第9話 極上の飲み水
石と鉄の匂い。
最初は嗅ぎ慣れないその匂いに鼻が曲がりそうだったけど、もう何日をここで過ごしただろう。不思議とこの重い空気の匂いに、慣れてきた気がする。
薄暗い城の中も落ち着く。元々ボクは暗いところが好きだし。ノクティスのくれる魚みたいな食べ物も、それなりに美味しい。アルバが用意してくれたトイレの砂だって割と気に入ってる。
ただ一つだけ。どうにも慣れないものがある。
水、どうにかならないかニャ?
召使いの魔族が水を器に入れて持ってきてくれる。
その水は鉄錆と、何か腐った魚のような生臭い匂いがする。どうしたら水がこんなに臭くなるのだろう。理解できない。
優陽と一緒にいた時も、水入れに毎日新しい水を入れてもらっていた。だけどこんなにも生臭くならなかった。
でも、水入れから飲む水よりも好きなものがある。
洗面台から出てくる水だ。光る銀色の棒をひねると、透き通った美味しい水がいっぱい出てくるんだ。いつも優陽に頼んで出してもらっていた。
あれが欲しい。
ボクは意を決して、ノクティスを探しに部屋を出た。
――
廊下は凍りついたように冷たい。 どこも重たく、息が詰まりそうな空気。
肉球から氷のような冷たさが伝わってくる。この魔王城の、魂まで凍らせるような冷気だ。ボクは背を低くして、しっぽを下げて歩いた。ノクティスの部屋の場所をボクは知らない。
でも、何となく空気が重くなる方向に進めば会えそうな気がする。
体がどんどん重くなる。
あぁ、毛繕いしたい、早く帰って寝たい……
でも、水の為に頑張らニャいと!
前足を一歩踏み出したその時、背後に物凄い重圧感を感じる。
全神経を集中させる。まるで巨大な岩が背後に降ってきたような重圧感。この空気、匂いは……間違いない。
ノクティスだ。
(うニャッ……!?)
ノクティスに会いに行こうとしていたのに、身体が勝手に逃げようとする。でも、逃げ切れるわけもなく。あっさりと大きな手で抱き上げられてしまう。
「星閃ステラ。どこかへお出かけかな。」
そのまま両手で下から支えられるように抱えられる。ノクティスの顔がすぐ目の前にある。
確かに会いに行こうとしたけど、こんな形は想像してなかった。そもそもこんな捕まり方するのは恥ずかしい。
「にゃーうん?」
誤魔化すように、可愛く鳴いてみた。
――
ボクはノクティスに必死に説明をした。
どれだけ前足と鳴き声で詳細に伝えても、ノクティスは目を細めるばかりだ。
「……それは魔法か? 君の主は水の魔法使いなのか?」
「うーん、違うけど。」
ボクの元いた世界に、魔法なんてないってば。本当に世界の作りからして違うらしい。ノクティスが見たこともないような困った顔をするのを見て、ボクも頭を抱えたくなった。
すると、ドアの向こうからジャラジャラと鎖の音が聞こえてくる。
「ノクティス、ステラ。遊んでる? アルバも混ぜる。」
アルバだ。遊んでいるわけじゃニャいんだよな。
でも協力してくれるならありがたい。
ボクはアルバに説明をする。
「アルバ、わかる!」
「おぉ……!」
まさかの水道を知っている発言に、希望が灯る。
この世界の水道とは?
「水の魔法使い、捕まえる。鎖、縛る。」
「はニャ!?」
「暴れる、いけない。魔法使い、壁に埋める。銀の棒、叩く。苦しい、水出す。」
「ちょ、それ……」
どういう拷問ですか?
「水道、これ。間違いない。アルバ、人間捕まえる、行く」
ま、ま、待って!?
そんな物騒なこと……!
「却下だ。」
ノクティスが呆れた顔をして拒否した。
止めてくれて良かった、本当に良かった。
「しかし……どうすればいいんだろうな。水源と言えば川か海。人間は、井戸というものを作るらしいが……」
川、海……そんなものを作るなんて不可能だ。
(……海?)
ふと、ある存在を思い出す。
「テネブリス!」
あのタコなのかイカなのかわからない生物。
絶対、あいつは海出身だ。
テネブリスが歩いていたところは、水浸しになっていたことを思い出した。
――
アルバと一緒に城を歩き、テネブリスを探す。
ただ一つ、気になるのは……
「アルバ、テネブリスって喋れるのかニャ。」
「テネブリス、話す、ない。頭、悪い。ただのタコ、イカ。」
……ひどすぎない?
テネブリスは大きいので暴れられたら勝ち目は無さそうだ。まぁ、誰が相手でもボクには勝ち目ないけど。
しばらく歩くと広間の近くに水浸しになっている場所を見つける。走っていくとテネブリスがいた。
「テネブリス……!」
相変わらずクプクプと音を立て、その大きな眼で何を考えているのか一切わからない。触手からはどこから湧いて出た水かわからないが、常に水が流れ落ちる。
アルバが近づいて言う。
「ステラ、水やる。いっぱい、助ける」
すると、テネブリスがこちらを見てくる。
ギョロギョロとした大きな目。不思議な動きをしているため、何を考えてるのか、まったくわからない。
触手がこちらに伸びてくる。
「ニャんで!?」
気づくと冷たい触手でぐるぐる巻きにされてしまった。全身の毛が逆立つ。そのまま近くに寄せられる。
待って、待って、これ、食べられないよね?
しっぽがしゅんと力を無くす。
もう一本の触手が近くまで来る。そこから水がぽたぽたと落ちる。
ペロ……
舐めてみる。
「……おいしい。」
それはまるで、優陽がくれていた水道の水みたいだった。
流水をペロペロと舐めるボクを、テネブリスはギョロギョロした目で見守っていた。
……そんなに見ないでくれると嬉しいニャ。
――
水を飲み終わり、ようやく触手から解放される。
いや、水を飲ませるためだけに触手でぐるぐる巻きにする必要あった!?
でもこれからテネブリスに頼めば水を飲めるということだ。テネブリスに頼めば、ね。
……え、毎回?
「テネブリス、海帰る。ステラ、海行く?」
「無理だニャ……」
全然解決してないじゃん!
するとテネブリスが地面を探るように、触手で周囲をまさぐり出した。
しばらくすると何かを見つけて、目の動きを早める。
「どうした、テネブリス。」
触手は、地面のある一点を掘るように突いている。
「もしかして、ここを掘るってことニャ?」
そう言うと、テネブリスは嬉しそうにまたボクを巻こうとする。
違う違う、もう捕まえなくていいから!
でも、掘るって言ってもボクの力だと……
地面を少し引っ掻いてみる。トイレの後始末くらいしかできそうにない。
すると、
「ステラ、離れる。アルバ、掘る。」
アルバが力を込めて地面を殴ると、バキッと音を立てて床がひび割れる。
怖い、何でそんな力があるの?
ひび割れたところにテネブリスが触手を滑り込ませる。
すると、地面から水が湧き出てくる。
「ニャ……凄い。」
水はどんどん溢れ、一面に広がり小さな池ができていく。その中央にテネブリスが水色のキラキラした石を置いた。これで水が出続けるらしい。アルバは岩を積み、ボクも石を運んで、力を合わせて水場を整えていく。
朝日が昇る頃、そこには美しい水場が完成していた。
「ステラ、良かった、水、飲める、いいね。」
「ありがとう、アルバ。」
皆で協力して作った水場で飲む水は、極上の味がした。
「……ステラ。」
アルバがこちらを見ずに名前を呼ぶ。
ボクはしっぽで返事をした。
「ステラ、大事な人、いる?」
んニャ?どんな質問だ。もちろんいるけど……そもそも星閃ステラって何だろう。大事な人がいてもいいものなのか。
でもアルバなら……まぁ、いいか。
「アルバはいる。ノクティス様。ノクティス様、ひとりぼっちアルバに、大事なこと、たくさん教えてくれた。アルバ、居場所。作った。」
「ノクティスが……」
「そう。魔王城、皆。好き。ノクティス様、一番好き。」
「ボクも……大事な人はいる。そばにいてくれて、大切にしてくれて。ここにいる今でも、また会いたいと思っている。」
「……ステラ。」
アルバがゆっくり振り向く。夜明けの太陽に顔が照らされ眩しい。
「大事な人、また会える。絶対。」
ボクはその笑顔を見て、何を言うことができなかった。
――
少しして、ノクティスがやってきた。
テネブリスとアルバが協力して水場を作ったと聞いて、驚いた顔をしていた。
ノクティスが優しく微笑む。
見た目は怖いけどこの城の皆、意外と優しいのかもしれない。。
……この時のボクは、この幸せがいつまでも続くと思っていた。
時は刻まれ、太陽が真上に登っていく。光が強ければ影も強くなる。影は黒く濃く確実に迫っていた。




