三日後。俺は近くの公園に面した図書館の中で、探し物をしていた。
といっても、この三日間ろくに寝ていないので、散らかった本や倒れた本棚をかき分けていく事すら難しい。だが、この三日間を眠って過ごし、目的を持って図書館で探し物をするような"健常者"は、そういないだろう。"普通"ならば、孤独に耐えきれずに自殺なり自暴自棄になるなりして、何もせずに終わっていくだろう。
「少なくとも俺はそう思う」
独り言である。俺は独り言が好きなのである。そういう一種の"病気"の"症状"みたいなものなのである。
「うつ病、不眠症、PTSDの可能性、極めつけはサイコパスの危険性あり」
地震が起きる前の日常、里親の家から通っていた病院の先生から言われてきた言葉を並べてみる。そう、俺は精神に異常をきたした、いわゆる"異常者"なのである。まぁ、健常者に対して思いついた言葉がそれしかなかったわけだが、とにかく俺の心は複雑怪奇になっており、自分でも何をしでかすかわからないのである。
「この前だってそうだ、普通ならこんな現実を前にしたら放心してるだろうよ」
この前とは、三日前目覚めたときのことである。あの時冷静に物事を考えられたことが幸いなのか災いなのかは置いとくとして、今は作業に集中した。
精神系の薬を飲んでないせいで震える手をなんとか動かし、本をどける。ズキズキと痛む頭を抱えながら目当ての物がないか探す。睡眠不足で疲れ切った体に鞭打って次の所を探す。
「まぁ、放心してそのまま死んだほうが、あるいはよかったのかもしれないがね」
自分のボロボロの体を思えば、そっちのほうが遥かに楽だろう。しかし、医者でもわからなかった俺の心の底からは、この現実に対して、"抗え"と、奥底から響かせてくるのだ。俺にとって、絶対の行動の指針と言えば、この心の声なので、従ってはいるが……。
「はぁ……しんどい」
崩れかかった図書館の中で、崩れかかった自分の体を動かし、必死に探す物……それは、図書館ならばどこにでもあるような新聞だった。
なぜ、新聞を探すのかというと、実際日本で何が起きていたのか、詳しく知らないからだ。それは、あの地震に始まる何らかの災害の時、俺はちょうど精神薬を切らしていて、動くことすらままならなかった。だが地震で外に放り出され、死んだように地面を数日間這いずり回っていたとき、誰かに頭を踏まれて意識を失ってしまった。
そして、三日前目覚めた。流石に体は薬なしの時間に慣れたのか、また這いずり回ることは無かった。考えてみれば一か月近く飲まず食わずでぶっ倒れていたはずなのだから、人間なんやかんやでしぶといものである。
そんな時、傾いた図書館の隅に、大きな鏡が割れることなく佇んでいた。
「生き残っても、この有様じゃね……」
そこに移る姿は、今年で19になる青年とは思えないほどゲッソリとしていた。
青白い肌、寝不足で出来たクマ、ストレスで汚く白に染まったボサボサの髪、ひょろりと長い手足と体つきは、不健康の象徴ともいえた。
「お、あった」
そんな、自分のゾンビのような風貌を久しぶりに見ていたとき、足元にようやく、目当ての新聞の束が見つかった。
「日付は二か月前からのがあるな、なになに……」
------空を見上げれば、謎の霧とその向こうに少し見える鉛色の空。前を向けば廃墟と化した街並み。そして目線を落とせば新聞が地面の上に散らばっている。
「……」
新聞の束を外の開けた公園に持ってきて、日付順に並べたのは一時間ほど前の事だ。そして、二か月前からの記事を飛ばし飛ばし読んでいって分かったことは、いくつかある。とりあえず、どっかの新聞会社は、日本が"終わる"まで新聞の発行を続けていたことと、この図書館も律儀に保管していたこと。
「そして、俺一人じゃどうしようもない現実が分かったってこと!」
一気に言い切ると、その場にぶっ倒れて謎の霧が掛かる空を見上げる。同時に積もっていた灰色の雪が宙に舞った。
知ったことを簡単にまとめると、とにかく日本は歴史的大災害に見舞われ、謎の霧が空にかかって、外国とも通信が取れなくなって、謎の奇病が発病したという事。
奇病が発病した辺りの記事で、新聞に変換ミス等が出てきたことから、どうやら編集者がその謎の奇病とやらに発病でもしたのだろう。もしくはこの現実に気が狂ったのだろうか。とにかく、それ以降の記事は見当たらない。しかし、こんな現実を、十八歳の自分にどうしろというのだろうか。いや、どうにかしなければならないのか?
「なぁ、なんで俺は生き残っちまったんだよ」
いっそ瓦礫にでも潰されて死んじまったほうが楽だったろう。震える手を空に伸ばして、誰に問うでもなく問いかける。空からは変わらず灰色の雪が降っており、当然雪は何も答えてくれない。
そんな時、急な眠気に襲われる。不眠症のせいで三日間眠らなかったから、おそらく脳が無理やり眠ろうとしているのだろう、前からよくあったことだ。
「ん……」
眠ったところで、どうせ浅い眠りと悪夢のセットコースである。だから、少しでも眠りに落ちる前に何か見ておこうと頭を動かしたとき、公園の隅に、一輪の白い花が枯れそうになりながらも、鉢の中にひっそりと佇んでいた。
「あれは……スノーフレーク、だったかな」
精神がおかしくなる前、健常者だったころの記憶が呼び起される。そう、昔は花が大好きで、季節ごとに様々な花を植えては、花畑を作っていたのだ。
「そうだな……また、花畑が見れたら死んでもいいかな……」
心の奥からは、拒否の言葉は聞こえてこない。それははたして眠りに落ちる瞬間だからだろうか、それとも本当に花畑を見たら死んでもいいのだろうか。それとも、花の話では"あの事"を思い返してしまうからだろうか……。
「ま、いっか……」
遠くに見える、白くて長い髪のようなスノーフレークの花を見つめながら、眠りの世界へと落ちていった。




