第18話 波は静かに音を奏でる
翌日、ボクが提案した川の地形を変える案が、魔王城全体に通達された。正確にはノクティスの命令という形で伝わっている。
仮にこの策が失敗したとしても、星閃ステラであるボクに反感が向かないように、そんな配慮だった。
まったく魔王様ってのは……もっと極悪非道で、傍若無人で、そして――
「星閃ステラ。」
「うニャ!?」
び、びっくりした。全身の毛が逆立つ。急に声をかけてくるなんて、魔王ノクティス。本気で気づかなかった……! 心臓がバクバクいっている。
「昨日の作戦だが……クロウも同行させることにする。」
大きな手で抱き上げられる。
抱っこは好きじゃない、好きじゃないはずなのに……落ち着いてしまうから、喉がゴロゴロ鳴ってしまう。
どうして、大事な話に限って、毎回こうなんだろう。
「テネブリスの視界は狭い。クロウがいれば空から指示を送ることができる……そうすれば勇者と出くわすことはない。いい案だろう? 星閃ステラ。」
ノクティスが優しく微笑む。あの地獄の底から這い上がってきたような気迫は、今は感じられなかった。
――
「……ふむ。時は満ちたな。」
ノクティスが玉座から立ち上がる。マントがゆっくりと舞う中、ボクはその横にくっついて座る。
「テネブリス。クロウ。今回の策、そなたらに託すとしよう。」
魔族たちは静かに耳を傾けている。ノクティスの言葉には、それだけの重みと威圧があった。
「クロウは空より勇者の動きを見極めよ。テネブリスには川の流れを変え、勇者の侵攻を妨げる役目を任ずる……二つの役はどちらが欠けても成らぬ。心得よ。」
ボクはノクティスの方を見る。ノクティスの声が一瞬、ほんのわずかに沈む。
「そして……これが最も重き命だ。」
テネブリス、クロウ、ドゥンケル、ノワール。その場にいる全ての魔族に緊張が走るのがわかった。ボクの背中もビリビリと痺れた。
「勇者に近づくな。接触も追撃も不要だ……生きて戻れ。」
最後の一言だけ、ほんの僅かに柔らかかった。ボクは、アルバの笑顔を思い出していた。
「行け。」
クロウとテネブリスが闇へと姿を消していく。
ボクはその姿が見えなくなるまで見守っていた。ボクだけじゃなかった。そこにいる全員が言葉を発することなく、静かに見守っていた。
静寂が会議室を包み込む。
「……なぁ、ノクティス。」
沈黙を破ったのは、ドゥンケルだった。いつもなら大声で騒いで暴れてる彼が、珍しく静かだ。
「俺にも、出陣の許可を。」
沈黙が、空気をさらに重たくする。
「……ならぬ。」
「どうしてだよ! それにこの作戦も、勇者がここに来るまでの時間稼ぎじゃねぇか。何の解決策にもなってねぇんだよ!」
わかる。案を出したのはボクだけど、確かに時間稼ぎに過ぎない。
「アルバが死んじまった今、全員で団結して勇者をぶっ殺しに行くのが、魔族の正義じゃねぇのかよ!!」
ドゥンケルを見ると拳が震えていた。
鼓膜までビリビリくる叫び声に、思わず耳を伏せた。
ノワールが静かに間に割って入る。
「落ち着いて。ドゥンケル。今のあなたでは、判断を誤るわ。」
「誤る……!? 何が正解で何が誤りかわからない今、城でのんびりお留守番しろってのかよ……!!」
「ノクティス様の命令が聞けないの!?」
風が巻き起こる。ノワールの力が、いつもよりも強く空気を振るわせていた。ボクはそっとノクティスのマントに隠れた。
「フン。やる気かよ。勇者の前の腕鳴らしとしてお前をボコボコにしとくか。」
ドゥンケルが拳を構えると熱気が部屋に広がる。拳を中心に温度がぐんぐん上がっていき、周囲の空気が熱で歪んで見えた。まるでストーブに顔を近づけすぎた時みたいだ。
ボクに止めることなんてできない。止める権利もないように思えてしまう。ドゥンケルの怒りも、ノワールの焦りも、どちらもわかってしまうから。
(どうしよう……)
体が縮こまり、しっぽがしゅんと垂れる。風と熱がぶつかり合う。誰も入れない、緊張の空間。
ノクティスはボクをそっとマントから出して、守るように前に立ちはだかる。そして静かに割って、入った
「……そこまでだ。」
その声に、ノワールとドゥンケルがピタリと動きを止めた。ぶつかり合っていた風も熱も一瞬にして収まった。
「今は争う時ではない。ドゥンケル。お前の怒りは理解するが、今ではない。」
ドゥンケルは拳をおろし、視線を外す。
「ノワール。今は感情を抑えろ。魔族同士で争っても意味が無い。」
「……申し訳ございません、ノクティス様。」
え……!? あのノワールが、一瞬で引き下がった!? ボクは目をまん丸にして見つめてしまう。
「……部屋に戻れ。」
ドゥンケルとノワールは、言葉を交わさずその場を後にした。最近はノクティスに気を許しすぎていたのかもしれないから忘れかけていた。
魔王だった。
あの熱気を静かな圧だけで一瞬にして止めてしまうなんて。実際に戦っているところを見たわけではないけど、ノクティスは本当に凄い。
そんなふうに感心していたら、ノクティスが振り返った。
「……ステラ。こちらへ。」
え……?
ボクは、ゆっくりと近づいていく。
「……すまない。無理をさせたな。」
その顔は、寂しげだった。魔王なのにそんな顔をするなんて、反則だよ。
「今日はもう休むといい。」
ボクは無言でノクティスの足元に寄る。しっぽでそっと彼の足に触れる。
……ここにいても、いいかな。
その夜、ボクはここに来て一番長くノクティスと一緒に過ごした。
――
薄暗い水中。冷たい水が心地良い。魔王城とは違って、しんと静かだ。やはり水の中は快適だ。
オスティナート海岸からクーラント川の方角へ、触手を向ける。ぐっと力を込めると、水流が変わっていく。陸だった場所が水に沈み、水だった場所が姿を現していく。
……昔。この力で港町を沈めたことがあった。その時の人間たちの悲鳴を、今でも覚えている。たくさんの命が海の底に消えた。アルバを失って、今はわかる。消えてしまうということが、これほどまでに胸を締め付ける痛みだったなんて。
だから今回は、なるべく被害が出ないように。それでも、勇者の侵攻は阻むように。
生命の輝きが見えない場所に向けて、水を走らせていく。
「テネブリス。」
空から声がする。クロウだ。勇者の位置を空から見てくれている。
「海岸の奥、洞窟の方に何かが見えましたが。上空は私が監視しています。確認してくれませんかねぇ?」
洞窟……。あそこには、祠がある。クロウが見ているなら、勇者ではないはず。
ゆっくりと洞窟の方へと向かっていく。波を照らす月の光が、雲に少し隠れた。




